星降る吟遊詩人ライター、郁です。
いつもお越したいだきまして、ありがとうございます。
文章を書くにあたって、はじめは構えてしまいがち、いまだって「いざ」ワードプレスを開いて記事を書こうとするとこんな内容で良いのだろうかと考えてしまいがちな私ですが、
ブログで文章を書くことを続けてわかってきたところ、
書く側も、読む側も、お互いが不幸になる、そんな文章について感じたことがありました。
私の、今までの経験で、面白い文章とつまらない文章について痛切に感じたのは会社でのメール作成の仕事のことでした。
なぜ、会社や職場で書く文章はつまらないのか、
書いている方も、読んでいる方も、
毎日たくさんメールフォルダに届く文章はどれもなぜ心に響かないのか、
ブログ書きをするなかでわかったことがありました。
Contents
好きに書いて良いと言われて書いた、まったくもってダメだった文章
私は、以前、働いていた職場で、営業事務のような内容のメールを関係者全員宛に送る業務をしておりました。
簡単に言うと、「売り上げ貢献頑張ってください。」というような内容のメールです。
正確に言うと私のいた部署は営業部ではないのですが、エンドユーザーのところに訪問した人が、その会社のサービスを売るようにしておりまして、色々な会社(下請けなど)も仕方なくしなければならなかったのですが、
そのような売上に対して、昨日はどれくらいの販売があった、今月の目標はどれくらいで・・・
という、話はじめようとしましたが、ほんとうに面白くない内容でして、
ただ単純に、売上結果の数値だけをメールで送れば良いということではなく、
ある決まりがありました。
文章の最後にフリーフォームで、「販売のモチベーションをあげるコメントを書く」という内容でした。
私はこの、作業がとてもとても嫌で嫌でしかたありませんでした。
「あなたは売る立場でないのに、なに贅沢なこと言っているのか」と言われてしまいそうですが、
こと細かい数値をグラフにして、メールに転載した数値が間違ってないか、それだけでも神経を使うのに、
最後に、仕事のモチベーションをあげるような工夫をする。
文章を書く。
なんで嫌だったのか、まずみんなやりたくない仕事ということもありました。
毎日まいにち、ネタを探して書いてみる。
目にとまりそうなことを書く、それだけで、結構時間がかかるのですが、(トレンドを追うブログみたいですね)
私がほんとうに嫌だったのは、正直、そんな数値報告のメールなんて、毎日たくさんあるメールのうちのひつなので、他の人だって同じようにたくさんのメールのなかで埋もれているはずなのですが、
暇すぎる一番えらい人だけ、重箱の隅をつつくように見ていたのです・・・。(実際は忙しいなか、あんなつまらない文章を一所懸命読んでくれていたのかもしれませんが、それはそれで大変な仕事ですね。他人事のようですが。)
まあ、読むだけならいいのですが、というか読んでいただけたのなら嬉しいはずですが、
読んだ感想を、私あてではなくて、上司を通じて、私に聞こえるように文句を言ってたのでした。
「誤字脱字が多い、日本語として文章がおかしい・・・云々」
あとは、昨日の数値と変わってなくて、抜けているなどなど、(誰もそこまで見てないよ・・・)
私には、聞こえていたのですが、後で私の代わりに一番偉い人から怒られた上司がやってきて、一応形だけでも伝える。
最後の方は上司もいつものことみたいな感じで、なんか申し訳なかったなぁと。
そんな感じで、私はメールを書いていて面白くなかったですし、時間かけてネタ探したのにと、心はどんどん不貞腐れるばっかりでした。
正直、真剣に見ている人はほとんどいないのに。
そんなに、暇なのか?もしくは、偉い人が代わりに、たまにはモチベーションアップの為にも見本をみせてメール送って欲しいものでした。
あー、後で送信先との電話の内容を聞こえるように私に向かって話していたのはほんとうに嫌だったです。(「数値間違えてましたか、すみませーん。」みたいな感じで、遠くから私の方をにらんで、でも言いにこない・・・もうほんとうに最悪。)
誰も特しない文章を書く苦痛
真剣に見ている、読んでいる人はいないという言い方は、少し失礼だったかもしれません。
仕事のなかでお金をもらって、メールで売上をアナウンスするという業務をまかされていたので、
確かに、誤字脱字、文章がおかしい、など、誰か、しっかりと読んでくれて、間違っている部分を伝えてくれる。
前向きに考えれば、文章をしっかり熟読し、校正してもらっていたとも、考えられます。
しかし、いったいこの作業、
誰に特があるのだろうか!?
書いてる私はもちろん面白くない、読んだ方も間違えばかり指摘してくるようなメール、文章。
むしろ、書き手も読み手も、モチベーションを下げるだけの文章になっておりました。
私も、最初は前向きにできるだけ、その業務を取り組んでおりました。
でも、一か月もしないうちに飽きました。
いくら時間を書いても、ほとんどの人が読んでないのは読んでないで、それは確かでした。(売上報告のなかに、重要な業務内容変更についても良く書いていたのですが、ちゃんと伝わってなかったことも多々あり・・・・)
正直毎日まいにち、人のモチベーションをあげる文章なんて書けない。
毎日他にもしなくてはいけない業務がある中で、「言い訳」してしまいますが、どうやったって細かい間違えはでてきてしまいました。(数値の修正抜けですとか、誤字脱字です。)
いつしか、もうそのことを考えて会社にいくのも嫌になりました。
私は、そのメールを書く業務が、もう大嫌いになってしまったのですね。
文章を書きながら思い浮かぶ、偉い人の顔、
私のミスを探しながら読んでいるであろう表情、
そんなものが書きながら頭をよぎりもう毎日、最悪の気分です。
送信ボタン押すのもためらって、嘘のような話ですが午前中にメールできても、色々考えて、やっと送信ボタン押せたのが夕方ですと、帰る間際ですとか、もうフレッシュな情報ですらありませんでした。
はっきり言って、他の人もその業務は嫌だったのですが、私はじゃあやってくださいと言えない性格もあり・・・。
もういつしか、ずっとずっと、会社では、苦し紛れの文章を書く毎日だったのです。
どこか嫌々な気持ちがあらわれてしまう文章
ブログを書きながら、では、辞めた職場で書いていた文章と、
私のブログの文章の違いってなんだったんだろうと、
今になって考えました。
はっきり言うと、嫌々書いた文章、面白くないと思った時に書いた文章は、いくら無理をしても読む側にはその気持ちが伝わってしまうというところです。(良かれ悪るかれです。)
ですので、いくらビジネス文章のように頑張って、綺麗にまとめられたと感じていたとしても、やはり「私がそれについて面白くない」と感じて書いた文章は、
直球で文章にそう書いてなくても
「私はこの仕事、面白くないですし、むしろ、そんなに頑張って成績あげなくても良いと思います。投げやりで、とりあえず送信してすみません。」
これぐらいの本音が伝わってしまっていたのではないかと思います。
そう考えると、今では、申し訳なかったとも思いますが、会社というのは、「形」として「業績アップをお願いして、積極的に励ましていますよ」が欲しいところもあり、
誰も特しないメール・文章という、意味もない悪習になっていたのではなかったかと思います。
※ちなみにその作業をみっちり、しっかりやったら一日の中で2時間はとられました。完璧にするのは絶対に無理でした・・・。片手間で電話をとりながら文章書いていたので、言い訳ですが、人間ですので、そりゃ数値だって修正し忘れてたり、文章だって抜けたりしましす。
改善策としては、ほんとうにそいういったメールを書く人が好きな方がいればよかったのですが、どうだったのでしょうか、
私が休みだった時、他の人がつくったメールも正直、似たり寄ったりでした。
とりあえず形だけでも送ったのだろうと、忙しかったのだろうと、メールを読んでその日の状況がよく伝わってきました。
ミスをチェックするように読む人だけが読んでいる、そういうプレッシャーがあるので、文章を書くのも怖かった。
間違ってはいけないという恐ろしさが、逆にとんでもないミスを生むだこともありました。
やはり、誰も特しなかったです。
会社の杓子定規な文章で面白いわけがない(まったく好きに書いてない)
文章を書いて、メールを送る、書く側も書きたくない、嘘の気持ちで頑張ってくださいとコメントの入ったものを送る。
受け取り側も、よくも毎日まいにち、数値報告も含めて営業成績を上げろあげろと、うるさいなぁ。
そんな、会社のメールでした。
ある意味迷惑メールですね。
たまに、疲れてて気が付かずに、とんでもないサイズのファイルを送ってしまったこともありまましたし・・・。
このメール業務で私は送る側でもありましたが、別の件では逆に色々なところからメールが飛んできて、
振り返ってみると、どれも面白いメールってありませんでした。
「仕事だから当たり前じゃないか」という声が聞こえてきそうですが、
それでも、思い返すと、ほんとうに大したことない業務内容が、膨大な文章で届いたり、
結局、何が言いたいのか!?
なんでそんな難しく書くのか!?
そういった文章がたくさん、たくさんありました。
振り返って、あれは、なんだったのだろうと、時間をおいて考えたのです。
ブログ書きと、会社のメール、その文章の違い、
やはり、会社の文章は、書いている人も面白くないからだと改めて気づきました。
あたり前と言えば、あたり前なのですが、そんな簡単なことに気づいた時に、
私は振り返ると、どれだけ絶望した人達ばかりのところにいたのだろうと、恐ろしくなります。
みんなメールを作っていた人は私と似たりよったりの心境だったのではないかと、
誰も得をしない文章、
面白いと思わないで書いた文章、(業務連絡もあるので仕方ないのですが)
書く側も、読む側も疲れる、
もう負のスパイラルです。
いや~な「気」が心にたまってきます。
おもえばそんなところだった。しみじみ感じます。
ブログ書きで知った、ほんとうの気持ちを書くことを知って
そんな、会社でのブログ書き、いや、ブログは書いてませんね。
日々の数値の変化を眺めた感想を嫌々、毎日、社内、社外、関係する人達に送っておりました。
それでも、今思えばとても良い経験だったと思います。
それでは、おなじ文章、書きでも、
いままで好きなことを綴ってきたブログ、
会社みたく、売り上げの変化なんて全く興味がないと思って書いていた文書とは違い、
好きなこと、「いや好きなことじゃなくても」良いのです、
ほんとうに思ったことを自由に綴れる。
ブログ書きは、そんな会社で文字を書く、文章を考えるのとは「天と地」ほどの差がありました。
会社のメールサーバーではない、
私が自分で契約したサーバーに、私が思ったことを書ける!!
好きでもないのに、強制的に頑張りましょうなどと書いた文章に誰も見向きをしない、むしろ、文句を遠回しにネチネチと言われるのを肌で感じていた日々、
嫌な会社から離れ、自分の言葉で、思ったことを、もちろん好きなことを、そしてマイナスな気持ちでも、
ほんとうの気持ちを文章にできる。
会社で書いていたメールですが、
きっと、今思えば、「面白い」もしくは「読まれた」メールを書くとしたら、
「そんなに必死に、売り上げ、売上げなんて気にしないで、本来の仕事を頑張ってください。こんな形だけの毎日のメールは気にしないでください。形式だけですから。」
という、本音の内容の方がきっと読んでいた方の心に響いただろと、
まあ、そんなことしたらまた怒られるのですが、
少なくとも、誰も得しない文章ではないです。
私もほんとうの事を伝えられますし、一部(同じことを思っていた)の人には届いたかもしれない文章だったはずです。
ただ、それを、では、実際のお給料をもらっている会社で、当然、ほんとうの気持ちをさらけ出しすことはできませんでした。
キャクターとしてそんな文章が許される、もしくは、好きなことをほんとうに書ける度胸があった人なら別だったかもしれません。
でも、少なくとも私の働いているところでは居りませんでた。
あとは、逆に、「頑張りましょう!」的なメールを心から楽しんで書ける人です。
そんな人もいなかったですね、だからみんな業務を押し付けるか、みないフリをしてしまい・・・。
ただ、先ほども言いましたが、この経験のおかげで少なくとも、素直な気持ちを書くことの意味、大切さをあらためて考えることができました。
会社と違って、自分で作ったブログで自分の言葉で、想っていることを書ける。
そして読んでくれる人がいる、アクセスがあったり、コメントが届く。
会社みたく杓子定規な模範解答を探して書く必要なんてないのです。
思ったこと、感じたこと、本当に伝えたい気持ち、言霊が宿った文章で、ブログを訪問いただいた方、誰か一人にでも届けることができるのです。
好きに書いていいと言われても、それを鵜呑みにできないふだんの毎日、そんな生活のなかで、
想いを伝えることができるもの、ブログに出会って知ることができた大切な経験でした。
今でも思い出します。
あの、遠回しに、聞こえるように言われていた私の書いた文章の愚痴、
「悔しい」とか、「文才がないんだ」とか、そんな気持ちではなく、
ただ、ただ、嘘ばっかり書くってほんとうに苦しいことなんだって、机に座りながら思っていたあの頃の感覚がよみがえったのです。
それでも、巡り巡って、そんな過去の経験も、今となっては、結果、良かったのだと、そう思ったりもするのです。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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