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千年の都 「京都のまち」で感じた、ブログテーマが複数で決まらない時

 

京都の街で感じる ロングレンジなブログ書きとは!?

こんばんは、

郁です。

実際に、どんなブログ書きが長い目でみて、資産化になるかもふくめて、

ブログを書く時の、書きたいテーマが複数あって悩んでしまった時のヒントになれば、と、

京都の街を歩いて感じた、感じたことを書いてみます!

混沌とした街には、カオスがつながってひとつになっている

ブログを書くにあたって、悩むこと、

「ひとつのテーマでないと、ダメなのではないか?」

と悩むこともあるかと思います。

色々なサイトのブログ作成の情報を見ると、

テーマはひとつに絞って特化型が良い、などなどと書いてあり迷うこと・・・

 

じゃあ、どういうブログが良いのか!?特化型!?

長く続くブログの秘訣、それは、年の都、京都のまちの構造からヒントがありました。

それは、混沌とカオスで、ごちゃまぜなブログで良い!!

京都とひとことで言っても、

歩いていると色々な場所があると感じます。

例えば、四条あたりの繁華街といえば良いのか、

商店街、人が多く歩いている場所、

金閣寺や清水寺など、外国の観光客がたくさんいて、

もはや、日本なのに日本人を探すことの方が難しいような場所、

ほんとうに日本にはこんなにも外国の観光客が多いのかと、

最近になって感じて、京都の混沌とした街並みにやられてしまったのですが、

金色の建物など、いかにも外国人受けしそうですね。

街の中心部には、色々な神社、仏閣が存在して、

どこを歩いても、なんらかの歴史的なゆかりを発見する、おどろくべき場所でした。

日本史の、どの時代にも必ず関わっている場所なので凄いです。

平安時代からはじまり、室町、戦国、幕末、どの時代での歴史的な「ゆかり」があって、

歴史に詳しくない私でも圧倒されてしまいます。

それで、京都のそんな、どんな時代でも関わる、混沌とした街並みを歩いて感じた、

1000年も続く都、

東京は、せいぜい、大政奉還から、明治時代を経て、

100年ばかりで、一気に発展したのですが、

なぜ、1000年も「都」として存在するのか?

ロングレンジ(長期資産)というキーワードを少し意識して街を歩いたのです。

京都の街は、

碁盤の目のようになっております。

それで、なんとなくですが、

色々な雰囲気が区分けされているように感じました。

先ほども書きましたが、四条や祇園あたりの人が多い場所、

外国人も溢れていて混沌としている場所、

一方で、少し離れると、静かな、わび・さび、を感じるような龍安寺の石庭や慈照寺があり、

小さい街の中に色々な場所が存在するのです。

小さいと言っても、大きさは、東京山手線の丸の中ぐらいの広さだそうで、バスでけっこう簡単に移動できたので、そんなに広いという感じがしなかったのですが・・・

それで、京都の街を歩いて、

私なりに、

じゃあ、なぜ、

この街がずっと都として栄えたのかと考えますと、

それは、

それこそ、

「混沌」「カオス」そして「未完」がつまっているからなのではないかと、

そう思ったのです。

どういうことかと言いますと、


人間の感情というのは、一定ではないと思います。

楽しい時もあれば、

落ち込んでどうしようもない時、

ひとりになりたい時、

または、生まれ持った性格が内向き、外向き、

ポジティブな時もあれば、

ネガティブな時もある。


京都の街を歩いていると、

色々な感情を発見する時があるのです。

四条、祇園あたりの観光客で栄えているところ、

一方で、

静かな庭園、

綺麗な川の流れで、気を落ち着かせてくれる場所、

人の感情は一定のように見えて、実はかなり流動的だと思います。

それは、自覚してなくても、

今は、はしゃぎたいな、

今は、落ち着きたいな、

と、どこか無意識のうちで色々な感情が生まれては消えているのだと思います。

常に、一定の感情で生きていたら、

それこそ、AIやロボットになってしまいます。

ここが、長く続く、ブログ書きのヒントになるのではないか、と、

そう感じました。

つまり、長く続く、資産ブログというのも、

京都の街のように同じく、

混沌として、カオスで、不定であった方が良い。

特化型ブログというのは、情報量がひとつの事に集中していて、

一見、読みやすく、良くできているように感じます。

ひとつのことだけに特化して、情報を集めているのだから、

すごいな、と、ですが、

良くも飽きずに、同じテーマだけで書けるなと・・・

特化型の方がブログとして、コンテンツとしても凄い気もしますが、

ひとつのテーマだけを積み上げたブログというは、

そのテーマを資産とするのであれば、

いつか、そのテーマが終了する時があるのです。

それは、時代の流れ、トレンドですとか、

そういったものです。

例えば、健康について書いていたとしても、

ある時、別のニーズの健康方が生まれ、

注目され、

まったくもって時代にあわなくなるなどでしょうか、

ですので、

長く続く、資産型のブログというのは、

逆にコツコツの日記型の方が後々役にたってくるのです。

色んな側面からとらえた感情を綴ったブログ、

日記のような感覚で綴った感情、

感覚、

書いた人それぞれのバランス感覚、

ポジティブな感情の時もあれば、

ネガティブな感情の時の視点、

どちらともないニュートラルな視点・・・

先ほども言いましたが、

人の感情は、ロボットではないので、一定ではないのです。

京都の街だと、

今は活気ある場所が良いな、
今は、ひっそりと誰に会わずに落ち着いていたいな、と、

そう感じる場所が常に、どこかにあるように、

ブログ記事にも、

様々な感情の記事があった方が、長く続くのではないでしょうか。

それこそ、京都の街の建物は、

時には戦で、焼け落ち、燃え上がえり、

再建を繰り返して、

それは人間の感情そのものだと思います。

時に深く絶望し、それでも這い上がって、こころを建て直して、

また、さらに強いこころに生まれ変わり、

それでも、また、壊され・・・

そしていつまでも未完であり続ける。

ブログもいつまでも未完で良い、むしろ、その方が長く続く、

ロングテール(長期資産)なブログとなる。

東京などのように、歴史がないところの方が、

一時的な発展という意味では強いのかもしれません。

簡単に壊して、簡単に新しいものをバンバンと建てて、
どんどんと知らぬ間に、いつの間に、すごく、大きなビルなどが建っていきますが

逆に、廃れるのも早いです。

つまり、そのトレンドが終われば、もうすべて取り壊しです。

そして一から、その流行にあわせて建て直しです。

どっちが好きかというのは人それぞれかと思いますが、

長く続く強いブログ書き、というのは、

コツコツと色々な感情を書きあげ、積み上げていったブログ記事の方が資産としては価値があるのではないかと、古都、京都から感じました。

 

これから人口知能の時代、AI、機械化、技術的特異点が迫っておりますが、

こまかな、こころの機微、情緒、機械では生み出せないニュアンス、

そういった感情こそが、

アナログであり、

最終的には最強なのではないでしょうか、

だから、どんどん、

カオスで、意味のわからない、機械には知ることもできない、

人間味あふれた記事書き、カオスブログが最終的には、1000年の都、京都のように残るのではないかと、そう感じたのです。


「結論」

雑記ブログ、日記をはさんで、その人らしい情緒とオリジナルなカラーがあるブログこそが長く続くオリジナルコンテンツなブログ書きになります!!

ここまで、読んでいただきまして、ありがとうございました。

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