こんばんは、
星降る吟遊詩人ライター、郁です。
いつもお越しいただきまして、ありがとうございます。
ひとつのホームラン、小さなバッターのホームラン、その1本がずっと記憶に残ることがある。
それは、ブログ書きも一緒だと最近感じたのです。
子供の頃、はじめて観に行った野球の試合をずっと覚えておりました。
記憶はとても曖昧で、だけど素敵なこと
まだ、小学校3年の時。
覚えていたのですが、記憶が遠すぎて・・・かなり曖昧で、いつの試合か、までは覚えていないのです。
覚えていたことは、
はじめて見た野球の感想、それは、つまらない・・・
それしかありませんでした。
母に連れられて、当時、母は駅の売店員をしておりました。
遠足の時など、クラスで駅に行った時に、母が働いていて、母は先生にもこちらにもニコニコと笑顔で話しかけてくるので恥ずかしかったな、という記憶があります。
まだ、母が元気だった頃です。
野球を観にいったのは、母が職場でプロ野球のチケットを無料でもらってきたことがきっかけでした。
初めて行った時の記憶、かすかに、でもずっと覚えていたこと、
それは、スコアがまったく動かない試合だったことでした。
1-1の延長戦引き分けでした。
何しろ野球のルールすらわからない子供だったので、試合も動きがない投手戦で、点が入らずに面白くないのですね。
そもそもどうしたら点が入るのか、すらわかっていなかったのですが・・・
盛り上がりにかけると、いいますか、
初めて野球を観に行った時に、次に行きたいだろうか、と考えた時、あまり印象に残らずに面白くなかった、という正直な感想でした。
むしろ、母が楽しくなって、その後何回か連れられていったので、少しずつ興味を持っていった感じです。
母は一生懸命、私を試合に連れていって、実際に野球を見せながらルールを教えてくれました。
いつしか、外野の一番手前のベンチ席、いちばん内野よりの端っこの、同じ席にいつも座るようになりました。
あそこは、当時トランペットの応援がものめずらしくて、後ろから奏でる音楽がうるさいのですが心地よく、適度な盛り上がりがあって好きな場所でした。
今ではその席は、応援団のスペースに完全になっており、座ることはできないのですが、なんだか昔の野球観戦はのんびりしていて、人も少なくて好きな雰囲気だったな、と、思い返します。
いま振り返って、はじめて野球観戦に行った日はいつだったろう、
最近ずっとそんなことを思っておりました。
ある大物選手が入団した年であることは覚えております。
そしてスコアが1-1で延長引き分け、相手がロッテ戦。
母が「〇〇さんは良く打つわねー」と言っていた記憶があります。
相手側の主砲です。
今の世の中、ネットが発達しているので、当時のスコアなど調べればすぐにわかるだろう、と思っておりました。
しかし、載っていないのですね。
探せないのですね。
だいぶ前のスコアなのでその年の日本シリーズの成績ぐらいしか見つからないのです。
あの日は何月何日だったろうか・・・、
分からなければわからないほど、人は答えを知りたくなるものです。
記憶はささいなこじれからくることを発見しました
私が記憶をたどった方法は図書館でした。
過去の新聞記事が電子で保存しております。
どの図書館にもあるかわからないのですが、比較的大きな図書館ですとネットで過去の新聞記事を閲覧できます。
聞蔵Ⅱ新聞縮刷版(きくぞう)という新聞記事をネット上で閲覧するサービスが無料で使えました。
ただ、訪れた図書館の場合は検索時間が30分間と制限があります。
ある特定の年の全てのスコアを探すのはどうしたら良いのやら、
もういちど記憶をたどります。
一番の記憶ですが、それは普段ホームランを打たない選手がホームランを打って試合を1-1の振り出しにして引き分けにした、という記憶があったのです。
記憶ではその年に、その選手が打ったホームランは1本でした。
だから、その1本を打った日を調べれば良い、と、
しかし、年間140試合ほどある中の一試合だけを探すのはかなり大変です。
最初は4月頃からポチポチと一枚一枚日付を聞蔵からクリックしてスポーツ面のサムネイルを探しておりましたが気の遠くなる作業でした。
それで、ふと、思ったのです。
あれ、いつだったろう、野球に連れていかれた日、気温、感覚、
平日で人が少なくて、肌寒くなかったのでおそらくシーズン中盤ぐらい、でも夏休みであればもっと記憶が鮮明だった気がする。
8月ぐらいまで一気に検索する日付を飛ばしました。
8月のある日の試合のスタメン、ラインナップをみます。
探している選手がスタメンに一覧にいました。
そしてホームラン(以下、HR)のところに①の数字がありました!
ということは、8月より前を遡れば1-1のスコアが見つかるはずだ、と、(何しろ一年に1本しかHRを売ってないですからね!)
どんどん日を戻します。
そうしましたら、その選手がホームランを打った日をみつけたのです!!
しかし、その日のスコアは8-5ぐらいの大勝でした。
しかも別の球場、ビジターでの試合・・・。
あれ、おかしいな・・・。
考えます。
もしや他にホームランを打った日があるのだろうか?
ウィキペディアに選手の年間成績が残っていますので、その選手の名前からその年の年間成績を調べます。
あれ!? 3本打っていた・・・!
ホームランが少ない選手ということで、完全な思い込みでした。
そうすると、他の残り2本のうちのどちらかの日なのだろうか、と、
ここで検索時間の30分が来てしまいました。
その日は聞蔵での検索はお終いになります。
数日経ってまた図書館に行きました。
9月の一日目から新聞のスポーツ面を調べます。
すでに3本HR(ホームラン)を打っておりました。
ということは、9月から8月の間というはずです。(1本目は8月だったので)
少しドキドキします。
朝刊の全てのスポーツ面をみました。
2本目、3本目、HRの数字が黒丸になる日を見つけました・・・。
しかし、試合結果をみると1-1の引き分けではないのです・・・。
あれ、おかしい、どういうことだろうか・・・、
記憶はあやふやだったのだろうか、間違っていたのだろうか、
勝手に記憶を美化してしまったのだろう、か。
そういえば、最初にファンになったのは、はじめてホームランを見せてくれた、その選手でした。
子供の頃の記憶が、美化で、ねつ造されてしまっていたのだろうか、
そう混乱したのです。
しばらく聞蔵の前で固まります。
もう、はじめて母と観に行った試合の日にちを思い出すことはないのだろうか、と。
だけど、どこかで気持ちが間違ってない気がしたのですね。
1-1延長引き分けだったはず。
もう一度考えます。
知恵蔵では検索キーワードで調べる方法もありました。
年も指定して検索できます。
まさか、いち選手の名前で、見出しで引っかかるのだろうか、と、
それでも、ためしに選手名を入力してみたのです。
何件か、その選手の名前が使われた見出しが出てきます。
その見出しのなかのひとつに、「延長引き分け」という文字がありました。
7/10でした。
その見出し部分をクリックすると、その部分の詳細記事へ飛びます。
スコアが2-2の引き分け、対戦相手は記憶にあるロッテでした。
もう一度試合結果をみなおします。
1点リードされた後に、ソロホームランで追いつきます。
6回に1点先制後、8回に2点を取られ逆転される。
9回に同点に追いつき、延長10回裏時間切れ引き分け、となっておりました。
しかも、ホームランを打った選手は記憶とは違う選手の名前でした。
同点ホームランを打った選手もふだんあまりホームランを打たない選手だったので、ここで記憶が違ってしまっていた可能性があります。
私の記憶の中で同点ホームランを打った選手は、そのあと1-2でリードされた後の9回裏に同点タイムリーヒットを打っておりました。
そして、そのまま延長に入り引き分け。
記憶のなかではホームランがバックスクリーンへ吸い込まれていたような思い出があったのですが、
しかし、どう考えても、この試合しかないのです。
おそらく記憶では1-1だったが、実際は2-2の引き分けだった。
7/10だった。
きっとはじめて母に連れられて野球場へ行った日はこの日だったに違いない。
まだあの時の母はアルコール依存になる前でした。
ですので、あの時くらいの記憶が私にとって、いちばん楽しい記憶なのです。
きっと母は幼い子供へ、野球のルールを教えるのが楽しくて、トランペットや紙吹雪をめずらしがる子供の姿が楽しくて連れて行ってくれたのだと思います。
その後から母はどんどん病んでしまい・・・、飲酒が強くなり、いつしか野球場へ連れていってくれても、観戦中にトイレに行くふりをしては、帰ってきたらアルコールで様子がおかしくなっておりました。
ですので、子供の頃、途中から、野球観戦の思い出は私にとっては怖いものでした。
帰りの電車の中でふだんとは別の姿に変わり果てた母は、途中で電車の定期をなくし、家に帰れなくなり、子供ながらにとても不安になった思い出が強かったのです。
観戦でにぎわった乗客が全ておりて、母と二人にきりになった車内、定期券を探す母の姿はとても心細く、寂しい気持ちでいっぱいでした。
それでも弱い母なりに、子供に色々な物を見せて触れさせようとしてくれたのではないだろうか、と今では思うのです。
都心に出るとプラネタリウムや美術館に連れて行ってくれた母でした。
時間が経過し、大人になった時、母がアルコール依存から回復し、また一緒に野球を観に行くようになりました。
子供の頃にみることができなかった日本一の瞬間も一緒に観ることができました。
大人になり、仕事の帰り道にふと寄った金券ショップで、余るように売っていた一番上の方の席で、選手がほんとうにちっぽけに、ちいさく見えるほどグランドから離れた高い座席、
試合が始まる前、そこまでの階段を上る時に、「こんな階段はもうあるけないかもしれないね」とポツリと母が言ったときに、時の経過を感じました。
子供の頃は少し辛かった野球観戦も、大人になって時がめぐり、母とまた楽しむことができました。
生きていれば、そんな嬉しいこともいつかめぐってきます。
私にとっては、だから、はじめて行った野球観戦の記憶は大切な記憶なのです。
何もしらない無邪気な記憶からはじまり、母の飲酒の記憶で離れ、そして立ち直った母と、ずっとずっと時間を経過してまた観に行くことができたものなのです。
子供の頃の記憶なんて曖昧です。
でも、きっと一人の選手の1本のヒットがずっとずっと大切に心にとどまっているように、ヒットがホームランの記憶にすり替わってしまうぐらいに、
ブログ書きの記事も、たくさんの人へ、ではなく、誰か一人の心に残る記事を書くことができれば良いのだと感じました。
たくさん記事を書いた中の1本がホームランでも、ヒットでも、誰かにとっては、それがずっとずっと、心の中で価値のあるものになることがある、と、思うのです。
きっと、たくさんホームランを打った選手だったらここまで調べることができなかったと思います。
ホームランが少ない選手だからこそ、記憶に強く残り、聞蔵を使ってたどることができました。
その選手にとっては通算583本のうちのたった1本だったかもしれません。
でも私にとっては、ずっとずっと記憶に残っていて、何十年後に、こうして新聞記事で探し廻るほど大切は1本のヒットでした。
あなたの書くブログ記事、それは誰かひとりだけに届けば良いのです。
こんなこと書いて誰かの役に立つだろうか?と、書いているあなたが感じるような、ひとつの記事は、時を越えて何十年後に誰かの心に届くことだってあるのです。
どこか、誰かの記憶の片隅にとどまり、届いたのであれば、
どんなことだって、書く意味はあると私は思います。
ひとつの投稿が誰の役に立って、誰の役に立たないかは、書く側の私たちにはわからないのです。
あたにとってささいで、なんでもないひとつの投稿が、誰か一人の為になることがあるのです。
だから、想いをブログでどんどん伝えることが大切だと思うのです。
ヒット1本から感じたブログ書きについて、書いてみました!
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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