こんばんは、
星降る吟遊詩人ライター、郁です。
いつもお越しいただきまして、ありがとうございます。
今夜は、陥りがちなネガティブ感情をどう扱えば良いのかについて、お伝えします。
どうぞ、よろしくお願い致します。
Contents
ネガティブになる時
ネガティブになる時とは、自分の中にある理想と、できない、なれない、もってない現実、頭の中にあるのですが、なかなか認めらずに・・・
先日のグループコンサルの時に竹川さんから学んだことです。
私の中で、約束したレポートを、イメージ通りに作ることができずに落ち込んでおりました。
ああ、無理だった、大見栄を切っただけになってしまった・・・
やったことは年末までにとりあえず形としてレポートを書いたこと、とりあえず未完で、もうとりあえず送るしかないと、
大晦日の21時ごろ、
とりあえず約束は守ったと・・・
しかし、その反動で、
年が明け、
あー、あんな適当なことをしてしまった・・・
情けない・・・、
東京から京都まで足を運んでこのざまかと・・・
やったのはやっつけじゃないか、形だけじゃないか、
できなかった後悔、自分を責める後悔・・・、
もう本当に嫌だ・・・、
「自分が嫌だ・・・」
至らなさ、できない経験をするぐらいなら遠い場所まで行くこともなかったんじゃないか・・・
と、陥った絶不調、
読んでいる方も、イメージどおりの事がうまく運ばずに、どんどんネガティブになる自分がさらに嫌になり・・・
無限ループになることはありませんでしょうか?
完成させるよりも、完了 サグラダファミリアで良い
そんなネガティブの底に落ち込んだ時にコンサルで竹川さんに言われた言葉です。
・完成させるよりも完了させる
・レポートは自分が納得する為のモノではなくてお客さんに届けるもの
・本人はボツでも良い
・編集をお願いする経験もできたはず
こんな言葉を言っていただいても、私はそれでも、「自分のなかでは・・・これじゃぁ」と第三者が言っているのにも関わらず腑に落とせない、
もう、私は、ほんとうに面倒くさい人間だなと我ながらに思ったのです・・・
ポジティブシンキングは嫌いと言われて・・・
私はこんな風にポジティブになれない自分自身にあきれ果て、心を腐らせていたのですが、
「ポジティブシンキングは嫌い、ただの承認欲求ではないか」と言われ、
ハッとしたのです。
「嫌い」と言われることを避け、ネガティブを隠し、心に巣食うネガティブな感情を否定し続けていたところ、
今回のレポート作成だけでなく、それはブログ記事を書く上でも、なるべく自己体験をとは思っていても、ネガティブには目を背け踏まないようにしていた地雷でもあります。
ポジティブで前向きであらねばと思っておりましたが、
「ポジティブが嫌い」と言われて・・・、
あ、そっか、確かに、ポジティブって自己肯定感が高そうで、ポジティブな意見を聞くと、「正直、ほんとかよ」って思う私がいるのは事実、
イケイケ、ドンドンな感じは苦手で・・・、
聞くと感じるエネルギーの高さと前向きな力に追い付かず・・・ついていけないとどこかで思う私がいるのは事実、
私はポジティブになれないので、ポジティブな人を見てもあまりピンとこず、むしろ警戒してしまう事実、
それは私と違う性質だから・・・
だったら、そんなモノにならなくて良いのかと、
やっと楽になれたのです。
ポジティブな方が好かれてというのは、一般的にはそうなのかもしれません。
明るくて前向きな人、一緒にいるのであれば私だってそういう人を選ぶと思うのですが、ナチュラルボーンでそういった性質をもった人というのはうらやましいな、と、
もし輪廻転生というのがあれば前世でだいぶ徳を積んだのだと思ってしまうのです。
ですが私は違う、
実際にネガティブ・・・
ネガティブが無理やり、気持ちを上げて何かを発信しても、それは端からみれば、承認欲求の塊のような人間に映るだろうと、
いちばん私の苦手なタイプの人間だろうと、
じゃあ、そんなものになりたいのかとやっと気づいたのです。
誰にとって、何がポジティブなのか、ネガティブ感情がポジティブ感情になる理由とは
つまり本人の中では、ネガティブという感情も、
人によっては、ポジティブな意味を持つのだと、続けて気づきました。
ブログで記事を書く上でのポジティブシンキングとは、
つまり、
不安をゼロにした(そう思い込んだ)言葉を発信するよりも、読む側の立場を考えると、
「不安を正直に言った方が信頼も深まる」
この言葉に再びハッとしたのです。
記事を書く上で誰かに役立てなくては、ポジティブな気持ちでなければダメだと、
でも嘘を言っても何も響かないのだと、
読者側にとって一番ほしいポジティブな記事は、「正直なこと」の方が、ネガティブでもポジティブになる。
だいぶわかったつもりで記事を書いていたのですが、
頭で理解できていても、心では理解できておりませんでした。
さらに追い打ちをかけます
ブログ記事を書く心構えについて、
答えは自分のなかで求めて行く、
ネガティブを治すことはできないし、ブログ記事で誰かの背中を押す。
つまりは自分のいたらなさ、ダメさを発信していく。
その方が読む側もうさんくさくなく安心するのだと。
嫌われるのが一番嫌なはずだったのでポジティブであれと思っていたのですが、今までの行動、ポジティブでいられないという部分が一番、嫌われる最短距離だったのかと、
ダメでも良いから行動して欲しい、
失敗しながら続ける人の方が成功をする。
きっと、そうですね、何度も失敗を経験した人の方が何事も物事の深みがあるのではないか、伝わる気持ちも深いのではないかと、
自分にとってダメな感情、ダメなものほど、周りの人にとってはマイナスイオンだと、
こんな感情は言葉で理解していても実生活では到底できやしない部分でした。
もちろん、それが毎日の場面では当然しんどい、
例えば職場で、
じゃあ、「ダメな自分を見せるほど周囲にとっては良い影響なんだ」とか思って、
朝から晩までぐちぐちと、自分に自信がなく・・・、いやこれはできないので・・・、
と言っていたらたぶん終わりですよね。
まあ言葉の使い方にもよりますので、人に教えたり、話したりする時に、「実はこういう失敗しちゃって」など伝えると安心感を与えたり、逆に教えてもらったりすることもありますが、
そのさじ加減は、正直、難しい部分でもあります・・・。
あまりに失敗談をさらけだしていたら、この人大丈夫かなという評価もありますし、言って良い人、ダメな人と、その時その時で瞬時に判断しながら会社では生きないとダメなのです。
こういう部分でも私は心を病みました・・・。
じゃあ、ブログの世界で実体験を発信する場合、
読んでこいつはダメだと思われればそれまでですし、だからといって会社のように、一言で人生が詰むということにはなりません。
ですが、逆に、気にせずに発信できる片方向の気持ちを続ければ、
その気持ちに共感してくれる人も居るということ、いちいちこっちがネガでこっちがポジでとバランスを整えて伝える言葉よりも、
もういいや、ネガティブな感情にだけ目を向けてくれる人に書けばという絞った感情、
それで良いのだと。
それでもフタをするもう一人の自分
ここまできて、ずいぶんと書くこと、例えばネガティブシンキングの塊である、私でも、
そのネガティブを活かして発信できそうと、
やっと思えるのですが、
ですが、
ですが、
潜在意識でフタをするもう一人の自分がいるという事実、
脳のデータベースの方が
「そんなのムリだ」と
ブログで気持ちを発信する上で、良い、ネガティブな感情はポジティブなんだと
理解したつもりでも、
やっぱりダメだと、できない、と悪さをする感情があるのです。
これは、ほんとうにやっかいな感情です。
常に心の中に潜む、悪魔でしょうか、
わかっているのに、歯止めをかけるやつがいる。
しかし、その思考の壁は消すことができないのです。
それが性質と言えばそれまでですし、心に潜む歯止めをかける感情が悪魔であってネガティブと例えるなら、もう、ネガティブなのでしょう、
ですが、その事実を受け入れてしまうのです。
これが簡単にできる人ほど逆に、先ほど言っていた、私が嫌いなポジティブ人間の誕生なのではないかとも思ったのです。
じゃあいったい、どっちが良いのだろうか!?
つまり、ネガティブはポジティブがある側面ではもうポジティブであって、
例えるなら、会社ではもう、いちいちどっちかなんて考えて言葉を選びますが、ブログの世界では、
ネガティブをポジティブと捉えてしまって、
それが一つの正解と落とせば良いのだろうと、やっとここまで心が理解しました。
さらに追い打ちをかけます
もう湧き上がってくる、それでも不安だという、感情にトドメを刺します。
ブログ書きで、内省し自分と向き合うよりも、読んでいただく人に向けて向き合っていくこと、
頭でわかっているのですが、心で理解はできないですね。
なかなか書くにあたって、
それがはじめからできていれば、いわゆるブロガーとしてはすごいことになるのでしょうが・・・
それはできない、
できないことを認めてしまおうと。
いずれ、じゃあ、また発信する相手とは何だろうかという悩みもでてくるのも認めてしまうのです。
失敗する経験は、どれも自己体験としてブログの記事にできるので、
逆にラッキーぐらいです!
そして、
悩みは一生消えないし、消す必要もないという事実。
なんだが、ネガティブな感情がポジティブに思えてきました。
何度、失敗したって良いブログ記事、
人によって、先ほどのネガティブな人とポジティブな人、どちらが好きで嫌いかではないですが、
何が成功かなんて読む人によって違うのこと。
もう、いっそう、ネガティブな感情の記事が、読んでいただいた誰かの役に立つのであれば、
あきらめが悪いくらいネガティブで良いのだと、
あなたの感情のネガティブに止めを刺せましたでしょうか!?
それでも
ネガティブな感情にトドメを刺したつもりでも・・・
それでも記事を書く上で心に巣食うモノ・・・
やっぱりこんな記事、役に立っているのか・・・
もう何が役に立つかわからないと脳みそでも心でも理解したつもりですが、湧き上がる感情、
良く見せたい、書く上で嫌われたくないという感情が絶対に出てきます。
これは、人と接する上でも消せない事実なのでしょう。
職場のような常に感情の流れ、考えの流れも流動的で、瞬時に感情を切り替える場所では、いつか、こんな感情であれば脳みその回路がショートダウンするでしょうが、
先ほどもお伝えしたように、ブログは片方向です。
読んで伝わる人だけに届けば良いのです。
で、結局は、
好かれようが、嫌われようが、
「自分のことは、どうでも良い」という気持ちになれれば、
ブログ書きでもだいぶ生きやすくなるのではないでしょうか、
少なくとも、職場では、この人にはこう、あの人にはこう、と色々な心理戦を望む生き方よりも、
いっそうネガティブな感情に絞って、モノを発信する。
それで響かなければ終わり、届けばありがとうございます。
何しろ、職場で体験してきた自己犠牲の精神など、私たちの得意中の得意ではないですか!?
はじめは、ブログ書きで、すぐには無理です。
今でもやはり、「最後は自分の気持ちが大切」というエゴがぽこっと出てくるのです。
ですが、少しずつ、ネガティブを認め発信し、また、それを否定し、認めの繰り返しです。
途中でやっぱりダメと思うこともありますが、
私、ほとんどテレビを観ないのですが、
社会現象になった、あまちゃんを今さらながら、ここ最近観たのですね。
長かったです。
そこで、印象に残った言葉がありまして、
女優の鈴鹿ひろ美が、芝居がちっともうまくならないアキに、
「女優はダメ向いてない」
「ダメねやっぱり向いてない、ごめんね、嘘言っても仕方ないから、」
「天野アキがよかったのよ、」
「今日本で天野アキをやらせたらあんたの右にでる女優はいません。
だから続けなさい、むいてないけど、
むいてないけど続けるっていうのも才能よ。」
「あまちゃん」第130回より
このシーンを思い出しました、
連続テレビ小説の話ですが大女優でも、そう思うのだと、きっとですね、あの年齢になっても鈴鹿ひろ美は、自分がなぜ女優なのか、芝居について、答えもないんじゃないかと、ふと思い出したのです。
もちろん、私たちは、大女優の方ではなく、まだ手探りで進むアキの立場なのですが、向いてないながらも、できなくても続けることなんじゃないかと、
それを考えると、まだ、ずっと先に書きながらわかる答えなのかなと感じました。
人生経験もそうなのかな、と、
ブログ書きを何十年も続けてはおりませんが、人生を詰み上げてきたのであれば、少なくとも生きる才能はあるじゃないかと、
ずっとずっと、生きることは、下手くそなのですが・・・、
そんなシーンを思い出しました。
ブログ書きも未完で良くて、ネガティブがポジティブになって、
だんだんとやりながら理解する旅なのだと、
今回の記事で、それが伝わればと、
一緒に、そうやってネガティブであるポジティブな感情を書いてみませんか・・・
長くなってしまいました。
読んでいただきまして、ありがとうございました。
郁
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