ブログのつくり方など(無料特典)

古典から学ぶ ブログの記事書きのコツは未完・完璧に書く必要はない

 

ブログ記事が未完で、中半端でも良い理由

こんばんは、郁です。

先日、京都の街を歩いて感じたブログ書きについて書きましたが、
→京都の街から感じるブログ書きについてはこちらです。

ブログ記事を書くにあたり、

完璧でなくても良い、

ずっと書くことが楽になるマインドについて書いてみます

ブログ、日記のルーツは1000年以上前から

ブログができたのはインターネットが普及した最近と、

考えてしまいがちです。

WindowsができてXPからはじまり、最初はHTML形式のサイト、ホームページ、

そして、無料ブログ、SNSが普及して、Twitterなど、

このブログはワードプレスで書いております。

個人の感情を記して発信するということは、つい最近のように感じますが、

実は、ブログというは1000年以上前からあり、

かつ、それがまだ読まれているのです。

国語の授業で習う、清少納言・枕草子などなど、

これらは、当時の人たちのたわいもない、日常の日記です。

ですが、その当時の人たちが、普段、何を考えて暮らしていたのか、
読んでみると面白いですし、

ああ、案外と、今と変わらない感覚なのか、と、

「春は曙・・・」と、日常の些細な景色、情景をただ綴っているのですが、

今の時代に読んでも、それに共感することができます。

むしろ、現代の生活では忘れてしまいがちな、情緒を昔の日記から教わります。

過去、遠い昔の人たちの方が、もっと素朴で、単純に、目に映った景色に、こころを馳せ、繊細な物の見方ができたのではないかとすら感じます。

この昔の日記、これが今でも読まれているという、ブロガーだとしたら、

現在のブログ書きにもヒントがあるのではないでしょうか!?

紫式部 源氏物語は、「妄想恋愛小説」だった

源氏物語が妄想恋愛小説だと聞くと、

遠い昔、それでも、文章として成り立っていたと考えれば、

ふだん私たちが、綴るブログ、当時とは比べ物にならないくらい数多あるブログの中で、

じゃあ、自由に書いてもまったく問題ないと思えてきます。

当時、出版社があったわけでもなければ、

新人賞に応募しなければ、文字を綴れないという訳ではなかったはずです。

今、とても便利であって、

個人が感情を発信できる。

そして、それを多くの人へ届けることができる、ブログというツールは、

当時とは比べものにならないほど、

使い方によっては便利です。

それこそ、1000年後に読まれて、有名になることもあるかもしれませんが、

インターネットを通して、

キーワードを使い、使いかた、仕組みをうまく利用すれば、

伝えたい人へ1000年も待たずに、想いを伝えることができる時代です。

昔の文学から学ぶブログ書き

そして、昔の文学から学ぶブログ書きですが、

とるにたらない、日常の些細な感情を記して、それが今でも読まれているのです。

ですから、

記事を書くにあたって、こんなことを書いても良いのだろうか、

ただの日記ではないのか、

というところ、

むしろ、その方が、人間味があって、オリジナルな雰囲気が生まれるブログになります。

京都という古都を考えてみます。

あの街も、昔から今日まで、ずっと安定して、ずっと存在していたわけではないのです。

そして、平安時代からはじまり歌を詠んでいた人間は、引きこもってもおりました。

足利将軍も引きこもりでした。

そして、街、全体が未完であり、

むしろ未完の美、不完全な姿がわび・さびであったりします。

完成をしそうになると、火事や戦で焼失、

応仁の乱でほとんどの物がなくなり当時のものは残っていないのです。

京都の街から、

それをブログに例えると、

全てがつくりあげられてから、街がはじまったわけではなく、

コツコツ作り、また、時には破壊があり、

それでも、建てながら、街が続いてきたわけです。

ブログ書きも、京都に習えば、


書けるようになってから記事を書くのではなく、


書きながらだんだんとブログがつくられていく。

ロングレンジで強いブログというは、はじめから完璧ではなく、

所どころ、未完の美も含めて、いろいろな感情がまざって、

味わいが生まれるのではないでしょうか、

ですので、

こんなことを書いて良いのか、

まだ、文章については自信がないので、

「もっと書けるようになってから書く」ではなくて、

書き始めながら、少しずつ大きくしていく、

それがいずれ、大きな資産となるのです。

京都の街は未完の美、

それは、

どこか抜けている。

何か足りない。

その方が逆に印象に残るものです。

完璧超人の人間よりも、どこか、不完全で、抜けている人の方が、人間味を感じたりしませんでしょうか!?

ブログ記事もそれと一緒です。

しごくまっとうなことを言っていて、腑に落ちたとしても、

じゃあ、また再度、訪問しようと思うか、

むしろ、失敗もふくめて、正直な気持ちを、綴ったブログの方が、こころにひっかかり、

この人どんな人なのだろうか、と、

そう興味がわいてきたりもするものです。

 

もっと言いますと、

ブログの記事も「未完」で良いのです。

 

私たちは、ふだん読むブログというが、量産化で、

雇われライターが書いた、お給料をもらう前提で書かれた、記事に良くふれ過ぎているので、

実際に書くことも、それに習わなければいけないと考えがちですが、

所詮、そのひとたちが書いた記事というのは、「仕事」として何かに属して書かれているものなので、細かな完成度を求められているのではないでしょうか、

ですが、

私たちの目指すブログ書きというのは、

書く人唯一の、オリジナルコンテンツ、

書き手の人間味が「売り」なわけで、

それは、「未完」でも良くて、

むしろ、その方が気になって、

文章もカオスで終わりがまとまらなければ「続き」で終わって良いブログ書きなのです。

ブログ書きの「かたち」にきまった「型」、そして「正解」などない、

そう思っていただけたら、

きっと書こうと思うハードルはずっと低くなって、

そして、どんどんオリジナルな記事を増やしていくことができます!!

以上、京都の街から学ぶ、混沌、カオスで、未完がむしろ良い、

ブログ書きについてお伝えいたしました!!

ここまで読んでいただきましてありがとうござました。

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