郁です。
私は普段そんなに料理をしません。
得意料理などもなく・・・
センス、料理の勘というのも正直、良いと感じたことはありません。
一方で作ることがうまい母、
なぜ同じ材料なのにこうも違うのだろうかと、いつも私が作った料理の出来上がりを眺めると感じるのです。
見た目、それと、微妙な味付けもそうなのですが、私が感じるのは段取りの部分でした。
テキパキとさっさと食材を調理して、料理の準備をしていく母の姿を思い浮かべると、ひとりで台所に立って食事の準備をしている私は圧倒的に手際が悪く、準備に時間がかかるのです。
とくに野菜を切ったりするところは致命的に遅い。
調理する具材を切って、準備ようの取り皿に分けるのにも時間がかかり、そして切れ端の野菜のゴミも散らかる・・・。
母が使うのと同じスペースなのにどうして私はこうも場所を使って、色々なものを散らばすのだろう、と、いつも一人でご飯の支度をしていると思うのです。
下手だという先入観が陥る完璧主義
お世辞にも料理はうまくないと自負している私ですが、いつも考えることは、下手なので完璧にやろうという気持ちがいつもどこかであります。
野菜はちゃんと切って、皮も綺麗にむいて、などなど、下手なのでちゃんとやろうという気持ちがあります。
ですが、母の手元をみて実際に感じたところです。
ある時に、母が料理の支度をしている時、見ていた手さばきで感じたことがあります。
野菜などもせっせと、てきぱき皮をむく母でしたが、意外にも、大胆に野菜の皮は結構厚めにむいております。
ヘタなどの野菜の不要な部分も根本の方は大胆にそぎ落としておりました。
ああ、このぐらい大胆で良いのだとその時に気づいたのです。
私が感じた部分は、下手なので皮むきやヘタの切り落としなども丁寧にやらなくてはという先入観があり、料理の準備も時間がかかり段取りも遅くなっておりました。
母がなぜ早いのか、
それは私よりも経験値が多く、料理を作り慣れているという部分も、もちろんありますが、テキパキとはやくサクサクと準備をするには、
細かいところまで気にしてやらない、というところだと思いました。
時には少し大胆につくる。メリハリを持つ。
料理の本質は、美味しくて、素材がちゃんと料理されているかです。
食べる側は、作られる過程で、どれだけ薄く皮を向いて、綺麗に余分なところを神経質にとりのぞいたとしても、出来上がった料理だけではその行為の有無はあまりわかりません。
※美食ですとか、高級料理などはまた違うのかもしれませんが。
むしろ、手際が悪く、必要でない部分をこだわって食べられる部分から丁寧に切り取って材料にしたとしても、調理に時間がかかり野菜の鮮度も落ちたとしたら、ほんとうに美味しい素材の部分も味わえなくなってしまう場合もあります。
私は、下手だから完璧にしなくてはいけないという部分から、あまり必要でないこだわりを持ってしまっていたのかもしれないとハっと気づいたところでした。
具体的に言うと、皮むきを綺麗に薄くしないといけない、へたも綺麗にとって食べられるところはちゃんと残さないといけない
それは、最終的に料理がうまくなっていけば、出来るにこしたことはないのかもしれませんが、
はじめからそういった細かいところに神経を注いでいたら、
いざ、材料を切りそろえ調理をしていく場面でエネルギーが残ってない場合もあると思います。
それで味付け、調理が適当になる。
結果、美味しくない。
大胆に皮をむいて調理時間をショートカットしたとしても、出来上がった料理は料理です。
ブログ書きにもそれは言えること(細かいところを気にし過ぎない)
料理をつくる際の大胆さについて、これはブログ書きにも言えることだと思います。
はじめは、書き方がわからない。
わからないので、細かいところから完璧にやろうとしてしまう人もいると思います。
でも、ブログの記事の本質も、言いたいことが伝わっていれば良いのです。
綺麗な文章、読みやすい文章というは、あまり気にしなくて良く、要は伝える中身だと思うのです。
カレーに入っている時間をかけて薄く綺麗に皮がむけたニンジンがはいっていようが、ざっくりさくさく向いた荒切りのニンジンがはいっていようが、カレーじたいの味にそんなに違いはありません。
食べている側もそこを気にするでしょうか。
おなじように、綺麗に文字を読みそろえた文章、文法、文体、それに気を囚われて、言いたいことがぼやけてしまった文章よりも、
荒切りでも、気持ちをダイレクトに伝えた文章の方が、余計なことに気をつかっていない分、(ここでは文法や書き方ですね)書いた時の感情も読み手に伝わりやすい時があります。
ブログ書きの文章もはじめは、大胆に思ったことをフリースタイルで書いていってよいのです。
料理でいうと、綺麗な皮むきや切り方などは、できるようになってからの後回しでも良いのです。
綺麗な書き方というのも、ブログ書きに慣れてきたら、おいおいで良いのです。
大胆に書いてみる。
そして、慣れてきて余裕ができてから、また細かいところに気を回しても大丈夫なのです。
綺麗に書けているよりは、伝える部分が大切です。
料理でいうと過程にこだわりすぎて、出来上がりが曖昧になってしまうのであれば本末転倒です。
ブログ書きも、文体、書き方などにこだわるよりも、何を伝えるのか、細かい過程に気を囚われ過ぎずに、大胆に、伝えたいことを好きなように書いていく。
書き方などの細かいところは、また時間が経ってから後々でもまったく大丈夫なのです。
大胆に書く、思ったことを書く、それぐらいの気持ちで十分なのです。
母の手際の良い料理をみながら、ブログ書きについて感じたことを書いてみました。
私も大胆に書くこと忘れないようにしていきたいです。
たまに、私は、書き方などでつまずく時がありますが、何を伝えたいのか、そういった記事を書く本質を忘れないように、いつまでもいたいと思います。
綺麗な文章、小説みたいな文章も良いのですが、他の人のブログで文法など気にせずに、友達に書くような感覚で書いている面白い記事もたくさんありますよね。
ですので、正しい書き方なんてないのです。
感覚をダイレクトに、伝えたいと思った形でぜひぜひブログでお伝えしてみてください。
読んでいただき、ありがとうございました。
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