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過去嫌いだった記事が面白く思えてきたとき

 

こんばんは、郁です。

私は、過去の自分が嫌いすぎて、

過去の自分宛てに書くことについて、だいぶ苦しみ、結局、ブログを誰宛てに書いてよいのか、

わからず、苦しみ、

ですので、書いていたブログ記事も、まったく面白いと思えなかったのです。

読み返すことすらしない・・・。

書いた記事は、時が経つとまた見え方もかわると思ったこと

ですが以前の記事

→認めてしまう記事、年末年始の話。

ここで、いったん自分の中の気持ちを認めてしまうことを知ってから、読み直した過去の記事は、読むことも面白く感じたのです。

なんだが不思議な感覚でして、

過去嫌いだった自分を受け止めることを少しわかったからではないのかと、

全ての私を受け入れて、自分大好きな感じになりたくはないのですが、

ああ、それでも、あの時、書いていたものは、下手なりにも想いを残そうとしていたことを、過去の私に対して「理解してあげたら」なんだか、面白く読めたのですね。

→過去の記事、長野への旅行の話はこちらからです。(少し長いです。)

きっとあの時は、今もそうですが、何かを掴みたくて、それでも何も掴めずに、彷徨いながらも書いていたのだと思うと、

少し面白く読めたのです。

と、いいますか、ちょっと長文すぎるといいますか、良くこんなに書くエネルギーがあったなと、

ひとつの記事で、書いた時の感情と、今、あらためて読むと、昔は読み直す気すらしなかったことが、読めるようになったりと、

ですので、ブログの記事を書く場合、当然、色々な気持ちの状態の人が訪れるわけですから、

書いた時はだめかなぁと思った感情が、まったく別の人には、「わかる」と感じる時もあるのだと、ずいぶん時間をかけて、わかっていたようなことを、やっとわかった気がしました。

書いた時はAという感情だったけど、私の理想はBという感情だった。

書いた側はちっとも面白くない。

でも嘘は書けない。

ですが、読む側はAの人もいるし、Bの人もいる。

私がBからAになった、気づいた、過去の自分を理解したので、その時の気持ちがわかったので、書いてあることもわかった。

と、なんだか、結論づけた気もしましたが、

感情に明確なロジックはない気がしますので、時が経てば、また何を書いていたのだろうかと感じることもあるかもしれません。

Aの自分がわかると、面白いことに、私はかなり誤字脱字があることが嫌いで嫌いで仕方なく、読み返すこともできなかったのですが、

誤字脱字を見つけると、単純に面白い気にもなるのです。

不思議なものです。

あ、でもですが、やはりできる限り、誤字脱字はなくそうと、少しは意識を高く持ちたいなと、できないかもしれませんが、こころざしはしたいです。

AもBも嫌いなCという私になる事もあるだろう、と、

ただ、私が言いたいのは、あまり、これだからダメだと決めつけてしまうのは、少しもったいないかと感じたのです。

竹川さんの言う、書いたものは誰の役に立つかわからない、

逆にいうと、万人に受ける記事があるはずもないぐらいの気持ちは、少なくとも理解ができた気がしたのです。

ずいぶん前から意識して、知っていた気もしたのですが、あらためて、いや、もしかしたら正確に言えば、はじめて理解できた気もしたのです。

ですので、これからも、暗いポエムのようなブログ記事を積み重ねていっても良いのだと、少しは自己肯定感を「知った気?」がしたのです。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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