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自販機で売っている常温水で感じる、ほんとうの優しさ

星降る吟遊詩人ライター、郁です。

いつもお越したいだきまして、ありがとうございます。

今日は、いままで少し思っていた内容なのですが、「常温水」と「優しさ」について考えました。

冷たい水と常温水、どちらがよろしいでしょうか!?

どうぞ、よろしくお願いいたします。

冷たいはまさに冷たい、温か過ぎずに普通で良い

私は1年ほど前、体調に不安を感じはじめてから、冷たい飲み物がのめなくなってしまいました。

昔は水に限らず、冷たいものだと、ジュース、コーヒーですとか、最近はほとんど飲まないのですが、冷たいものを飲むことに大した抵抗を感じずに口にしておりました。

水に限らず、飲み物は「冷蔵庫」に入っておくべきだという漠然とした思い込みもありました。

まだ体調が一応、平気なうちは、あまり気にしていなかったのです。

ただ、体調が悪くなってからは「冷え」について意識するようになりました。

冷え以外でもそうですね、コーヒーなどカフェンが含まれた物も、少しまだ怖いのです。

体調を気にする前までは、コーヒーもブラックで気にせず飲みまくっておりました。

そうした、水、コーヒーなどふだん無意識で口にするものまでに、心理的な恐怖を感じてから、これ以上体調が悪くなってしまったら、という心配がいつも頭をかすめて気になってしまっていったのです。

神経質と言われればそれまでかもしれません。

ただ、それでも、水がそんなに冷たい必要はあるのだろうか?、と

悩み始めると、人は切実に体について、体調の変化について色々なことを考えはじめるのです。

何が原因でいけないのだろうか、と。

結局、今、体にある細胞というのは、口にした物からできるわけです。

冷たいものは体を冷やす。

体が冷えれば免疫は落ちる。

あまり気にしてなかったことですが、体調不良になっている原因のほんの1mmくらいはあるのではないか、と、考えしまったのです。

人はほんとうに追い詰められると、今まで気にもとめてなかった些細なことでも真剣に考えるようになるのです。

なにごとも気にし過ぎはよくない、とは思うのです。

神経質ですね。

ただ、私が思うところでは、結局、「自然のままに」がいちばん良いのではないかと、そういった結論にひとつ達しました。

簡単にいえば冷蔵庫の水に限らず、コンビニの水、自販機の水、売っている冷やされた飲み物すべて、「冷たすぎるんじゃないか?」と私は感じてしまったのです。

そう考え始めると止まりません。

なんでそもそもこんなに冷たいのだろうか!?

というか、なぜ、いつの間にか冷たいのが美味しいということになったのかだろうか?

まあ、それは、ジュースですとか清涼飲料水は甘いですし、生ぬるかったら口当たりや喉越しも微妙ですね。

しかし、逆に言えば、冷たくしないと美味しくない飲み物とも言えます。

そのままでは飲めない。(実際飲めますが、美味しくはない)

冷やすことでごまかしているのではないかと、そう感じてしまったのです。

何も、私は本当の味を求めて云々・・・、美しい味を求めて云々・・・、それを伝えたいのではありません。

そういうことを言いたいのではないのですが、すこし、冷たくし過ぎることに色々な感覚が慣れすぎ、もしくは鈍ってしまっているのではないかと思ったのです。

それは世の中の社会の仕組みも、人あたりも、どんどん冷たくなってしまい、しだいにそれが普通になっていくような感覚に近い気がしました。

「冷たいから良い」その根拠は

冷たいから良いと言われる根拠、すこし考えてみました。

ほんとうにそうか?

冷たさに慣れてしまっただけで、いや、なんとなく、それが世間一般的には良いから、だからそう思い込んでいるだけではないか?

なにか、そんな思い込みが結局なんでも、ばかみたいに冷やせばよいだろう、という感覚を生んでしまっているようにも思えるのです。

もともとは冷やすといのは、食料であれ、飲み物であれ、保存をするという必要があったからだと思いますが、本来の目的とは別のことになっているのです。

それは水だけでなく、例えば室温ですね。

職場の室温、乗り物の中、

夏は寒すぎですし、冬は逆に暑すぎでした。そしてすごく乾燥する。

私のいた職場はおまけにまったく日光が入らなかったので季節感覚がおかしくなり自立神経もまいってしまったのでしょう、

水の冷たさに話を戻しますが、結局、根拠もあまりないのに冷たくした方が良いと考えると、ますます、今ある冷やされた飲み物が不思議に感じるのです。

子供の頃、家に親戚のお年寄りの大工さんが修理のために数日きていたことがありました。

夏の時期でした。

その大工さんが言っていたことがあるのです。

「暑いときは、飲む物も熱い方が体に良い。」

子供の頃の私の思考は単純だったので、まったく「?」でした。

冷たい物も我慢ができる若さで、体感として実感できなかったのかもしれません。

「いや、暑いから体を冷ますのには、冷たいものなんじゃないのか?」

普通の理屈から言うとそうなのかもしれません。

子供の頃なんて、冷え(ひえ)を考えませんでした。

口にして美味しいと感じるものが正義でしたから。

そういう部分は、子供という年齢としての感覚もあったかもしれませんが、考える視点がずいぶんと違っておりました。

ですが、物事の相対的な見方をすると、気温が高い場合、温かい飲み物を飲んで体の体温をさらに上げることで感じる外気は涼しく感じるのではないか、と、

あくまで相対的な見方ですが、そう感じるのです。

熱中症などのレベルではもちろんダメだと思うのですが、こんな仕組みも一理あるのと思います。

暑い(熱い)から冷ます。

これは単純な理屈かもしれませんが、ごく普通に生きる中では、少しやり過ぎの部分があるのではないでしょうか。

水を飲むときに冷やすことがなくなりました。

冷蔵庫の電気代をケチるなど、そういうことではないのですが、ただ、常温に慣れると、よく冷えた水はキンキンし過ぎていて、少し体に染みすぎるのです。

もっと正直に言いますと、食道から胃にかけて体感として痛いのです。

そうすると、結局、外出先で喉が渇き、自販機で買おうとするペットボトルは余計なお世話ぐらい冷たすぎるのです。

優しくないのです。

さて、そうしましたら、この記事のタイトル、

「本当の優しさとは?」というところですが、オチに感づいている方もいるかもしれません。

私が感動したのは「常温の自販機」をとある駅のホームでみかけた時でした。

つめた~く冷やしたペットボトルよりよっぽど優しいな、と

これは気が効くな~と思ったのです。

体感的に気持ちよい冷たさよりも、体に優しい気遣いですね。

冷たさの刺激も少ない常温の水が、細やかに考えられた、ほんとうの優しさなのではないかと考えてしまったのです。

何もしない(実際には温度管理していると思いますが!)というあたり前のやさしい価値に気が付く。

まだ私のふだん利用する駅ではあまりみかけないのです。

ちなみに冷たくする飲み物のなかで、美味しいと連想できるビール、種類にもよるそうですが冷やさないで飲む国があるそうですね。

むしろ温めて飲む種類もあるとか、

普段考えている常識が、常識であるとは、そう限らないのです。

優しさとは、こんな風にふだん当たり前だと思っていることから視点をズラして、世間の認識とは違う部分を感じることのような気がします。

少し無理やりにこじつけるところもありますが、ブログ書きというのも、こうした優しい視点が大切な時があると思います。

世の中の見えている正解だけが正解ではない。

なんとなく、どこかぼんやり思っていることだけど、世の中の基準で考えると、そのぼんやり頭に浮かんでいるこがうまく枠にはまらずに一致しない。

でも、その「ぼんやり、なんとなく」の視点は書くという意味では、とても大切なことだと思うのです。

これだけ、水の冷たさが体の「冷え(ひえ)」で、と私は書きましたが、水は冷たい方が良いに決まっているだろう、いちいち冷えとか考えるかよ、と、言う人も、もちろんいると思います。

あくまでもこれは私の意見なのです。

そこに正解がどうかなんて必要ないし、それは、たいしたことではないのです。

別の側面では常温であれば「雑菌の繁殖が・・・」などと出てくるかもしれませんが、そんなことはどうでも良いのです。

ただ、常温の水で私は優しさを感じた。

ただ、それだけなのです。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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