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老人について、大切にしなければ行けない人について考えたこと・・・

 

こんばんは、

郁です。

いつもお越しいただきまして、ありがとうございます。

老人、年寄は大切にしなければならないかということについて、少し感じた気持ちを書きます。

固定概念がある、大切にしなければ

街を歩いていたり、病院でも、お店でも、図書館でも、もしくは職場でも、

だいたいうるさい人間というは、年寄だということに最近気づいてきて、

怖いなと感じることがあるのです。

私たちは、自分のわがままを言ってはいけない、年長者には素直に従わないといけない、

などなどと教えられてきたので、

年寄りがうっとうしいとか思ってはいけない気がしますが

少し、そんな概念から距離を置いてみつめて欲しいと思います。

私は静かなところが好きです。

で、たまに、知らない人間の声とか聞こえると、イライラしてしまうのです。

たとえば、図書館です。

受けつけのカウンターかなにかに、大きな声で、周りも気にせずに声を出すのはたいてい年寄であることに、最近、気づきました。

年寄りだから正しいとは限らない真実

図書館でたいがいうるさい年寄り、たとえば、図書館の人にインターネットの使い方を大きな声で聞いたりですね。

街を歩けば、集団で行動するおばちゃん軍団、ちょっと、道あけてよ・・・

電車の中とかで、まわりを気にせず話さないでよ・・・。

などと私は心の中では思ってしまう悪い人間なのですが、

よくよく観察すると、私が最近、不快に感じる人間は、年寄りが多い気がしたのです。

なんでだろう・・・

事実を感じたままに・・・絶望しかない未来

少し話が飛躍するかもしれないのですが、こんな光景を見ていると、住んでいる日本は絶望の未来しかないと感じてしまったのです。

今の生きづらい社会、息が詰まる生活、一部しか得をしない構造、

これすべて、

今、存在する、横柄な人間がつくってきた社会、仕組みだったと・・・。

そう考えると恐ろしいです。

戦後すぎて、今、老人だけが増えてきて、

街をみわたせば、大声でまわりも気にすることもできずに話す老人連中ばかりの世の中、
この世代の人間の本質は、

それは、すべての人ではないとは思うのですが、

たいがいが自分の世代が良ければいいという生き方、考えだった、

ベビーブーム、後先、考えずに子供を増やし・・・

経験した就職難も、その人たちが仕事を譲ってくれなかったから・・・

今だと年金、

いまもらっている世代だけが得をして、私たちの時は崩壊している・・・。

そう考えると、言い方は悪いのですが「老害」の連中がたくさんいる限り、この国の未来はダメなのではないかと考えてしまったのです。

図書館に限らず、公共の期間で、大声をあげ、周りの雰囲気、空気を読まずに、思うがままに行動する人間というのは、今の年寄り世代ではないでしょうか、

若い人ほど、大人しいです。

もっと言いますと、会社なんて、老害の集まりの典型例じゃないですか・・・?

私がいた職場の管理職は仕事をしない、バブル世代、楽して稼げた、不況になり若い人間が仕事を求めても譲らない、

圧迫面接や、恐怖だけを下の世代に背負わせ、人を人と思わない無理強いをさせて、

職場でも、仕事があるだけ幸せと思え、と・・・、

努力は美学、我慢は美学、勉強しろ、

とか言っているけど、言っている本人たちもその本質を知らないままに言っていたのではないのか、

そんなものは、すべて、今いる年寄り連中が生きやすくなるための大義名分でしかなかったのではないか・・・と、

会社に居座っている、年配の人達ってほんとうに役に立ってますか・・・!?

あなたより仕事できてますか・・・?

できなんじゃないですか?

これから社会に出て、会社で働く人間を育てる学校の先生は、じゃあ、会社で働いた経験がありますか?

経済、商学系の大学ならいるかもしれませんが、小学、中学レベルで、ブラック企業を経験した先生なんていないですよね?

いるとしたら元ヤンキー先生とかですか?

極端すぎるのです・・・。ドラマか漫画じゃあるまいし・・・。

会社の面接すら受けたことがないのでは、むしろバイトもないのではないですか?

接客経験ゼロ・・・。

だったら会社の厳しさなんて教えることは不可能じゃないですか・・・。

若いひとたちが必至になって、仕事を覚えるのも、未来をみて、将来をみて、必死にしがみついかなければいけない状況を、上の人間が黙認して、それは、上の人間だけが生きやすくするためだけだったのではないかと・・・

備わった防衛本能があるから、自らを守るというのは、生物学(詳しくはないですが・・・)としては理解できなくはないのですが、

ああ、やっぱり今の日本は、というか、会社で働くのは、何もいいことがないのではないかと・・・

だめだ、これは・・・

そう、絶望してしまうのですね。

もういっそ、そんなものから切り離れて生きるしか、ほんとうに幸せになる道はないだろうと、そこまで考えがたどり着くのです。

普通に考え、私が経験してきた生き方、世の中をみて、

同じことを次の世代に体験させたいかと考えると、

冷静に考えれば、これから生まれてくる人たちは可哀そうだと、そう思う本音があります。

だから、私は、あまり子供に興味がないといいますか、

もう私の世代でいっそ、遺伝子を運ぶ生の構造にストップをかけた方が、むしろ幸いな選択ではないかと、そこまで突き詰めてしまうのです。

世間を見渡すと・・・。

果たして、親の世代が私たちをつくる時に、将来の不安が、などと考えただろうかと思うのです。

親を憎んだりですとか、それは、正直に言えばありましたし、今でもそんな感情になることはありますし、世の理不尽を感じると、なんで、こんな過酷な遺伝子ゲームに落とされたのか、どうしようもなく考えてしまうことがあります。

ただ、それでも、生きながらにささやかながらの喜びも感じたりですね。

ご飯が美味しいですとか、空気がやわらかくなったな、ですとか、蝉が鳴きはじめたなですとか、限りある人間関係のなかで、本当の人間に出会えたですとか、

善、悪、どちらと、白、黒、どちらと、はっきりさせることではないのですが、
いまだ、私は無意識の中でも、生への肯定の理由を探しているのですから・・・。

話が飛びましたが、

結局、「年寄りを大切にしなければならない」という言葉は、

本質としては、あまり的を射ている言い方ではないと、私は感じるのです。(今の時代では・・・)

私なりに言い方を変えると、痛みを知って、苦しんで、年を重ね、その人なりの生への答えを持っている人を大切にすることが正しいのではないかと思うのです。

もちろん、外見だけではわからないことかもしれません。

図書館で声を出す年寄りと深く話せば、その人間なりの今までの物語があるのかもしれません。

ですが、無条件に、年配者をあがめるって、本質を知ることから逃亡し、ただ、年寄り連中の、はっきり言うと、今の社会の、会社の上の連中や、政治家、学校の先生、大学の教授など、

こんな連中から良いように扱われて、私たちの幸せを差し出し、対価もないままに、生きさせられるという、恐ろしい世の仕組み、

もしくは、いつの間にかそう出来上がってしまった仕組みがあるのではないか、

と、感じたのです。

ワガママというか、うるさくて、いつまで経っても、私は年配だから、あなたたちより人生経験が豊富だから、「正しいのだ」と思っている人間は嫌いです。

そう・・・、図書館でひとり声を出す人間をみて感じてしまったのです。

こんな環境下にいたことが多くて・・・、肉体も精神も病んだわけです・・・。

むしろ、どこか遠慮があって、ただ、ただ、ひっそりと、世を忍んで、小さく生きているお年寄り、そういう人たちのほうが、私は見ていて愛おしくなると、ふと思ったのです。

こんな先のない浮世から、文字を綴りながら逃亡するには・・・、こちらへ・・・

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