先日、ブログの運営や、動画再生、または、
自宅などでお菓子教室を行い、
独立して生活している方の、お金について、話しを聞いてきました!
そこから学び、ブログ書きについて、考えたことです。
なかなか興味深いお話を聞いたので、書きます!
お金をもらうことについての罪悪感について・・・も含めて
お金に対する姿勢がブログ書きにもつながる興味深い話しでした。
お金に対する価値=自分自身の価値
お話を聞いておもしろいな、と感じたのが、
お金についてのイメージ、認識、
イコール
自分自身についての価値となる点でした。
そしてつまるところ、最終的には、ブログ書きの価値観にもつながるのです。
お金に対しての認識を変えることで、
それが、後々、ブログ書きで生きて行く道にもなるというお話でした。
ポイント
お金に対してどのような感情があるか?
まず、はじめにお金に対してどのようなイメージがあるか?
から話しがはじまりました。
ダイレクトに言うと、
「お金は好きか!?」という話です。
この言葉が正しいのか、少し迷いますが、
文章を書いて生きて行くことを「ビジネス」とした場合に、
会社など、雇用される立場とは違った生き方をする場合に考えることです。
この「お金が好きか!?」という認識がブログ書きとつながってくるのですが、
どういうことか!?
「お金に対するイメージ」
・ビジネスとして言うであれば、好きとは言いづらい。
→これは、例えば、「宝くじ欲しいよね」などのレベルであれば日本人は誰もが、「好き」と言えるかもしれませんが、
いざ、商売として、人からお金をもらう時、
日本の美意識・謙遜の気持ちとして、
人様からお金をもらうのは・・・
なんだか後ろめたいという感情があるようです。
実際に、そうです。
こんなものにお金をもらってはいけない・・・という認識・・・
この時点で、ほめらることに対して、
受け取ることができないという、受け取り上手になれない、良くない循環が生まれるのだそうです。
印象に残ったのがパン屋さんのお話でした
あるパン屋さんが作ったパン、美味しくて、大好きで、
もちろん食べたい、
当然、お金を払ってでも食べたい・・・
大好きなパン屋さんのパンがあったとします。
大好きなのでお金を払って買おうとしますが、
店主さんが、「いや、お金をいただいてまで、受け取ることはできない」と言われた場合、
パン屋さんのファンに対して、むしろ失礼にあたってしまうという話でした。
パンの話しだと、個人的にしっくりこないのですが、
例えば、好きなアーティスト、音楽などあったとします。
その人の歌が聴きたい、また聴きたい、
次に聴けるように、お金を払って聞きたい、
でも、そのアーティストから「私の歌もパフォーマンスもお金をもらう価値はないので・・・」と言われたら、
少しショックですね。
私の好きを否定されたようで・・・。
これだと、お互いが一生、幸せになれない循環が生まれてしまうのです。
では、ブログ書きの場合
これもつながって面白いなと感じたのが、
ブログ記事を書いた時に、
読んでいる人は、良いと思っているのに、
書いている人はダメだと思うと、
「書き手と読み手のお客さん像がズレてしまう」のです。
書き手の想いと、お客さんの想いがズレるのです。
ということで、
これが、なかなか難しいところなのですが、
認識の前提を変えてしまいます。
自分のことが好きだと、認識を変えて記事を書いてみます。
そうすることで、先ほどの循環ではないですが、書き手も読み手も幸せになる循環がうまれ、幸せなお金が入ってくるようになるのです。
この認識を変えること、
これが簡単に書きますが、なかなか難しい・・・
どうでしょうか、
自分自身が好きだ・・・!と言える人は、この記事はあまり役に立たないといいますか、
前提がOKですので、もう次の次元の話しでしょうか、
ですが、簡単に書いておりますが、
なかなかそれができないので、商売は難しくなっているのかと・・・
みなが、同じ感情であれば、
日本の世の中、仕事をしている人たち、企業もふくめ全てが良い循環になるのではないかと、
日本の話しではないですが、じゃあ、自己表現、利己愛が強そうな、
利己愛といいますか自己主張が強そうな欧米はどうなのか、と、
少し考えるのですが・・・(それは後で書きます)
少し話しを戻しますが、
お金に対する価値感=自分の価値が具体的に言うとどんなものか、
例えばですが、
コンビニなどでお金を投げ捨てるように払う人には、お金は来ないとのことです。
お金にも感情があるとのこと。
ここは少し、カオスなのですが、
つまるところ、お金に対して、大切に扱える人は、人からも大切に扱われる存在だということです。
深いですね。
さて、話しを戻しまして、
お金に対する価値観=自分の価値
人生経験の中で、生きることにつまづき、自分の価値を否定しはじめると、お金に対しての姿勢も、低くなりがちで、どんどん悪い循環に入っていくとのことです。
ここでボランティアの話しで、
なるほどと感じました。
ボランティア、無償労働、
と言いますと、聞こえは良いのですが、
商売として、人から、お金をいただくということで、
「責任」が発生します。
「本当のボランティアは自分自身でお金を稼げるようになってからするものじゃないのか?」
確かにそうかもしれません。
雇われることと自分で稼ぐことについて
さて、ここから、
会社で雇われてお金をもらう事と、自分で稼ぐことについて感じたのですが、
そもそも、
お金をもらう仕組み、意識というのが、
今まで会社員として働いていた私は、
認識が違っていた、ズレていたのかもしれない、と考えたのです。
お金を投げ捨てるということはしませんが、
じゃあ、会社からもらったお給料をいままで、
どんな形で受け取って、使っていたでしょうか・・・
お金が好きかという気持ちに罪悪感が発生するということですが、
会社からもらうお金については、罪悪感が発生することなんてなかったのでないでしょうか!?
もらって当たり前、いや、むしろもっと欲しい。
もらうことも使うことも罪悪感なんてない・・・
じゃあ、実際に個人として、単体として、
何か物を売るという行為に出た場合、
「いや、お金をもらうなんて・・・」という気持ちに切り替わってしまうのは不思議な感覚です。(※何かの商売で、売っている方、ご自身がそれに誇りがあって、ご自身で価値を見極めている場合はまったく別の話しです。)
先ほどのパン屋さんのお話ではないですが、
ここは、日本の教育的観点などを考えると、
少し面白いです。
お金についてはタブーしされているような、
学校でもしっかりと教えてくれた訳でもありませんし、
家庭の教育にもよりますが、お金は、なんとなくぼんやりとした存在であったのは確かです。
それで、実際に生活するうえでかかせないお金なのですが、
人は、曖昧な基準のままで扱っている、漠然とした感覚があるのかもしれません。
例えば、会社でもらっていたお金、企業でもそうですし、お役所でも、人からお金をもらって成り立っているわけですが、
実際に、企業の下で働いていた時に、会社から売れと言われた商品、サービスでも良いのですが、
本当に100%、好きで売っていたことってあるでしょうか!?
もし、それができている人は幸せといいますか、良い循環なので、認識を変える必要はないかと思いますが、
大多数の人は、結構、グレーゾーンの部分な商品、サービスを売っているのではないでしょうか!?
私の場合は、かなりありました。
企業同士、ライバルどうしが競合するなかで、
どんどんと増えていく新しいサービス。
なんだがわからないですが、もう最後は詐欺なんじゃないかと、
あえて、わざと複雑になりすぎた仕組み・・・
売る側も、とにかく買わせる、その下で働く側も、ほんとにこれ必要なのかな?と思いながら売っている。
この仕組みが、悪い循環であって、
そして、もらうお金、使うお金に罪悪感も感じなくなってしまっていたのだと・・・
つまりは、企業で雇用されている側も、会社から働いてお金をもらえれば良いわけです。
それがどんな形であろうと、
いつか、売っているサービスの本質にユーザーが気づき、お客さんが離れていったとしても、
損をするのは企業であって、その下で働いている人たちが直接ダメージをくらうわけではありません。
(雇用の減少などはあるかもしれませんが)
ですので、案外と、その下で働いている人間も、適当という言い方は失礼かもしれませんが、
いざ、問題が起きたときは、企業が損をするわけなので、
まあ黙認して、我慢をして、物をまたはサービスを売る。
このお金の流れが、悪い流れなのだと・・・
なので、もらうのにも使うのにも罪悪感がない・・・
多くの人間が、仕事の対価は我慢料だと、認識してしまっている・・・
それを考えると、お金の流れなんて、
悪いものばっかりだと感じたのです。
経済学について詳しくはないのですが、
戦後に入ってきたものの売り方、資本主義というのが、欧米から、
それを習って今の日本経済があると思うのですが、
とりあえずお金をもらえれば良いという考えが生まれ、経済発展とともに、物を売る責任は企業へと、知らずに認識してしまっていたのかもしれません。
ここに、今の日本の働き方の限界などを感じる部分があります。
サービス、お客様至上主義、顧客満足度、
どんどんエスカレートする過剰なサービスとそれにあわせる従業員・・・
こころを病んでしまった従業員がいる会社のものを受け取って、本当にユーザーは幸せになれるのだろうか、と、考えてしまいます。
無理をして、接客・・・
言いたくないのに、笑声・・・
本当は嫌なのに、無理をして付き合う負のスパイラル・・・
よくよく考えてみると、怖い世の中だと感じます。
これは、おそらく一部の人たちだけが幸せになる循環ですが、
最終的には、そういった企業もいずれ終わりに向かうのではないでしょうか。
良いお金の循環について、今回、面白いお話を聞けて、考えました。
つまり、物を売る側も自分の価値を認識し、
無理をしない。
嫌な人とは付き合わない。
自分の価値を認めてくれる人たちとだけつながる。
それが、無理をしない幸せで、
お互いが幸せになる循環、ひいては良いお金の循環、
ずいぶんと長くなりましたが、
ブログ書きも、同じくつながるのです。
書いている人、好きな読者とだけ、つながっていれば良いのです。
文句を言う人もいるかもしれませんが、それは、
お客さんではないのです。
そこで無理をしてあわせても、お互いが不幸になるしかないので、
もう、はじめからお互いに接点がなく、それ以上深追いしても幸せな道はない。
幸せな循環について、
最後は、お金の流れなのか、ブログの流れなのか、
なんだが混沌としてしまいましたが、
要は、書き手の価値を認めてくれる人を大切にして、
「自己肯定感大切だよ」と、そんな、ひとことで終わりにさせていただきます。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
郁
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