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今までにない星空をみて感じた、何もしないで観ているだけの星空観察①

このブログのテーマにひとつ星空があります。

でも、実際に星をじゃあ観察した記録があるのかと言ったらありません。

ここ最近まったくの不振になっておりました。

スランプというか、まあよくそう陥るのでもはやこれがデフォルトなのではないかと感じるこの頃なのですが、

何もしておりませんでした。

もう何かをするのを止めました。

こんなに記事を書かなかったのは初めてですし、いったん止まるともう本当になにもできなくなりました。

とにかくもがく、もがいてもがいて、出来るだけ人に会いに行ったり、(これについてはまた別の記事で書きます。)

そしたら、なおドツボにはまりました。

弱っている時こそ、人と会うとさらに自己嫌悪に陥る。

ということで、やったのが現実逃避でした。

星を観に行く。

今回はそのときの感想を記事にします。

ただただびっしり埋まった星空は何も考えることがなくなる

10月の終わり、グルコンの集まりが終わった次の日に長野に行く。

もう頭が色々なことでいっぱいいっぱいだった。

それが何なのか、もう処理ができない。

頭にあるメモリは使い果たされ、意識があまりはっきりしない。

人と会ったことでほんとうに疲れた。

こればっかりは、そのときの気分によってまったく何でもない時もあれば、今回のようにどん底になる時もある。

わからないが、緊張で疲れる。

いったん無理だと感じたらもう何も動けない。

そういう人間なのです。

そこにいる人達がいやだとか、嫌いだとか、そういうことではなく、ただ脳みそが疲れる。

パソコンがたまにフリーズするように、頭がそうなってしまう。

思えば、昔の会社や学校など、「ちゃんとしなくては」という時にいつもなっていた感覚だった。

今考えるとそれは、その場所への期待の裏返しのような気がする。

そこにいる人たちとちゃんと接したい、ちゃんと向き合いたい、

もちろんその中には私のことを良く思ってもらいたいという願望も当然ある。

こういった感覚を思い出したのは大学の時以来ぐらいだろうか。

そしたら、あ、全然変わってない、まったく成長してなかったんだ。

きっとこうやって文章を書いたり、何かを発信したり、そういったことができるようになったとしても、

思い切って会社を辞めることができたとしても、

一瞬で頭が真っ白になる。

やってきたこと、判断、経験したことがあっけなく否定され、いとも簡単に昔に引き戻されてしまった気になった。

そうしたら、もう無理だった。

好きなことをする、書く、仕事を辞めて生きる。

そんな願望も、目標やっと向かうことができたと思った瞬間でさえ居なくなったはずの昔の私が現れる。

なんでかな、ほんとうに涙がでてくる。

なんで変われないのだろうか、なんでこんなにも簡単に振り出しに戻るのだろうか。

黒い塊が後ろから襲ってくる感覚、

今までいた場所をもういったん離れよう、悪いイメージがないところに行こう。

今は誰も住んでない長野へ向かう。

自然を観て回復してきたことを書き連ねます。

とりあえず行った長野

ちなみに、今回の星空観察に父もついてきた。

正確に言うと父は星を見てない。

ちょっと長野に行きたいのだがと誰もいない家を使う許可の連絡をしたら、一緒にくるとのことになった。

ほんとうは、一人で行きたかった。

もう何も気にせず、何も話さず、ただ今までみたことのない場所、知らない場所、どこか離れた場所に行きたかった。

ただ、父は私が知る限りのなかで、かなり安心できる人間でもある。

全てを話せるということではないし、私が何をしているのかも知らない、私も話さない。

ただ、なんとなく空気を感じてくれる人で居ても疲れない。

母親のように精神が不安定でもなく、かつ押しつけがましくもなく一般常識人でもある。

そんなことを言いながら私は父の本当のことを知らないとも思った。

小学校の時に母の飲酒が原因で離婚し、家から居なくなりすでに別の人と結婚している。子供はいない。

もしからしたらいるのかもしれない。

父がどのように仕事をし、どのような苦労を重ねてきたのかリアルタイムを知らなかった。

結局、たまに会う父というのも、お互いがつくった良いイメージでの人間関係なのかもしれない。

たまに会うので穏やかに話せる、私もたまに会うので私の嫌な部分をみせない。

そう考えると一見健全に見えそうな関係にもゆがみがある。

まあ、そんなことはもう慣れたのだが。

父と午前の東京駅で待ち合わせをする。

停年なのか、停年でないのか、まだ会社に行くのだそうがずいぶんと自由になったとのことだ。

お弁当を買って新幹線を待つ。

行く当ても決めてない、ただ行くだけで良かったのだか、父がどこに行こうかと色々と聞いてくる。

長野を越えて、新潟の方、富山、色々と話す。

考える、

上高地、

そういえばあっちの方面は行ったことがない。

いつ行くのか、話はじめる、新幹線の扉が開いたのにも気づかずに後ろのおばちゃんに肩をたたかれる。

きっとのんきな親子に映っただろう。

長野へはあっという間、軽井沢を通り越せば、浅間山が見えて、どんどん標高が高くなっていく。

佐久平あたりの開けた景色、

明らかに関東平野とは景色が違う。

車内から眺めても、体感で標高の高さを感じ、窓から目にはいる透明な空気は触れてないにの澄んでいると脳が認識する。

耳抜きが必要になってきたりするとだいぶ高いところまで来ているのだといつも感じる。

長野の田舎は電車を降りると明らかに東京とは空気が違った。

なんだろう、きりっと鋭いのだ。

寒いとか冷たいという感じではなく、湿度、おそらくかなり乾燥している。

だから空気が軽く感じる。

空が近い。

東京だと季節の変化をあまり感じないのだが、ここははっきりとした秋だった。

この頃に訪れたのは大学の頃、時間があったときにひとりできて以来だった。

紅葉のふかみ、コントラスト、

一時間に二本しかないバス。

20分後くらいにくるので駅まで少し時間を潰す。

父は相変わらずの観光気分で駅前の案内所に入りパンフレットを探していた。

バスに乗るとほんとうに長野へ来たと実感する。

ちなみに長野はおばあちゃんが生きていて一人で暮らしている時に、数か月だけいたことがある。

高校生活に疲れ、受験も失敗し、卒業したら逃げるように長野へ行った。

受験勉強とは名ばかりに、ただ暗記ができるような簡単な科目しかやらず、暗記に飽きたら縁側にくる野良猫と遊んだり、深夜ラジヲを届かない電波のなかで必死に聴いたり、本棚にある推理小説を読んだり。

そんな生活だった。

まだ春、ここ長野は、日は長く感じるが、冬のように空気も冷たい。

その数か月どうやって暮らしていたのか、あまり記憶が定かでないが体調を壊してしまい、仕方なく夏過ぎくらいに東京へ帰った。

受験勉強というほどらしい勉強をした記憶があまりない。

図書館に行くという目的で買ってもらった安い自転車があったホームセンターもまだあった。

もう建物の外観は変わっているが場所はなんとなく覚えている。

そんな自転車で街まで行って、古本の推理小説を買った帰りに漕いだ坂道をバスで通りながら外を眺める。

午後、お昼すぎにつく。

その日は晴れていたので、家のなかを換気し、掃除機をかけて布団も干す。

もうだいぶ空気も冷たく、陽ざしも少ないけどとりあえず、かび臭いのが気になるので空気を当てる。

シーツは流石に洗って乾かすまで時間がない。

調べるとけっこう近くにコインランドリーがあった。

夕飯の買い物ついでに行くことになる。

掃除機をかけ終わり、とりあえず家のこと、冷蔵庫の中身などを確認する。

父は私の寒さを心配したのか、着る物を探す。

奥に唯一ある洋室のクローゼットに、さすがは長野だけあって男女もの問わずセーターだのあったかいものがある。

とりあえず寒さは大丈夫そうだった。

と言っても、10月下旬、晴れている午後はキリっと空気は冷たいが陽射しが痛い。

なんだか直接刺さる感じがする。

荷物を置いて、簡単な掃除と布団干しを終えると置いてある車に乗って農協を目指す。

すぐ近くにある。

ちなみに置いてある車は小さいエコカーだが四駆である。

家が坂道にあること、雪が降ると登れなくなる。

父が中古で6万キロほど走った車を買ったが、家はいつもは誰もいないので、ほとんど乗らないで置いてある。

農協とは言っても外見からして最近できた建物だ。

子供の頃はじめていった時はそれこそ市場みたく、大きなガレージのようなところに夏の果物がならび、田舎どくとくの青果のにおいを感じものだ。

朝は空気がひんやりしていて、それで果物の香りが漂う夏休みを思い出す。

今は、綺麗な建物だった。

長野らしくとにかく秋の果物が映える。

巨峰、マスカット、林檎、

それに野菜もかなりたくさんの種類がある。

しかも、東京と違い色が濃くて安い。

ここにくれば、お米もある。

調味料もあり、ないとしたら肉だけだねって父に言った。

この辺りはだいぶ昔の話だが近くに村の役所があった場所と言っていた。

学校があって、郵便局もあるだろうと言われる。

農協があるのもそういうことだと言っていた。

そういえばそうか、と、ここら辺は、今は廃線になったが、昔は電車も通っていたところ、そうやってなんとなくその土地のつくり、町の形というのはできたりするのかと少し面白い話だった。

今はその影もなく、中心地は駅の方だがそんな話を聞くと少し誇らしげに感じたりもする。

農協で野菜を買う、まあないものはまた近くにスーパーがある。

そのスーパーの近くにはコインランドリーもある。

たかたが数百メートルのところにスーパーがある。

道路沿いには11月の文化の日にあわせて小さな昔のお城後の、お祭りのノボリがあった。

静かな午後が暮れようとして、陽は高い山影に落ちようとしている。

風は相変わらず穏やかで、さらさらと少し暑い車内に冷たい風を通してくれる。

もう夜は寒くなると感じることができる空気だった。

コンランドリーに入る。

乾かしているうちに買い物をしようということだった。

が、しかし、良い年になって、コンランドリーのやり方がわからない。

台風の時にどうしても乾かなくて近くのコインランドリーで乾燥機を使った記憶はある。

そのときは小銭を入れてただ回すだけだった。

しかし今回は数枚のタオルケットやパジャマを田舎の洗濯機で洗ってこず、コインランドリーで洗おうとしていた。

コンランドリーの洗濯機を使ったことがない。

何キロ、種類も家庭用みたいな古くさいものから、最新のドラム型の物まである。

ドラム型の洗濯機が、洗濯機なのか乾燥機なのかもはじめは区別がつかなかった。

気づけばあっという間に、陽が傾きもう暗い、秋の日のつるべ落としと昔おばあちゃんが言っていたなと、

洗濯機の使い方に四苦八苦しながら何故か思い出す。

考えてみたら、私は迷うと独自の方法に突っ走る人間だった。

正確に言うと書いてある手順書が頭に入らなくなる。

人のせいにするわけでないが父がとなりで色々と言ったりするので、なおだめになる。

きっとこういうのも、一人でいれば書いてある手順書などもすんなりと認識して、取り立ててバタバタすることではないのだろうかと頭のどこかで考える。

あの時、なにが違っていたのだろう、どんな手順だったのだろう。

今思い出しても不思議な感覚だ。

強いて言えば、小銭に両替してお金を崩し、洗濯機のフタを開けて投入しお金を入れてボタンを押す。

ただ、それだけなのに、

良く覚えてないが洗濯機が動きはじめた。

これで良いのではないかとの適当なあきらめと、はやく買い物に進みたいという父と私ふたりの思惑が一致してやっとコインランドリーから離れることができた。

時間は20分くらい。

隣りのスーパーに入る。

農協では売ってなかった主に肉類と少しの野菜、お豆腐、などなど、買い物はすぐに済んでしまった。

もう一度コインランドリーに二人で戻る。

洗濯機は終わりにおそらくあと5分ぐらい。

右上に数字がでている。

しかしやや透明なフタから除く中の回転は止まっている。

機械のまわりに貼ってあるシールを注意深くながめる。

なんらかの機能で少し動作が止まるとのことだった。

やはりわからない・・・。

はやく洗濯物を終わらせたかったということもあったし、少々午後バタバタしたので疲れもあった。

これから乾燥機をかけるので、

その間父と二人で椅子に座る。

夜はご飯どうするか、お風呂はどうするか、そんな話だ。

二人とも優柔ふだんだ。

いつも父と二人でいると腹の探り合いになる気がしてならない。

ただ、それがお互いに気を使う探りあいになるのだ。

父は最初、今日は家のお風呂を洗って入るかと言っていた。

これだけ買い物をしたが、私はどっか近くの温泉に入ってそのままご飯を食べて今日は休みたかった。

うーんと曖昧な返事をする。

どこか近くの温泉でも良いよと言う。

こういう言い方が私はずるいのだ。

じゃあ温泉にしようと父から引き出すように、いつもそんな返事の仕方を子供の頃からしていた気がして少し気持ちが悪くなる。

しばらく考えてじゃあ、~~に行こうか、ご飯もあそこで食べるかと父が提案する。

そう、ドンピシャの場所であった、私はあそこの眺めとご飯が美味しくて好きだったのだ。

そんなタイミングで洗濯も終わりあとは乾燥機を回すだけ。

何キログラムだとか正直どれが適当なサイズかわらかないのだがはやく乾燥を終わらして温泉に入りたいがために一番大きめの乾燥機を使う。

一回で10分、2回まわせば終わるだろうかと考えた。

その間、父は雑誌ラックにあった週刊誌を手に取る。

私はスマホでなんとなく時間を潰しながら乾燥が終わるのを待つ。

乾燥が終わる。

中を開くと、まったくもって乾いてない。

いや乾いている物もあるのだが物によって乾燥の度合いが違う。

きっと純綿は乾きやすく、化繊は乾きにくいのではないかと父が言う。

もう一度回す、結局3回乾燥機を回した。

さすがに生乾きで寝るのはと、

一時間ぐらいかかってしまったねと父に言うと、まあこれもやってみないとわからないからなぁと、

私が無造作にとりあえず乾燥機から出したシーツなどを父が綺麗に畳んでカゴの中におさめる。

たった一枚の布、長方形の布を畳むのでさえ性格の違いがでるのだろうかと、

昔から父の几帳面さ、私と違いきっちりとできるところはコンプレックスであった。

田舎から帰る時も、よく私のカバン詰めた中身を最初から取り出されて綺麗にスッキリと収め直された記憶がある。

あれだけパンパンなカバンが不思議と小さくて軽くなる。

なぜ私ができないのか、旅行に行く時はいつもなぜか苦しく感じたし、いつか海外に行った時も、行く直前に、私の旅行カバンを見かねた姉が父同様、私が詰め込んだカバンの中身を同じく取り出し、ほぼ無理やり収納しなおした。

同じようにカバンはスッキリと小さくなった。

なぜ、同じ子供なのにこのように違いがあるのだろうか。

姉も色々な部分で父似だ。

勉強もできるし、考えも大人だ。現実的であり、でも優しい。

きっと私は、本当に適当な人間なのだろう、と、どうしようもなくなる。

そこにあるのとないの、カバンの中身は同じだ。

余計な物を持っているか持ってないかではなくて、どうやって持っていくか。

私はあればなんとでもなると考えてしまうのだろう。

運ぶ面倒くささ、荷物の形、取り出す時の苦労、そういったことをあまり考えることができない。

綺麗に折りたたみシーツや肌掛けが積み重なったカゴを両手で持ち上げる。

コインランドリーから出ると天井はもうすでに混沌の闇だった。

西に落ちた陽はもう地平線を完全に過ぎるかすぎないかという感じだ。

遥か、山の後ろにあるだろう陽はわずかに山頂の形を縁取り、ほぼ濃紺になった西の空に遠い向こうの街燈がポツンぽつんと灯っていた。

星もちらほらみえる。

まるで大気圏を突破した後に目に入る宇宙のような綺麗な濃紺だった。

空気は昼と違ってまったく違う。

軽くて鋭い。

東京では感じなかった四季の変化がはっきりわかり、ああやっぱりもう秋なんだと、それもだいぶ後半の秋だと感じた。

温泉にいく車の運転は父がやると言う。

正直、父の車の運転は荒いので怖い。

ただ、父の主張だと田舎の道は街燈がなくて慣れてないだろうからと言う。

確かにそれはある。

温泉に行く途中の道路は、主要な道のはずだ。

平日の夕方なのでちょうど帰宅ラッシュの時、車は一車線に集中する。

しかし街燈がないのでいつもとは違った景色だ。

車の運転をどうするのか、年をとった父が運転することにいつも迷うが私が変わりに運転する方が結局父のストレスになるのだろうか、と、考えて好きなようにさせようと、最近そう考えるようになった。

もうどうしても危ないという時でも、

もしかしたら、子供に運転を代わられるほど、親は逆に自らの年齢のことを改めて認識して、つらいのではないか。

いつでも親は親でありたいのではないか、

昔、ずっと若い時、それこそ私が子供の時、ずっと一人で運転するしかないとき、

そう昔のままでありたいと思ったのではないだろうか。

単純に私の運転もゆっくりと、とろく、田舎では逆にあぶないのかもしれないが、そんなことを考えながら車の助手席から、真っ暗のなかに下の方にある街並みの夜景を眺めながら感じる。

やはり父の運転は少し怖い、疲れているのかわからないが、父の運転の癖は左に寄りすぎるところだ。

左の縁石にホイールが擦りそうになる。実際にいままで一回あった。

なので助手席にいると、車が左に寄りすぎる度に、自然と私の左足が縁石をブロックするように、足が持ち上がる。

目的の温泉に入って、食事を済ます。

ここでも父はいつも私が頼もうとすると、少し良いものをあえて注文させようとする。

父は何にするか、

そういえば、一度ここに来た時も同じセットメニューを頼んでいた。

ここは昔の相撲取りで有名な場所でもあり、その力士の名にちなんだメニューがある。

前回も父は同じものを頼む。

そばかうどんかどちらか迷っている。

俺は長野だけどうどんにするかなと父がいう。

メニューに載ってある写真、そばとうどん、そばには海老の天ぷらがのっているのがわかるのだが、うどんに乗っているのは判断がつかない。

うどんに何がのってあるのか、

なんかデジャブだなとふと思った。

料理を注文しにカウンターへ行く。

地元の小さい子が、カウンターの店員さんの真似をして私の注文した料理名を繰り返す。

私の腰ぐらいの背丈の男の子だ。

しかも笑顔でこちらに相槌をしてくるので、私はこういうアドリブに弱いので困る。

可愛いのだが、ただこちらも笑顔になるしかない。

それでも気をよくした子供がさらに店員さんが差し出すお釣りの値段を、まねしてまた繰り返し言う。

母親らしき女性が背後からくる、もうその辺にしなさいとたしなめるが、子供はお店の人を手伝っていたのだと言うことを聞かない。

お母さんの登場で私は少し解放された気持ちになり、注文が済み、ニヤニヤしながら私はテーブルへ戻る。

温泉にも上がったし、長野についたし、心も体もほっとする。

テーブルの呼出機のブザーが鳴り、振動する。

注文ができたと知らせる。

料理をとりに行く。もうあの子はいない。

うどんの上にはお餅がのっていた。

そういえば、去年ここに来た時に同じものを父が頼んだのを思い出した。

しかも、父はこのセットメニューの雷電セットという名前、これ相撲取りの名前だから力うどんなんだと言っていたことを思い出した。

去年きた時に、セットメニューの名前と餅入りの意味をお父さんが言っていたよねと言うと、「そんなこと言っていたかなぁ」と少し寂しそうに言う。

もう父も少し記憶に自信がないのだろうかとふと寂しい感じになってしまった。

ご飯と、先ほど農協で買った愛媛のみかんを食べる。

みかんもずいぶん甘くなったな、時期的にと父が言う。

秋口の東京で買ったみかんはまだ青かったのになと、確かに、もう季節は10月の終わり。

ここ長野はもう空気の感覚も夜は冬の入口、東京であったら真冬と同じくらいだ。

ご飯を食べ終わって落ち着いたら出口へ向かう。

私が靴を探していているが父が来ない。何しているんだろう、少し戻ると玄関入口先の土産物売り場で父が燻製たまごを眺めて私に言う、

これ賞味期限が来年の1月1日になっていると私に伝える。

確かにシールにはそう書いてある。

若い店員の女性が、話しかけてくる。「燻製だと日持ちするみたいなんですよ。」

父はまた好奇心旺盛なので、なんで燻製だと日持ちするのかを店員に尋ねる。

店員だって燻製たまごだけを売っているわけではない。

おそらくちょっとした知識なのだろう、店員が困っていることを察した。

たぶん燻すから日持ちするんだよと私は適当に父を納得させて車に行こうと促す。

レジにいる若い女性の店員さんは、「ぜひ来年の元旦に食べて見てください!」と笑顔で答える。

田舎の店員さんは少し暇というか、長野に来るといつも思うが話が好きだ。

東京のお店は、自分で商品を選んで、レジ、会計、それで終わり、やっぱり流れている時間が少し違うと感じる。

そとに出るともう真っ暗だった。

高台にある温泉から眺めると先ほど通ってきた町の明かりが星のように輝いている。

山の麓の輪郭が町の明かりでわかる。

山に囲まれて盆地になっていることが良くわかる。

見上げると星もポツリポツリと雲の間から見える。

ただ、そとの空気は本当に寒い。

東京の人間にとっては切れるように風が冷たい。

空気で標高の違いを感じる。

父が湯冷めしてしまうとあれなので夜景も夜空もほどほどに車に乗り込む。

田舎の平日だが駐車場は結構にぎわっていた。

若い人が車の近くで元気よく話している。

車に乗り込み帰りも父が運転して帰る。

先ほどみた夜景がまた目に飛び込む。

ここは道も高くにあるから、景色が町を見下ろす。ほんとうに綺麗だ。

東京にいるとこんな町の起伏がまったくなくて、真っ平だ。

私は感じるのだが、建物の高さというか、道の狭さの閉塞感、家が近くでみっしりしているのだと改めて感じる。

長野は山で閉塞感があるというが、いったいどちらが閉塞感があるのだろうか。

そんなことを頭のどこかで考えていた。

家につくともう寝る準備、夕方コインランドリーで乾かしたカゴを家の中に運び、農協で買った野菜も冷蔵庫に入れる。

石油ストーブをつけて少し暖まる。

電気カーペットもつける。

ふと今の本棚を見る。

昔と配置が変わっていた。父がおそらく整理したのだろう。

子供の頃においてあったよく覚えているけど読んだことのないタイトルの本がない。

少し寂しくなる。

田舎にきた時に読もうと思っていた本。

でも本棚を眺めるのが好きだ。

適当に興味ある本を眺める。

父はたばこをふかしながらテレビをつける。

もう20時を回っていた。

なんだかまったりしてくる。

特に話すこともないが、明日はどうするだとか、明日上高地に行くかと父が訪ねてくる。

スマホで天気を調べる。どうせ行くなら天気予報で晴れとなっている時が良いといった。

せっかくの上高地なら晴れていて欲しいし、なにより夜の星を見たいといった。

スマホの天気予報がずっと雨、うーん、ここ長野はずっと晴れ、山肌だからなかなぁと言う。

他のサイトだと晴れ、ちょうどテレビの天気予報が流れたがここ数日はおおむね晴れだった。

でもどのサイトも明後日が上高地は晴れとなっていたので、父に明日は少しゆっくりして明後日にしようと伝える。

正直、今日は疲れたからあさってゆっくり行こうという。

そうだなと、父はほんとうに生き急ぐ人だと感じる。

いつもやることがあるとさっさと片付けようとする人なのだ。

のんびりがダメだ、だからサラリーマンがずっと続くのかもしれないし、そうなってしまったのかもしれない。

本を取り出して、もう寝ると言う。

布団も先ほどの洗い立てのシーツを引く。

寝れそうで寝れない、奥の洋間に行って形だけもってきたパソコンに日記を打つ。

もう一度布団にはいって読んでいた小説がつまらなくなったので電気を消した。

いつもそうだが田舎にくると興奮して寝れない。

私は布団が変わるだけで、場所が変わるだけで寝れない。ちょっとした布団の匂いが気になってしまうのだ。

結局まどろんで、眠れたのか、わからないうちにこの一日が終わった。

⇒続く

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