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京都旅行 三日目

 

京都三日目③(二日目はこちら

昨日、それでも夜、途中で起きただろうか、

もう、旅先では私はちゃんと寝られないのだとあきらめる

朝、起きて、6時前、

簡単にお風呂に入って、着替える。

最後の日、

できるだけ早くでようと、

6時半には宿を出た。

向かうは北の方、

そう、確かめておかねばならないと、

こないだの冬きた時は京都の街中、神社や仏閣だらけの混沌とした街並み、

なんでブログの先生、千聖さんは、こんなごちゃごちゃしたところに住んでいるのだろうか、と考えてしまった。

京都の北の方はまた違った雰囲気だそうだ。

山に囲まれていてひっそりとしている、と。

だから、今度きた時は、北の方をゆっくりしてくださいと、

馬鹿正直な私は、それを確かめたい気があった。

京都の北の方、地図を眺めると、北は鞍馬寺があった。

叡山電鉄鞍馬線の終点の方、

天気予報はきのう確認した時は晴れだったのだが、いつの間にか、曇り時々雨になっていた。

京都は山に囲まれていて天気も変わりやすいのだと、昨日、竹川さんが言っていたことを思い出す。

地下鉄を使って北の方へ向かう。

国際会館というところで乗り換えた。

ここ竹川さんの学生時代のところではないだろうか?

そんなことも思いながらも、降りたらバス乗り場を探さなくてはならない。

バス停を見つけて、バスに乗り換えて鞍馬線の方へむかう。

確かに、バスの外を眺めると、だいぶ街並みも静かな感覚だった。

雲っていたので全体的に目に入ってくる印象がグレーだ。

宝ヶ池というところで叡山電車に乗り換えるのでバスを降りる。

こんな、こぢんまりとした駅のホーム使ったことがあるだろうか・・・

無人駅・・・?

平日の朝、山の方へ向かう人は少ないのだろうか?

無人駅は曇っていて、全体的に人の少なさをより際立たせる。

ひとりだけ駅の中で私とおなじように鞍馬方面の電車を待っている人がいたが、それ以外は人の気配も少ない。

ほんとうに田舎の駅舎という感じだった。
しばらくしてきた電車、

ほとんど人が乗ってない。

車両も少なく、なんとなくレトロな雰囲気をかもしだしている。

どうしようか、

人の少ない電車に乗り込み、あいかわらずグレーの外の景色と、車内の路線図を交互に眺めながら考える。

このまま、終点の鞍馬まで行こうか、それとも、先にひとつ手前の貴船に寄ろうか、

貴船からのバスの本数などがわからない。

タクシーがあるのかもわからない。

だけど、なんとなく貴船神社を先に見て回った方が良い気がした。

貴船口駅で思い切って降りてみる。

ひとり、先に人が降りて行った。

あとに続いて、ICカードを通して外に出た。

駅を降りて回りを見渡す。

誰もいない、ここも無人駅だ。

ただ、ただ、山の奥に近いとわかり、沢の水のいきおいもまして、ゴーゴーと勢いよく流れる川の音が、耳にはいってくる。

階段を下りて、バス停らしきものを発見する。

そして時刻表をみる。

が、絶望的にバスの本数がない。

あと1時間半後くらい・・・

タクシーなんてあるわけがないという雰囲気が一瞬でわかる。

降りてしまって失敗した・・・

貴船口駅のホーム戻って、もういちどICカードをタッチしてホームの中に入り、鞍馬までの電車を待つ・・・

だけど・・・

貴船神社まで歩けるんじゃないか?

ふと、また考える。

いいや、歩こう・・・

一度入ったホームから出ようと、ICカードを再びタッチするが、一度改札を通ったので、出られない

何度もエラーを繰り返す。

ここには、駅員がいない。

どうしようか、

もういいや、

とりあえず出よう・・・

仕方ない・・・

自動改札機を無視してすり抜け、

貴船口駅を再び出る。

スマートフォンで地図を確認し、右の方向へ向かい、

そして、曇った山なかを歩きはじめた。

が、それが、面白い、

道路の脇にある川の流れが綺麗だ。

いや、むしろ、川の流れの音しか聞こえない。

天気はあいかわらず曇り、晴れそうな雲の厚さでないことははっきりとわかるし、3月中旬を少し過ぎたあたりの山は、まだ枝木に緑もなく、

かなり殺風景だ。

だから、川の流れと音だけが目と耳に入ってくる。

ここも沢をたよりに道ができている。

山の地形というのは面白い。

去年の秋に上高地に行った時に感じたことを思い出す。

車がたまに通るけど、あとは林業の作業員なのか、そんな人たちが山の斜面にいる程度だ。
道を歩いている人すらいない。

山の音と沢の音・・・

朝なのでシーンと静まり返っている。

そして、たまに、ホーホケキョと鶯(ウグイス)の鳴き声が聞こえるのだ・・・。

春が来たのだと、鳥が告げている・・・。

なんだが、鶯の鳴き声を聞いて、とても寂しい気持ちになる・・・。

のどかすぎる。

山の静かさと川の音、鶯の鳴き声が、

絶妙に目に入ってくる景色に溶け込んで美しすぎるからだろうか・・・。

8時近くに貴船神社の最初の大きな鳥居が見えて、そこから20分ばかり歩くと階段状に続く、赤い灯籠が階段の両脇に並びいくつも見えてきた。

ここでもフィルムカメラを使った。

 

 

 

 

 

 

 

補足だが、スマートフォンのカメラでも、もちろん今回の旅でシャッターを切りまくった。

だけど、旅の大事な印象的なところは、フィルムカメラも使う感覚だろうか、

とても綺麗な赤い灯籠が階段の先に続いていた。

歩いている途中、鞍馬寺の西門というのがあった。

ここから鞍馬寺まで歩いていけるのだろうかと考える。

先を眺めると、なんだがゲームに出てくる閉ざされた秘密の抜け道みたいな入口だった。

ゆるやかな坂道をのぼると脇にお店がけっこうあるが、

まだ開いていない。

そして、たどり着いた8時半過ぎの貴船神社は人がいない。

ひっそりとしていた。

途中、和泉式部の歌の碑などをながめて、また上の方にむかって、奥社までめざす。

奥社もこぢんまりとして、人がほとんどいなかったのだが、

ひとりだけ、男性がいるので、逆に少し怖い・・・
まあ、向こうもおなじく、こんな朝っぱらにいる私は奇妙と思っていただろう。

参拝を済ます。

もうこの先は登っても何もないことを地図で確認し、来た道を下っていく。

神社入口から、手前にある社務所までは、一番上の奥社から下っていくと、けっこう歩いた。

けっこう坂道を登ってきたということに気づく。

上の奥社から社務所に着く頃は9時過ぎごろ、

社務所が開いている頃は、観光客もちらほらきていた。

若い女性が多い、縁結びだそうだ、

おみくじがおもしろい。

水に浮かべて、うかんだ文字が占いの結果・・・

後ろから、すこし様子をうかがってみた。

面白そうなのでやってみる。

社務所でお金を払うと好きなところから引いてくださいと言われたので、一番上の紙を手に取る。

岩をくり抜いたところに水がたまっており、そこに紙をのせて浮かべる。

文字が浮かびあがってくる。

末吉だった。

昨日のおみくじと同じく、水難に注意と書かれている。
みな、水にさらす独特なこのおみくじは、近くの場所にくくりつけていた。

願いごとをしながら結ぶのだそうだ。

朝はやくなので、結ばれているおみくじの数も少ない。

おみくじをくくりつけて

神社を後にした。

途中、川辺まで寄って水に触れる。

坂道をくだって目に入ったバス停にちょうど、貴船口駅までのバスが着ていた。

乗り込んで運転手さんに聞く、

西門から鞍馬寺まで行けるかたずねる。

運転手さんは、行けることは行けますが、このまま、貴船口まで行って、鞍馬駅まで行けますけど、という、

歩けばどれくらいですか、と、たずねると、

どのくらいと言われても・・・と運転手さん・・・

バスが出そうな時に、私しかバスにいなかったので、

やっぱり歩きますと言うと運転手さんはドアを開けてくれた。

私はバスを降りて歩きはじめる。

歩き始めた私に運転手さんは、お客さん西門はあっちですよと、私が歩き始めた反対方向を指さしていた。

ここまでくる途中で知らずに西門の前を通過していたのだった。

また上り坂を歩きはじめる。

しばらくして貴船神社の行きに目にした、ひっそりとした入口の西門があった。

なにか、あやしい山の中につながっている感じで、すこし怖い・・・

だが、門までいくとちゃんと入山料をとるおばちゃんがいた。

「山越えになりますけど良いですか?」と確認してくる。

どれくらいかかりますか、と聞いてみると、40分くらいですかね、と答える、

じゃあ大丈夫ですと300円払って地図を受け取る。

そこから、山登りになった。

淡々と山を登る。

坂道ではあるが、一応、階段状になっているのでそんなに歩きづらい訳ではない。

階段だが、雨が降って少し滑りやすい。

とにかく、何も考えないで無になれる。

途中で汗がでてくる。

思っていたよりも急こう配だった。

せっかちに歩くので、どんどん標高が高くなる。

山登りはけっこう楽しい。

どこか、頭の隅で新幹線が17時なので、それまでに行くところにいかねば、と、思っていた。

どんどん高くなるので、途中で耳抜きが必要になる。

晴れていればどんな景色だろうか、

やはり、とにかくシーンとしている・・・

最初に見えてきたのは義経堂というところだった。

何を祭っているのかわからないが、

お堂というのか、色々と祭られている建物が途中の道にどんどん出てきた。

軽く見物を済ませて、どんどんとまた山道を登る。

ふと、思い出した。

こないだ、東京で竹川さんが言っていたこと、

ブログを書くのは、山登りのようなもので、コツコツやっていたら気づけば高いところにいたという感覚・・・

振り返るとだいぶ景色が高いことに気づいた・・・

こういうことなのだろうか、

私は馬鹿なので、

結局、体で理解しないとわからならい人間だ・・・

体を動かしてじんわり汗が出る、息も荒くなって、

テンションが、気持ちが高揚する・・・

所どころ現れる、祭られているものに手をあわせ、そして、どんどん鞍馬寺をめざす。

北の山の方をゆっくりとするという三日目の旅のテーマがあるはずなのだが、

このあと、行かねばらならいところがあるので、急ぎ足になる。

西門から本殿を目指すというのは、いわゆる鞍馬寺を普通に観光する人とは逆のルートをたどってるので、

鞍馬寺の山頂について最初に見物するところは、霊宝殿だった。

仏像といえばいいのだろうか、重要なものが色々と安置されている博物館。

そういえば、ここまで山に登ってくるなかで、だいぶお堂のようなものがあって、とりあえずお賽銭を使ったので小銭がない。

入口の老人に、千円札で入館すると、少し面倒くさそうにおつりの小銭を渡される。

1階はこの山の自然のもので、昆虫の標本、

2階は義経に関わるものや、与謝野晶子について、

博物案の中、ここもシーンとしていて誰もいない、

3階の仏像が安置されているスペース、

靴を脱いで中に入る。

大きな如来像だかが私の周りを囲む、ずらっと囲む・・・。

私を見つめているのは、重要な仏像ばかり・・・

思わず緊張する・・・

何も悪いことをしていないはずだが、なんだが、私の心の隙を覗かれているような気持ちになってしまう。

誰もいない、仏像などがある一角、

ふと、ノートがある。

旅の感想を記帳してくださいと書いてあった。

3冊ならぶノートをながめる。

正座をして、毘沙門天像や観音様などの仏像に囲まれながら、ノートに文字を綴る。

とても神聖な気持ちになった。

誰もおらずシーンとして仏像に見つめられる中で、ただ、感じたことを文字で残す。

空気の流れが止まっていたような感覚だった。

どこか、スッと空気が冷たくて、そして時間の流れもおそい・・・

ここまで歩いて山を越えてきた達成感が襲ってきて、気持ちが清々しくなった。

仏像が安置されている場所から出る時にお辞儀をする。

博物館を出て、いよいよ、そこから鞍馬寺の本殿、

本殿の手前は写真でみたことのある六芒星。

パワースポットということで、人も少ないのでその場に立つ。

山を登って、ここまで来た。

本殿の中にお守りなどを売っているところがるので、

両親に何か買っていこう・・・

人も少ないので、売っている人に話かける。

何がいちばん出るのですか?

少しキツめの話し方の女性は、その日によって違いますね、団体でくると誰かにあわせてみな同じものを買ったりするので、と、そっけない。

旅先で誰かれかまわずに話しかけるのは、父に似てしまったのだろうか、

結局、色々と目の前に陳列されたものをながめたあげく、お守りではなくて、鈴を二つ買う事にした。

父用の色と母用の色の鈴を選ぶ。

緑と赤の色を買った。

参拝を済ませ、本殿外からながめる比叡山の方、

雲で霞んでいて眺めがあまりよくわからない、

晴れていればとても綺麗なんだろうと思う。

雨がパラパラと落ちてきたこともあって、急いで参道の坂道を下っていく。

行きに来た山道とくらべちゃんと整備されていた坂道だった。

赤い灯篭が綺麗だ。

夜は綺麗なのだろうか。

途中、由岐神社に寄る。

まったくもって旅の貧乏性なので、見れるところはなるべく見ようという精神なので、

結局、いそがしい、

三日目の旅のテーマであるひとつのところでゆっくりしていることができない・・・

時間を見ると12時近く、

まるで生き急ぐかのように三日目も過ごしている。

そして、朝からなにもご飯を食べてない。

鞍馬寺の入口、門があるのだが、

ここも、せっかく西門から登って、ここまで降りてきたので、自分をフィルムカメラに残しておきたいという気持ちがおそった。

ひとり、若い男性がいる。

あらかじめ、シャッター速度としぼりを調節したフィルムカメラを男性に差し出しながら、シャッターを切ってもらえませんか?とお願いする。

男性は中国の人だろうか、カタコトの日本語で、「イイデスヨ」と快く引き受けてくれた。

私は、ここを押すだけですから、とシャッターの位置とファインダーの場所を伝える。

男性から離れて門の前に行く。

男性が「イチ・ニー・サン」と言ってシャッターを切ってくれた。

「モウイチマイ、タテニトリマショウ」と丁寧に言ってくれる。

だが、もうフィルムが残りすくない。

あまり無駄打ちをしていられない。

私はお礼を何度か告げる。

一枚で大丈夫です、と、男性は、心配そうにカメラを私に返した。

そう、もう、カメラのフィルムがほとんどないのだ。
あと3枚・・・

最後の場所で使うために残しておかねばならない・・・。

鞍馬寺の門から離れる、これからどうしようか、と、

だが、もう、こうなったら行けるところは行こうと、

山を登ってきたのでテンションもハイになっていた。

鞍馬温泉もいってみようと、

参道最初の鳥居から出て、鞍馬温泉のルートを探る。

また、坂道をのぼる、温泉にも入ったが、そんなに時間がない、

ほぼ、一瞬、浸かって終わる。

身を清めたのだと、そう、言い聞かせて、すぐさま着替えて、

最後の目的地へ向かった。

鞍馬駅へは幸い、温泉から無料の送迎バスがあったので、乗り込み、鞍馬駅まで行く。

鞍馬駅の駅舎の前には綺麗な梅が咲いていた。

朝ICカード、貴船口の改札を出てから入りなおし、誰もいなかったので改札を通せずに勝手に出てきた。

おそらくこのまま入るとICカードがひっかかるだろう、

駅のおじいちゃんに事情を説明する。

朝、貴船口でいったん改札に通した後、誰もいなかったので勝手に出てしまったと、

誰もいなかったと、

そしたらおじいちゃんが、じゃあ、電車きて乗る時にタッチしないで乗れば良いよと言ってくれる。

15分ばかり待って電車がきたので、乗り込む。

ご飯も食べずにまた、朝きた路線に戻る。

宝ヶ池まで戻った。

そして、叡山本線にのって、八瀬比叡山口へ向かう。

到着した電車の丸窓が特徴的で印象的だった。

 

 

 

宝ヶ池から二駅なのですぐに八瀬比叡山口にたどりつくのだが、そとの殺風景で曇った景色とは裏腹に車内はなにかお洒落で、彩もあざやかで、

車内の景色が際立っていた・・・

こんな山に向かう電車、鞍馬寺の方に向かった車両とはずいぶん違うなと感じる。

どこも無人駅で、

電車の中すら人がいない・・・

その理由が後でわかる・・・

朝からずっと歩き続け、何も止まらずにここまできた。
駅に到着する。

叡山電車の終着で降りる。

この叡山電車、気になるのは降りる時に先頭車両からわざわざICカードなりをタッチして降りないといけない。

田舎の電車であることが際立つ。

到着した駅に降り立つが、そして、ここにも人がいない。

いや、まったくいない訳ではないのだが、
いるのは鉄道マニアなのか、乗ってきためずらしい丸窓の電車を前方から写すカメラマンのような観光客がひとりくらいだった。

もう時間も午後になっていた。

そう、旅の最後の目的地は、瑠璃光院だった。

ブログの先生のサイトに写っていた写真の場所、

ここをこの目でみて、京都の旅を終わりにしようと・・・

途中で川を渡る、ほんとうに山の方はどこも川が流れている印象が強い。

そして、歩いて数分、

瑠璃光院にたどり着いたのだが、開いていない・・・

春の特別拝観・・・

期間があったのか・・・

え、ほんとうだろうか?

ここから入れないだけでなくて、他から入れる場所があるんじゃないか、

あきらめがつかずにもう少し奥の方へ進む。

関係者以外立ち入り禁止の文字しかない・・・

ああ、と、疲れが押し寄せる。

瑠璃光院の入口をみじめにながめながら通り過ぎ、駅へまた戻る。

比叡山行のケーブルカーすら、冬季休業中、

そりゃ行きの電車に誰も人が乗ってないわけだ。

やっと気づいた。

あと一日すれば、ケーブルカーの冬季休業も終わりの日付だった。

どうしようかと、旅の最終目的で呆ける。

駅前にある観光案内の看板を眺める。

ふと、昨日、竹川さんが三千院という言葉を言っていたことを思いだす。

三千院という文字が目に入った、

ここから、どう行くのであろうか、

スマホで調べる、

バス・・・

もし時間どおりなら、あと3分後、

バス停どこ?

駅前ですごく暇そうなお土産屋さんの女性がいたので、物を買わない前提のいきおいで中に入り、構わずに聞く、

大原行きのバス停ってどこですか?

女性は、「必ず」信号を渡って右と強調した。

とにかく走った。

で、間に合った。

結局、大原行きのバスに乗れる。

バスはほぼ時間どおりだった。

バス先頭左の席に座ってほっとする。

また、バスのアナウンスがカオスだ。

地下鉄・バス乗車券は使えない、

ここからは運賃が変わる。

と、アナウンスが流れた。

地下鉄・バス乗車券は使えないのだろうか、

まあ良いかと、

とりあえずバスにも乗ったし終点まで行けばたどり着く。

乗っているだけで良いのだと、なかば納得させる。

大原までつづくバスの外のくもった山並みを眺める。

もう13時、どれくらいまで三千院の方にいれるだろうか、

15時には京都駅へ向かった方が良いだろうとすると1時間くらいだろうか、

バスの外を眺め、確かに晴れていれば、ここもまた桃源郷のような場所なのだろうと

別の景色の外の眺めを想像する。

そして、秋に行った信州の山並みと何が違うのか考える。

ひとつ山の高さが違う、

あとは体感で伝わる標高がまったく違う。

信州は、ほんとうに山が高い、

東京やその他、もろもろな土地からの邪気を高い山が遮るような感覚がある。

私は京都の神社仏閣も面白いと思う、

ただ、ふと感じたことは、

物には何か、色々な気があると感じる時がある。

それは、想い、祈念、私怨もふくめて色々な「気」・・・

それが、存在する物が昔すぎるほど強い気がする。

自然は昔からある建物と比べるとなにか素直な気がする。

空気は当たり前のように流れ、自然に呼吸をし、自然に景色が変わる。

山も、海も、気温や季節、湿度によって、表情を変える。

自然そのもの、

長い間そこにある建築物は、受け継がれた人の想いがなにか封じ込められている気がする。

だから京都を歩くとなんだかすこし混沌としているのだろうか、とバスから眺めた山並みをみながら思う。

三千院に着いた。

終点の大原、

バス乗車券を使わずにICカードで精算した。

途中あるきながら、道なみに、やはり水が流れていて、流れる音とともに美しい。

人も少ない。

途中、漬物屋さんのおじいちゃんが、こんにちはと挨拶をしてくる。

どこからきたのですか、と、

立ち止まった私に、ほどよいタイミングで試食のしば漬けをさしだす。

しょっぱい、

しかし、

美味しい、

朝から何も食べてなくて、山を越えて、一瞬だが温泉につかって・・・

口にした漬物の味は体に染み込んだ。

ほぼ、道に誰も通らない。

遠いところまで良く来られましたねとおじいちゃんは言う。

はじめてですか?と

はい、

いつもここら辺はこんなに人が少ないのでしょうかと聞くと、

いや、季節ですね、あと平日ですしと、

もう少しすると人も増えますし、週末は多くなりますと私に話ながら、

これも美味しいよと、

別の漬物も私の手のひらに差し出す。

確かに美味しい。

私は、瑠璃光院って観れる期間が決まっているんでしょうか、と、おじいちゃんに話かける。

まだ、先ほどのことを引きづっている。

おじいちゃんは、

「ああ、そうかもしれないですね」、と、

地元なので逆にあまり関心もなく、わからないのかもしれない・・・

瑠璃光院を見れなかったのですが、たまたまバスがあったのでこちらへ来ましたとおじいちゃんへ告げると、

そうですか、

ああ、これも美味しいよと、小指出してとまた何かを差し出す。

こんどは、ふき味噌だった。

小指を口に運ぶと、確かに甘しょっぱくてこれも染みる・・・

「瑠璃光院のかわりに、ふきで季節を感じてくださいな」というので、

私はめったに買わないおみやげを買うことにした。

この、おじいちゃんも閑散期でひまな中、私の相手をしてくれたのだし、

そして、食べ物はいずれなくなる。

物は残るけど、

食べ物のお土産は残らない。

おじいちゃんは商売上手で、色々な組み合わせで私に漬物を買わせようとするので、

すみません、帰りの荷物になるのでと、あまり大きな買い物はできないとやんわりと断る。

それでも、

一生懸命、せっかくなのでこれもどうかねと、いうので、

リュック邪魔にならない範囲でお漬物を選んで、お会計をお願いする。

しば漬け以外にも、大根を漬けた、酢で少し酸っぱいお漬物も、これも良いんだがね、とすすめてくる。

しかし、私はその大根の酢っぱい感じに、正直、ぴんとこなかった。

3袋のうち二つはしば漬けで、残りのひとつはこの大根にしましょうか、とおじいちゃんが、どうしてもすすめてくる。(大根のお漬物の名前を忘れた・・・)

でも、私は、しば漬け3つと、あとふき味噌で良いですと、おじいちゃんのおすすめにあらがった・・・。

試食に使った指を拭くタオルをわざわざ、おじいちゃんは渡してくれる。

お店に出る際に、三千院の付近のパンフレットとまわりの仏閣も教えてくれる。

楽しい旅をと言われて、その場を離れて川沿いをまた上っていく。

しばらくすると、ここが三千院か、と、

ここは隠棲の地とのことだ、

確かにそうかもしれない、

ひっそりとした空気、場所、

ああ、

じゃあ、京都の旅の最後の場所で良かったのかもしれないと、苔が広がる庭を眺めながら思った。

薬師如来が本尊、

本尊の近くに、

1000円もするお守りがあった。

ふと、父のことが頭をよぎる。

父は2月に動脈のバイパス手術をした。

そして、右足の小指を切断した。

先日、東京タワーのふもとの病院までお見舞いに行った。

その時に、去年の冬に清水寺で買ったお守りを渡したばかりだった。

昨秋、一緒に上高地に父と旅をしたが、この先、一緒に遠いところまで歩くことはできるだろうか、

薬師如来だから体に効くだろうか、

考える・・・。

ここまできて、

でも、悩む、

こんなところに来て、おみやげを渡すよりも、父のことだから自分で出かける方がきっと好きだし喜ぶだろう、

子供からこんな気遣いをされるのを嫌うような気がした。

きっと、鞍馬寺で買った、実用的な鈴のお守りの方が父にとっては充分で、そして喜ぶ気がした。

私だったら、遠く、こんな大原まで来て買って来た薬師如来のお守りなんて渡されたら、逆に、治さねばとプレッシャーに感じてしまう気がした。

時計は午後3時に近づく、

フィルムカメラの枚数もあと2枚ほど、

綺麗に苔の生えた敷地をながめると、ふと、

去年の抜いた雑草、うちの庭もこうできないのだろうか、と、

だが、

庭師のような人が丁寧に、生え始めていた雑草を抜いている。

きっとこうした、苔の生えた場所の管理も大変なのだろう、

途中で、お茶を差し出してくれるところがあった。

温かい飲み物を体に流す。

ここで出されたお茶も昨日の圓徳院で飲んだのと同じように、しょっぱい、シソだそうだ。

閑散とした休憩所に座り、出されたお茶を飲んでいると、

おばちゃんがほっとするでしょうと話かけてくる。

確かに、まだ寒い曇りの3月、

そして朝から何も食べてないので、体に染み込む。

飲み干したら、もう、こころを帰り支度しないといけない。

残りのフィルムの枚数は2枚、

苔の生えた庭をフレームにおさめる。

最後にシャッターを切って、もうこれ以上フィルムを巻くことができないことを確認した。

 

 

 

もうシャッターは切れない、

だから、

旅も終わりだ。

帰ろう、

気持ちの整理がついた。

ああ、旅は終わったと感じたと同時になぜだかほっとする。

出口付近のベンチに腰をかけてフィルムを巻いた。

バス停へむかう、

帰り途中、行きに寄った漬物屋さんのおじいちゃんが私のことを覚えていた。

行きに渡されたお土産用の袋を手にぶら下げてないのを見て、お店のおじいちゃんは、

「荷物、まとめてくれてありがとうね」と声をかけてきた。

わたしも挨拶をしてお店の前を通り過ぎる。

バスはすぐにきた。

バスの案内所のおばちゃんに、地下鉄・バス乗車券、これ使えるかと聞くと京都駅まで使えるといった。

やっぱりわかりづらい、ということは、行きも使えたということだろうか、そんなことを考えながらタイミング良く到着したバスに乗車する。

運転席のすぐ後ろに座る。

大原から京都駅までどれくらいだろうか、

15時に出て、京都駅へ17時にはたどりつくだろうか、

そんなことを考えながら、

どんどんバスは朝いた京都駅の方へ向かっていった。

とにかく運転中のバスが揺れる。

運転手の腕が悪いのか、

道が悪いのか、

色々な意味で粗い・・・

しだいに街の雰囲気になってきて、

川沿いにバスが走る。

最後の景色はとても綺麗だった。

駅の方へむかって、四条、五条と、鴨川沿いをバスが走る。

ただ、だんだんと、バスの中も混み、そして道も混んですすまない。

繁華街では、

ひっきりなしに外国の観光客が乗り降りする。

そして運転手は、もう機械のように、

「ICカードはタッチしてください、それ以外は整理券をとってください」と繰り返す。

こりゃ運転しながら疲れるだろう、

しかも言葉のわからない外国人がいやおうなしに降りようとするので、運転手の口調もいらいらしているのが伝わる。

運転席のすぐ後ろなのでバス停にとまるたびにそのやり取りが目の前にせまる。

観光地のバスの運転手さんはたいへんだなと、後ろに座って思ってしまった。

というか、17時の新幹線に間に合うだろうか、

なかなか道が混んでいて進まない・・・。

きのう千聖さんが、道は混むし駐車場は少ないと言っていたことを思い出した。

結局16時半ごろ、ほぼ1時間半かけて、大原から京都駅へたどり着いた。

そして最後に降りる時に、運転手に確認し、地下鉄・バス乗車券が使えるか確認したら、大丈夫と言って、出口にうながされた。

ああ、旅は終わった・・・。

時間もほぼぴったりだった。

新幹線に乗り込む。

帰りの列車は混んでいる。

大阪、京都方面の電車は女性客が多い。

席をあわせて、ずっとカードゲームを各駅の東京までしながら、話し声を聞いていたのでまいってしまった。

電車の中はだれ彼、おなじ格好の若い女性ばかりだった。

各駅のこだまで長い時間を過ごし、

東京が近づく、

何もない東京だけど、

まあ、それでもほっとするなと、

少なくとも新幹線の車窓からながめる新横浜を過ぎた夜景の街並みをみて思う。

帰り、ラッシュの新宿を抜けて、長い旅行が終わった。

~完~

追伸:京都から戻り、しばらくして、まだ食べきらない、おみやげのお漬物が冷蔵庫に残っている。少しずつ食べて少なくなってきたお漬物の袋がどれくらい残っているのか確認した。

ふと最後の袋が目に入る。

最後に残っていたのは、買うのを拒否した大根のお漬物だった。

あの、大原で出会ったお漬物屋のおじいちゃん、断った大根のお漬物、どうしても食べさせたくて・・・わざと入れたんじゃないかと・・・

まだ、開けてない最後のお漬物の袋・・・

京都旅の最後の思い出、開ける楽しみができたものだった・・・。

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