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京都旅行 二日目

 

京都二日目②(一日目はこちら

二日目、ブログをつくっている先人の方たちと話す機会があり、

京都に来た二日目は、ブログの先生である、京都に住む千聖さんをふくめ、その先生の竹川さん、はるさんの4人で京都をまわることになっていた。

昨夜も実は、覚醒してしまってぐっすり眠れていない・・・

だが、目覚ましどおりに起きる6時くらい、

そこから、浴場で体を温めて、7時半にはホテルを出る。

フロントで地下鉄・バス二日券、1700円を買った。

目指した場所は、東寺だった。

昨日、京都に到着した時に行こうが迷っていた場所。

とりあえず地下鉄五条から京都駅へ向かう。

そこからバスなのだが、バスが複雑でなかなか路線図を理解できない。

とりあえずスマートフォンで調べたバスの系統を見つけ、乗ったのだが、方向的に逆に向かっている。

おかしい・・・

2駅ぐらいならまだ京都駅に戻れそうなので、降車ボタンを降り、降りる時に運転手さんにこれ東寺行きますか?と聞いたら、これは違うと言われ、降りようとしたら、

運転手さんが、ここで降りるよりも、この先のところで降りて、別のバスに乗った方がはやいと言われる。

そのバス停で降りる時に、運転手さんは丁寧にも、バス乗り場の方向を教えてくれた。

京都のバスの運転手さんは、観光案内もおそらくだいぶ慣れているのだろう。

バス停を降りて、運転手さんの教えてくれた方向へ向かうとバス停がある。

来たバスに乗り込む。

しかし、そのバスは途中で終点になる・・・

カオスだった。

終点のバス停で降りると、そこにバス会社の車掌さんみたいな、バス停で観光客を促して、立って案内しているひとがいたので、その人へ東寺に行きたいというと、降りるバス停の名を教えてくれた。

また、再び来たバスに乗って、教えてもらったバス停で降りるとやっと東寺にたどりついた。

京都駅から実に三本のバスを乗り継いでいた。

バス停を降りると、五重塔がみえる。

人は朝なので少ない。

中に入っても、修学旅行のような団体もおらず、閑散としていた。

砂利道をあるく、

五重塔じたいにあまり興味はないのだが、

遠くから見るとかなり地味だ・・・

まだ春のはじまりで、木々に花が咲いていないからかもしれない。

それでも、ところどころ、梅だろうか、ぴんく色の綺麗な花を飾った木がちらほらあった。

東寺の中を歩きながら、仏像などを眺め、なぜ、ここにきたのかを思い出す。

そういえば、図書館で東寺についての催しが東京であるというパンフレットを目にしていたからだ。

京都の神社仏閣にほとんど詳しくない私は、おそらくここが凄いところなのだろうくらいしか、わからない。

それで境内の中にある仏像などを眺めるのだが、すべてではないが、ところどころ、本来あるはずの場所に空席がある。

・・・・・・

なんでだろうと、

ああ、そっか、

東京にあるのか・・・と、

上野だかの美術館にいまあると書いてあったことを思い出す。

そりゃそうか、東京でみたパンフレットだし、と、

京都まできて本物を見ることができず、見たいものは、住んでいる東京の方にあるとは・・・

そこまで頭がまわらなかった・・・

東寺はすごい所と、頭のどこかにインプットされ、行ってみたが、実際のものは東京にあったというオチだった・・・

だが、それでも実際に建っている五重塔や建造物を見ることができる。

朝で、人もちらほらしかいない境内はなんだかすっきりしていた。

家から持ってきていた昔のフィルムカメラを取り出す。

27枚のフィルム、

この後、今日もふくめて二日分、どこでシャッターを切るのか考える。

この五重塔は映しておいたほうが良いだろうと見てわかった。

遠目から写したい。

昔のカメラ、いわゆるネガフィルムカメラ、

30年以上前に使えたのを確認できたカメラで、いったい使えるのだろうか、

と、ふと、

せっかく旅行する機会もあるので持って行って写してみようと、3月に伊勢に行く時にひらめいた・・・

伊勢へ行った時のフィルムがまだ残っていたので京都まで持ってきた。

はっきり言ってちゃんと写るかも不明、

カメラを収納していた外側の革のケースもボロボロ・・・

途中、しまうのが面倒だったので、肩にぶらさげていたが、気づいたら肩から重みがない。

肩からぶら下げていたカメラの紐が、カメラ本体のストラップから外れていた。

そして、よくみたら、左腕にぶら下げていたリュックサックの上に、ストラップというか紐が切れたカメラが乗っかっていた。

運が良かったと感じる。

リュックサックを左手に持ってなかったら、そのまま地面にガシャンだった。

私は自分の姿を写真に残すことは嫌いだ。

それでも、

このネガカメラであれば、実験として被写体になっても良いかな、と、ふと思った。

写っていてもおもしろいし、もし東京へ帰ってから現像して、写ってなければそれまでだし。

スマホで撮影すれば必ず残る。

でも、必ず残るか残らないかわからないものであれば、

フィルムに残ったら残る運命だったのだと、そう自分を納得させることができそうだった。

周りを見渡すと、あいかわらず境内に人はない。

なので、私が被写体になっても問題なさそうな感じだった。

昔のカメラは遠近やズームなど効かない。

意外に写すことができる範囲が狭い。

フレーム全てに収まらない。

塔の先が入らない。

フレームを覗いて五重塔を枠内すべてにおさめようとするとだいぶ離れた位置から写さないといけないことに気づく。

 

 

 

ほぼ出口付近まで来ていた。

出口あたり、

守衛さんらしき人がうろうろしている。

話しかけてみた。

すみませんがシャッターを切ってくれませんか、と、

あらかじめ、シャッタースピードと絞りを調整しておいてフィルムも巻いておく、

50歳ぐらいのおじさんであろうか、

人も少なく暇そうだったので、問題なさそうに引き受けてくれた。

先ほどの肩掛けの紐も切れて、外側のケースもボロボロなカメラを手渡す。

ここを押すだけで良いですと伝える。

カメラを渡すまえにもう一度、絞りを調整する。

守衛さんは、私のファインダーを覗きながら、私の位置を少し細かく、もうちょっと左などと指図してくる。

一枚シャッターを切ってくれた。

「せっかくだから桜の木もはいるようにしましょう」と守衛さんが言う。

守衛さんが続けてシャッターを押そうとするので焦る。

昔のカメラなのでフィルムを巻かないとシャッターは切れない。

守衛さんのところまで近寄って、シャッターを巻く。

もう一度、数十メートル守衛さんから離れて、守衛さんが言う、桜の木というものの近くに移動する。

が、桜はまだ咲いてはいない。

守衛さんが二枚目のシャッターを切ってくれた。

お礼を言いながら守衛さんへ近づく、

ずいぶん古いカメラですねと言いながらカメラを私に戻した。

守衛さんの話しでは、まだ咲いていない、これから咲くのをまっている桜の木は有名だそうだ。

あと、1週間ほどすると満開になって夜のライトアップの時も人が凄いとのことだった。

その木を眺めると、まったく、まだ咲く気配もしない。

この桜の木があと1週間ほど、3月の終わりには満開になるとはあまり想像ができない。

ほんとうに桜は不思議だ。

いつの間にか、あっという間に咲いて、

そしてあっという間に散る・・・。

守衛さんに色々とお礼を言って、東寺を去る。

これから、どこへ行こうか、

11時に八坂神社に集合なので、八坂神社付近で行ったことのない場所を地図で探す。

正確にいうと昨日の夜に行くところは決めていた。

知恩院には行ったことがなかった。

八坂神社から近い。

東寺からバス一本で行けた。

東寺のバス停から、ほどなくバスが来たので、ずいぶんと空いていた席の後ろに座って京都の街をながめる。

しかし、途中、昨日いた四条あたりにさしかかるとどんどん人がバスに乗車する。

鴨川を過ぎるあたり、もう満員と言ってよかった。

祇園で降りるのだが後ろの席から人の間をぬって降りる。

冬に訪れた八坂神社の赤い鳥居も目の前だった。

知恩院には千姫のお墓があるとのことで、そこまで行こうと目指す。

八坂神社に9:30頃、1時間あたりで戻れるだろうか、と考える、

京都の観光地がどれくらいの時間かかるのかわからない・・・

そして、歩いて、知恩院の門までたどり着く、

ただ、ただ、でかい、

ここでもフィルムカメラを使った。

 

 

 

11時の時間も近づいているので、とりあえず駆け足に近い速度で山を登る。

千姫のお墓を探すのにけっこう迷ってしまった。

知恩院の七不思議もゆっくりと見てみたかったのだが、時間的に無理だと察してあきらめる。

お墓は人がいない。

少し高い場所なので、景色、ながめはよい・・・

階段をのぼりながら、すれ違った人が、お彼岸なのでどうのこうのと話が聞こえた。

普通に墓参りをしている人だろうか、

そっか、もう春分か、

日の時間が12時間になるのかと気づく。

家のお墓参りにもいかないといけないとふと思った。

思いながらも、色々と道に迷ったので、もう10:30近く、

あと30分ほどで戻れるだろか、

急ぎ足で坂道をくだる。

行きに来た場所を早足で歩ききったら、11時ぎりぎりに八坂神社にたどりついた。

千聖さんが鳥居の前にいて、口に近づけた手を温めていた。

寒いのだろうか、

考えたら、京都のこの日が寒いのかも良くわからない。

晴れていたが3月の中頃を過ぎた、彼岸前の気温は、ここではまだ肌寒いのだろうか、

千聖さんしかいなかったので、待たせてしまって申し訳ないと思う。

竹川さんとはるさんは、朝に伏見稲荷に行くとのことだった。

しばらくすると横断歩道むこうで信号が変わるのを待っている二人の姿を千聖さんが見つけた。

千聖さんは、昨日、家に帰ってからメールを打ったり、色々としていたとのことで、なんだか、京都へ来て時間を使い、仕事の邪魔をしているようでもあって、申し訳ない気もした。

信号を渡った竹川さんとはるさんにも挨拶をして、八坂神社へむかう。

伏見稲荷は朝早くても混んでいたとのことだった。

八坂神社の境内は冬に来た時と同じく、

縁日のように色々な食べ物が並ぶ。

お参りをすると、お守りやら、色々な物がならぶ社務所があった。

千聖さんとなんとなしに眺める。

おみくじがあったので引いてみた。

実は、去年の冬に来た時もここへ来ておみくじを引いた。

どんな結果だったっけ、たしかお財布に残っていたような・・・

そんなことを思いだす。

冬にきた時は巫女さんにお金を渡したところ、はじめに引いてから番号を教えてくださいと言われたことを覚えていた。

十六番、

千聖さんも、おみくじを引いた。

これ6番ですよねと私に確認する。

私が引いたのは漢数字の十六、

千聖さんが引いたのは数字の6、

同じおみくじなのに、なぜ漢数字と数字、

表記が違うのだろうかとふと思った。

十六は、いうまでもなく十六だが、

6は、捉え方によっては9にも見える。

天地が表されていない。

が、私の引いた十六とおなじ天地であれば、「6」だろうと思い、

「6だと思います」と答えた。

社務所は同じようにおみくじを引いた人が並んでいる・・・

巫女さんに番号を告げるまで、人が並んでいたので、番号を忘れないか私は焦る・・・

前に並ぶ若い人間がはしゃぎぎみに数字を伝えるので、私の数字が頭の中で上書きされないか・・・

巫女さんに番号を伝える。

何みくじですか?と、

恋みくじな訳なかろう・・・

普通のですと返事をしておみくじを受け取る。

半吉。

歌でおみくじの内容を知るのは面白い。

「神風の八坂の郷とけふよりは君が千とせとはかりはじむる」

永久に栄えゆく第一歩を歩み始めるという、めでたい御啓示とせよ。

と、おみくじに解説もついていた。

千聖さんは吉だっただろうか、

そのあとで、はるさんも来ておみくじを引く。

こちらは大吉だった。

後からきた竹川さんもおなじくおみくじをひく。

十六番だった。

ああ、おなじ、

結果がわかってしまうと焦る・・・
というか、おなじ十六番だと結果はおなじなのだろうか?

あたり前だが、戻ってきた竹川さんのおみくじも同じ結果だった。

おみくじの数は何番まであるのだろうか、

4人がいっせいに引いて、同じ数がでる確率とはどれくらいなのだろうか、とふと考える。

思い思い、ひいたおみくじの結果をながめる。

個人的な、おみくじについて考えることは、

末吉がいちばんなのではないだろうか、といつも神社でおみくじを引く時は思う。

末、行く末が、未来が吉なのだから、

それより上になればなるほど、頂点が近いので、

頂点にたどり着いたら、後は落ちるだけになってしまう。

おみくじは末吉がいちばん良いと、むかし田舎の親戚のおばさんが言っていたことをふと思い出した。

と、言っても、おみくじはおみくじ、

その文面の内容でいくらでも、良いようにも悪いようにもとれる。

おそらく、こういうのは本人の中での解釈のしかた、考え方がいちばん大切なのだろうと思う。

おみくじを眺めたあとに、

なんとなしに八坂神社を出る。

途中で和菓子のお店に寄って、清浄歓喜団というお香を練り込んだ和菓子を皆で買って、少し休んでから、圓徳院へ向かう。

竹川さんのAMEXカードでないと入れない茶室があるとのことで、少し緊張しながらも中に入いる。

靴を脱いで、中に入ると、先ほどの八坂神社や、ここまで歩いてきた観光客が多い道と違ってひっそりとしていた・・・。

出されたお茶がしょっぱい、お上品すぎる。

なんだが、しーんとしていて、突然、喧噪から離れた不思議な感覚の場所だった。

よくよく考えると圓徳院、秀吉の正室のねねとゆかりがあるということだが、昔、時代小説を読んだつもりだったのだが、ねねという人物がピンとこない。

秀吉の妻は、淀君と違うのか、

などと考えながらスマートフォンで調べる・・・

正室が高台院(ねね)で、側室が淀君と、調べてはじめて知った。

お茶を飲み終わって、ゆっくりしたら、

庭園に進む。

箱庭や写経もできた。

竹川さんに写経をすすめられる。

そうしたら健康でも願っておこうと、筆ペンを使って、健康を祈る。

 

 

 

縁側はちょうど陽射しが差し込む方向で、ぽかぽかしていた。

竹川さんと腰かけながら、庭をながめる。

春が来た陽射しだった。

晴れていて、ちょうどぽかぽか暖かい。

写経をしていた中の方は、日陰ですこしひんやりしていたのだが、縁側にくるとちょうど良い暖かさだった。

昔の人がここで同じように、この庭の景色をながめたのなら、

同じように、春がきたなぁなどと、おなじように春分が近い時期に日向ぼっこをしながら考えたのであろうか。

竹川さんと、ぽつりぽつりと、竹川さんが集めていたという鉄道模型の話しなどをする。

やっぱり、竹川さんにとっては電車ってとても大切な思い出なんだなってあらためて知った。

それでも、借金を返さなくていけなくて泣く泣く手放した想いが話しを聞いてほんとうに伝わってきた。

私には手放して、寂しいものってあるだろうか、

例えば物でも・・・

考えてみたら、あまりない・・・

私はずいぶんと物に対しての想いを手放してしまった気がする。

去年の夏に色々と捨てることを知って、もう、物はあまりいらないやとそんな感覚になったが、

・・・それはそれで寂しいのかもしれない。

もうひとつの奥の方の庭を観てから、4人で圓徳院を出る。

その後で、近くの前田珈琲に入って、お昼ご飯を食べつつ、

色々な話しをする。
といっても、私はもっぱら、聞くことが多いのだが・・・

途中、外国人が店の中に入ってきて、ドラフトビールあるか?と店員にたずねていた。

店員さんは、ないと即答する。

ハイネケンがあると言っていただろうか、

「ドラフトビール」あらためて言葉を聞いて、ドラフトビールってなんだろうと考える。

なんとなくスマートフォンを開いて調べる、ドラフトビールとは樽出しのビールのことだとはじめて知る。

考えるとビールの種類は豊富だ、エール、ピルスナー、ラガー・・・

あげたらキリがないが、じゃあそれが何なのか、説明せよと言われてもできない。

いや、いつか調べたことがあるのだが、はっきり言ってちんぷんかんぷんだった。

たかが珈琲店なのに、例えば、他の種類もあるのかと聞かれて、ここの珈琲店の店員さんは答えることができるのだろうか、と考える。

私が店員だったら、ドラフトビールがあるかと聞かれてそうとう戸惑っただろう、

ふと、昨日の、一日目の外国人が何を聞きたかったのか頭をよぎる。

もしかしたら、ドラフトビールがあるのかと聞いてきたかもしれない。

可能性はゼロではない。

じゃあ、答えられたであろうか、

きっと、スマートフォンを開きながらあたふたしたであろう、

やっぱり、そのまま去って正解だったのかもしれない。

そんなどうでも良いことを考えながら、

ご飯を食べ終える。

ブログの話しのこと、

お店を持つこと、

人力車のこと、

そう、私の席はちょうど、目線の先は坂道で、人力車が着物の観光客二人を乗せて、坂道をのぼっていた。

人力車を見て、面白そうとふと声を出す。

私の視点では、ひっぱる方が面白しろそうという意味だったのだが

最初はあまり理解を得られなかった。

乗る方ではなくて、仕事としてひっぱる方・・・

なぜなら、あまり頭を使わずに、ただただ、車を引っ張っていれば良いという単純な考えだった・・・

浅はかなのかもしれない。

ふと、思ったぐらいのことで、

だが、でも、肉体がつらいのはいくらでも我慢できそうな気がした。

仕事で感じていたストレスに比べれば、肉体がいくら悲鳴を上げてもいつかは慣れるし、なんとかなるのじゃないかと考えたことがある。

そう言えば、ランニング・・・なんで走るのか、

もしかしたら、会社の嫌な上司と肉弾戦で戦わないといけない時があるかもしれない、
言葉で勝てないのであれば、いつか来るかもしれない体力勝負では勝てるようにしておけば良いかもしれない、

どうしようもなく走って逃げなければ生き延びれないシーンが仕事場で訪れた時に、嫌なやつを置き去りにして走って逃げる体を持っていれば・・・、

肉体では最終的に勝てるだろうか、と、考えながら走り続けていたこともある・・・

所詮、人間も動物だ。

最後は理屈や頭でなくて、肉体で生き残るしかないのではないだろうか、と考える時がある。

偉そうな口を叩き、言葉で威圧して、

そんなやつらにも、肉体では勝てるだろうかと考えた時がある・・・

だから人力車はできるかもしれない・・・と、安易に考えたことがあった。

だが、話して、はるさんも千聖さんも、人力車は話さなくてはいけないですよと諭される。

そんなものかだろうか、

ただただ、ひっぱるだけではだめなのだろうか、

観光地に詳しく、説明も必要と言われた。

そっか、サービス業か・・・

面倒だなぁと、

秘境の温泉街の坂道を、観光でなく、ただ人の運搬として行き来するのであればできるかもしれないと、まだ、こころの中であらがう・・・

そんな話しをしながら、
途中、飲み物をはるさんが頼むので、みんなも食べる。

アイミーと、冬にきた時に、なんだろうって、

加糖の飲み物と、

甘い抹茶のお菓子と一緒に加糖の飲み物を頼むのはどうかとも迷ったが、せっかくなので頼んでみた。

甘い・・・

ただ、ただ、甘い・・・

ガムシロップを飲み干しているのではないか、胸がやける甘さ・・・

甘い飲み物はほんとうに久しぶり飲んだ・・・

記憶にないぐらい久しぶりに飲んだ・・・

飲んでない期間分の加糖をすべて、体に埋め尽くすがごとく甘かった・・・

そして、なんだが、負けてしまった気がする・・・

やはり観光地は誘惑だらけだ・・・

アイミー、珈琲というよりは、ミルクにただただ、加糖を加えた冷たい飲み物だった。

いつの間にか話していると陽が暮れてくる。

人力車もなんどか通り過ぎた。

そして着物の女性が多い・・・

閉店の時間まで4人で過ごす・・・

会計が別なのだが、4人が何を頼んだのか店員が覚えていて、わざわざ申告しないくても良いのが驚く・・・

外は、夕闇に近く、

そして昼の陽だまりと違って、少しひやっとしていた。

人力車のお兄ちゃんは、確かに、ずいぶんと高いテンションで観光客に接していた。

一瞬で無理だとわかった・・・

お店を出たあたりのひんやりした空気は、それでも、もう陽がながくなっていて、

春が近い独特な、夕闇なのに明るさが残る気配がする。

それは、陽がなかなか落ちづらい感覚と言えばよいだろうか、

でも、どこか浅い闇夜もせまっていてきている。

坂道を下りながら考える。

たぶん、桜が満開の季節に、こんな情緒のある京都の街並みを歩いたら、

それこそ桃源郷にたどり着いたと感じてしまって・・・

きっとこの世に未練が残らないのではないだろうか、と、ふと思う。

春はだから怖い・・・

一瞬の美しさが怖い・・・

だから、ほんとうの春がくる前の時期、まだ桜が咲かない時期に来てよかったのだと思った。

きっと完璧に綺麗な物をみたのであれば、

もう、それで、全てにたどり着いてしまう気持ちになってしまいそうだった・・・。

ぶらぶらと歩きながら、祇園の街並みを歩く。

川沿い、

京都はほんとうに川の流れと、街の音が印象的だ。

夕闇と灯りにぼんやりと浮かぶ店並み。

京都の街は、音楽が流れていない。

東京の繁華街のように、うるさい店のBGMやら、適当に流す歌が耳にはいってこない。

だから京都の街の夕闇は不思議な感覚だ・・・

人は多いのだが、そこに聞こえるのは、ただ、人が歩く音と、人の話し声、

活気があるのだが、それが、東京や、それ以外の地方都市の街の中心とは違う雰囲気だ。

とにかく、人の歩く音がよく聞こえる。

不思議な感覚だった。

例えるなら、神社の縁日のような感覚だろうか、

ぼんやりと灯りがともる店並み・・・

暖かかった昼の温度がかすかに残る肌の感覚・・・

薄く染まった空の色・・・

とても幻想的な祇園の街並みだった。

ふと、私だけがこんな景色を見てよいのだろうか、と感じてしまった。

家にいる母、あの人はほんとうに出かけない、

母にはいつか外国の景色を見せたいと思っていたのだけど、京都の街でよいだろうかと考える。

私と母は仲が良くないので、できれば、次女、能天気で母と仲の良い二人でここに母が旅をしたら喜ぶだろうか、と思った。

少し心が痛い。

祇園の街並みを過ぎて、川沿い、

月と、空のコントラスト、咲き始めた桜・・・

その後で竹川さんの思い出の喫茶店である田中珈琲に行った。

夜、今日こそ、しっかり寝ないと思って、

重めのものを食べたかった。

ハンバーグサンド・・・

こころの中でよだれがでる。

私はお腹が減っていると、夜、寝ることができない・・・

竹川さんが言うに、30年も変わっていない喫茶店、言われてみればそうだし、何も言われなければ、そんなに古い感じもしないかもしれないと、

お店をながめて思ってしまった。

はっきり言うと、何を話したのか覚えていないというか、

ノートに書いたというか、

手持ちぶたさに手を動かしていたというか・・・

それでも、竹川さん、はるさん、千聖さんと4人で京都の街にいるのは不思議な感じがした。

といいつつ、はやく帰って温かい湯舟につかりたいという相反する気持ちも、どこかちらほらする。

21時を過ぎて、二日目が終わろうとしていた。

お店を出て、

もう真っ暗になった京都の街はさすがに少し寒い・・・
昨日と同じ時刻か、

やっぱり春が近い夜だと感じる。

川沿いの夜は綺麗だ。

わざとこうサラサラ流れるように見えるように川が設計されているのだろうか、

気が流れていく感覚が気持ち良い。

若者の喧噪がやたら目にはいって避けながら歩く・・・

そういえば、一日目、昨日の夜、帰り道にスマートフォンで探している時に声をかけてきた若い男性二人がいたのを思い出す・・・

京都の街は詳しいのでと近づいてきた。

ああいうのは、本能的に怖いと感じる・・・

にこにこさわやかなので、さらに怖い・・・

ほんとうに困っていればこちらから聞くから黙っていてくれないだろうかと、あの時に思ったのだが、

そういえば、私に声をかけてきた外国人、そっか、ほんとうに困っていたのかもしれない・・・

・・・・・・

はるさんは、伏見稲荷の宿なので、地下鉄を使うところで先に別れる。

背中を眺めていると、あっという間にひとごみの中に消えていってしまった。

竹川さんと千聖さんと三人になる。

商店街の中にある、信号が赤だとなぜかドキドキするのだが、

それは、立ち止まると何を話して良いのか考えてしまうからだ・・・

だが、その日は、なぜか目の前の信号が赤でも、横断歩道に近づくと待っていたかのようにグリーンライトになる、

面白いくらいに3つ続けて、信号がタイミングよく緑に変わっていった。

春に近い夜は歩いていて気持ちがよい、
きっと、考えてみたら、去年の冬にきた時はこんな感情ではなかった。

もっとこころも体もこわばって、

緊張していた。

そして、烏丸通りに出れば、ひとりになれるというのがあったからだろか、

明日は一人で京都を歩けるというどこかそんな気持ちもあったのだろう、

私が左に歩いて竹川さんが真ん中をあるく、千聖さんが右側、

交差点が近づくにつれて、少し、なぜだか涙が出そうになった。

よくわからない・・・

ただただ、そんな感情を真に受けてしまわないように、反対側の道路のビルを眺める。

交差点で二人と別れる時、

信号が青、

交差点で左折のタクシーが待っていた、

とりあえず、タクシーが気になったので、足早に横断歩道を渡る。

向こう側の竹川さんと千聖さんに手をふって、一人になった。

あとは、昨日と同じ、京都タワーが光る方を目指して宿へ帰るだけ・・・

あっという間の二日間の気もしたし、長かった気もした。

歩きながら、昨日と同じように気持ちを整える。

昨日と同じようにコンビニで水とビールを買う、

もう、制限していたお酒も飲んでしまおうと、昨日に続き、ここはストッパーがはずれた・・・

あとは、最後、明日、三日目、

私はやらねばいけないことがあった。

つづく

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