ブログをつくる仲間の人たちと、
今年の3月に伊勢神宮へ行ってきました。
私が出会うブログ作りをしている方々は、神社仏閣や歴史に詳しい人が多いです。
それで、伊勢・京都など、日本の歴史フルコースな土地に訪れて感じたことになります。
「歴史的と言われる建物」を観ても、どうやらあまりピンとこない・・・。
感想としては、
「凄いなぁ」とは思います。
「おおぉ」という感覚はあります。
目の前にある存在感に圧倒もされます。
教科書やガイドブックにでていた建物かなど・・・
聞いたことはあるけど、訪れたことがない場所にきた時のワクワク感も大好きです。
ですが感動が少し浅い、と言えばよいでしょうか。
これについて、訪れてから時間が経って少し考えたのですが、
いちばんの理由は、その場所に対しての知識が圧倒的に少ない・・・ということがあります。
せっかく訪れたのですが、訪れる前の勉強不足です。
逆に後で調べてなるほど、と思うことのは多いです。
歴史に詳しくなければ、細かい背景などわからないのでそりゃそうなのですが・・・。
そういえば、歴史ってどんな感じで勉強していたっけ、と、
少し思い出します。
歴史は私にとってはひたすら暗記・・・
ですので、人名・地名・事変などの単語は覚えているのですが、物語のような「流れ」がはいってこない。
だいたいそれがなんなのか覚えていないのです。
そもそも歴史に限らず、学校でやる勉強の要領がわるく、順序や流れで理解するのがかなり苦手なタイプでした。
ですので、勉強はひたすら流れを理解することをあきらめてぶった切って、暗記・・・
脳をひたすら筋トレするような勉強方法と言っていいのか・・・。
歴史に限らず、英語も文法・構文を理解するのが面倒なので、試験範囲すべてのページを暗記するような試験勉強。
ですので、中間・期末などの学期試験はしのげるのですが、その時の勉強の方法がおおもとを理解していないので、受験にほとんど役に立たない勉強方法でした。
おそらく、学校のくくりで勉強できる人って、要領よく一番ショートカットで結果を残すようなやり方だったのだろうかと思います。
いちいち私のように教科書を丸暗記するのではなくて、もっと、効率よく、ポイントだけをおぼえて解答をする。
歴史なども物語みたいに理解する。
英語も文法など応用できるように理解するという感じで・・・。
それで、歴史なのですが、
なぜ、頭にはいってこないか・・・
少し考えてみました。
結局、
そもそもあまり人物に興味がない・・・という理由があります。
時代小説も昔に少し読みましたが、けっこう読んでも、今でも小説の背景の歴史の出来事がどうなったか、
すぐ忘れるのです。
じゃあ、なにが興味あるかというと、歴史の結果よりも、歴史小説のストーリーの方で・・・
日本書紀なども、ストーリーという意味では面白いのかもしれませんが、どうも人名のところですっと入ってこないのですね。
あとは単純に日本神話の絵がちょっと苦手という、うまく伝えられない感覚があります。
ちょっとだけ怖い・・・。
・・・
それで、もう少し考えてみました。
歴史的建造物と自然を観るのにどんな違いがあるのか、
それは、
なんか建物というのは、それが古ければふるいほど、そこにある情報量も多く、なんだがみていてノイズのようなごちゃごちゃがある気がするのです。
寺社仏閣もそれが千年以上前だからありがたいなど、
もちろん、そういった感覚もあります。
単純に知識不足なだけの後付けの感覚かもしれません。
ですが、ただ古いだけでありがたいという以外に、
例えば、歴史が古い場所などにたくさんある建物も今で言えば、
都心に乱立するビルの群れとおなじことではないのかと感じたのです。
神社仏閣は、権力や地位の象徴でもある。
あとは思想・宗教などなど、
その存在が権威あるものであればあるほど、建てた側の主張が激しい気がします。
例えば、それが現代の新宿のビルの群・・・
技術を争うように高く築かれた塔・・・
最近ですと、新国立競技場の建設はほんとうに必要だったのかという話もありますが、
私のように歴史の背景を知らない人間は、ただ、古いからと神社仏閣をみてまわってしまいますが、
それって、逆に考えると、
1000年後の人たちが、もし、新宿などのビル群をみてありがたがっていたら、(残っていたらの話しですが)ちょっと驚きます。
今、現時点で、都心に行って、
新宿などの高いビルが迫る場所にいると、見ていて、苦しい・・・
過去の仕事場でのこと、
あの建物の中でおきていた日常・・・
昔の人も、新しく建てられる塔やらなんやらをみて、
どんな気持ちだったのだろうと想像してみました。
私が昔の建物が並ぶ場所に訪れた時のように、昔の人は、同じように凄いと感じたのだろうか、
凄いだけでなく、
当時の政権が・・・ですとか、
思想が・・・などと、
壮大な建造物をみて、新宿のビルをみてブルーになるのと同じような感情がもしかしたら存在したかもしれない。
建物の歴史が長ければながいほど、
たくさんの感情が存在するような気がします。
それが別の角度、例えば、建築の観点でみると面白い、
そもそも基本的な部分ですが、歴史背景に詳しいということでれば、違う感覚だと思うのですが、
なにぶん、そういった知識が浅いので、
そんな人間が古い建物をみると、
やはり、ただなんとなく凄いという語彙しか見つからず、むしろ、なにか私怨のようなものだってあるんじゃないかとすら感じるのです。
たぶん私は、いや、たぶんでなく、
感覚的な人間なのだと思います。
頭の中だけが体育会系で、理屈で覚えるよりも感覚で覚える感じです。
理屈づけてですとか、系統だてて覚える・考えるのが苦手で、
ですので、
歴史的な建物を観るとなんだか、圧倒的な、見えない情報が伝わってくるのです・・・
反対に自然の方は見ていて楽です。
面白いという感覚もありますが、楽という感覚の方が近いんじゃないかと思います。
それは、おそらく、同じ風景でも、その時の気温、光、気象条件によって、随時、情報が更新されているので、
見える景色は同じようで新しい。
だから見えたまま、目にはいったままの情報しかない。
という、いち感覚人間が考えた、
見える景色の感じ方についての感想になりました。
読んでいただきまして、ありがとうございました。
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