続き、
星空を観たあとに寝ようとしたが寝ることが出来ない。
宿の空気が暖房で乾燥しているようだ。
真上からの温風が喉と肌を乾かす。
おまけに父はこの部屋でタバコを吸うので、鼻にタバコの匂いがつきまといどうしても眠くなれない。
一日の疲れと、星を見た興奮と、明日というかもう今日、上高地へ行くことを考える。
しっかり寝なくてはいけない、と、思うとなお眠りから遠ざかってしまう。
窓際のテーブルが置いてある広縁の部分になんどか行ったり来たりし、窓から空気を入れ替える。
乾燥で寝られないのかわからないが、気休め程度に濡れタオルを部屋の中で干す。
タオル掛けが見つからないので、そのまま旅館の鴨居にハンガーにかけたタオルをつるす。
午前3時になっても寝られない。
父がさすがに物音で起きる。
お風呂入ってくればと、ちゃんと起きているのかわからない。
俺はどこでも寝れるしと、私が寝れない原因が父のタバコのにおいであることに気づかずに少しイライラする。
もう眠れない、と、確信したのでお風呂へ行く。
廊下はあたり前だが誰にもすれ違わなかった。
午前3時のお風呂は誰もいない。
ただ人気のない空気に白色の明かりが灯るだけだった。
お湯にいくが湯気で視界がはっきりしない、裸眼であったこともあるがこんな時間に人に出くわすのは少し怖い。
ただ、人がいるのかいないのかわからないのだ。
体を洗って湯船に入る。
さすがに露天風呂へは怖くていけない。
着替えるところの物音がすると恐る恐る振り返るが誰もいない。
まったく、静けさの底にきてしまったような気持ちになる。
温泉の窓側のガラス戸がガタガタと震える。
音だけで外の寒風がどれだけのものかわかる。
誰かが廊下を渡るような音が聞こえる。ちゃんとミシミシ音を立ててあるくのだ。
露天風呂へつながる廊下だろうか、猿があるいていたりするのだろうか、
結局、温泉ではあまり心をしずめることができなかった。
あまりにも異次元だった。
まるでこの世ではないどこか。
今日、朝から出かける予定がなければここにとどまっておきたかった少しでも、もう一度部屋に戻って寝なくてはと思う。
そそくさと着替える。
シーンと静まり返った廊下、鎧兜、絵画、をすり抜けて部屋に戻る。
部屋は相変わらずエアコンで乾燥していたので思い切って切った。
とにかく横になって何も考えないように努力した。
寝たのか寝ないのか、まったくわからない。
少しは寝ただろうと言い聞かせ、父の物音で私も起きる。
父は温泉に入ってくるとのことだった。
私はここを旅立つ支度をする。
必要な物をカバンへ納め、荷物をまとめる。
父は朝から相変わらずタバコを吸うので、部屋の窓は開け放たれたままだ。
父がいない間に浴衣から着替える。
布団も畳んでしまう。
ほんとうであればもう一度、昨日の夕方に一人で行った冠水渓をみたかったのだが、なにしろ寝不足で頭がぼーっとしている。
もう星を見てしまい気力を失ってしまったところがあった。
外の空気を窓前回にして入れ替えると、とんでもなく冷たい風がはいってくる。
朝方6時を過ぎた空は曇っているように見えたが、太陽の光の加減のせいであった。
白んでいただけで、陽が立ち込めるとどんどん空の色は青く濃くなり、空は見事な快晴とわかった。
私は出発する時も、着た時のように旅館の人が荷物の持ち運びをしたりするのが気まずいので、今のうちに運べる荷物は車に運んでしまおうと考えていた。
何かと慌ただしく、部屋の片づけをしていると途中で鼻血が出てきてしまった。
それほど乾燥していたのか、また父が戻ってきたら心配するので私は止めることに必死になった。
必死になればなるほど、鮮血な色が指に触れる。
私は洗面所にあったバスタオルに必死に手を伸ばし鼻を抑える。
中から切れたのだろうか、それとも入口だけだろうか。
ここは標高が高いのでそのせいだろうか、寝てないせいだろうか、
寝不足の頭の中でぼーっと考える。
もしかしたらお湯に三度も入ったせいだろうか、鼻血が出たなんて記憶にないほど遠い昔だ。
タオルで抑えてもとまらないので鼻にティッシュを丸める。
バスタオルに血の色がかなり広がっていたので洗面所で流す。
手で洗っていれば簡単に落とすことができた。
タオル掛けは、洗面所にあった。
バスタオルを折りたたんでカゴへ入れる。
夜中乾燥を止めるためにかけようとしたタオル掛けは、見つかってももう使うことはない。
血まみれのティッシュもどこかに片付けなくてはとしていると、父が温泉から帰ってくる。
この場を少し離れたいので、父に荷物を車の中に運んでしまうねと言う。
私は鼻にまだティッシュを詰めていたが、風邪気味だと伝えていた父は特に心配しない。
私は他に血のついたティッシュをポケットにしまって外に出る。
ショルダーバックと多きなリュックの二つを抱えながら、まだ朝、静まった館内を歩く。
そういえば、昨日ひとりでここを詮索した時に共同のお手洗いがあった。
見つけて中に入る。
真っ暗でどこに蛍光灯をつけるのかわからない。
まだ誰も使ってないし従業員もまだトイレの電気をつけてないのだろう。
入口のドアを半開きにし、廊下の光で中の電源を見つける。
電気をつける。
トイレの鏡に映った私の姿はまるで一気に老けて、肌も乾燥し、あからさまに寝不足であること、そして鼻にティッシュを詰め込んだ姿は腑抜けそのものであった。
血が染み込んだティッシュの処分にこまる。
このままゴミ箱に入れようか、しかしこんな鮮血の紙を残しておくのは少し気持ち悪い。
私はカバンを抱えたまま個室の扉を開ける。
チリ紙を流すのに躊躇ったがポケットに丸まったティッシュペーパーと左の鼻の穴に詰め込んだ血染めのティッシュをトイレに流す。
少しよろけて方のカバンをトイレの床にゴロンと落っことしてしまった。
来た時のまま、電気を消してお手洗いを出る。
さすがにフロントの方まで行く道順は覚えた。
フロントを通る前に、もうこの朝の時間に昨日の夜、父とロビーで話していた男性の従業員が誰かと話している。
私の視界が入ったのかはいらなかったのかわからない、私はそのままフロントまで一気に進んで、つっかけを足で拾って外に出て、荷物を車に放り込む。
部屋に戻る時は、もう朝に光もだいぶ上り、人の気配も漂い、館内全体が目覚めようとしていた。
部屋について父も着替え、窓側に座っている。
布団の畳み方はこれで良いのかなって私はたずねる。
布団は適当で良いけど、何しろ知り合いが働いているから部屋はできる限り綺麗にしといた方が良いねと言うので、私は洗面所に散らばった水などを備え付けのバスタオルで拭く。
みかんだのの皮もゴミ箱まとめる。
父はテレビをつけてくれないかと言う、そしてまたタバコをつける。
テレビからはやかましい朝の民放のニュースが流れる。
こんな所まで来て、東京の日常を知りたくない、という感情がわいてくる。
一言で言うとうるさい。
そして父は窓側でまたタバコをふかす。
私はそれに、内心いらつく。
静けさを求めて、そして綺麗な空気を求めて、ここが素敵なところなのに全て自らで壊している。
綺麗な空気も密閉された部屋では、タバコが充満して、まったく綺麗ではない。
騒がしいテレビも日常を思い出してまったくここでは不釣り合いだった。
私は少しばかりの抵抗で窓をずいぶんと大きく開くが父は無関心で鈍感を装ったのか、私の行動に気づかない。
寒くないかと的外れなことを言う。
なんで昨日眠れなかったのかねという言葉も寝不足の私の頭には少しイライラを増やさせた。
おそらくタバコのにおいがあったからだと思う。
私はなんでだろうね、たぶん乾燥だよと、気持ちの中とは裏腹に他のあたり障りのない言葉を選ぶ。
声は枯れてしまっていた。
少し頭も痛いのは確かで風邪のひき始めのような感じだ。
昨日、湯冷めしてしまっただろうか、父がルルを持っていたらしく、薬を飲むかとまた心配する。
私は大丈夫だよと、ほんとうに、熱がでるような感じでないしさと断る。
朝ごはんの時間になったので二人で食堂にでかける。
昨日の若い仲居さんがいた。
牛乳、リンゴジュース、水が用意されていたが、私たちは水をもらう。
温泉で炊いたおかゆがおいしい。
朝もちゃんと出てくる。
となりも母と娘で来たと思われる女性客もおかゆが美味しいといっている。
もうひとり別のお客さんは、ここの星空は綺麗ですねと言っていた。
若い仲居さんは星に興味がないのか、はたまたふだん忙しくて空をみる余裕がないのか、ここの夜の空についてはあまり詳しくなさそうだった。
若い仲居さんが、今日は上高地へ行かれるのですか、と聞いてきた。
もうだいぶ寒いのでと朝からとてもにこやかだ。
上高地は11月15日で入れなくなるとのことだった。
一番良い時期に来られましたねと言う。
〇〇さんが今日休みだったら一緒に行けたのですがねと言うと、父は、〇〇も休みたいだろうからそれは良いですよと世間ばなしをする。
ほどなくして、〇〇さん、父の親戚の仲居さんが仲居さんの格好で表れる。
きのうの夜フロントで男性の店員と話たこと、お土産のこと、少し話をする。
あまりそんなことでは困りますと小さな声で言うが、父もいやこちらの気持ちの問題だからと、
私は聞かないフリをして朝ごはんを食べ続ける。
上高地の話に切り替わり、とにかく寒いのでほんとうに無理をしないでくださいねと父に親戚の仲居さんがクギを差す。
仲居さんがいなくなる時に私も立ち上がってお辞儀をした。
その後で、仲居さんを仕切っている人がお礼を言いにくる。
私も少し話を聞きながら、父と一緒にお世話になりましたと立ち上がってお辞儀をした。
朝ごはんを済ます。
若い仲居さんも挨拶にきて、色々とお世話になりましたと父が話をする。
〇〇のこともよろしくお願いしますと、なお親戚の仲居さんも気づかった。
若い仲居さんは笑顔でこたえる。
部屋に戻る。
父は律儀にもアンケートを書く。
私は忘れものがないかを入念に確認する。
金庫もみるが忘れ物はない。
いつも父と二人の時はどちらかがなにかとんでもないことをして、事件がおこる。
例えば、子供の頃、インターチェンジで車の鍵を閉じ込めしまってJAFを読んで大変時間がかかってしまったことを思い出した。
大丈夫、もう一度確かめてフロントに向かう。
私は車にすぐに向かって手に持てるだけになった荷物をしまいに行く。
フロントには私は戻らずに玄関の外で待っていた。
父がニコニコと出てきて、見送りの女性店員と話す。
〇〇の親戚でして、どうぞよろしくお願いしますとまた律儀に挨拶をする。
きっと、ほんとうに心配しているのだろう。
年を取った見送りの女性店員は、あまりそれについては興味がないという感じでそっけなく、「そうですか」と話をする。
私は、はやく旅館を出たかったので父に車持ってくるねと言って、止まっている車に乗り込み動かす。
何か父と女性の店員が話をしていた。
私は会話が終わるまで待ち、二人で車に乗り込む。
カーナビでまた上高地の行先を二人で探す。
店員さんが朝の寒空の下で車がいなくなるのを待っていたので、私はスライドドアを落として、ありがとうございましたと告げて、先に車だけ出す。
途中で車をとめてカーナビの行先を定める。
秋の朝は、木漏れ日という表現がぴったりで、紅葉が差す光を黄金色に変えてキラキラとした光が揺れる。
私は行きに来た道、車が山を展望できるところまですすめた。
はっきりと晴れた山々の向こうに穂高岳だろうか、冠雪した綺麗な山肌がみえる。
どこまでも山深くそして空にも近い。
下を見下ろすと今朝までいた温泉の集落がほんとうにちっぽけに、それこそ、ミニチュアのように旅館が並んでいた。
父が車を運転すると言うので私は父と運転を変わる。
上高地へは沢渡(さわんど)までしか車ではいけない。
ここからはバスになる。
温泉から上高地行きのバス乗り場は30分ぐらいでついただろうか、付近までくると駐車場が多い。
車をとめて駐車料金を払う。
バス乗り場はどこか、駐車場の人に確認してそこまで歩く、途中タクシーで乗り合いでいかないかと言われる。
バスは30分に一本程度だった。
タクシーだとすぐに行けるしバス代とほとんどかわらない、むしろ安いと言わる。
私はどうする?と父に確認すると、父はバスで良いという。
私も急いでないしと声をかけてきた運転手さんへは、バスでむかう旨伝える。
父にバス券売り場まで行く途中に、タクシーじゃなくていいのってもう一度きくと、以前きた時にタクシーを使ったが、タクシーだと窮屈だ、バスは車高も高くて眺めも良いはずという。
なるほどなと思った。
父はまた相変わらず歩きタバコをはじめる。
駐車場の人なのかバス会社の人なのか、はたまたタクシー会社の人なのかわらかない威勢のいい話し方の男性から、これから先はゴミだしちゃだめだよと聞かれる。
父はわかったわかったと言いながらもタバコを吸うのを止めずに、そしてその男性に色々と話かけていた。
私は少し離れて静観している。
昨日、親戚の仲居さんからもらった上高地のパンフレットを眺める。
簡単な地図があった。
確かに上高地は歩く距離が長いとさわんどのバス停にきてはじめて知る。
有名な河童橋から穂高神社奥社までは一時間くらい。さらにその奥まで一時間くらい。
私は一人で、だったら問題なく行けた気がするが、なにしろ父がいる。
父も今朝はだいぶ疲れていたようだ。
どこまで行こうかと考えていたら、まだ父はバスターミナルの男性と話をしている。
何かあったのだろうか、私がかけていくと、父がなんか袋はないかな?と私に言う。
昨日車の中でゴミ入れにつかっていたやつないかなと、
おそらく男性からゴミ袋をもっていくように言われたのだろうか、私は、駐車場にとめた車まで走りカバンの底をさぐると旅館からもってきたビニール袋を見つけた。
車のキーを忘れずにかけて、また父のところへ走る。
私たちは、さんざん仲居さんから寒いからと言われたので、まるでこれからスキーに行くかのような恰好をしていたので、地元の人たちからみたら珍妙な格好だったのだろうか、
悪目立ちだっただろうか、
父にビニール袋を渡して、父は男性にだいじょうぶ持っているというような合図をしてその場から離れた。
バス券を買ってバスを待つと、バス停の係員がいた。
シャトルバスは10分ぐらい待ってやってきた。
係員に案内されると、後からきた女性が先に入口で私たちを通りこしてドアが開くのを待つ。
係員が、あなたたちの方が先でしょうと言われるが、女性は動かない。
言葉がわからないのかもしれない。
私たちは、案内のまま先にバスに乗り込み父と並んで座る。
父はお前が窓側に行けと言うが、私はやや無理やり父を窓側に座らせる。
いつまで経っても、父は私のことを子供扱いだ。
ほんとうであれば他の席も空いていたので席は違えど二人で窓側に座ってもよかった。
バスは先のバス停から乗った客がいるのか先客がいる。
シーンとしている。
ハイキングの格好、キャンプの格好の人たちもいる。
父は構わず、お前は景色のよい方へとバスの中で話すのが、このシーンとしたバスの中では少し照れくさく大丈夫だとよ強めに遮るのだが、
父は風邪は大丈夫か、とか、実は薬を持ってきているけど飲むかとまたいらぬ心配をするので私は気まずい。
こういう空気を読めないところは、父の母である田舎のおばあちゃんに似ているなと思った。
おばあちゃんとバスに乗るといつも、いつも何か私のことを心配していた。
その心配が会話をつなぎとめる理由もあったのか、得てして的外れであったりもしたのを思い出した。
バスは沢の淵に沿って斜面を何度も登り、どんどんまた山を分け入っていく。
最初の観光スポットである大正池で降りても良かったのだが、大正池から河童橋まで地図をみると歩きで40分、二人でだと少し難しい。
父と河童橋までバスで行こうという話になった。
河童橋より先は本格的な格好でないとダメだと言われる。
バスの窓から外を見渡すと沢も山もどんどん明らかに澄んでくる。
紅葉の山々をバスがなだらかなカーブとともに道路を登っていく様は冒険的だ。
山が開けた瞬間に左の窓側でサングラスをかけていたハイカーが小さな歓声をあげる。
ワーとウォーとも言えない唸り声、そのあとで「めっちゃ綺麗ー!!」と、
私も歓声につられて左の窓の向こうに視線を移す。
視界が開けた先には、綺麗に冠雪した穂高連峰が飛び込んできた。
あ、これが朝、白骨温泉からくる時に途中の展望台から眺め、遠くからみた穂高連峰か、と、こんな大きな山の麓まで来たのかと、
とにかくでかい、そしてどこまで綺麗だ。
穂高連峰の頂上が雲ひとつない青空に、はっきりと見える。
私は大正池でおりた客がいたので、バスの中の空いた左側の席に思わず移動して山々を眺めてしまう。
ここはもう標高2000mぐらいまできているのだろうか、空がますます青い。
大正池を通りすぎてどんどん山の景色がはっきりしてくる。
まったくの快晴だった。
青は青でも、深い青、山頂の雪の白色のおかげで、空の青のコントラストは、なおはっきりとする。
河童橋に着き、バスを降りて、梓川沿いへ出る。
そこがなんとも、こんなに遠くまで、山深くまできたのに、平日でもかなりの観光客だ。
それは、昨日、白骨温泉で味わった、閑散とした晩秋の温泉地とは違った活気があった。
とにかく中国語が多い。
正直こんなところまできて、と予想外だった。
自撮り棒を掲げている人、スマホで記念撮影をする人、
風景を撮りたいのか、SNSに自分を載せるのか、どちらなのだろうか、と考える。
梓川沿いを河童橋の方へゆっくりと歩く、景色がほんとうに綺麗だ。
こんなに綺麗な川の流れをみたことがなかった。
穂高連峰を頂上に、降り積もった雪や、降り注いだ雨が、沢をつくり梓川となり目の前に流れ、綺麗な水を運んでいるのだと、
まるで何かの模型をみているかのように、手にとるように、この景色で自然の仕組みがわかった。
河童橋付近のお土産物屋、
綺麗なお店で、しかもフードコートのような佇まいのコーヒー屋さんもある。
なにかせ人の声が大きく、際立って聞こえる気がする。
自然の雄大さと比べると観光にきた人の明らかにわかるテンションの高さ、熱気に少し違和感をおぼえる。
父がコーヒーでも飲もうと言う。
コーヒー店に入るとどこかの団体できたおばちゃんが店内の席を椅子でまるく囲んでおしゃべりをしていた。
せっかくこんな自然に来たのに、外に出ないで中で井戸端会議とは、と、私は思った。
父がアップルパイを買ってくる。ここは長野なので林檎なのだろう。
外は風が冷たいがとても晴れていて光が眩しい。
観光客の賑わいは衰えない。
時間もお昼の12時くらいだった。
むしろますます増える。
私はほんとうにこの人の集まりが不思議に思えた。
同じ自然、目の前には雄大な山々、とても綺麗だ、こんな景色は10年以上前、ニュージーランドに行った時以来、久しぶりに見ることができた気がした。
でも、私は、昨日、白骨温泉の夜、ひとりで星空を眺めた雰囲気の方がよっぽど心地よかった。
私だけしかわからない世界だったからだろうか。
一人でずっと眺めた夜の空のことを思い出す。
上高地の景色に意識を戻す。
目の前には眩しくキラキラとカーブを描く梓川、陽の光、梓側の両端に並ぶ人。
父が言うには以前、父が上高地に来た時は5月、さらに人が多かったとのことだ。
私はやはり人込みが苦手なのかもしれない。
山の大きさと人の活気に少しつかれてしまった。
そしてたぶん寝不足もあるだろう。
父も心なしか少し元気がない。
私たちは穂高連峰を写真におさめ、私だけ川沿いに降りて梓川の水の冷たさを確かめる。
骨が痛くなるようなキンとした冷たさだった。
しばらく山を眺めると、山の頂上にガスが出てきた。
ガスが出ないうちに撮っとけばよかったねと父に言うと、ガスがある方が味があるんじゃないかと父が言う。
確かに、そうかもしれない。
父にはいつも、そうした余裕というか、どんな時でも前向きにとらえる頭があるなと、やはり私と頭の仕組みが違うのだろうか、と、ふと、瞬間的にそんな気持ちが頭のなかをかすめる。
来た道を戻り、バス停まで引き返し切符を買う。
バス停で待ちながら、父は同じバスを待つ人に声をかける。
本格的な山登りの格好をした男性だった。
11月15迄で山は閉まるんですか?と、今朝、旅館で若い仲居さんに聞いたことを父はバス停で待つ男性に話す。
閉山はたしかに11月なかば、それ以降ここへくるにはどうすればと良いのか?と父は男性に聞いている。
男性は歩いてくるしかないと言う。
閉山の時期にここまでくるのはよっぽどの物好きだと思いますと答えていた。
キャンプ場の使い方やら色々と父は好奇心旺盛に聞いていた。
バスが河童橋のバス停に到着し、バスへ乗り込み、さわんどのバス停まで戻る。
穂高連峰を背にバスが沢を下っていく。
上高地の旅はあっけなく終わってしまった気がした。
いっぱいに色々なことが詰まったのと、昨夜寝てないので眠気もあった。
帰りはそれぞれに景色が見える右側の窓に座る。
乗客みんなが右側に座るので、父はバスが傾かないかなと冗談をひとつ後ろの席から私に向かって言う。
バスが発車する。
しかし興味深い、一人で席に座ってあらためて山々を眺めると、道は先ほどきた河童橋の方から流れる梓川に沿って造られている。
つまり、昔、飛行機もなく地形もわからない時、それでも人がここまでたどり着けたのは沢を頼りに、この川沿いを上ってきたということだ。
沢の先には山の頂上がある。
あらためて考えればとてもシンプルで当たり前のことだが、長年生きてきてそんなこともわからなかった。
秋の陽の光は正午12時をすぎて、ますます紅葉を綺麗に映し出す。
途中、さわんど名前のつく、車を止めたさわんど付近のバス停が何個かあり、私たちの乗ったところよりもひとつ手前で降りてしまった。
父と観光案内所でもらった地図を頼りに、行きに乗ったバス停まで歩いて辿り着いた。
父はトイレに寄ったついでに、またバスターミナルの人と話をしている。
上高地へは11月15日以降どうやって行けば良いのか?
さきほど帰りの河童橋でバスの乗客に聞いたのと同じことを、今度は違う人に聞いている。
バス停の係員は、上高地行きのバスが1時間に2本しかなく、暇なのか父の質問に答える。
閉山した後に行くにはタクシーになりますと。
じゃあ行こうと思えば行けるんですねと聞いている。
父とバス停の係員が話をしている途中で上高地行きのシャトルバスがやって来た。
バスの係員は、軽装の観光客が急いで走ってきているのを確認しあと15秒で発車します。
15・14・13と冗談まじりにカウントダウンをする。
走ってくるカップルの観光客はそんなに正確なの?ってはしゃぎならバスに乗り込む。
会話を切り上げて、父と車に戻る。
タクシーでも行けるねって、行きもしないが行く方法があるんだねって二人で納得しながら、朝、車を止めた駐車場に向かって歩いて行った。
帰りは松本の市内までは父が運転すると言う。
きっと、まだ、私に景色をみせたいのだろう。
道路の看板には野麦峠、岐阜、書いてある方に行けば私の行ったことのない岐阜までつながっているだと帰りみちの車の中の景色をみて考える。
昨日の行きに来た道がまるでだいぶ昔のように、淡く記憶の片隅から思い出されていく。
小学校、酒店、消防署、こんな山奥にもあるんだと昨日、父と話をした建物を帰の道にまた通り、思い出す。
上高地線の新島々の駅があった。
今度はいつくるのだろうか、やはり旅の帰りは寂しい。
途中のコンビニで運転を変わり、松本市街を抜けるところは私が運転した。
いったん松本盆地に降りるがまた田舎の家に帰るには峠を通って帰えらなくてはならない。
15時過ぎ、もう秋の陽が傾いたころに家の近くまでつく。
さすがに疲れたのか二人とも言葉が少ない。
帰りにラーメン屋さんによって、その近くのスーパーで明日の朝ごはんの材料を買って帰る。
あさって東京へ戻るか?と父は私に言う。
私は良いよと答える。
明日、一日だけゆっくりして、その次に帰る。
ずいぶんと遠くまで行って、これ以上ない景色をみることが出来た。
もう、現実に戻り、帰らなくてはならない。
いつまでもここに居れない。居てはいけない。そう感じた。
家について服を洗濯機へ放り込む。
簡単にお風呂にはいって、その日は一人になりたくなって早く布団の敷いてある部屋に行った。
目をつむると白骨温泉でみた星空が思い出される。
今日は晴れているだろうか、もし晴れていたら一人で車を出してまた山の奥まで行ってきても良いだろうか、ふとそんなことを考えてしまう。
きっとまた父に心配をかけるだろう。
一人になると昨日の夜の星空の興奮が思い出される。
上高地の景色もよかったけど、私にとっては独り占めできた星空が何よりも心に残った。
やはり興奮して眠れない。
電気を点けて本を開いても文字が頭の中に入ってこない。
一度布団から出てトイレに行く。
まだ父は起きているようだった。
私は睡眠薬を取り出す。
ほんの少しだけ、と、
意識がなくなる・・・。
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