続き、
朝、目を覚ます。
朝と言ってもまだ午前4時くらいだ。
良く寝れた。
一番奥の洋室へ行ってガラス戸を開ける。
まだ空は真っ暗い。
街の灯りは静まり返って、近くを通る高速道路にごくたまに車のヘッドライトが流れてくる。
1台くらい。
時がとまってしまったかのような空気の音、乾いていて、ヒュッと冷たい。
慌ててしめる。
まだ4時、明るくなるまでどれくらいだろうか。
布団に戻る。
電気をつけて本を開く。
寒いので電気ストーブを着ける。
六畳の襖で囲まれた部屋はただ上を見上げると天井と、電気しかない。
布団が敷かれて、あとは昔の化粧台。
お勝手の方から音が聞こえた気がした。
どうしようか、私は朝に走りたくなった。
昼はこの前走ったが道が混んでいて空気も澄んでない。
目をつむりながら考える。
しばらく考えて5時前くらいになっただろうか、空がほんとうに少し、青く、白くなった気配がした。
このまま走れば帰るころには日はでてくる。
私はランニングウエアに着替える。
大広間から、縁側を通り玄関にあるランニングシューズを持ってくる。
父が寝ている居間は縁側のガラス戸越しなので、通らなくても良い。
この家のつくりはうなぎの寝床みたいなつくりだと、以前東京の祖母がバカにしたように言っていたことを思い出す。
大広間から私の寝ている和室を通って、いちばん奥の洋室に来る。
洋室のから外の庭に出ることができるので、そこから外に出る。
とても寒い。
体感でおそらく1℃くらいだろう。
東京でも真冬はウィンドブレーカーを着ているが、その日の格好はTシャツの上に長袖とその上にパーカーだった。
手袋はないので凍えるように寒い。
家を出て坂道をくだる。
宵闇の中で走っているような感覚だ。
薄暗い。
通りへ出て、山の方へ向かう。
ずっとただ、山道、のぼりながら途中、私は部屋の電気ストーブを消しただろうかと心配になった。
戻っても良かったのだが、私はずっと一人になって心を静めたかった。
ストーブのまわりには布団がある。
気になる、でも昨日、上高地へ行った興奮がどうしても、起きても取れないので私は一人になって呼吸を整えたかった。
もう坂道を登り始めている。
はやく戻らねばと思いながらもどんどんその気持ちとは逆に、私は坂道を登っていく。
手はしびれるように冷たいが、坂道のおかげで呼吸は荒く、体はすぐに温まってきた。
手の冷たさも忘れる。
車はほとんど通らない。
側道も段々があってあぶない、まだ周りの光は濃い青にかわってくるばかり影さえできない。
この前、昼に通ったバス停がどんどん過ぎる。
目印のスーパーも見えてきた。
車とは何だいかすれ違っただろうか、途中で同じようにランニングをしていた人をみかけたが別の道へ消え去っていった。
農家の人らしき影が畑から見えた。
目印のスーパーはこんな田舎なのにもう開店していた。
私の住んでいる場所でもこんなに早くは空いてない。
途中、どうしてもトイレに寄りたくなったので折り返し地点の帰り、ここに寄る。
人が何人か買い物をしていた。
スーパーから出るともう空は白くなっていた。
明るい、まわりがはっきりとみえる。
でもまだ影ができるほど明るくはない。
白んだ感じだ。
まったく時がとまったかのような白み方。
徐々に車の量が多くなる。
私が走る帰り道は行きの上りとは逆に下り、街の方へむけて走っているので後ろからくる車が増える。
下り道はそんなにきつくない。
いつもよりも早く走り終えて、家まではあっという間だった。
遥か向こうにみえる山が綺麗だ。
朝の霧が立ち込めて、東からの陽があたる。
あの山の向こうは、ずっと向こうは昨日越えて帰ってきた道だ。
ストーブはどうだったろうかと心配になる。
家までの坂道を一気に駆け上がる。
家は燃えてはいない。
外側から奥の洋室の扉をあけて、となりの私が寝ていた和室へ入る。
ストーブは消えていた。
息を整えるとどっと汗がでてきた。
父が消しただろうか、それともはじめから消していただろうか、
汗を拭いてまた寝ていたかっこうに着替える。
6時ちかくになると台所の方から物音が聞こえる。
父は起きていた。
私は何もなかった、そのまま起きたという格好で、ランニングウエアを洗濯機に入れて父に良く寝れたかとたずねる。
父は、本に夢中になってなと話す。
私は昨日上高地からの帰りにスーパーで買った野菜を切り、朝ごはんをつくる。
温泉旅館の食事はとても美味しかったが、とてもシンプルに切った野菜を食べたくなった。
あとはご飯とお味噌汁。
朝ごはんを食べながら、明日帰るかとまた私に確認する。
もう、どっか行きたいところはないかと、私にまたたずねる。
行きたいところあった、でも、もうそろそろ東京に帰らねばならないと思った。
こっちに来てから記事が増えたわけでもない、というかまったく書けてない。
父がいえるとなお難しい。
だから、もう帰るしかない、そして一人になりたかった気持ちもあった。
父に、明日帰るので良いよと伝える。
上高地の綺麗な景色、星空、秋の紅葉、温泉、もうこれ以上求めることはないと伝える。
だけどさ、午前中にひとりでちょっと真田の方まで行ってきて良い?と父に話す。
やっぱり一人になって何処かをぶらつく時間が欲しかった。
あと、角間温泉にでも行ってこようかなって父に言う。
俺も行くよと父が言う。
私は、そしたらさ、真田の方は午前中に一人で行ってくるよと父に言う。
温泉はさ、帰ってきてそしてもう一度行こうと言う。
父もそうだなと、俺は庭の柿を摂ってそれを東京に送るから午後に温泉に行こうという話になった。
私は少しワクワクしていた。
朝食の後片付けをして、車に行く。
12時ごろには帰るからと言う。
車を出す。
車は今朝、早朝に走った道を通りすぎる。
伊勢山のバス停、法事で行ったお寺にいってみる。
数年前にきた場所なのにあまり覚えてない。
カーナビを頼りに、真田のゆかりの寺を回る。
途中で車をとめて山を眺める。
ここはただの山ではない。
ずっと遥か向こうにも高い山があって、山裾まで見える。
そして山裾に薄い雲がかかり流れとても幻想的なのだ。
だからこんな些細な変化を眺めているだけで私は飽きない。
信綱寺に着く。平日なのか誰もいない。
お寺の前の公園でなにか作業をしているおばあさんに車をとめる場所をきくと、そこのままで良いといわれる。
石段を登ってお寺まで行く。
今日もとても晴れていて、まるで手に届くような青さ、宇宙の色のように青い、それでも遠い、吸い込まれそうになる。
山々の紅葉のコントラストがまたとても美しい。
この地で生まれて、この景色を戦国時代にみて、400年前の人は何を感じたのだろうか。
ただ、季節がかわる山々の木々に景色に何を思って生きていたのだろうか、とふと思う。
そのまま車で長国寺まで行く。
ここでもまったく人はいない。
本堂に行くと扉がしまっていた。
獣が入るので、お参りの時だけ扉を開けてくださいと書いてあった。
お参りをする。
おみくじも引く。
記帳をする。
ほんとうに空は青くて、山の紅葉が綺麗だ。
誰もいないので、この人気のなさがまるで普通であって日常であるようで、私は何の寂しさも感じない。
むしろずっと心が落ち着く。
私は戦いさえなければ、この地で山の色どりと雲の流れ、夜の星の変化を眺めながらずっと大昔でも飽きずに暮らせたのではないだろうかとふと思った。
石段を下る頃にふと、疑問に思う。
ここは、幸隆と昌幸の墓があるはず。
だがみあたらない。
スマートフォンで調べると確かにここにあると書いてあった。
境内の案内図をみると奥の方にあった。
細い脇道を通って奥へ少し山の中へ入るとうっそうとした林の中に墓石があった。
お参りを済ませて後にする。
真田氏本城跡も車であわせて行った。
ここからの上田盆地の眺めがとても綺麗だった。
大昔、向こうの盆地を眺めここに拠点を構えたとしても不思議ではない立地だった。
ほんとうに眺めが良い。
城跡といっても石垣のようなものがわずかに確認できるかたちでただの丘の上である。
お地蔵さんがぽつりとたたずんでおり、来た人が、家紋のように硬貨を6つ並べていた。
私はちかくのまくぼっくりを拾い置く。
父に12時には帰ると言っていたが、もう12時過ぎてしまっていた。
もうひとつ、どうしても行っておきたいところがあった。
真田氏の歴史資料館だった。
ここは、私が中学生の頃におばあちゃんと近くのバス停から歩いてきたところだった。
バス停から歩いて30分ぐらいと案内があった。
昔そこまで歩いた場所、どういった感じになっていたのか思い出したかった。
ただ、あの頃の記憶だとほんとうに山の中にポツンと突然、資料館が立っていた記憶が強い。
なぜ、こんな道のはずれ、不便なところにあったのだろうかと、
車ならあっという間だったが、昔はもっと山の上にあった気がしてここではないと車で通ったときにかってに判断してしまって通りすぎてしまっていた。
案内板はあったのに目に入らない。
中学校の時に着た時、こんなに綺麗な建物だっただろうか、近くお茶屋さんや喫茶店もある。
資料館に入る。
250円、300円出すと、館内の人はあやまって100円玉を私にお釣りで返したので、違っていることを伝えると、苦笑いしながら50円玉に直してくれた。
館内を入る。
確かに間取りはそんなに大きくなくてこんな感じだったのかもしれない。
真田太平記の時の写真、当時の役者の手書きの色紙、だんだん少しずつ思い出す。
そしてあった、大阪の陣の屏風、子供の頃にカメラでおさめた屏風。
まだ家にある。
今は撮影禁止になっていた。
複製の展示物だったが確かにここに来て必死にどこが真田隊でなどと探した屏風図だった。
あらためて真田隊の場所を確認する。
中学の時、ここのピントをあわせて写真をとった。
まだそれがある。
あの時はおばあちゃんが一緒だった。
なんだが不思議な気持ちになる。
きっとこの場所で間違ってないのだろう。
このあたりに歴史資料館なんてない。
記憶の雰囲気とまったく変わっていた。場所も開けて道も綺麗になっていた気がした。
昔はこんな広い道でなくて、私道のような細い道路を歩いてきた記憶だ。
山の中にぽつりとあった記憶が現在は、他にも飲食のスペースがあり、駐車場も広くて当時の記憶がかすりともしなかった。
ただ屏風だけは覚えていた。
やっぱりここだろう、言い聞かせるように車に戻る。
もう13時前だった。
慌てて家まで戻る。
家に着くと父は洗濯物をしていた。
柿はとり終えたらしくもうダンボールに詰めたとのことだ。
父と角間温泉に行こうという。
時間も時間、そして、ここの温泉は日帰り湯がその日の状況で入れる時と入れない時があるそうだ。
朝電話したら15時までなら今日は大丈夫と言われたので、少し父をせかす。
父は以前ひとりで行った時に日帰り入浴はダメだったと言っていた。
記憶とたどると、おそらく大学の時に私も一人で行った気がする。
何分、温泉が多い場所なのでここら辺の温泉はだいぶ一人で行ったのだが、当時は行きあたりばったりで一人で車をぶらぶら運転している時に目に入った温泉に入っていた。
ただどうしても菅平方面に行った時に、旅館のようなところに行ったら、日帰り入浴をやってないようなところで、入っても良いですと言われた思い出があった。
角間温泉じゃなかっただろうか、
それを確かめるためにも行ってみたかった。
洗濯物を心配する父をせかし車に乗せる。
私が運転する。
もうこの道は朝走り、さきほど車でとおり、そして三度目だ。
父がどこに行ってきたのか車の中でたずねる。
信綱寺、長国寺、本城跡、資料館と話す。
お墓あったかと言う、あれわかりづらかったろうと、
そんな話をしながら角間温泉の入口の看板を見つける。
どんどんまた上に登っていく、道が細い、だけど家が密集している。
家が思っているよりも多い。
ここら辺はスーパーもないのに、どうしてこんなに昔の家があるのだろうかと、
城下町だったのだろうか、
ずっとこの先、渓谷の方、山の方に入ると父はいう。
家並みというか、街並みがなくなるとほどなく、山の入口とわかる細い道につながる。
どんどん入っていく。
なかなか着かない。
だいぶ車を走らせた気がする。
父が車のなかではなす。もう周りは竹藪だらけだ。
ここまで、子供の頃、遠足で歩いてきてお湯に入ったというのだ。
もう半世紀以上も前。
私も朝ランニングでここの近くまで走ってこれたので、まあできなくはないがだいぶの距離だ。
山奥深くに一見の旅館があった。
私が大学に着た時もここだったろうか、覚えていないが、地理的にいうとこのあたりしかない気がする。
午後14時ちかく。
旅館は渓谷のせせらぎの中にひっそりとたっている。
まったく人気がないのが少し不気味だ。
フロントに入るが誰もいない、電気さえついてない。
ベルをならすと少し年のとった女性が出てきた。
入浴料は1000円、長野では高い、近くの温泉はどこも500円ほどで入れる。
ふだん泊り客にしか入れないから高いのかなと父がつぶやく。
女性が出てきて浴場の方へ案内する。
廊下を降りていく。
まったく蛍光灯がついてない。
旅館なのに人が泊まっているのだろうか、少し不気味な雰囲気すらする。
温泉は、白骨とちがい、炭酸泉だった。
まるで、目の前にパチパチと粒がはじけているようなマイナスのイオンを放っており、どことなしか温泉の匂いが果実のように酸味があるようなにおいだった。
温泉から角間の渓谷がみえる。
ここも見事な紅葉だった。
ずっとこの旅で紅葉を眺めてきたがまったく飽きない。
もう11月になっていた。
温泉に入りながら明日帰る現実を少しずつ受け入れようとする。
温泉はとても気持ちが良い。
渓谷の中にひっそりとうかぶ、湯船。
白骨よりもさらに秘湯の感じが漂っていた。
まるで誰もいない、誰にも会わない。
そういえば、大学の時にふと立ち寄った旅館の温泉もこんな感じで誰もいなかった。
ここだったろうか、なんとなくここのような気もしたがそのときはわからない。
ただ家に帰ってからやっぱり角間の温泉だった気がする。
だとすると、そういえば、大学の時にきたときも温泉を案内してくれたのは女性だった。
今日フロントであった女性だろうか、そんなことも考える。
ここはまだ上高地ほど風が冷たくなく、むしろ風は爽やかだった。
そういえば、父と昨日の上高地の車の帰りに、物事の価値観は全て相対的なんじゃないかという話をしたことを思いだす。
上高地から松本を抜けてさらに山、1時間近くずっと山道を、町もない道を走ってきて、山をくだって久しぶりに見た信号。
ひさしぶりにあった交差点と小さなお店をみたときに、ずいぶんと街らしくなったねとぽつりと言った。
道下り、降りるほど、どんどん建物は増える。
しまいには遠くの方に家のある方面が見えた。
あっちはもう大都会だねと言うと父が笑う。
それにさ、まったくこっちは寒くないよねと私は言った。
たしかに上高地から帰ってきたらまったく寒くないのだ。
長野についた日には、東京との気温差に夜ストーブを出したが、上高地の0℃近い気温を体感してから、ここに戻ってきた時は、はじめは乾いていたと感じた空気もむしろやわらく、暖かく感じる。
なんでもさ、きっと価値観て、相対的なんじゃないかって思うんだ、と私は話した。
比べるもんがあるからその価値がわかるというか、
だからお店もめったにない山奥にいれば、街があるとろは都会、駅があれば大都会で、きっと東京は宇宙都市のなんだよ、と
気温だって同じで、ずっと寒いところにいたら、ここはそんなに寒いと感じなくなった、きっと東京は11月のはじめなんて、上高地や白骨とくらべると南国なんだよって力説した。
「そうかもしれないな」と父は笑う。
きっと世のかなの価値基準なんて私は、曖昧な尺度なんじゃないかとおもった。
あたり前だが、比べるものがあるから基準が生まれる。
それが何が豊なのか、こんな誰もいない渓谷の温泉に浸かっていると、まったくわらかなくなる。
ただあまり多くを求めるから、もっともっと価値基準が高くなっていって、きっと私はそういう生き方に向いてないのだろうかとふと思う。
温泉を出て着替えてもまったく人に出会わない。
帰りにフロントで挨拶を父がしようとして声をかけるが、先ほどの女性は出てこない。
出る時に熊のはく製があって、あらためてこんなものがあったのかと二人びっくりする。
その紅葉を写真でおさめる時にスマートフォンを開いたが携帯の電波が届てなかった。
まさに秘湯という感じだった。
開いているのかわからない真っ昼間なのに中は暗い旅館、きっとシーズンオフであったのだと思う。
平日の昼間にくるのは私たちぐらいなのだろう。
昔父が小学校の頃、遠足できた時には旅館はなかったとのことだ。
来た道をもどる、今日三度目の往復だ。
帰りに父がとった柿を父の東京の住所へ送り、家に戻る。
結局、東京へ帰る前、一日ゆっくりするはずが夕方まで出かけてしまった。
夕飯を食べて、本を読んで寝る。
次の朝、さすがに私は起きることが出来なかった。
体が疲れて動かない。
もっと布団にくるまっていたい。
朝、大きな大砲の音が鳴る。
その日は文化の日だった。
そういえば、近くの城址でお祭りがあると言っていた。
あまりに私が起きてこないので父が戸をあける。
9時をまわっていただろうか、ちょっと眠れなくて、と言うと、父も本に夢中になってあまり寝てないと言った。
お祭りに行こうと父が言う。
実は眠いが私も行ってみたかった。
ご飯を食べた後に、車でむかう。
何しろ田舎の、小さな城跡だから道がせまい。
こんな道があったのかという道を父は知っていてどんどん進む。
途中で通行規制があったのだが、別の道を父は探す。
車が路駐している一角を見つけるのでそこに縦列でとめてお祭りむかう。
お祭りというほど大きな感じではなかった。
家の近所の神社で行われる出店の方がよっぽどにぎわっていただろうか、
出ているお店もフリーマーケットのような感じだが、この日も良く晴れていた。
地元の人たちは半そでの人もいる。
昔のおもちゃも売っていたり、その中には最近のアニメのフィギアもあったりするのだが、なにしろこの雰囲気に溶け込むとそれこそ私たちが子供のころに放送されたアニメではないかと錯覚する不思議な感覚だった。
数年前に放送されたものとはおもえない。
それが逆に面白い。
この人の集まりのなかには、久しぶりに同級生に再会したような話が聞こえる。
今は何をしているのか、など、
きっとこの地域の交流会のようなお祭りなのだろうか、興味深い。
地元特産の肉を使った串料理やら、綿菓子、スーパーボールなどなんとも郷愁ただようお祭りだった。
私はずっと見ていても飽きない雰囲気で好きだったのだが、父は、思っていたよりもと少し残念そうにもう帰るかと切り上げる。
私は、東京に午後帰るので時間も押してしまうといけないので、父にしたがう。
家に戻り、掃除機をかけ、食器などもしまう。最後は父が食器の片付けをするので私は掃除機をかける。
そういえば、この掃除機もずっとむかし私が子供の頃のだ。
まったく吸引力がない。
だけど不思議と現役でここの掃除機として成り立っている。
紙パックフィルターなんてない。
中にたまったほこりは畑のわきの問題ないところに捨てた。
家にたまったほこりを軽く水拭きして荷物も玄関にまとめる。
タクシーを呼んで駅までむかう。
帰りは栗おこわを食べる。
もうなんだかんだ言って、新幹線は夕日の中を走っていた。
日曜、帰りの東京方面、上りの新幹線の中は、どれも旅の疲れをまとった人たちばかりの空気だった。
行きの強い勢いが潜み、帰りは、みなしっとりとしている。
ゴーっという音だけが響き、静まり返った車内は、どんどん標高の高い場所からエレベーターが滑り落ちるように東京方面へ吸い込まれていった。
群馬にさしかかると、ちょうど夕日は私たちの越えてきた山の中に落ちようとしていた。
ずっと向こうに幾重にもかさなった山々が見える。
夕日が沈む山はとても神聖に、とても深い場所にあり、私にとって秘密の場所のように感じてしまった。
あの向こうに旅してきた道がある。
父と車で走った道がある。
関東平野はとてもまったいらで、平たんで、変わる景色は建物だけの景色、私は少しまた胸が苦しくなった。
完(ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。)
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