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ネガフィルムカメラの旅 ブログの投稿はシャッターを切るように・・・

 

伊勢と京都へ旅行をしまして、

もう使わなくなったおじいちゃんの頃のフィルム式カメラを持っていた時の話しです。

去年家の整理をした時に捨てようか迷ったものでしたが、捨てずに残しておいたカメラです。

むかし、子供の頃、天体写真を撮る時に使ったおじいちゃんのカメラ。

おじいちゃんが居間でいつも座っている固定のスペース、うしろ背中の方の柱にいつもぶらさがっていたカメラでした。

カメラなんて造詣がないおじいちゃんは、格好だけ持っていたのでしょうか、

おじいちゃんがカメラを使っていた記憶もありませんでした。

そして孫の私がそのカメラを触ることもなんの抵抗もしめしませんでした。

小学生の当時、ほぼ、勝手に触っても何も言われませんでした。

図鑑で天体の露光撮影の方法を知り、おじいちゃんのカメラを使うのに許可をとったのかすら覚えもなく、触ったものでした。

 

 

 

ネガフィルムカメラ・・・

その当時ですら、もう、電池を入れてシャッターを切るカメラがほとんどで、

子供の頃、その、おじいちゃんのカメラを近くの商店街のカメラ屋さんに持っていって、フィルムの入れ方を店のおばさんに教えてもらった記憶がうっすらあります。

その時でさえ、おばさんは写るかねー、まあやってみて、みたいな感じで、

それで、なんとなく、カメラに備わっている、シャッター速度、絞りを動かすとメモリが動く部分、計器にある針をメモリの真ん中にあわせればよいのだろうと感覚で知って、

そして、とりあえずカメラが使えるか試しに、近所の風景を撮影した記憶がありました。

後日、使いきったフィルムを持っていった、カメラ屋のおばさんは、また、めずらしい子供を見るようでした。

私は、撮り切ったフィルムの現像をお願いしました。

写真が出来上がるのが、2.3日後、

後日、またカメラ屋さんへ行って、出来上がった写真をみて、

おばさんは、ああ、意外とちゃんと写っているねぇと言っていたやり取りを思い出したのです。

それで、このカメラ使えるのだとわかって、

夜空の露光撮影に使っておりました。

私にとっては、電源も電池も使わずに、光だけをネガにおさめるカメラの構造はおもしろいものでした。

どうやってシャッター速度は変わるのだろう、カメラの絞りをかえるのだろう、この計器の針は何を基準に動くのだろう、と、

不思議な気持ちになったのです。

ひさしぶりにもう誰も使わなくなった二階の部屋に置いてあったカメラを取り出して、その時の感情を思い出しました。

革でできたカメラケースがもうボロボロです。

ですが、本体は大丈夫そう。

フィルムを入れる中の蓋をあけてレンズをのぞくとすこしカビでくもっていました。

綿棒の先に水滴を少しつけてふきます。

レンズ丸みの端の細かい汚れは、つまようじの先に濡れたティッシュをのせてできる限り汚れをふき取りました。

少しだけレンズのまわりに汚れが残ったのですが素人ではもうこれ以上綺麗にするのは難しそうです。

家の近くにカメラのチェーン店があります。

ネガフィルムが売っておりました。

ISO100か400のどちらか、

懐かしい。

そして、どっちが良いのか迷います。

昔の淡い色合いであれば、あえて感度のひくい100だろうか、

そもそもやっぱり写るのだろうか、

荷物としても面倒だし・・・

とだいぶ躊躇しました。

でも、せっかくだし、実験、

なにごとも実験・・・と、

フィルムを買ったら、旅行に持っていくしかない、お金は捨てられないと言い聞かせ、

そして、ISO400のフィルム27枚撮りを買いまいた。

700円ほど、

なぜ、今回の旅行でフィルムカメラを持っていくのかですが、

その・・・、ひとつはアナログ写真って、今、写すとどんな感じになるのだろうか、と、

スマホのカメラが発達しすぎて、写真が綺麗すぎる。

素人でも凄い画素数の写真を撮れます。

10年ぐらい前のデジタルカメラってたしか数百ピクセルぐらいで、電池の持ちも悪く、SDカードも高くて・・・

値段も高くて、

そして久しぶりに起動して使ってみたのですが、もうピントがあわなくなってしまっておりました。

そして、去年、夏、家の整理をしていた時に出てきた昔の印画紙に写された写真をながめるとなんともいえない淡い味わいがあるのです。

綺麗、くっきりじゃない、

そう、なにか光をとじこめたような感覚です。

デジタルの写真に見飽きていたので、せっかく大切な旅行だから、同じように、大切な景色の光を閉じ込めることができるだろうか、と考えたのです。

はっきり言いうと、昔のカメラ、重いですし、かさばる。

使えるかもわからない、

ですが、それがなんだが実験みたいで面白そうに感じたのです。

テーマは光を閉じ込めるです。

27枚フィルム、

伊勢に行く前に、YouTubeでフィルムの入れ方を参照しつつ、フィルムをカメラに設置します。

昔は、もっと手際よくできたきもしたのですが、こんなに慎重にやるものだったろうかなどと感じながら、

メモリが0になるまでシャッターを切ります。

伊勢ではあまり枚数を使うことがなく、

じゃあ、次の京都で、と、

まだフィルムが20枚は残っておりました。

これもまた、荷物になるのですが・・・

そして革のケースがボロボロなのでタオルでくるんで慎重に背負ったリュックに押し込めました。

もちろん、いちいち旅先でフィルムカメラを取り出すことは面倒なので、

普通にスマホでシャッターを切りまくります。

ですが、

ここぞというところ、

閉じ込めておきたい光の景色をえらび、考えて、

フィルムカメラを取り出すフィルムカメラの旅は楽しかったです。

この景色がはたしてちゃんと帰って現像したら写っているだろうか、ですとか、

もし写っていたらどんな感じになるのだろうかと想像すると面白いです。

昔のフィルムカメラのファインダーの範囲は、

想像していたよりも狭いものでした。

つまり、目の前に広がる景色を綺麗におさめるにはだいぶ遠目から写さないといけないことを知ります。

なんでだろうと考えたのですが、

それは、おそらく、設計上、もともと人を写すことを考えているからじゃないか、と、

人が被写体、

当時のカメラは人を残すことが大切だったのだろうか、

だから、ファインダー越しの距離は近めなのかと、

そんなことも考えながらシャッターを切ります。

どこを残そうか、どういった構図か、などと考えながらまくフィルムをカチャリと巻く音が独特で気持ちが良いのです。

シャッターを押す決心が決まるのです。

拳銃の引き金のようなものでしょうか、

そして、意を決して押すボタン、

カシャっと乾いた音、

取返しがつかない、

一枚が大切、

フィルムの枚数が限られているので、失敗が許されない。

つまりは、フィルムカメラを持って旅をすると、

色々なことを考えながら旅をするのです。

スマートフォンで無限に撮影できる感覚とはまったく違うのです。

そもそも、シャッターを切ったものがちゃんと写っているかどうか、

帰って現像するまでわからない。

きっと昔の人はカメラを持ちながらも、ちゃんと残すことができているかわからない景色は、こころにも刻んだのではないでしょうか、

スマートフォンだと、ちゃんと写っているかどうか、

その場で確認できます。

ああ、ここちゃんと残したと、

記憶はデジタルで残るかもしれませんが、

こころに大切に刻むのだろうか、と、

そんな感情も知るのです。

もし、このフィルムカメラがちゃんと写ってなければ、目に映った景色は大切に記憶にとどめておかなければならない、

もちろん、私はスマホでもシャッターを切りまくったので、

保険のような形で景色を残したので、実際にリアルにフィルムカメラ旅をしたわけではないのですが、

でも、それでも、

ここの景色の光を閉じ込めておけたら、と、

ちゃんと写っているかどうかわからないカメラを手に抱え、

なかば祈るような気持ちで、またリュックにしまいます。

フィルムカメラは一発勝負、

フィルムもそんなに無駄にできません。

スマホは容量があればほぼ無限、撮影もタダですが、

フィルムカメラはフィルムを買わねば残せないですし、もちろん現像代もかかります。

だから、やはり慎重に考えます。

そして、もうひとつ、

フィルムカメラを持って旅をするメリット、

それは、旅の行程を考えるなかで、

私にとって、じゃあ、どこが旅の中で大切な場所になるのだろうか、と、

考えながら旅ができることでした。

フィルムの残りの枚数と、これからの行先、

無限に写せるのと、限られた枚数では、撮る意味も変わってきます。

三日目に京都の山の方をまわるので、やはりそこは残しておきたい。

なので、山の方にたどりつくまでに目にはいる街の景色、

ここは私にとってはあまり重要でない、と、

確認しながら旅をすすめます。

そして、どうしても残しておきたい景色の時は、自然にカメラを取り出すのです。

たとえば、三日目の朝、誰もいない貴船神社の綺麗な鳥居の階段、

撮る予定のなかった景色、

ですが、

シャッターを切るのを迷っている暇はなく、自然とカメラにおさめます。

つまりは、もう、

ここは残さねばというシーンが自然と生まれるのです。

あとで旅を振り返って、見直して、

ああ、私にとってはここの景色が重要だったのだと、

そう客観的に知ることができるフィルムカメラ旅・・・

おもしろいです。

無料で無限に残せるスマホのデジタル、

一方、枚数に限りがあって、そして現像も有料のフィルムカメラ、

どちらに価値があるだろうか、と、

私にとっては後者でした。

ほんとうは、そのフィルムカメラを持って行った理由は、昔の色合いで写真をおさめることができるだろうか、と、いう理由だったのですが、

そして、戻ってきて、

現像をお願いしました。

店員の人へ古いカメラなのでちゃんと写っているかわからないので、と伝えると、

一応、真っ黒でなければ現像しますのでと言われました。

今だと1時間ぐらいで現像できるのですね。

子供のころは2泊3日ぐらいの記憶があったのですが・・・。

わくわくしながら時間をおいてカメラ屋さんに行きます。

どんな感じなのだろうというワクワク感が良いですね。

そして、渡されたものをみて驚きます。

「ちゃんと写っている・・・」

というか、あまりデジタルとかわらない。

色合いがはっきりしていて、

かなりちゃんと写っている。

写真をいれる・・・

素晴らしい・・・

何に驚いたかといいますと、その、ちゃんと写っているということにも当然、驚いたのですが、

四半世紀以上前のカメラ・・・

電源も電池も必要としないのに・・・

こんなに鮮やかに残せるということに驚いたのです。

淡い色は、

もうフィルムじたいが進化してしまったのでしょうか、

あえてISOが50ぐらいのフィルムがあれば昔の彩あいを出せるのかもしれませんが、

現代に市販されているフィルムだと感度がよすぎるのでしょう・・・

といいますか、

昔の技術の凄さに驚いたのです・・・

スマートフォン、デジタル・・・

10年ぐらい前に買ったデジタルカメラはもうすでに壊れているのに・・・

この違いは何だろう、

パシャパシャとりまくるのも良いのですが・・・

実際に私はスマホでもブログのアイキャッチ用に、と、撮りまくったのですが、

一枚の一発勝負に残す想いもふくめた光を閉じ込める旅、

とくに人を写すなんて、

写した時にちゃんと良い表情かどうかもわからないので、

とても丁寧にとるのではないでしょうか、

フィルムの枚数を気にしながら、

残りの日程でここはおさめようですとか、

おもいがけず出てきた、絶対に残しておきたい景色、

この先残された、撮る予定の場所と天秤にかけて閉じ込める光をえらぶ・・・

旅らしい旅なんじゃないか、と・・・

昔の人の旅はそんなことを考えていたのだろうかとおもうと、

今の便利すぎるのもどうなのだろうか、と、

便利だけど、電源がないと起動しない、

アナログの方が最強なんじゃないか、と、そんなことも感じたのです。

情緒、

思い出、

帰ってきてから現像を待つわくわく・・・

あ、ここを私は残したかったのか、と、あらためて確認して思い出す風景・・・

限られたフィルムの枚数と一発勝負だからこそ、

残したい風景、

フィルムカメラひとつ持って旅をすることで、

旅をする感覚も変わるのだと、

そう知ったのです・・・。

そして、昔の技術のすごさ、

アナログのすごさに驚きもしたのです。

フィルム旅について、考えました。

ブログの投稿も、そう、一発勝負で良いのじゃないか、と、

削除か投稿しかなければ、迷わずに、フィルムカメラのボタンを押すように、いや、むしろ無限に残せるだけ、ありがいのだろうか、とそんなことも感じたのです。

→投稿ボタンか下書き削除ボタンしかないかったら・・・はこちらです。

 

京都旅行でのフィルムカメラの旅はこちらです。
→主に、二日目三日目

 

現像して、いちばん、フィルムで撮れたっぽいのが、

下の画像になります。

レンズフレア、ハレーションと言えば良いのでしょうか、

写真としては失敗かもしれませんが、ネガフィルムでないと撮れない感じは、こんな1枚かな、と、思いました・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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