前回のお話はこちらになります。
お城の公園での紅葉散策(長野二日目)
朝起きる、昨日、ちゃんと寝ることができたのか、よくわからない。
うたた寝のような浅い眠りだった。
朝、台所の方で物音がする。
もう父は起きている。
8時を過ぎていた。
布団に出て、部屋の空気を入れ替える。
昨日はシーツだけしか洗えなかったので、もう一度午前から布団を干し直す。
この家は洗濯物を干すところの陽がなかなか当たらない。
丘の中腹にある。私が子供の頃は前に家がなかった。
しかし高校ぐらいに家から見て下側の土地に大きなお城のような家が建った。
一番上の階は天井裏なのかわからないが構造は3階だ。
家から眺められた蓼科方面の景色が畑の方に行かないと見えなくなった。
昔おばあちゃんが、景色が変わったことに、父が景観料をとったら良いのにと言っていたんだと冗談まじりに言っていたことを思い出す。
まあそれは置いておいても、下の隣との境界線に大きな針葉樹が植えられてしまったので南側の物干し場になかなか陽が届かない。
夏は気温で乾くから良いのだか、ここ秋にかけては陽が弱いので布団なども温かく干せない。
朝から布団を干して、そして台所に行く。
おはようと父、テレビをつけながら、昨日の温泉で出た洗濯物を洗っていた。
私はご飯の支度をする。
父はお米だけ炊いていてくれた、三合。
少し多い気もする。中を開けるとふやふやのお米、新米は柔らかいのかなと、いや水分の違いの気がするがおかゆみたいでも食べられる。
私は味噌汁をつくる。
父がみょうがを食べたいと言っておもむろにスーパーのカゴに入れたが、どうやって食べるのか聞いてなかった。
余ってしまうのが嫌だったので、お味噌汁に断りなく使用する。
お味噌汁をつくってと納豆を用意し、野菜を切る。
明太子やなどなど、
適当に並べてご飯を食べる。
野菜が美味しい、ほんとうにみずみずしい。水分が多い。
ご飯は相変わらず水っぽかったが食べられなくない。
朝ごはんを済ませて、片付けをする。
なんだかんだ、洗濯物を干していたらもう午前10時くらいになっていた。
居間で昨日かったみかんを食べていると、父は今日、上高地はどうするかと聞いてくる。
うーん、ゆっくりでも良いかなって私は言うが、父は落ち着いているのが嫌な人だ。
それじゃ、上田のお城にでも行こうかと言う、駅に寄ったときに紅葉祭りって出てたじゃんあれ見て見たいと言った。
そしたら行ってみるかと父。
布団や洗濯物取り込むから早めに帰ろうと言う。
昨日よく寝ることができなかったので、あまりほんとうは動きたくなかった。
明日はどうするのかとまた聞く、スマートフォンで上高地の天気を調べる。
「明日は晴れみたいだよ」という、
「じゃあ、明日は上高地に行こうかと」と父、
予定が決まって安心したような、ほんとうにいつも物事を詰めて行動する。
お城に行く運転も父がした。
外はほんとうに綺麗に晴れていて、秋の乾いた風が気持ちよい。
車を動かし始めると、社内に入ってくる陽射しが強い。
「標高が高いからかなぁ、陽射しが強いね」と言うと、
「それもあるかもしれないけど、大気中の余計な埃がないから空気が澄んでいて陽射しが届きやすいんじゃない」と父が答える。
陽射しは夏のように、車のガラス越しだと強い。
見えないが、紫外線が見える。
体感として、まぶたを通し、その多さを感じる。
私は朝、起きると声が枯れていた。
風邪なんだかわからないが、昨日の温泉で湯冷めしたのかなって言う。
そんなに大したことではないのだが、鼻水が出てきて少し頭が痛い。
お城へ向かう途中で薬局に行こうと父は言う。
私はいらないと言う。
熱もないし悪寒もしないのに薬はいらないと、強いていうなら、父が締め切った居間でずいぶんとタバコを吹かすので喉が痛いのかもしれない、ぐらいな感覚だ。
もう父も、ずいぶん衰えた、去年放射線の治療をして、一度はタバコを辞めたみたいだが久しぶりに会う父は、私の子供の頃の記憶と同じように、息を吸うようにたばこを吸う。
午前中も少しだまって縁側の戸を開けて空気を入れ替えないと締め切った居間では少し私にとっては空気がきつかった。
だけどもうタバコを控えるようには言えない気がした。
充分だし、好きにした方が良いと感じた。
車を薬局へ向ける、私は良いとなんども言うのだか、一応見るだけ、俺も少し風邪気味なんだと言う。
ドラッグストアに入るが風邪薬の種類が豊富だ。
どれかわからない、父は昨日、温泉の売店で店員と話したのと同じように、ドラッグストアの店員さんにどれが良いのかたずねる。
長野の人はほんとうに親切だと感じる。
どんな症状に使うのか、今病院で日用している薬はないのかなど聞いてくる。
こういう姿をみると、やっぱり私はあまりも話さないので父は誰かと話たくなるのだろうかといつも思う。
それとも、父のただ話したがり屋なだけなのだろうか、ほんとうに気の向くままにそこら辺の人にかまわず話しかけるのはおばあちゃんに似ているなと思う。
昔の父はそんなに多弁でなかった。なにか背中で語るような、そんな感じだ。
人に慣れ慣れしく話す人ではなかった。
でも、その相手が私で会話が少ないのか、良く店員さんに些細なことを聞く。
ほんとうに聞いているのか、会話を楽しんでいるのかわからない。
年齢を重ねて、寂しくなったのであろうか、なにか吹っ切れたのであろうか、ふと思いながら父を観察する。
会社の役員をやっていてたまに今でも仕事場に顔を出すというが、今の若い社員との触れ合いがないのかもしれない、
こんなに気さくに誰かと話すシーンがないのかもしれない、
いわば、ここ田舎は旅であって、会う人も一期一会、だから話せるのだろうか、そんなことを考えながら、
やっぱり店員さんがどれにして良いのか困る。
「うーん、葛根湯ですかね」という、私も店員さんへ助け船を出す。
「葛根湯は漢方だしたぶん今飲んでる薬との併用は大丈夫だよ、あと、それか総合感冒薬で良いんじゃない?」
店員さんも、葛根湯にしますというが、やっぱり「ルル」でと父が差す。
家でもルルが置いてあったし、田舎にもひとつ置いておこうかなと、とあらかじめ決まっていたような口ぶりだ。
やはり、ただ話たかっただけだろうか、車に乗り込む際に使用期限を確認する。
「そうだね、だいぶ先まで持つから買っていて損はないかもね」って言って、少し納得したように感じた父がまたハンドルを握る。
小海宿までいったん遠出
ドラッグストアを出て、上田のお城に行こうとするときに、「小海宿まで行くか?」と父が言う。
小海宿、聞いたことある、
小海まで、昔の宿場町で建物も昔のたたずまい。
「そんなに遠くない?」距離もそうだし時間もそうなのだが、父はやりはじめたらとことんなところがあるので、今日は公園を散歩するつもりがまたえらく遠出になって疲れやしないか心配になる。
10キロほどだと答えが返ってくる。
じゃあ行こうか、と、返事をする。
小海宿は聞いたことがあるが行ったことはない。
正直なところ、一度見てみたかった。
午前中の車に入る陽射しは相変わらず強く、エアコンを入れてないのにすぐに夏のような気温になる。
外をみると空が真っ青だ。
雲も少なくほんとうによく晴れている。
少し窓を開ける。
遠目の山はまだ紅葉をしているのか、色着きはじめたのか車のなかからだと、あまりはっきりしない。
バタバタと窓を通して風が気持ちよく入ってくる。
まるで夏に来たみたいだ。10月の下旬でもお昼ぐらいはずいぶんと爽やかだ。
いつも見ないこの田舎の景色が好きだとあらためて感じる。
もうひとつ気がついた、父がハンドルを握りたい理由が私に景色を見せたかったからだ。
私はおそらく父からはだいぶぼんやりしている人間にみえるのだろう、私が景色を眺めて運転をするのが心配なところもおそらくあるのだと思う。
昨日温泉に行ったのと同じ道、東御の方へ向かう道、昨日は夜だったが今日は真っ昼間。
夜には見えなかった山肌が現れる。
カーナビの使い方がいまいち、私も父もわかってない。
本来であればこの道ではなく国道の方を通るはずなのだが、どこでどういくのかなぁと、ひとりごとのように言いながら道を進める。
私はあまり気にせずに外の景色を見る。
「昨日温泉から家まで帰る時にカーナビが途中になっていたから家の方目指してるんじゃない?」これ行き先あっているのかなと心配になる。
運転中はカーナビを動かせない。
いまいち扱いがわからない、目的地がどこになっているのか、あ、でも小海宿の方みたいだよと適当に言う。
こんなに田舎なのだからとりあえず目的地の方向に行っていれば標識だって出てくるしと、私は父をなだめるように言う、
私は不思議だねと素直に言った。
「昔はさ、カーナビなんてなくたってこっちまで来れてた訳だし、そういえばさ今ってゼンリンの全国地図車に乗せている人みないよね、なんでだろ、昔はさそれでもできた訳じゃん、ルートをあらかじめなんとなく覚えてさ」ってこちらも独り言のように言った。
「そうだな」と父は返事ともわからないあいまいなことを言う。
景気が広がり、山の形もかわってくる。
穏やかなお昼の日が降りそそぎ、のんびりとした田舎道を進む。
またカーナビの話になった。
多分大丈夫だよと言う。
タイミングよく右折の指示が出てきて小海方面を差している。
なんかようやく落ち着く。
右折し道を外れると、少し道路が狭くなる。
信号に止まると「小海」と表示がある。
え?ここ?って驚く、普通に家がならぶだけで昔の建物がない。
だがこの交差点に田舎にくると良くみるスーパーの支店、ちょっとした生活であれば済みそうなショッピングセンターと名のついた一角だった。
昨日の農協の話ではないが、ここも昔からある町の形が残っているのだろうか、
もうちょっと先だと父が言う。
道が狭くなり、すすむと千曲川が見えてくる、進むと小海宿があった。右手の方、駐車場とかかれているがわからない、とりあえず小海宿の入口まで入っていく。
車のガラスを深くあけて一番手前の店員さんに声をかけると、ここではない、バックして右折して、あの車が言ったところと、ちょっとわかりづらい説明だ。
父は宿の先の方へ車をすすめUターンできそうなところを見つける。
ここに止めてはダメなのかと、
Uターンをしてたぶん一番近い駐車場は左折だったと標識では思ったのだが父はマイペースに右折する。
あっと、思ったのだが右折の先にも少し遠いが駐車場の看板もあるし、まあいいかと思いそのまますすめたら、
けっこう先まで行かないと駐車場が見えないので二人とも焦った。
だいぶ先にやっと駐車場らしいものが見えた。
車を止めておりる。
平日の昼は、人がほんとうに少ない。もともと有名な観光地でもないのか駐車場の広さと車の数が不釣り合いだった。
父がトイレに行っている間に、駐車場から周りをみる。
空は青空ばかりで、ほんとうに深い、大気圏に近いような空の濃さだ。
浅間山が見える。
とても綺麗な山裾のなだらかな広がり。
空気は乾いて冷たく、風が吹くと少し肌が痛い。
刈り取られた田んぼの景色がなお空気の冷たさを深める。
父がタバコトイレの前にあるタバコをふかしている間に写真をとる。
畑、田んぼ、もう刈り入れも終わって土だけが見える土地。
駐車場にあった案内板をみて小海宿まで行ったはずだったのだがかなり歩く。
建物が確かにこの辺りは古い。
畑の脇だか、わからない田んぼ用の用水路にはもう水は流れてない、そんな道を10分程度歩くと先ほどの小海宿の入口に着いた。
確かに綺麗だ。
建物が古い、江戸からある宿場町、道はまっすぐと、ここが昔、軽井沢から長野へ続く北国街道だったそうだ。
昔の宿場町の装いは確かに感じる。
道の両脇にある水路、道の左右に並ぶ古い建物。
旅人が泊まったのだろうお屋敷。
どれもよくみると、通りに面している多きな扉は、みんなガラス戸だ。
江戸の時はどうなってたんだろうと父へ聞くと、たぶん、障子じゃないかと、ああ、そうか昔は障子かと、
今あるガラス戸が障子だったらほんとうにその当時の感じだなと想像できる。
あとは道がコンクリになっているから、昔はここが土だっただろうかとふと思った。
道の脇では、水彩画でこの宿場の様子を描いているおばさんの団体がいた。
4.5名くらいだろうか、ところどころ散らばって絵を描いているが、覗いてみるとすごく綺麗にかけている。
方言から関西の人間だった。
水彩画を画く人たち以外はあまり人はおらず、昔の宿場の面影を眺めながら歩くとその直線距離は結構な距離がある。
端から端まで200mぐらいはあったと思う。途中お茶屋さん、ソフトクリーム、お蕎麦屋さんなどがあったが、歩き終えるまで15分くらいかかったろうか。
蕎麦でも食べるかと父が言うが私はお城の方に行ってからで良いよと言う。
ちょうどタイミングよく、小海宿の歩いてきた先の方に車を止めていた駐車場があった。
駐車場に降りてから、ここにくるまでの近道を間違えたてたらしい。
じゃあ、このまま車に乗って町の方まで行くかとなった。
古いお蕎麦屋さん
上田のお城まで行く運転は私がした。
こんどはカーナビも使わないでただ街の方まで、街の中心地へ行く道はだいたい方向があっていればどの道もたどり着く。
車を走らせると、そこは国道18号につながっていた。
大屋駅を通り過ぎる。
ずいぶんと田舎なたたずまいの駅舎だった。
きっと鉄道ファンならこんなちっぽけな駅でも興味を持つのかなと、少し立ち寄ってみたい気持ちもあったけど、そのまま通り過ぎる。
信濃国分寺が見えてくる。
父が行ってみるかと言う。
ここは2回ぐらいきた。
ずっと昔中学校の時、おばあちゃんと二人で、どうやってきたのだろうか、父と話す。
さっきの大屋駅を使ったのかな、どうやってきたのか覚えてないと私が言う。
考えてみたら記憶の欠片が曖昧だ。
バスだっただろうか、田舎は車社会だが、車がなければ本数の少ないバスだ。
鉄道・・・。おばあちゃんと電車に乗った記憶がほとんどない。
いつもバスでずっと待って、下手したら1時間近く、まだ春の寒空の下でずっとバスを待ったこともあった。
しまいにはおばあちゃんは歩いて行こうなんて言うものだから、かなりの距離を歩いたこともある。
もう足の悪くなっていたおばあちゃんは途中で転んで顔をすり傷だらけになって、
たまたまその瞬間に小さい軽自動車で通りかかったおばさんに、乗っていきますか?と車をわざわざ止めて窓越しから言ってくれたが、それでもおばあちゃんは歩き続けた。
足が悪いこと、老いたことを認めたくないそんな気持ちもあったのだろうか。
そして家までの距離を二人で歩ききった。
家に着くと正直、ホッとした。
私は若かったので歩き疲れるということはあまり感じてなかったのだが、もうおばあちゃんは歩かなくても良いという安心感した気持ち、
まだ私は若いながらも、年を取ることの寂しさのようなものを感じてしまった。
大学の頃、中古車を買って田舎へ来た時におばあちゃんを乗せて近くの高原まで連れて行ったことを思い出した。
おばあちゃんと昔歩いて、そこは、おばあちゃんが転んだ道だったと思う。
車ですいすいと行く。
季節は今と同じ10月頃で、もうおばあちゃんは昔のようにこんなところまで歩いて来られなくなっており、
それでも、あの時に車から見えた山の紅葉は、今訪れているのと同じように、いやそれ以上に色鮮やかに、赤と緑と黄色が見事にまざって、背景は晴れた綺麗な青で、さまざまな色が目に飛び込んできた。
おばあちゃんは一番いい時期に来れたねと言ってくれた。
「良い思い出になったよ」と言ってくれた。
車のハンドルを握りながらそんな記憶がよみがえる。
信濃国分寺を通り過ぎるとだんだんと国道が騒がしくなってくる。
騒がしいとは目に映る、道路に両脇に構えてあるお店だ。
どれもこの国道はチェーン店ばかり、せっかく信州にきているのにあまりその風情がない。
東京の道を走っていると良く見かける飲食店が多い。
丸亀製麺、ケンタッキー、洋服の青山から、デニーズ、どこも同じ街並みでごちゃごちゃしている。
きっとここは、ふだん長野の生活にも慣れて、街中にあるお店すらいつもの光景でなんとも感じない人たちがくるようなところだろうか、
住まいとは不思議だ。
私はこうして久しぶりに訪れる場所は、小さなお店でも、古いお店でも、興味を持ってしまう。
どれも古いのに目新しいし新鮮に飛び込んでくる。
でもきっとずっとそこに居れば、それはなんともない日常になってしまうのだろうか、私がふだん住んでいるもう住むのも飽き飽きした東京の端にある家でさえ、ある人にとっては新鮮に映ることもあるのだろうか、そんなことを考えてしまった。
駅に近づいてきた。
父が行こうという蕎麦屋も思い出の場所だった。
刀屋という有名なお蕎麦屋さんで池波正太郎の本で紹介されたことがある老舗だ。
小学校5年の時に夏休みに上田に来て以来、久しぶりに訪れたお店だ。
あの時は、父、おばあちゃん、姉二人と私、お蕎麦は子供だったのか正直、8割そばというのは味っけのない記憶だった。
姉が麺が太すぎると言っていたのを思い出す。
父が店に近づき道案内する。
大きい通りから少し外れたところにあった。
時間はちょうどお昼の12時過ぎ、平日でも外に人が並んでいた。
駐車場もかろうじて一台空いてあったのでそこへ急いで止める。
外の腰掛に座りながらまた父はタバコをふかす。
陽射しが真上を照らしていたが日よけがあった。
お蕎麦屋さんだから回転がはやいのか、そんなに待たずに中に入る。
もりそばをたのむ。
私は普通盛にする。
ここは量が多いぞと父が言うが、お蕎麦くらいでは私のお腹はそんなに膨れない。
一番奥に空いていた二人並んで腰を掛けるようなテーブルで蕎麦が来るのを待つ。
店内はほんとうに昔のお蕎麦屋さんという雰囲気だ。
木造でできた、ずいぶんと木の色も真っ黒になりよい雰囲気を出している。
席の目の前が二階に続く階段だった。
お客さんが階段の上り下りをすると、なんとも心地よいギシギシ、ミシミシとした音が聞こえる。
お昼どきなので、地元のサラリーマンが食べにくるのかスーツの人も多い。
しかしなかなかお蕎麦が来ない。
店内は蕎麦通がくるのか、何かシンとしている雰囲気がする。
皆もくもくと蕎麦を食べてるのだ。
なんだか観光できた私と父は場違いな感じもした。
だまって蕎麦が来るのを二人で待つが、父がぼそっと、ずいぶんのんびりと良い商売しているなとつぶやく。
スマホで営業時間をみると夕方の5時で営業が終了する。
確かに、私の知り限りでは5時でお店を終了するところはない。
飲食店でもそれ以外でも。
メニューもいたってシンプルでお蕎麦屋さんだが、定食などもなくほんとうに蕎麦だけだ。
強いていうなら天ぷらがあるくらいだろうか。
あとは御酒とビール。
体感として10分ぐらいだろうか、お蕎麦屋さんとしては確かに、普段駅で食べるような駅蕎麦のイメージであれば長いだろう。
運ばれてきた普通盛のもりそばは確かに多い。父は少し少ない中盛だった。
お蕎麦は冷たくて美味しかった。
陽射しが強く、暖かいお昼、喉が渇いていたというか、のど越しが気持ちよい。
私は蕎麦の味はほんとうにわからない。
これが美味しいのかどうかもわからない。
ただ、朝は簡単に野菜を切って、納豆とお味噌汁くらいの朝ごはんだったので、いくらでもお腹に入る。
蕎麦は普通盛なら、ふだん東京の駅でみかける蕎麦屋の2倍近くはあっただろうか。
最後の方は少々あきてしまうくらいだった。
お店を出る。
止めた車まで向かうっているとなんだかせわしない足音が後ろから聞こえる。
振り向くと父のカバンを持ったお店のオバさんだった。
笑顔でニコニコとお客さん忘れてますよと少し駆け足でこちらにくる。
父が肩掛けカバンを先ほどの席に忘れてしまっていた。
きっとお店の回転が良いので、店員さんもすぐに気づいたのだろうか。
次に座った人がすぐに店員さんへ教えたのだろうか、父はそういう肝心なところが少し抜けていたりする。
何かに注意を取られて大切なことを忘れる。
すみませんねぇとカバンを受け取る。
車を出してお城へ向かう途中に私に父がたずねた。
「お蕎麦美味しかった?」
うーん、と私は曖昧な返事をする。
「あそこさ、はじめて子供の頃みんなで来たよね」と味以外の話をする。
「そうだっけな」父は覚えているのか覚えてないのか、それについては関心がないようだった。
続けて私は言う、
「美味しいのかもしれないけど、お蕎麦の味はわからないと思う。冷たくて美味しかったけど、あと量も多いから東京で食べるもりそばとは違うよね。すごいお腹いっぱいになったし。」
そんな感想を述べた。
一応、父は満足しただろうか、俺も蕎麦の味はわからないけど、蕎麦好きには美味しいお店なんだろうねという二人のなんとも微妙な感想だった。
老舗の味はむずかしい。
グルメではないのでなおさらだ、私たちに感想を求めるのは間違っているのかもしれない。
車をお城の方面にすすむと父の通っていた高校があった。
この裏口からよく入っていったのだ、と、昔と同じ場所にあるのかと考えたらもう50年以上、それは半世紀も前の話だ。
少し校門のところで車を止めて車内から眺める。
タクシーなども通るのでそんなに長い時間車を停車していることはできなかった。
そのまま、お城口の駐車場まで行って車を止める。
不思議な感覚だ、たぶんこの上田のお城は子供の頃、あと最近でも何回かきたはずなのに何回も来た感じがしない。
それはいつも、ここに来ると感じる。
来た記憶があまり思い出せない。
公園の入口まで行く、前はびっしりと車が止まっていたせまい駐車場がいまは解放されて、車を止めることができず、城址の門の入口前は広場みたくなっていた。
足元をみると昔あった駐車場の白い枠線が中途半端に薄い色で残っていた。
紅葉が綺麗だった。
城といってもここは櫓しかない。
櫓からつながる先、視線の向こうに伸びていく山肌と紅葉が目に入る。
風はまったくない穏やかな秋のお昼すぎだった。
父が写真を撮りたがる、しかも私の写真を撮りたがる。
私は私が残ることがあまり好きではない、写真も嫌いだ。
それでもカメラにおさめたいのであればと、気の済むように私は被写体になる。
影がどうのこうのと、たいして変わりもしないスマホの写真に父はだいぶこだわる。
私は影のあるところから、陽のあたる場所へ、そして背景をみて、門の端から真ん中へとずいぶん動かされた気がした。
父も変わりに映してあげるが、俺は何回もここに来ているからと、
それでも鮮やかな紅葉を背景に私も父を写真に残したくなる。
自分は映るのはいやだけど、父は残しておきたい。
こういうところは私は勝手だと思う。
今は水があまりない堀、紅葉しかかった樹木、ここはたぶん季節ごとに面白い顔を見せるのだろう。
夏にきた時の緑が勢い良く感じる雰囲気も大好きだったと思い出した。
なんだかんだで写真ばっかり撮っていたら中に入れないので、もう行こうと父をうながす。
入ると真っ赤な真田ののぼりと神社がすぐに目に入ってくる。
ここもだいぶ大河ドラマで変わっただろうか、昔きた時はこんなに赤々しくなかった。
とにかく赤が色鮮やかに目に入る。
真田神社、色々な神社があるなかで武将をご神体というも凄いことだとふと感じた。
勝負の神ということ、絵馬をみると受験について書いてあることが確かに多い、絵馬に六文銭の家紋を入れておりいかにも武運があがりそうでかっこいい。
神社のキーホルダーも部活をモチーフにしたものが多い。
サッカー、野球、吹奏楽、色々な種類の勝負ごとの願掛けにくるのだろうか。
父にいわせると社務所も新しくなったとのことだ。
社務所には色とりどりのお守りとおみくじ、いったいどれが普通のおみくじかわからないくらいたくさんの種類があった。
私はこういったのはシンプルなのが好きだ。
だがシンプルなのがあまりない、
外国の人も来ていて物珍しそうに眺める。
父は何かお守りを買っていくかと私に話すが、大丈夫と答える。
お城から出る帰り際に、昔電車の駅があったところを眺める。
はじめ私は堀だと思った。
お城が二重の堀になっているのかなと聞くと、ここは線路があったところだと、
もう廃線になったのだと、
線路があったところは綺麗に木々のトンネルになっており、昔線路があっただろう場所は人がお散歩をしている。
父がまだ20さいくらいの頃には駅があったそうだ。
車をとめてあった駐車場の土産物屋さんに入る。
何も買うことはないがお店の中を眺める。
子供の頃に買った松代焼の茶碗がまったく同じ形、おなじ色、おなじ柄であったのに驚いた。
先日、家のリフォームの際に捨てた湯飲み茶碗、
店内は武将のキャラクター、戦国バサラだの、忍者だの、アニメを用いて若い人向けへのお土産が強い印象もしたが、あんな昔に買ったお土産もまだ残っているのかと、すこししみじみする。
父はくるみそばという銘菓をかった。
あれ、美味しんだなと、子供の頃と変わらないパッケージ、そば粉の味、パッケージをみて商品の説明文を読み上げる、ああ、そう同じこと書いてあった、コーヒーにも紅茶にも会うお菓子って、
確かに和菓子とも洋菓子ともいえる少し独特な感じ、強いていうと栗饅頭だろうか、好きだった味、そんな味を思い出した。
車に向いながら、なんだか昔よりすごく赤い印象がしたねと素直に言った。
目立たせるためだろうかと、そうしたら父がそりゃこの辺は上田城しかないからなと、
城址公園の中も大河ドラマ後だいぶ変わったようだ。
飲食店などもなくなってしまったらしい。
昔しそういえば、ここでは千曲川で採れた川魚も食べることができた気がする、小諸だったけな、そんな曖昧が記憶がよみがえる。
家に戻ってもまだ午後3時すぎぐらい。
家の下にあった大きな家は今は誰も住んでなく近くの子供の学童になっていた。
小さい子供の声が縁側の向こうから聞こえる。
ストーブをつけて温まった部屋で少し居眠りをした。
父も眠ってしまっている。
先ほどお土産屋さんで買ったくるみそばを少し食べて懐かし味を思い出す。
やることもなかったし、暇だった。
洋室に置いてある大きい荷物のカバンの中からランニングウエアを出す。
スマートフォンで調べて距離を測り、ランニングのルートをきめた。
外へ出る。
かなり陽が傾いていた。
昨日寝れなかったし、今日走れば良く寝れるかなとそんなことも思った。
いつもとは違う道、もっと山の方へ向かって走る。
しかし、ここは道が少ない。
なので車が集中する。
田舎なのにまるで排気ガスを吸ってランニングをするかのようだ。
歩道も狭い。
暗くならないうちに目標まで到達して戻らねばと思った。
途中で歩いて帰ってくる高校生とすれ違う、まるで物珍しいものをみるかのような目つきだった。
たしかにこの道はランニングには向かないかもしれない。
ただ、それでもどんどんなだらかな坂道を上る感覚が好きだった。
いつもとは違って景色がどんどん流れる。
人がいるのかいないのかわからない集落、けど道は車が多くて不思議な感覚だ。
ここら辺は昔、おばあちゃんと歩いた道だった。
記憶をたどって一緒に歩いた道を振り返る。
こんなところまで歩いてきていたのかと、なんとなく思い出す。
ここは、おばあちゃんが転んだ横断歩道だったのではないかと、そんなことも思い出す。
ずっと続く坂道はつらいというよりはいつもの真っ平な道を走るのとはまるで違う新鮮な感覚だった。
汗がぽたぽた落ちてくる。
だいたいの目標まで到達した。
折り返し、そこは家までずっと下り坂、
いつもゆっくり50分くらいかけて走っていたが体感的にも短く、実際に走った時間は40分ぐらいだった。
家の付近についたら少し周りを歩く。
昔父とキャッチボールをした記憶のある小さな丘お上の公園、なんともない、昔はもっと大きかった気もするが、今改めてみるとこじんまりしている。
木製のテーブルが一応おいてある。
少し外れて景色を眺める。
家の前に大きな家が建ってから見えなくなってしまった蓼科の山々が夕方に近づいたすこし薄め目の空に浮かんでいた。
この景色、昔知っていた景色だと。
家まで戻り、縁側の前を通って、一番前の洋室の部屋の戸を開けたままにしていたのでそこから家の中に入る。
少し休憩をする。洋室にあった受験勉強をしていた時に使っていたオフィスチェアに座る。
さすがに息がきれていたが、もう気温も冷たいのですぐにサッと体温も下がってきて汗が冷たい。
もとの服装に着替えて、走ってきたものを洗濯機に入れる。
居間の扉を開けると父はまたタバコをふかしながら本を寝そべって読んでいた。
お風呂入れても良い?と聞く、
ご飯はどうする?と聞かれる。
ご飯はつくるよって、私は走ってきたことを気づかれるのがなんとなく嫌だったので立て続けに会話をする。
お風呂を洗って、ご飯の支度をして、
台所に行ったけど、料理酒もみりんもなかった。
父に聞くが見当たらない。
きっと人も済まないので調味料も最低限なのだろう。
冷蔵庫をあけてもほとんど物が入ってなかった。
日持ちするソースや醤油などだけ。
父が何をつくるのか聞いてくる、どうしよう生姜焼きにしようかっていうと、それは料理酒とみりんが必要なんだ、はじめてしったという。
夕飯はそれでも醤油と砂糖を使った生姜焼きにして食べた。
お味噌汁もなめこを使った。
なめこがとにかく大きい。
二人分ではなく三人分は作れた。
お風呂に入ったあとにご飯を済ませる。
片付けも終わらせる。
本を居間で読んでいたけど落ち着かないしあまり眠っていない。
結局なんだかんだで一日ゆっくりできたのかできなかったのかわからない。
午前中に小海宿へ行って、城址公園、ランニング、少し疲れた。
でも寝れない、
薬で眠らなくて良いのだが明日は上高地の方へ行くけっこう遠出になる。
ここでちゃんと眠っておかないとしんどいのがわかっていた。
家から持ってきた睡眠薬を飲む、ふっと簡単に眠りに落ちてしまった。
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