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「時を超えてわかる気持ち」一期一会は究極の理想な人付き合い

ということで、

といきなり、ということでと言われても・・・となりすみません。

時をかけて人の気持ちを理解する時ってありませんでしょうか!?

そんな話を・・・

孤独と嬉しさの二律背反・・・

私は、どうあがいても内向き内向型なので、

一人が好きです。

ブログの世界になって、

どんどん、話さなくなったのですが、いっこうにそれについては・・・

問題ありません。

一日どころか、三日は余裕で無口でいれます。

そこに「つらさ」はなく、

むしろ、生きやすいです。

強がっているんじゃないの?ですとか、そういった意見があるかもしれませんが、

本心です。

ただ、人と話すのであれば・・・

一期一会は大好きです。

お互いにどんな素性か知らないですし、

いちいちこの後のことを考えずに、あと腐れなく話せるので、

おそらく、一期一会なら、だいたいのタイプの人と会話できると思いますし、それは好きです。

それで、一人でいることを選んで、

実際に楽なのですが、田舎の方へ行って、過していて、

その場所に人がきた時に、

ふと知ってしまった感情があったのです。

私は、東京の方から空き家の田舎に、

気持ちが淀んだ時には、良く心をもとに戻すために逃げて、

最初から最後まで一人で居れば、一か月ぐらいは平気で一人で居れます。

ですが、知った人がそこに来た時、

人が帰っていくと、調子が悪くなるんですね。

この原因の正体は、まごうことなき、「寂しさ」です。

 

一人で自然に囲まれた田舎にいてずっと過ごしていて、やっと誰かと関わっても良いかなと、自ら感じて田舎を後にするのと・・・

ふと、心を許せる人が来て、帰っていく姿をみるのでは、まったく違うことで・・・

私は駅で人を見送るなんてことしたことは、ほぼないのですが、

あってもすぐに会える距離の話しで、

 

ですが、田舎まで来てくれて、

それで新幹線のホームのエスカレーターに消えていく、来てくれた親しい人の姿を見た時に、

あ、

昔、この田舎に、一人で住んでいたおばあちゃんってこんな寂しい気持ちだったんじゃないかって。

はやくにおじいちゃんが死んで、

一人で悠々自適に暮らしていたかもしれませんが、

遠くから訪れて来る孫(私のこと)、

おばあちゃんは、いつものペースとは違う生活になりますし、こっちは勝手に楽しんで、勝手におばあちゃん孝行したつもりで満足して帰っておりましたが・・・

私が楽しかった分、寂しさを与えてしまっていたのかもしれないと・・・

なんだか、時を超えて、

感情が重なった気持ちになったのですね。

エスカレーターを上って消えていった人の後ろ姿をみて・・・

みんなには、帰る場所も待っている人もいるんだな、と。

素直に寂しいですね。

ということで、

私は、次の日は雨が降ったので、そんな感情も洗いながし・・・

晴れが見えているうちに、早々に田舎をあとにしたのでした。

理想な一期一会って

私が思う、理想の人付き合いって、

どんなに波長があいそうでも、

会っていて楽しくても、

ずっといれば、なにか、ある。

面倒な感情の交換もあるでしょうし、言葉で表せない意思の確認作業もある気がします。

それで、楽しく過ごして・・・

心の底から楽しくて・・・

じゃあ、いつ次に会いたいかって考えたのですが、

死ぬ間際にもう一度会えればいいかなって

そんなことを私は思ったり、

それで、一期一会の覚悟で出会った人と、人生の最後に会話してみたいです。

いやー、たぶん色々あっただろうけど、

「よくここまで頑張ってお互いに生きたねー」って、

「ほんと久しぶりに話したけど、いままでどうだった?」

そんなノリで、

一日ぐらいかけて、凝縮した時間の中で、その人の今までを話したりですとか、

聞き続けて、

それって究極の理想だなぁーって、そんなことを考えたのです。

そんなやり取りであれば、かつて嫌だったお局さんも、会社の上司も、

絶対に話せるし、いや、むしろ、どうやってその後生きてきたのか、

ものすごく聞いてみたい!と・・・。

そんなことを想った、一期一会と寂しさと、時を超える感情について、でした。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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