いつかは終わるときがくる、いつかはやらないといけない時がくる
ほんとうに、私は貧乏くじだと感じた。
末っ子で産まれた。
二人の姉は結婚して家をでた。
長女は子供がいる。
私はなんとなく母と今の家に取り残された。
色々な意味で健康でない母、
父は母の飲酒が原因で私が幼稚園の時に離婚し離れた。
正直に書くとうちの母親は「生活力」がない。
「行動力」もない。
ただ、ずっと家について決定権のある母は、何もしないまま家をそのままにした。
だいぶ家も傷んだ。
生活を支えていた祖父祖母が死んでからずっと家は手つかずのままだった。
祖父母がいなくなってから数十年経つ。
部屋の床もきしんでいつ壊れるのか、寝るときですら起きた時は地面に埋まっているかもしれないと不安のまま眠りにつくのがここ数年からあった悩みだった。
同じように今の天井もたわんで隙間ができて板が剥げてきている。
いつ天井が落っこちてきても不思議ではない。
ずっと、こんな家について、仕事以外にも、居住に関しても心配な毎日を過ごす日々だった。
特に、会社をやめてから家にいることが多い。
毎日の生活スペースがこんなに荒れていたのか、こんなに手つかずだったのか、なんでこんなになってしまっていったのか、日中にいると良くわかる。
春に伸び放題だった庭木を切り倒したら陽が当たるようになり、8月の庭は背が高く伸びた雑草だらけだった。
一面の雑草を見ると心が荒れる。
雑草を見ていらいらする。
天井を見ていらいらいする。
床のきしみでいらいらいする。
まったく落ち着かなかった。
住居の問題についてはいずれどうにかしなくてはならなかった。
この土地を売って別のところに行くべきか、
どちらかというとおじいちゃん、おばあちゃんの土地を手放すというよりはもう衰えて格段と生活力と判断力が落ちた母が少し心配であった。
すぽんと別の知らない土地に引っ越しをして、突然ボケたりしないか、
まだ若い私だって正直、知らない土地を探して、家を探して、それが納得できる買い物なのか心配であるし正直怖い。
思い切った行動は怖い。
ただ、母は元から生活力がなかったので、どのみち、このままでは母が死ぬ前までに家が壊れて住めなくなるだろう。
どちらにしても朽ち果てた壁、床、そんな環境で絶望に浸りながら死んでいくのだろうか・・・。
そう考えると正直、母が気の毒になってしまった。
若い頃からアルコールにおぼれ、精神を病み、そしてボロボロになった家で死んでいく。
私ならそんな人生はいやだ。
もっと言うなら、私にはやらなければいけないことがある。
みなくていけない景色がある。
こんなボロボロになった場所、母をみながらこの先、生きて行くのはごめんだ。
色々と考える、ほんとうに悩んだ、
この心配がはたして母のためなのか、私のためなのか、途中でわからなくなったりもした。
今でも正しい決断であったかはわからない。
しかしできることをした。
「終活」・・・、そうもう終わりが近いんだ。
目を逸らしてもしかたない。
ほんとうのことだ。
私だっていつまで生きて行けるかわからない。
極端な話、もしかしたらみたかった景色がみれた瞬間に気持ちが弛緩して頭がおかしくなってしまうかもしれない。
母に家のことについて話した。
この人はいつでもいやなことは見て見ないフリをして現実逃避する。
昔からそうだった。だからお酒に逃げた。
「天井なんてみないで生活すればいい」
ほんとうにほとほとあきれた。
私のイライラはここでピークになった。
そっか、もうこの人は動かない、残された力もない、じゃあ私がやるしかない。
会社もやめたことで時間もあった。
「毒を食らわば皿まで」そんな言葉が頭にうかぶ。
そうだ、ずっとこの人に振り回されてきた。
母の生活力なんて言うが、私だってもっと強い生活力があれば、体が強かったら、ストレスに強かったらもう姉二人とおなじようにとっくにここから去って行ったに。
離れて暮らす父と相談した。
いつまでいるかわからないが、とりあえず住めるようにして、それが2.3年後かはわからないが、修理してから考えればと言われた。
たしかに、母もあと何年生きるかわからない。
ただ、どこか知らない土地に突然引っ越すのはリスキーだ。
残された選択肢、今のところをなんとか手直しして数年、もしくは10年ぐらい過ごす。
そしたら私の死までもなんとか住環境は確保して行き延びられるのではないかと、
もうこの際、私もふくめて「終活」してしまおうと、いつでも身軽に、動けるように、そうやって家のリフォームから庭までできるだけ手をつけていった。
言っておくが私はまだ死を意識してはいないが、いつでもどこかに異動できるだけの余力を残しておきたかった。
余計な土地、古い家、庭の雑草、そんなノイズを取っ払っておきたかった。
そして母がここに居れるだけの安心を確保しておきたかった。
ひとつの終わりのはじまりだ。
でも、それは新しいはじまりだと知った。
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