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「押し入れ」には押し入れない方が良い いつでも鞄ひとつの気持ちで

押し入れの片付けをして見えたもの

ほんとうにどうやってこんなに物が貯め込まれるのだろう。

「押し入れ」というが、その言葉をつけた意味は重たい。

もっと別の言い方、例えば、「仮置き」や、なんだろう物を貯めこまない言い方、うまい言葉はないのだろか。

とにかく「物が押し入れられ」ていた。

おそらくこの心理は、扉をしめれば見えない、だから入れたことすら忘れる。

何が入っているか把握もできなくなる。

ほこりも溜まる。

だんだん見て見ぬフリをしはじめる。

さらにどんどん埃が溜まる。

もっと詰め込むようになる。

もうまさに負のスパイラルである。

なので、一度、この負のフパイラルを破壊するために、ぶったぎるために思い切って捨てました。

なんでこんな物があるのかな

まだ、おばあちゃん、おじいちゃんが着ていたもんぺや着物が残っていた。

なぜ母は若くて気力がある時に処分しなかったのだろうか。

押し入れを開けて、片づけしながら泣きたくなる。

未知の場所を開拓する気持ちは雑草とりから学んだ。

なにごとコツコツと勇気をだして少しずつでも処分していけばいつかは開拓される。(と思う。また勝手に物が入らない限り)

もう、母にこの処分に関して期待してもしかたないと感じた。

一緒に作業しながら、体調が悪いと言い放ったのだ。

もうほんとうに申し訳ないが、私が勝手に処分する。

いつかは捨てなくてならないし、母が目の前の現実をみて気分が悪くなるのであれば私がやるしかない。

きっと母はこうやってなにごとにも逃げてきたのだ。

いやなことに目を背ける。

あげくに私が子供の頃に、お酒に走った。

そして父と離婚をし、子供の教育は祖父、祖母にまかしネグレクトしてきた。

思い出すと彼女の行動にいまさらながら嫌気がさしたり、怒りが湧いてきたりもした。

何かを変化させるのが彼女にとってはストレスなのかもしれない。

でも、そうやって生きていればずっと負のスパイラルから抜け出せない。

私はずっと今まで無限地獄を味わって生きてきた気がする。

塵も積もれば山となると言ったものだが、負のスパライルに陥る生活様式、物を片づけられない生活、どんどん意識のどこかにほとほと嫌な「気」がたまって、私の心も蝕まれていったのだろうか。

そしてそれが体をおかしくするほどに。

母は現実逃避が得意だ。

だから、そうやって死んでいくのであれば、ずっと何かから逃げたままなのかもしれない。

ひとつでも何かに対峙してもらいたかった。

なにかコツコツとやることで見えてくるものがあることを知ってもらいたかった。

自分の生まれ持った才能以外にも、積み上げればみえてくるものがあることを知ってほしかった。

いつでも、自分で制御ができる子供を利用して自分だけの価値を保つのはやめてほしかった。

もうアルコールを飲まなくなった母には、それだけでも感謝なのだが、どこかでもっと、もうひとつ、わかってほしい気持ちもあったが、もう、これ以上母に現実という物を見せ始めたら、またアルコールに戻ってしまう気がする。

現実なんてひとつ過ぎ去れば、またひとつ、見えてくるいやなことは何にだってあると思う。

事実、彼女は隠れてたばこを吸い始めた。

別に隠れることはないじゃないかと、とっさに言った。

ここで隠したままにするとなおやっかいだ。

たばこなら不始末にする以外、体を壊す以外はあまり人に迷惑をかけない。

もう、なんでそんな心配この年になってまでするのかな・・・。

やっぱり泣きたくなる。

どっかに消え去りたくなる。

「終活」と言っているが、私はいつでもこんな環境から旅立てるように物を減らしたいだけなのかもしれない。

たとえ家(ここ)から消えたとしても物持ちを少なくしておけば整理する人は、私のように、おばあちゃん、おじいちゃんの代までの持ち物をさかのぼって処分することはない。

姉二人は、この片付けに関して全く手を貸してくれなかった。

いつでも末っ子の私がなんだかんだで家の最終的なことを押し付けられ、母の面倒もみるのだろうか。

やっぱり泣きたくなる。

押し入れはいつでも空っぽで

スペースがあるから物を置いてしまう。

これは今回の片付けでほとほと感じた。

他の記事でも書いたが、じゃあスペースがない人が暮らしに大きな不自由があるだろうか?

贅沢な話だがうちには物を置くスペースがたくさんあった。

これが悲劇のはじまりである。

置く場所があるから置く、無ければないで工夫する。

「押し入れ」などあるから押し入れてしまう。

「物置」とかあるから物を置いてしまう。

つくづく思った。

これが無意識のうちにそうとうなストレスになることがわかった。

生活味がないと言われてしまいそうだが、私はもっとさっぱりと生きたい。

だから家はどんどんがらんどうになってきて、やはり母二人で暮らすには逆に広すぎる場所だと、場違いだと、家が綺麗になっても暮らしづらいし、なにかどこかしっくりこない部分がある。

押し入れにはこれ以上、物が入らないように何か衝立でもしておきたいぐらいの気持ちになった。

ただ、それでも物がなくなると、どんどん体が軽くなる感覚がする。

良い脳汁がでる。

心地よい。

どんどん体にたまっていた不要物が浄化されるような気分だ。

少し物を捨てるのに汚いものを見るので、行動するのには勇気がいる。

まだまだ捨てなくてはいけないものがたくさんあるので、ほとほとうんざりするがそれでもだんだん心も視界も開けてきた。

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