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家具の買い方でわかった人の考え方と気持ち

家具は、たくさん入るのか、手入れしやすいものが良いか

家の物の処分をしている中で気づいたことがある。

家具の買い方、置き方である

むかしの人は物が不足していた時代だったので物をため込んだのだろう。

布がない時代だったので布をためたみたいだ。

田舎では石油ストーブの時代になっても、非常用で薪(まき)を縁側の下に残しておいて、ずっと捨てられなかったとのことだ。

家を整理しながら、不要な家具をリフォームの時に片付けて気づいたことがある。

家具のスペースが物をおける場所の縦、横、高さにぴったりであった。

これは考え方の違いで、「逆によくその幅にあわせて家具を選ぶな」と思うところでもあったが、私にとってはこんなにぴったりな物の置き方をされたら掃除ができない。

隙間にたまる埃なんて絶対に次にいつか家具の買い替えで業者が動かさない限り取れないだろう。

そんな家具の置き方が私は気になってしまい、ほんとうはこの機会に一気に壊したかったが母が使うというので仕方なく残した。

雑草とりからも学んだが、物は自分の制御がきく管理の仕方が理想だと思う。

草木も伸びすぎて自分で管理ができなくなると、いずれ人は見て見ないふりをしはじめる。

どんどん伸びて、心にも嫌な「気」がどんどん伸び放題になる。

見えないところのほこりも同じような物だと思うだが、物が不足していた昔の人はどれだけ物を詰め込めるかを考えたのだろう。

私は家具なんて自分で動かすことができなければ、家具でなくゴミだと感じた。

どれだけ豪華で装飾されていたとしても、不要となって自分で処分や動かすことができなければいつか大きなゴミになる。

処分のことまで考えて物を買うなんて貧乏くさいと思われるかもしれないが、自分で動かせなくてほこりも管理できなのはほんとうに嫌だし、そうなると、掃除なども放棄してしまうだろう。

私はたくさん物が入るよりも管理しやすい物の方が生きやすいと思う。

だからスペースにぴったり埋まったタンスを残すのはほんとうは嫌で嫌でしかたなかったが仕方ない。

ただこれ以上物を捨てて、今が変わると母の精神がおかしくなることも怖かった。

母の物である洋服が入っているタンスを捨てるのは自重したが、おじいちゃんおばあちゃんの物は遠慮なく捨てる。(母の部屋の押し入れにちゃんとタンスがあるので、そこをうまく使えば必要ない気がする。)

どうせいつか、また私が捨てるのだろう。

今回、姉二人はまったく協力してくれなかったように、だから今のうちに身軽にやはりさっぱりと生きたいと思い、いつでも何かを捨てながら生きることを意識して生きないとあっという間に物に潰れるのだろうと感じた。

家具の大きさで思った、人の価値観の考え方だった。

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