夢が天文学者だったが、もうひとつ興味をもっていたこと、
それが物を書くことだった。
ただ、漠然とした興味であって本当にそれができるなんてそれこそを夢のまた夢だった。
もともと本を読むのは好きな方だった
物書きになる。
もともと本を読むのは現実逃避や妄想を良くする人間だったので好きな方だった。
受験で浪人していた時に良く本を読んでいた。
ただ偏りがあった。
好みのジャンルもけっこう暗い。
どちらかといえば嫌世的だったり、破壊的であったり、今思うと昔の趣味は少し苦しい。
それでも本を読みながら、物を書いてみたい。
一度、そんなことを口にしてしまったことはあった。
それは、人生ではじめて大切な人に出会った恋人だった。
心の底から全てをさらけ出すことができた人。
私の思春期というのはあまり華やかではない。
どちらかというと暗い。
いや、ものすごく暗い。
子供の頃に親が離婚し、あげく育てられた母親はアルコール依存症だった。
心の底から安心する環境というのが子供の頃からなかった。
思春期の中学なんか、みんな人が変わったように性格が変化し、その変化について行けず、人間関係もつらくてつらくて仕方がなく、同じ中学の人がいないような遠い私立の高校へわざと通った。
通学でほぼ片道1時間半だった。
帰りのバスなんて一時間に1本のようなところだ。
でもその高校生活もダメだった。
どうしても、心のどこかに、家庭環境の不安がいつもついてまわった。
なんだろう、家から離れれば、何もないはずなのに、暖かな日差しの後ろからせまってくる怖さ、
頭をかすめる、家に帰ると酔いつぶれている母の姿、それが恐怖で仕方なかった。
だから友達とも心の底から楽しい会話をできない。
いつも半笑のような気持ちだった。
明るく楽しい青春時代なんて夢のまた夢だった。
それでも大人になって大学を出たあと、そんな私の今までの全てを話せる人と出会えた。
その時に口にした言葉が、物を書きたいということだった。
「良い、文章を書くんだよ」と言われたのを今でも覚えている。
もう今その人はいない。
でも、私の全てを受け入れてくれた人だった。
その人にいつか言ったこと。
物を書く。
死ぬまでに叶えてみたいってどこかにあった。
あの時は文字を残すって、本を出したりそんなことしか想像できなかった。
インターネットを通して文字を発信する。
それは今の時代だから考えられたことなのかもしれない。
そんな、いつかの夢を叶える。
幼い時に星空に興味を抱いた気持ちと同じようなものだった。
私にとっては、いつかの星空をはじめて眺めるような気持ちそのものだった。
生き死にをはじめて知った時に思い出したこと
物を書く、そんな漠然とした夢なんて、ただ夢で終わっていた可能性の方が高かったかもしれない。
人は頭で考えられても行動に移すことは難しいものです。
きっかけは病気の疑いだった。
はじめて死を意識した。
そんな時に人生を振り返り、何を残せただろう。
このまま会社で良いように使われて、体調が悪くて、休みたいと相談しても「俺じゃ判断できないから」ってたらい回しにされ、
そんな毎日の日々に、生まれて始めて本当に私を受け入れてくれた人との約束も果たせないまま死んでいくのかなってふと思った。
どちらかと言えば、仕事以外で出会う数少ない好きな人間関係はどれも私にとっては大切な人ばかりだった。
お金に縛られない本当の人間関係、本音で話せる数少ないひとたち、私はそのひとたちに何か気持ちを残せただろうかと思った。
ある日リンパ線がはれて小さな病院へ行ってから、あっという間に大きな病院で検査を受けた夏のはじめ日、
腕に残る針の後がよけい心細くなり、日差しが痛いくらい心につきささって、
あの時にもう死ぬんじゃないかと思った時、
私は何も、誰にも、本当の気持ちを残せていないと切に感じた。
このまま死んだら私が生きてきた証がまったくない。
思春期頃に母親も、そして離れた父親も恨んだけど、いざ死を意識したら伝えられなったことの方が多かった。
例えば親に対して「なぜ生んだのか」というような否定的な言葉ではない。
むしろ、
「産んで生の光景を見せてくれてありがとう」というような言葉だった。
ブログを書こうと思っていた気持ちに真剣に向き合った時は、病気の疑いが出た時だった。
人は死を意識した時に、はじめて、ちゃんと物事を考える。
もしこの経験がなかったら私は今でもおそらく、つらい仕事の中で気持ちを抑えたまま、周りに気を使いながら、気持ちを押し殺し生き続けていただろう。
そんなことは、容易に想像できる。
死を意識した時に自分の部屋を整理した。
その時にいつかの手紙が出てきた。
過去の日記も出てきた。
「良い、文章をかくんだよ」
はっきりと思い出した。
あの時の気持ち、そうか、それを叶えることができれば、せめて私が生きてきた意味もあるかもしれない。
母親の、アルコールで溺れた姿をみて、周りにビクビクしながらずっと生きてきた。
それでも、ブログで文字を残せれば、大切な誰かに気持ちを届けることができるかもしれない。
病気の恐怖心が、ブログを書く決定的なきっかけとなった。
それはまったく手探りのまま。
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