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天体観測は中毒性の高い趣味・・・燃費だけかかり賭け事みたいなもの

8月の夏、天の川がみたいと、

山奥へ向かいました。

どうしても印象的だった5月に星を観た場所、

夏本番の天の川をみたいと、

それで再び訪れて向かったのです。

スマートフォンの予報で、天候は晴れのち、曇り。

天体観測は、月齢(月の大きさ)が大きくなると月光の影響で、夜でもあまり良く星が観えません。

三日月もだいぶ大きくなってきていましたが、

再び訪れた時は、月齢がまだ若い月だったので、夜が進めば月は早めに地平線へ消えます。

行ったのは、8月の上旬でした。

とりあえず観えるかわからないけど向かってみたこと

しかし・・・、実際に現地に行ってみて、あまり晴れていませんでした。

長い距離を運転してきて、

観測地点にたどり着いて、

感じた違いといえば、春に訪れた時の雪がなくなり・・・

春にはいなかったのですが、馬が草原に放牧されていて、柵越しに近寄ってきて、

しかもかなりフレンドリーな感じで、こっちの持ち物を舐めてきます。

そして、星を観る場所にたどり着いて、視界に入ってきた夕暮れの空は…空の面積が少ない。

観光客も少ない。

暗くなるにつれて、さらにどんどん曇ってきました。

しかもそれが不穏な感じです…

風もわさわさと地面の草を鳴らし、

雲に近いのか、流れが速い…

これから雷雨になるのではないかと、ふと感づきます。

もし急に雨が降ったら、

傘を持ってきてないので、持ち物もカメラも壊れてしまう気がしたので、

あまりにも速い雲の流れを目の前に恐れて帰り支度をします。

空が曇っていると、夜の山は怖い…

日も落ちて、明かりがなくなって、山に閉じこめられる感じです。

歩いて15分ぐらいの駐車場に戻って、もう一度、空を眺めます。

やはり雲が流れて、それでもさっきよりは空が広いかなと感じます。

空をしばらく観るのですが、

薄く雲がかかり、

もし星が観えたとしても、天の川は無理という感じです。

天体観測は、賭事みたいなもの

星を観ることは、ギャンブルみたいなものだな、と、その時感じました。

たくさんの星を求めはじめるとキリがない。

もし、理想の星空があるとすれば、それは、理想の完全体は、宇宙だと思います。

空気の濁りも、曇りも、チリも、揺らぎもない。

理解されないかもしれませんが、そんな星空を観れたら死んでもよいと、そう想ってしまう・・・

ということは、こんな欲求も、ある意味、中毒症状に近いと感じます。

スマホの天気予報はあまりあてになりませんでした。

現地にいる人に聞くのが確実だなと感じます。 

Twitterで情報を集めたり、もしあれば、その場所の観光協会などに実際の天候を出発前に聞いた方が山の場合は確実です。

訪れた場所は、山の田舎なので、ひとつの町の区間がおおよそ、だいたい30キロぐらいです。

そういった距離感は、だんだんそれが遠いと感じず、当たり前に思えてきます。

たぶん、東京に戻れば、30キロの距離は電車だと速いので、そんなに遠くに感じないのかもしれません。

電車があれば、30キロだと、30分ぐらいで着く距離でしょうか。

 

車だと1時間ぐらいは、なんだかんだでかかります。

 

距離感の感覚の違いは不思議です。

東京ですと、電車がありますし、道路だと車が多いですし、

都心の場合は、電車が普通といいますか、それしか移動手段がないので、「ふだんの行動に慣れていくのは、感じている感覚をあきらめていくもの」これは人の進化といっていいのか・・・、ふと、真っ暗な山道の車を運転しながら考えます。

星を観るのは、高原だからといって良いわけではない

それで、観れなかった観測スポットから、30キロほど離れた別の場所、

高原の方へ、まだ夜になったばかりで時間もあったので移動してみました。

そっちの方は予報ではこれから晴れになるようでした。

ですが、行ってみたら、

夏、人が多過ぎでした。

ペンションの宿の明かりで空も全体的に明るい感じです。

人も、日中の暑さが引いた夜は涼しいのか、

団体か合宿の学生がたくさん道をうろうろして、

でも夜の道は暗いので、うっかりひいてしまいそうな感じで、学生が道幅を占領しております。

しばらくとどまって、よさげなスポットを探したのですが見つからず、結局また別の所を移動します。

人がいなそうなところです。

それで、しばらく適当に車を走らせていたら、道に迷ってしまいました。

どんどん進むと、獣みちのような細い道路にいつの間にかなっていき、普通に鹿がいました。

さすがに怖い。

急カーブの曲がったライトの先に鹿がスッと通り過ぎるのです…。

まだ、バンビぐらいならほっとしたかもしれませんが、

立派な大人のサイズの鹿が道を軽やかに横切ります。

これを後で、姉に報告したら「それデイダラボッチになる前の鹿だったんじゃないの?」って、電話越しにケタケタと笑っておりましたが・・・

まあ、実際に真夜中の林道の暗闇で鹿に遭遇した恐怖は、そんな冗談考えている暇もありませんし、リアルサファリパークな感じです。

ナビを見ても、今いる場所がどこかわからないですし、

対向車がもし来ても、車が2台通り過ぎるのは不可能な幅、

というか車を停めるのが怖いのです。

前も後ろも道は真っ暗で、

たぶんおそらくですが、

閉所恐怖症の人の気持ちがわかった気がしました。

このまま止まったら、どっかの世界に閉じ込められてしまう感じです。

 

いや、あの時はおそらくこの世ではない別の世界に居たと・・・感じました。

 

ほんとうに車の中がむし暑い・・・

冷房を入れても入れても、どんどんフロントガラスもくもっていって、雨も降ってないのにワイパーを使います。

車の中の気温も、外は山の夜で涼しいはずなのに、なんだか生暖かい。

標高の高低差なのか、雨が降っていないのに、ガラスもくもって、空気もジトっとしめっぽい感じです。

さすがに嫌な雰囲気でしたので、

運転中の音は嫌いですが…ラジオをつけました。

ラジオは、はじめは電波をひろっていたのですが、だんだん雑音になってきます。

で、あげく音も途切れて最終的には雑音ばかり…

なお息苦しくなります。

頼みのカーナビは、

「南西に進んでください」

「南に進んでください」

「東に進んでください」

などと、もはや、具体的なこの先の道案内を出すことをあきらめはじめ、まるで壊れたカーナビのような案内を繰り返し、すごく投げやりな指示になっていきました・・・

「案内のしようがない」とカーナビの心の声が聞こえてきました。

スマホのカーナビも起動するのですが、やはり電波が届かずに使いものにならずに、

カーナビとスマホ、両方とも意味のない道案内がただ、うるさく、

やたらと、東西南北の方向だけを指示していました。

ですが、向かっている先が東西南北どちらであろうと、道はずっと一本続いているだけなので、

ただ、もう目の前の先を進むしかないという感じでした。

もどるのにも、Uターンするようなスペースもなく、

こんな真っ暗な山の中で車を止めたら終わりのようで、ただただ下にくだって行く、真っ暗な道を運転し続けることしかできませんでした。

それで、体感で1時間ぐらいでしょうか、

ずっと、ぐねぐねした道をさまよって、やっとやっと人家の明かりが見えてきました。

ほっとします。

車をようやく、明かりのある所で停めて、あらためて電波が届くスマホで現在地を確認したら、

いつのまにか、山をひとつ越えて北の方へ抜けておりました。

それでも、星はみえておりません。

近くのキャンプ場もダメでした。

それで、

もうひとつ過去に行ったことがある別の山のを知ってました・・・

予報をあてに、みてみると晴れでしたので、みえればという期待もこめて、

ここまで来たのだから、もうちょっと、と、

そのもうちょっとが、もはや、

そこから運転して、ふたたび1時間ぐらいですので、もう感覚が麻痺していたと思うのですが、

その時の感覚では、「近い」と感じてしまうのです・・・。

この麻痺してしまっている感覚がもうギャンブルみたいだなと運転しながらわかっていても、先を目指してしまいました・・・

それで目指していたところに再びついたのですが、

もう真っ暗、

まるでゲームの世界、人気がまったくない、というか「熊注意」の看板の文字がライトの光で視界に入った瞬間に、ここはダメだと悟ります。

人気がまったくない…。

懐中電灯の光だけでは、ここは無理とすぐに感覚でわかりました。

そして、予報と違い空は完璧な曇り・・・

 

やっと、その日に星を観ることをあきらめました。

帰りを決めたころは、ラジオも電波が入り、ラジオ番組のジェットストリームが聴こえてきます。

日付も変わってしまい、

もうかれこれ、5時間ぐらい、距離として、だいたい60キロぐらい、ずっと、さまよっていたんだと気づきます。

往復で考えると120キロ以上、

星も観れずに、ただ観れそうな場所を探して、

ずっと移動だけして、そして燃費だけが、2800円とかかりました。

そんな感じでしたが、

ですが、それでも、あきらめて帰る時に、車が降りる前の山から、視界に入ってきた街の方の明かりは綺麗でした。

山肌、盆地に沿って街があるんだなぁと・・・そんなことを気づきます。

「街の光が星の光だったらなぁ」とふと思います。

観測に向いているところを探すコツ

それで、車を運転しながら帰り道に考えたのですが、どこが観測スポットに良いか選ぶ基準ですが、

晴れて明るいときに、夜の空がイメージができる場所がよいです。

ここで夜、星が観れたら綺麗と感じるスポットが良いです。

あとは、展望台など名のついたところは、あたり前ですが視界も開けて、空もみえやすいところなんだと思います。

まったくの知らない場所の夜、空は、

周りや空のイメージ、検討がつかないので、観測スポットを暗いなかで探すのは難しいと感じました。

結論、星空を見つけることは、よろこび100万ドルだった

ということで、

こんな感じで、

天体観測は、私はパチンコをしませんが、

まるで、パチンコのようだと感じたのです。

あまり観えない時は、もっとよく観えるところを求めて、

なんか、当たりそうな台やお店を求めて移動するような感じでしょうか、

気づけば、山と山の間まで、

真っ暗な獣みちすら進んでしまって、

危険も忘れてしまい、

観えることができたら、できたで、

もっとたくさん観える夜空を求めて・・・キリがない。

ちょっとしか観えない時は、いつかの満天の星空を思い出し、

満天の星空を観ても、もっと凄い空があるんじゃないか、

と想像してしまい、

あたってもあたっても、満足できないギャンブルのようだなと思いました。

 

もう、完全な中毒・・・addicted・・・、

それに、観ることができれば、

どんな条件でもよいって感じで、

当たっていればどんなお店でもよいって感じでしょうか、

満天の夜空って、

つまりは、

よろこび100万ドルなんだなぁと、通りすぎた街のパチンコ屋さんの看板をみて、ふと思ったのでした。

天体観測はギャンブルと一緒で、星がたくさんあるだけ、

まるで私にとっては、夜空に出玉がたくさんみたいなものだと、そんなことを感じたのでした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

→天体観測、リベンジをした時の話はこちらです。

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