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いま思えば地獄のような毎日だった、会社での苦しみの日々

 

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ブログ書きをはじめた時、そして仕事を辞めたいと考えた時、こんな状態だった。

思い出すと恐怖でしかない日々から抜け出したかった

もともと、体調に不安を感じる少し前から、

仕事に対して、会社に対して、これから先のことについて気持ちのどこかで、雇われて働いて行くということに疑問をもっていた。

社員と同じレベルになるように、一生懸命仕事を覚えて、働いてもこれ収入が上がるわけではない。

4年以上働いてきて、時給が上がったが、それは数十円のレベルだ。

かつ、働きはじめて1年も経たないうちに、別の場所にオフィスの移転が発生してしまった。

今までよりも交通費がかかり、考えればむしろ手取りは少なくなるありさまだった。

以前、社員として勤めていた会社は、外資系企業で日本から撤退してしまい、それから仕事が見つからず仕方なく派遣として働いていた。

 

もともと家から通いやすかったら選んだような職場だったのに勤務先も移転した。

交通費だけでなく、もちろん通勤時間だって1時間以上長くなる。

どちらにしても、このままでは、色々なことができないまま、どんどん時間だけが過ぎて行くと、月日が経つにつれて感じていた。

こんな収入では、こんな毎日では、ずっと幸せになれない

それは、はっきり感じていた気持ちだった。

じゃあ、もっともっと頑張って、働いているところで正社員になって生き行く、

でも、これ以上、どう頑張るのだろうか・・・。

こんな生き方をしていたら、心も体もいずれエネルギーが尽きて、死んでしまうだろうと感じた。

心が病気になるのが先か、体が病気になるのが先か、

どちら先にせよ、もっともっと、いいように扱われて、こき使われるのは目にみえていた。

正社員として働くことも正直なところ、

会社の人間をよく観察していると、その組織の中に属する生き方に正しい意味をみつけることは、どれだけ心をだまして生きたとしても、やはり無理だと断言できた。

社員どうしの悪口、陰口、仕事の押しつけあい、わざとミスを教えない、わざとミスを誘う、人をロボットか感情のない物のように扱う。

弱い立場の人間には容赦なく嫌な顔、

声をかけてくるなという雰囲気を与えて、業務上の相談も聞く隙をあたえない。

一生懸命覚えても、褒められることなんてない。

むしろ新しい知識を覚えても、マウンティングされたり、もう気持ち悪かった体験をあげたらキリがなかった。

私の場合、技術的な判断をできるように、ほんとに必死で覚えた。

現場から罵声を浴び、内容について教えを願った社員からも、はじめて聞くような業界用語で話をどんどん進められて、何語を話しているのかわからず、それでもネットで単語を調べてなんとかついていった。

「日本語でしゃべってほしい」こころの底から思った。

彼らにとっては日本語かもしれないが、ほぼ素人からすれば日本語には聞こえない。

言葉については感じるところはたくさんあった。

なんでわざわざ難しい言葉を使って仕事をしていくのか、

「assign(アサイン)」そんな言葉、日常的に使う必要がほんとにあるのだろうか?

まるで業界用語じゃないか・・・、誰でもわかる言葉で話せばよいのになんでわざとわかりづらい言葉を使うんだろうか、

なんで余計にわかりづらい仕事の仕組みをどんどん作っていくのだろうか、

必要以上に仕事を複雑化して、

それで意識の高い仕事をしているつもりにでもなっていたのだろうか、

そんなの空気に触れていたら、日に日に不満を通りこした、

なんとも言えない気持ちがどんどん蓄積される。

それでも自分をダマして希望をもっていたけど・・・

これさえ覚えて、社員と同じ知識を習得したなら先が開けるってどこかで思っていた。

いや、そう思うしかなかった。

社員は電話に代わってくれないので、

現場からの罵声を抑えるためにも、自己防衛のためにもなんとか技術的な業務も覚えるしかなかった。

でも、苦しい思いをして、覚えても、それでも何も変わらなかった。

数ミリも変わらなかった。

心が折れたのは、ここまで覚えたので待遇の改善はないのかと、やんわりと派遣会社の担当者に言ったのだが、

派遣会社の担当者を通して、

就業先の管理者から返ってきた答えは「そこまで判断するように言ってなかったけどな」だった。

ほんとにずるいやつだと思った。

管理者はいつだったか、業務内容把握の為か、きまぐれに電話をとっていた。

電話向こうの問い合わせは、基準値から数値「1」オーバーしているという内容だった。

仕事をしながら耳に入ってきた。

信じられなかったのだか、電話をきったあと、「基準値「1」ぐらい良いよね」って笑いながら隣りの社員へ話していた。

隣りの社員も管理者の言うことにさからえないから、少し引きつり笑いだ。

私たちが「1」でも許容して、それで問題がおこったら絶対に判断理由を問い詰められる。

「1」でも違うことなんてしょっちゅうだし、いつもその「1」の判断に苦しめられていたのに・・・。

私はそんな管理者も含めた社員をやはり残念だけど、

信頼することができなかった。

そんな、都合の良い解釈ができる根性に、

あきれたを通りこして、ほんとに図々しいと感じた。


怒りもわいたが、そんな考えになってしまうまで立場にしがみつき、その会社で生きていくしかない管理者に、少し同情に近い憐れみを抱いてしまったのも事実だった。

もう彼らは、自分を守るためにも、自分の為にも、
そういった考えで生きていくしかないのだろう、と。

なんだろう、ほんとうに、公平でなかった

世の中の会社なんてみんな、こんなようなものなのだろうか・・・。

これで全ての心が折れてしまっていた。

それでも、周りの職場の人は工事の判断ができる人間がいれば容赦なく頼ってくる。

現場からの罵声を浴び、電話口の向こうの人間が怒っていることすら告げずに、変わってくれと懇願され、電話にかわった瞬間に、受話器のむこうから怒号がきこえる。

もうみんな自分を守るのに必死だった。

私も含めて、働いている人たちは、無意識の中で、人に仕事を押し付け、危ないものを察したらトイレや会議室に逃げ、人をわざと蹴落として立場を上にし、もう人間としての生き方を忘れて、自分を保っていくしかなかったのだろう。

そして、業務は、とりあえず何でもメールで情報を共有する。

一日に送られてくるメールの数なんてあたり前に、100件以上だった。

休みの次の朝、会社について、パソコンを開いた瞬間にメールボックスがいっぱいになっている。

とりあえず、メールを他のフォルダへ移さないと未受信のメールすら入ってこない。

もうパソコンの使用容量もいっぱいいっぱいだった。

使用領域の空きもないのですぐに動いてくれない。

だから本当に必要な時に、必要なシステムが落ちたりするのもあたり前だった。

パソコンが普通に起動するようになるのに、電源を入れてから1時間ほどはかかった。

はやく仕事をはじめる為には早めに出勤しなくてはならない。

現場からの対応に必要なシステムを使えるようにしておかなくてはならない。

しかもその間に始業前でも現場から、容赦なく電話がかかってくる。

誰かが、電話をとらないといけない。

だから、朝出勤してパソコンを立ち上げたら、すぐにトイレに逃げる。

必要なシステムを起動してログインするまでが勝負だった。

ログインしてからシステムが使えるようになるまでまた時間がかかる。

その間に電話がきて、つかまってしまえばアウトだ。

システムにログインできたら、電話が鳴る前にすぐに席を離れる。

ちなみに契約社員はスリープにして帰社していた、本来であれば完全シャットダウンするルールだったが、暗黙の了解で見逃されていた。

システムが正常に起動するのに10分以上かかる。

朝から、そんな毎日だった。

そして、たくさん届くメールの中に、大切な業務内容のルールが紛れている。

数あるメールを見過ごしてしまい、業務について不明な点があった場合に、上司に聞けば、「メールに書いてあったよね?」それで会話が終了する。

ほんとうにその言葉は嘘みたいだが、氷のように冷たい。

そんな世界だった。

気付かないふりをして、人が苦しんでいるところも平気で見過ごす。

こんな環境の中に、たとえ今よりいくらか生活が保証されたとしても、魅力なんかまったく感じられなかった。

むしろ、そんな人たちと同じ組織に属する、そのことの方が苦痛だろうと、容易に感じた。

派遣社員として、根本的には別の組織に属している、その方が給料が安くても、生活の保障がなくても気持ち的には楽だったし、まだ自尊心を保って生きてられるような気もした。

 

管理者ふくめ、役職のある社員はどうしようもない人たちばかりだったが、それでも、働いていたところで出会った人、全てが悪い人たちばかりではなかった。

それでも少しは優しい人もいて・・・

感じたのは、同じ場所にいない人たちの方が優しかったことだった。

離れたセクションの人たちの方が、直接仕事の押し付け合いをしない人間関係なので、話しやすい部分があった。

だから経験のある他のセクションの人から専門的なことをなんとなく、話の流れでこっそり教えてもらったりした。

話のついでに聞いてみたり、そしたら、わからなかったことは、案外簡単な理屈だったりして拍子抜けしたところもあった。

周りにいる人たちは、

いかにも難しいことをやっているんだ、大変なことなんだって、

恐怖をうえつけるようにわざと難しい専門的な言葉や説明の仕方をしてた気がしてならない。

物事なんて、捉え方、別の角度からみたらあっけなくわかることはけっこうあった。

それと、外部の人たちの方が周りよりもずっと優しかったりもした。

電話のむこうの外部のひとは、私が派遣だなんて知らない。

ビジネス上の付き合いもあるかもしれないが、専門的なことを、はじめはわからなくても、徐々に理解し、会話ができるようになると、

むしろ好意的に、色々なことを教えてくれたりもした。

周りにはいまさら聞きづらい技術の基本のこともこっそり教えてくれたりした。

だから、他のセクションの人、外部の人たちからずいぶん専門的なことを教えてもらい、助けられた。

「敵に味方あり、味方に敵あり」そんな感じの職場だった。

それでも外部の人と電話で仲良く話していたりすると社員の機嫌が悪くなったり、そんな雰囲気もあった。

だから、社員が会議などでいない時にかかってきた電話で、こっそり仕事以外の気の抜けた話をしたりすることもささやかな楽しみだったりした。

最後の方はかなり、工事のことを理解したので、現場の人たちも、優しかった。

現場判断でも最後は、社員よりも頼ってくれたり、ほんとのはじめの時と違って信頼してくれたり、あきらかに言葉使いが丁寧になってくれて、合間に忙しくないかと気を使ってくれたり、管理者や会社の悪口も向こうから言ってくれたりして、そこまで話あえるようになった。

だからそんな人たちと出会えたことは、とても財産になったし、嬉しい経験だった。

職場から離れる後悔をひとつだけあげるとしたのなら、仕事を覚えて信頼関係をつくれた人と離れてしまう、それだけだった。

社員は社員でことごとく排他的であったので、私があのような感じの人間にはなりたくなかったし、そこに居続けたら、嫌でも、そうならざるを得ないような場所だった。

⇒地獄から抜け出すきっかけになった話へ

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