前回の続き
上高地へ山を越えて
昨日の夜ははやくから本を閉じて、薬を飲んで寝てしまった。
田舎に着てからいちばん深く寝れることができた。
東京からここにきた、一昨日もなんだかんだで忙しく、その前の日は良く寝れてない。
今日は上高地へ行く日なのでかなり朝早くに起きた。
朝の6時くらい。
長い一日が始まる。
朝起きるといつものようにすでに父が起きて洗濯物を干していた。
ご飯の支度をする。
昨日の夜と同じ、野菜を切ったり納豆など簡単なご飯だ。
味噌汁をつくるのにも時間がかかり、なんだかんだ炊事をして済ましたらもう9時過ぎを回っていた。
上高地の天気を調べると相変わらずサイトによって天気が違う。
今日は晴れていると表示されるサイトもあれば、雨になっているところもある。
やっぱり山の天気は、わからないのかなと父と話す。
話ながら突然、父が、温泉に泊まっていくか?と言いだす。
泊まりかぁと、
なんでも上高地近くの白骨温泉には、父の妻方の姪っ子さんが仲居として働いているとのことだ。
そんなの今日初めて聞いた。
もちろん知る話でもないが、父はいつも唐突すぎる。
そこに訪ねるかと私に聞く、私は父の再婚した妻方の人に会うのが嫌だとかそういうことはまったくないが、突然、私が知らないが父の知っている人に、知らない地で会うというは正直、腰がひける。
私は良いというしかないし、父もおそらく会いたいのだろう。
その人はもう子供もいて、旦那さんは開放的な人だから妻が長野の温泉で仲居として働いてもあまり口を出さないのだろうと言っていた。
だいぶ変わった人だと思うよと父が言う。
変わっているというのはもちろん良い意味で、だ。
ふーんと、まあいいんじゃないというか私は断る権利もないし、どうせ宿代は父が払うのだろうし。
私は、私自身のことを色々と詮索されるのが好きではないので、あまり父の知り合いとは会いたくないのが本心だったが、何しろ上高地に行くことと引き換えだから仕方ない。
気づけば父は宿へもう電話をかけていた。
展開がはやすぎるが、それも父の計算だったのかもしれないと今となっては思う。
私が断る隙をあたえないで、当日の朝に言う。
父のスマートフォン越しに電話に応答した声がきこえる。
父は〇〇さんはいますかと、旅館の電話番にずいぶんとストレートに言うので少し驚いた。
電話の向こう越しに、どちら様でしょうかと聞かれている。
いや、知り合いのものでと、
それでも電話には変わってくれないというか、さすがに田舎の温泉と言っても怪しむのではないかと私は思った。
この時にけっこう小さい規模の旅館なのかなと思ってしまった。
従業員の名前をすべて把握できるくらいの規模の旅館。
電話の向こうで、それでは直接連絡を取って欲しいと言われたみたいだ。
父はそんなこと言われてもなんともない感じだ。
直接かけてくれって言われたと。
私はそりゃそうだろうと少し思ったが、もう父は電話をかけなおしている。
電話の向こうから少し大きめのハキハキした声が聞こえる。
父であることを告げて、今日は行きたいのだが泊まれるか?と電話の向こうへ話す。
いったん折り返しとなった。
まあダメなら他をあたれば良いしと、ずいぶん父は楽天的だ。
結局、父はこうして旅を楽しんでいる。
私は、もうどうにでもなれば良いやとすこし開きなおり旅の支度をし始める。
洗濯物を家の中の縁側に干したり、持っていく荷物を玄関の方へ運んだり。
父と親戚の仲居さんとの話に私が近くにいるのもあれだと思ったので、居間から離れて色々と先の展開を見守った。
居間に戻ると、上高地の天気は不安定で雲が流れているとのことだ。もう雪が降ったとのこと。
確かにスマートフォンの情報をみると最低気温は1℃くらいだ。
真冬の格好で行く必要があるだろう。
車でここから白骨温泉まで2時間くらい。距離だと90キロぐらいになる。
そんなにかからないだろうと父、今日訪れる旅館で働いている父の親戚の仲居さんから、新鮮な野菜が欲しいと言われたとのことで行きに農協へ寄ることになる。
山だから野菜なんていくらでもあるだろうと思ったが、まかないの食事は揚げ物が多く、野菜が少ないとのこと。そして、街までは遠いらしい。
行き先も決まったので準備を整えて行く支度をする。
とりあえず、向こうは寒いだろうからと、この前コインランドリーへ行った時に使った洗濯カゴにジャンバーやらマフラーやら手袋を放り込む。
車を出す。今日も父が運転するとのことだった。
家の前の坂を車で下り始めたあたりで父があれ鍵をかけたかな?と言いだす。
これが前もあった。
うーん、私は覚えてないが父がそういうなら不安になる。
見てくるよと車を下の方へ止めておいてもらい坂を駆け上がって家の鍵を確認するとちゃんと閉まっていた。
こいうところが不安になるらしい、年をとると気になるのだと言う。
改めて二人とも安心を手に入れたので車を進める。
いったん近くの農協によって野菜を調達する。
新鮮な野菜がたくさんある。レタスなど、ただ改めて野菜を眺めてみるともう夏野菜はない。
ありそうなトマトもキュウリも農協にはなかった。
白菜はちょっと大きいし使いようがなさそうだしとカゴに入れるものに思いの他、二人で悩む。
果物は豊富だったので、林檎をカゴに入れただろうか、ないものは別の近くのスーパーにしようということになるが、それでも新鮮で調理のしやすそうな野菜はすぐにカゴいっぱいになった。
あらかじめダンボールを用意してきたのでそれに詰め替えて車に乗せる。
スーパーにも立ち寄り、農協には無かったトマトやらキュウリやらを足して買う。
あとはここの銘菓も買って袋に入れてもらう。
こんなお菓子必要かな?と言うと、一応形として、向こうの従業員にも配る必要があるだろうと、少し話が大きいかな、と思いつつも父の意向なので好きにさせる。
こんくらいあればよいだろうと父は言う、少し私は多そうな気もしたが余れば、野菜を置いておくところなんてたくさんあるよと父は楽観的だ。
街を出て山の深いところに近づく、途中、コンビニに寄ったりと、生菓子は必要だろうか、じゃあとりあえずみたいな感じでまた持っていく荷物が増えて行く。
私は山奥の温泉街の雰囲気を知らない。
どれくらいの物が不足しているのかも正直ピンとこなかったのだが、父は数年前に言った事があると言っていた。
長野は大きい街を超えるのに必ず山があると言っても良い。
隣りとは言っても90キロ先だ、勾配のある山道を走ったり、なんだかんだ直線距離ではないのでその距離よりも体感としても長い。
最初の峠に着た時に山の紅葉の深さを知った。
空は快晴で黄金色、淡い赤、陽の光はほんとうに綺麗に木々を照らす。
途中で通る渓谷、よくこんなところに道をつくるなと父は何回もこの旅の運転中に言っていた。
たしかに、この長さのトンネルを切り開くのには途方もない時間に思える。
いつ先に光が見えるかもわからない山を掘っていくのは想像しただけでも少し怖くなる。
山の温泉地をいくつか超えて、峠も越えると松本市に入ってきた。
今回は市街ではなくダイレクトに白骨温泉の方まで、途中で松本市街を通ることなく、広い松本盆地を眺めながら車を進めた。
松本に来てからアルプスの山々が雄大に広がる。
ほんとうに高い、崖のように高い。巨大な壁だ。
もうすでに雪をかぶっており、ここから見える奥の山々は寒いということが目に見えてわかる。
去年きた時は曇りでほとんどアルプスは見えなかった。
運転する距離もようやく折り返しになってきた。
目的地まで約半分、もう時間は午後を過ぎて13時頃になっていた。
ここからまた登り坂になってくる。
松本駅から出ている、上高地線という電車の線路に沿って進んで行く。
新島々という駅が上高地線の最後だった。
ここに少し大きめの農産物を売っているお店があったので立ち寄る。
もう並ぶ果物は冬の林檎だった。
林檎ってこんなに種類があるのかと感心してしまうぐらい品種が豊富だ。
キノコを煮てあるお土産や、そのままの銀杏、野菜もあるがここでは買わない。
新島々の近く、少し離れたところにこの辺りでは大きなバスターミナルがあった。
きっと電車できた場合、松本まで来て、松本から上高地線で新島々までくる。
そして新島々から上高地の方面へはバスなのだろう。
新島々を過ぎて、車で少し進んでいったところの路側に父が車をとめて車内で電話をかける。
父のスマートフォンがカーナビと自動接続したらしく、ハンズフリーになって相手の音声が聞こえた。
父はそこを理解してないみたいだが、電話はつながっているし私が途中で声を出すのも、と、思ってそのまま黙って聞いた。
朝、電話越しに聞こえた感じそのまま、車のスピーカーを通してはっきり聞こえるのでより電話の向こうの声がわかった。
ハキハキとはっきりして元気な声の人だった。
父が野菜は買ったと告げる。温泉についてからどうするのかと尋ねる。
ご飯でも食べるかという。
相変わらずスマートフォンは耳に当てていた。
父の親戚の仲居さんは、今日、仕事は休みだかそんなに時間はないとのことだった。
温泉につくと、案内所の近くに斎藤商店というのがあるので、そこで何か買ってきた方が良いよと教えてくれた。
私は安曇野ビールが良いかなって笑いながら元気よく話す。
案内は私がするのでそのままで来てもらえらば、との話だった。
電話が終わって、路側帯にとめていた車を再び走らせる。
私は、ご飯食べるなら二人で食べてきなよとやんわりと同席を断る。
自分はさ、温泉ついたら少しひとりで観光するし、と伝えたが、とりあえず行ってみてからきめようと父が言う。
だんだん景色も山深く、どんどん紅葉も深まり、車は山を登っていく。
しかし不思議だ、広い世界で、こんなに山の隙間に沿った小さな場所で父の親戚がいるのだから。
そんなことを考えながら車から景色を眺めていると、梓湖(あずさこ)が見えてくる。
乗鞍(のりくら)までくるとそこはペンションだったり、まだ雪をかぶっていない、リフトが備わったゲレンデの山が見えた。
景色はだんだんとモヤがかかる。高原に行くと良く見る、霧が地面を這うように移動する感じだ。
霧がさーっと道路の上を流れていく。
昼だが車のスモールランプをつける。
温泉の方の天気もおなじように曇っているのか気になる。
何しろ、今日の夜晴れてないと星を見ることができないのだ。
私の期待とは裏腹に徐々に雲は厚くなり乗鞍を過ぎる頃、天気はほぼ曇りになっていた。
それでも雲の隙間からたまに除く光は紅葉の山を綺麗に照らしてくれる。
何度ヘアピンのカーブを通り越しただろうか、いったん乗鞍付近の、温泉へ続く道路のてっぺん辺りまでくると、今度は少し下り坂になっていった。
白骨温泉
山を越えたのだろうか、なだらかな道を降りて行くと、白骨温泉の看板が見えてくる。
ああ、確かに深い。
その一言だ。
俗世間から離れた土地、高い山に囲まれた秘境と言えばよいだろか。
乗鞍をこえてここまで降りてきて、そこにあるのは温泉だけだ。
旅館らしい建物がちらほら目に入ってくる。
そして、電話で教えてもらった観光案内所につく。
案内所と言ってもほんとうに小さい。
さきほど電話で教えてもらった、この白骨温泉で唯一のお土産屋である斎藤商店があった。
車を駐車場へ止めて降りる。
案内所の近くに気温計があった。気温計は1℃を差している。
なんだかんだ、もう午後3時頃、父はお店に行ってくるという。
私はトイレに行きたかったので案内板の地図を確かめて、近くの公衆トイレにむかう。
猿がいた。
道の端から端へ渡る電線のちょうど真ん中に、ここが私の居場所だとばかりに座っている。
トイレに行く途中の電線に、私からみて背中を向けていたのだが、少々怖くて電線の下を通れない。
猿は何を見ているのだろうか、私の気配に気づいたのか、キーっと何かに合図をするように叫びそのまま山の方へ消えていった。
電線は誰もいなくなり、ぶらぶらと揺れていた。
トイレの水で手を洗う水が、切れるように痛い。
もの凄く冷たい。
ポケットに手を入れて、来た道を戻る。
斎藤商店に行くと父が地ビールを買っていた。
黒いビールやら、種類が違うほかの地ビール、けっこうたくさん買う。
きっと今日訪れる仲居さん以外の人たちの分も、ということなのだろう。
けっこう色々な種類があるのですね、寒いですねなどとお店の人とまた世間話を持ちかけて会計をしていた。
店員さんは相槌というか、お愛想程度に少し笑っている。
お酒のおつまみや乾きものも追加で買って車に持ち込む。
もう一度、今日訪れる仲居さんに電話をかけるとそのままもう来ても良いとのことだった。
だいたいの道順を聞く、そのまま道順どおりに走ると旅館の名前が書いてある案内板が次々に目に入るのでほとんど迷わなかった。
そもそも、そんなに多くの宿がこの辺にはない。
旅館に着く。
かなりちゃんとしたところなので驚いた・・・。
えー、車で旅館の敷地内に入ると丁寧にお辞儀をして迎える男性がいる。
前方には先に来たお客さんの車が止まっていた。
旅館の男性がこちらに来て、車の鍵を預けていただければこちらで車を移動しますと言うので、降りる準備もなく少々焦る。
えー、とりあえずと、野菜の箱、カゴに入った防寒着、カバン、しまいにはとりあえず持ってきたノートパソコンも、
まったく温泉宿に来る格好ではない。
ダンボールを抱えて、冬物が入った洗濯カゴを手にぶらさげ、方にかけたショルダーバックにはパソコンもある。
あとでこっそり車に戻って取りにくれば良かった。
父は野菜のダンボールを持つよと、さすがに私一人では全て持ちきれないので、車を渡した後、荷物だけが残った入口付近で、二人でなんとか分けて持ち運びをする。
玄関に入る数段の階段で父がつまずいてしまった。
先ほど買ったビールの缶がごろごろ乾いた音を立てて転がる。
空いてない手をなんとか、荷物を玄関の脇へ放り込み、ビールの缶をすぐさま拾って玄関に入る。
なんとも奇妙な私たちの登場だった。
車の荷物を全部持ってきてしまった。
名前を告げて父がフロントに入る。
とにかく私は荷物を中へ、それでもロビーにあるソファーみたいなところへいったん案内されるので、手持ちのダンボールに困る。
仲居さんは、父の親戚の方でなく、若い人だった。
黄色の着物を着ている。
〇〇さんのお知り合いの方ですかとにこやかに話しかけてくるので、いや私ではなく父ですと告げる。
若い仲居さんはあくまでもニコニコとしている。
父が受け付けを済ましてソファーまでくる。
お茶とお菓子が用意されていたのでそれを食べきったら、この荷物なのでロビーにいるのも恥ずかしいと思いはやく部屋へ行きたくなってしまった。
若い仲居さんが〇〇さん用のダンボールは部屋での受け渡しはできないというので、どうしようかと、とりあえずどこに運べばよいのか私が聞くと、階段の脇の方へと言われる。
奥へ進むと従業員用のロッカーなどがある階段の脇へとりあえず置いて部屋に案内される。
迷路みたくエレベーターを昇ったのか、階段を下りたのか、一回ではわからない道順を案内される。
夕食の場所も案内された。
和室で、綺麗で、窓からの眺めも良かった。
正直、こんな旅館に泊まったことが無い。
写真では見たことがあるが落ちついていて、窓からは山が見えて、
案内してくれた仲居さんがいなくなると、ほどなく、父の親戚の仲居さんが訪れる。
今日はたまたまお休みだったとのことだ。
なので部屋にやってきたのも私服だった。
同じ建物の従業員用のところで暮らしているとのことだった。
私もかるく挨拶をするが、なにかせ人見知りなので言葉がなかなかでない。
父は知っている人だろうから良いが、部屋にあったきんつばが美味しいのでどうぞと促される。
父がいつまで働くのかと〇〇さんへ聞く。
あと数か月とのことだ。
父の親戚の仲居さんは、実際に会うと確かに行動力のありそうな人だった。髪も短くして活発、声も通る人だ。
年齢はわからないが痩せて、髪が短いので若く見える。
この温泉近くの観光案内もてきぱきとしてくれた。
「どうしたのですか、また急に?」と父に尋ねる。
「いや前々から来ようと思っててな」と返す。
平日だったので当日でも部屋が用意できたとのことだ。
私がいるのも邪魔だろうと、あとは私のことを詮索されてもなんと答えて良いかわらかないので、いただいたこの付近のパンフレットを手にとって、カゴの中の冬物を来て、私は外に出た。
ニットの帽子もポケットに入れる。
もう夕方、着いた時にだんだん空は雲っており、私が旅館を出た時は完全な曇りだった。
薄暗い山の林道を冬の気配を感じながらただ一人で歩く。
歩きながらパンフレットを頼りに、教えてもらった噴湯丘を探す。父の知り合いの仲居さんによると温泉の成分である石灰岩が重なってできた球状の岩ということだった。
写真とは少しイメージが異なり、曇って少し暗かったのかその場所を通り過ぎてしまっていた。
何回かそれらしい道を行き来したのちに、小さな看板があって、ああ、ここかとやっとわかった。
思ったよりも小さい。言われてみたら石灰岩の塊のようにもみえるが、ただの岩のようにも見える。
石灰岩の間をつきぬけて木が生えているので価値があるそうだ。
確かに岩の上に生えている木はずいぶんと大きい。
どんどん温泉の近くを散策する。
私は一人になれるのが嬉しかった。
いくら気の使わない父でも、やはりどこか緊張してしまう。
なぜと言われてもそういう物なのかもしれない、しかも知らない場所なのでどこかで緊張してしまうのだ。
この山深いところにきて、なお、父の親戚の人に出会うというイレギュラーなできごともあったのかもしれない。
私が気づかなくても、心のどこかが構えてしまって心臓のあたりを強く締めるような感じだ。
道をあるくとまったくの静かだ。
車もほとんど通らずに、人にも出会わない。
途中さきほどの斎藤商店と観光案内所に立ち寄ると、少しは観光客らしい人影がいた。
もう斎藤商店ははやばやと店じまいをしてしまっていた。
まだ16時過ぎなのに。
案内所の目の前には、今は入浴することができない、階段を下りて行くと川の麓にある露天風呂。
入口は鍵がかかっていた。
遠くの方には、川にかかる橋。
なんだか異郷の地だ。
ここはどこなのだろうかと思うほど山しかない。
雲った光の中では紅葉の山々もどこか冷たい色に変わっていた。
しかしシンとした気配がとても落ち着く。
さきほど来る前に、猿がいたお手洗いの方まで歩いてきた。
この先に滝がある。
滝の音がする方向、川のせせらぎが聞こえる方向に向かっている道の入口が壊れている。
道があるのかないのかわからない。しばらくあたりを見渡すと、壊れた道から少し離れたところに、枯れ葉で隠れたもうひとつの道があった。
誰もいない。
寒暖の差のせいか、自然の露なのか板でできた道はしっとりと濡れている。
トントンと木でつくられた道を足で音をたてて、先へ進んでいく。
誰の声も聞こえない。
ただ、ザーザーと水が流れる音、水の滴る音、まるで騒がしく自然の音しか聞こえない。
自然に溶け込みそうになる。
目をつむるとこのまま溶けてしまいそうになる。
途中で渓谷の先にできた自然のトンネルのその先を見つめる。
トンネルの向こうから光が差し込んで水が流れてくる。
トンネルの方へ吸い込まれそうになる。
見えない水しぶきがまるで見えるような綺麗な空気の場所だった。
まだ教えられた観光スポットがあるので道を引き返す。
途中で小さな神社や中里介山の文化句碑、若山牧水夫婦の碑、そして薬師堂で健康を祈る。
ほんとうに不思議だ。
道も車もない100年以上も前にこの地を訪れた人がいる。
どうやって来たのだうか、車で2時間くらいだが、それでも超えてきた山を考えると歩くなんて途方もなく感じる。
それでもここは昔から温泉があって、文学だって生まれた。
空をみると雪のようなあられのような大きな粒の氷が落ちてきた。
氷の粒が腕を濡らす。
さすがに寒い、これを初雪と例えて良いのだろうか、ただそんなに寒く感じないのが不思議だ。
外にあった観光案内所の気温計は先ほどと同じ1℃だった。
東京で1℃といったらかなり寒い。
芯から冷える寒さのはずだが、ここで感じる気温は山をのぼってきた時とさして変わらない。
もう感情がまわりの自然の空気に溶け込んでしまったのだろうか。
寒さよりも好奇心がまさってしまって、どうしようもないワクワクしかない。
まだ10月の終わりに雪と例えて良いのか、あられと例えて良いのかわからない気象現象を知ることができる。
まるで別世界ではないか、もうそれだけで体温は自然と高まってしまった。
傘も差さずに歩いてきた。
なんだか戻るのもためらったがそれでもどんどん夕闇に近くなる。
一時間ほど散策して旅館に戻ってきた。
ちょうど、ロビーからの階段を上る父の姿が見えた。
旅館の人とまたおしゃべりしていたのだろうか、私は後ろから駆け足で階段をのぼると父が気づく。
手を上げて部屋に戻る。
部屋に戻ろうとするが二人で迷う。
ここはロビーに出る前に一度2Fへ行って、また下へ下って。
まるで迷路のようだ、最初に着いた時に案内してくれた仲居さんに部屋に行き方を教わったが、一度で覚えることが二人ともできない。
まよってああだこうだ、鎧やら色々陳列している廊下に二人で迷っていると、父の親戚の仲居さんがあらわれた。
「道迷いましたか?」と聞かれる。
てきぱきと、ここが石灰岩の岩でとついでに展示された物を教えてくれたりしながら再度、部屋への経路を教えてもらう。
ここでも覚えられてない。
部屋へ三人で戻ると、もらった荷物のやり取りなどをする。
これは必要でこれはいらないと、
持ってきた量が多かっただろうか、仲居さんは丁寧に父にお礼をつげる。
そして渡した生菓子やらは、これは大丈夫ですと部屋へもってきてくれた。
というか、入口の取っ手にかけてあった。それを部屋にもってきて渡す。
みかんやら、たべかけのおせんべいもあって恥ずかしい。
確かに旅館についた時にとりあえず荷物を置かないといけないと、車の中で食べていたみかんの残りやら、おせんべいの食べかけやら、人に渡す形ではなかったので恥ずかしい・・・。
「すみません、みかんの皮とか車の中で食べかけの物を分けている時間がなくて」と言う。
「大丈夫です。みかんの皮は部屋の消臭にもなりますし」と答えてくれる。
私はこれが嫌味なのか、そうでないのか、そんなことを考える私はやはり性格が悪いのかと思ってしまって、やっぱりどこか人がいると緊張をしてしまう。
先ほど私が見てきた、温泉付近の感想などを簡単にのべた。
父の親戚の仲居さんは、今日は休みだった。休みでなければ、今日みたいに逆にちゃんと話ができなかったということを言っていた。
確かに、仕事中であったらやることもあるので仲居姿のまま部屋で話すのはできないだろうと、言われてみればと感じる。
仕事の日だとこうやって話す時間もなかったとのことである。
お風呂でも入って、その後ご飯でもどうですかと、またてきぱきと話してくれる。
テンポが良い。
ここの温泉の浸かりかたを教えてくれた。ここは、あまり長湯はいけないとのことだ。
効能が強すぎるので、温泉にくる人はぐったりして帰っていく人が多い。
温泉にきたのなら何もしないでダラーっとしているのが一番良いとのことだ。
仲居さんが帰っていったので、
そのまま、浴衣に着替えて迷路のような旅館を歩く。
浴衣になると確かに足元がスースーする、室内でも足元は冷たい。
旅館は静まり返っていて人に会わない。
それでも夕方なのか宿に到着したばかりの人がエレベーターからスーツ姿で出てきたりして、私が思うのもあれだが少し場違いな感じがした。
温泉はもう陽が山に落ちて薄暗く、煙で湯面も白いのでほとんど前が見えない。
眼鏡は温泉成分で変色してしまうとのことで眼鏡もないのでなおぼんやりしている。
乳白色でお風呂の底が見えない。
少し熱い。
湯船に浸かりながら、なんて遠くにきたのだろうか、思えばおととい、東京を経ってここまで、
近いような遠いような、
勢いで人はけっこうな距離をかせげるのだなとそんなことを考えてしまった。
まるでここはいつもいる場所とは別世界の湯けむりだった。
まるで、すっかり、ぽっかりこの世から離された人間になってしまったようだった。
露天風呂へも行ったが、木でできた廊下がギシギシとそして外までがけっこう暗く怖い。
外の温泉はすこしぬるめで、ざわざわと気が揺れる音と真っ暗な闇が怖い。
人がひとりいた。
眼鏡がないので空が見えない。
あまり長湯はいけないとのことで、少しだけ外のお湯の雰囲気を感じてから、肌寒い廊下をふたたび渡って温泉に戻り、内湯で体をあたためる。
戻ったら誰もいなかった。
私はいったい、なんでここにいるのだろうか、
文章が書けなくなった。
だから遠出をしてきた理由もあったはずだった。
浮上のきっかけがほしかった。
とにかく逃げるように、現実から離れるように、思い出すとこれは受験の時みたいだ。
誰もいないひっそりとした温泉、別世界、
なにか見えそうだけど見えない、父と二人できたからだろうか、
きっと一人で全てを抱えてここまできたら、自力で解決できる答えは見つかったのだろうか。
全て宿の支払いやここまでくる費用は父が出す。
なんて贅沢なことだろうか、でもその贅沢さが逆に自分を情けなくするし、ただ逃げているだけのようにあらためて考えてしまう・・・。
父は私が何を今しているのかも知らないし、聞いてこない、
私が悩んでいることも知らない。
そういう意味では、この親子は不思議だ、ほんとうのところを見せない。
私はきっとこんな山奥まできたのに何も見えないままで、ただただ父の出すお金で贅沢をして、何もつかめないまま戻るのだろうか、
お湯に浸かりながら、どんどんみじめになってきた。
こんなに遠くに逃げてきても、それでも私は私から離れることができないのだろう、と、そう思ってしまった。
お湯を出てから、先に出ていた父とそのまま夕飯へ行こうとする。
18時を過ぎていた。
お風呂に入る時に入口に置いておいたはずのスリッパがない。
ひと組しかない。
私はこういう物はいつも端っこに置くが置いた記憶のある場所にない。
ひと組みしかないスリッパは父に履いてもらい私は歩いたまま食堂へ行く。
食堂までの入口に入ると、若い仲居さんがいた。
食堂と言っていいのだろうか。
青々とした畳が敷いてありそこにテーブルと椅子が置いてある。
畳みの上に椅子があって、食器やこれから暖める肉が置いてある。
私たちをふくめて、テーブルは4つあった。
畳なのに、置いてあったテーブルも椅子の後もない綺麗な部屋だった。
ここを食堂と言っていいか、悩む。
仲居さんがやってくる。
〇〇さんとはお会いできましたかとにこやかに話す。
ええ、おかげさまでと、父が挨拶する。
食前酒が置いてあった。
こちらで乾杯でもしてくださいねと言われる。
他、飲み物はどうするかたずねられる。
私も父もほとんどお酒を飲めないがメニューを広げる。
それでも瓶ビールを1本だけ頼む。
食前酒は杏のお酒であまったるかった。
すぐに運ばれてきたビールを私はついでに父と飲む。
父は冷酒もあわせて頼んだ。
お酒なんて飲んでいるのをみたことのない父が心配になる。
料理は御品書きが手元にあるくらい私にとってはお上品で、料理を食べるペースを見て仲居さんが運んでくる。
二言、三言、世間話をしながら出てくる料理についても話す。
全部で4つのテーブル、それぞれにお客さんの名前と顔を覚えて料理の説明をするのだから大変なものだと食べながら思う。
みな静かに料理を食べている。
どこのテーブルも二人組。
停年を迎えたと思われる夫婦、林檎狩りに明日は行くと仲居さんと話をしていた。
母親と女の子供、子供と言ってももう良い年で、親子水入らずでのんびり来たのであろうか。
それにしても平日の旅館、観光シーズンを少し過ぎた旅館はひっそりとしている。
他のテーブルのお客さんが、仲居さんにどこの出身かと聞いていた。
私たちのテーブルに来たときに、父はまた興味本位に、盗み聞きのつもりはないのですが、さきほどのお話が聞こえまして、名古屋なんですか?と仲居さんと話をはじめるので、こちらのご飯の手がとまってしまう。
私はご飯を淡々と食べたかった。
まあそれでも、このやり取りはもう慣れたのでそのままに私も話を聞く。
この仲居さんは、どうやら父の親戚の仲居さんと同じく、そんなにこの旅館へ働いているのは長くないとのことだった。
地元は下呂の旅館だそうで、大学を出た後でホテルのフロントなどをやって今いるとのことだ。
旅館で働くための修行なのだろうかとふと思う。
いくつくらいだろうか、まだ20代であることは確かだ。
飛騨の方ということ、来るときに地図をみたが、さらにこの山をひとつ超えた西の方だ。
話し方だが、確かに特徴があった。
関西というのか、どういうのか、少し上品に聞こえる。着物を着ているせいだろうか。
たとえて言うなら、君の名は、にでてきた三葉ちゃんみたいな、どこかのんびりしたやわらかい話し方だった。
東の話し方でも西の話し方でもない、なにかこう、どこの話し方なのかわからない、ニュートラルに感じる口調が、なおこの温泉の場所の奇妙さを際立たせる気がした。
父が親戚の仲居さんのことを少し冗談まじりに話す。
「関東の人間なので口がきつくないですか?大丈夫ですか?」とたずねる。
若い仲居さんはにこやかに微笑みながら、そこは丁寧になんともなく、するっと他の話に変えていく。
そういったプライベートなことがあったとしても、そりゃ話せないだろうし、こういうのはやはり知り合いがくると、父の親戚もこの若い仲居さんもやりづらいだろうにとは思った。
先ほどの野菜は皆さんで食べてくださいと、どこまでも父は周りに気を使う人だと感じた。
父のお酒がすすむ。
私も飲んでみたのだが、やはりお酒は口に合わない。
先ほどのビール一杯でも、体は斑点のように赤くなり、父に浴衣をまくってみせると無理には私に勧めてこなかった。
疲れだろうか、それとも標高のせいもあるのだろうか。ここは標高が1500m近くある。さきほど少し旅館内を散策したとき、売店で販売していた袋菓子はパンパンに膨れていた。
もしくは、お風呂から上がったからばかりなのかもしれない。
とにかくお酒のまわりがはやかった。
父の飲んでいた日本酒を少しもらったが、あまりに濃いので私はお湯で薄めるが、それでもダメだった。
もう明日もあるので無理に飲むのを私はやめる。
途中で、林檎を焼いた料理がでてくる。
これが予想以上に美味しかった。
林檎をたべてこんなにジューシーと思ったことは一度もない。
いつのシャリシャリの食感でやわらかさに美味しさを感じたことはなかった。
でも果物じたいの温かさもちょうどよく、噛みしめると柔らかい果肉から甘味がジュ―っと広がる。
アップルパイよりも美味しい。
焼き林檎って、どうして果物くって発送になったのかな?とふと父にたずねる。
やっぱりアップルパイがヒントなのかな?と重ねて話す。
それもあるかもしれないけど、とりあえず昔の人はなんでも焼いてみたんじゃない?お酒がまわった父は適当に相槌を打つ。
確かに、そうかもしれない。
とりあえず焼いたのかもしれない。
何も昔の人が林檎に熱を加えることによって甘味が増したり、やわらかくなるなんてわざわざ計算した上で調理をしただろうか。
私はなんでも考え過ぎるのかもしれないと、ふと、こんな料理ひとつでも考える。
料理を運んでくれる若い仲居さんは、同じ料理なのにそれぞれのテーブルで同じ説明をする。
それぞれの客が、この料理についてと質問をするので、けっこう大変だと私は観察していて思った。
めいめいに疑問に思ったことを尋ねる。
例えば、信州サーモン、これはここで養殖しているものなのかと、ふと聞いていた。
言われてみれば、話を聞いていると、この旅館の生け簀(いけす)でつい先ほどまで生きていたのを絞めたそうだ。
人によって料理への疑問はさまざまな角度があるのだと感じる。
私が焼き林檎ひとつに感じるのと同じように。
料理のコースは、信州なので川魚の塩焼き、そしてお蕎麦などが出てくる。
父はまたお蕎麦の味を私に聞いてきた。
昨日食べたお蕎麦とどちらが美味しいかと。
父はもうだいぶお腹が膨れたのか料理にあまり手を着けない。
私はどの料理も、これは何だと私が食べた後に父が聞いてくるので毒見係のようになってしまった。
蕎麦は昨日、老舗の蕎麦屋で食べたものとは違って、蕎麦じたいが細い。
食事の間に、ちょっとの量を数口で食べるのにはちょうど良い。
なにより冷たい。
とても綺麗な水でつくったのだろう、お風呂あがり、そしてお酒で少しほてった体に綺麗な冷たさがからだに流れる。
お蕎麦はこっちの方が好きかもしれない、と、素直に父に言う。
食べやすいかな、と伝えると、俺のも食べれと私によこす。
なんだかんだ言って、焼いた林檎や蕎麦、その他もろもろの父の分を私は食べたので、最終的には1.5人前の料理を1時間近く食べていた。
これはさすがにお腹が膨れた。
最後にご飯と味噌汁が出てくる。
新米を炊いたそうだ。
ほら、やっぱり新米は少し柔らかいと、この前父が炊いたご飯のことをまた話す。
ご飯も水が良いのかとても美味しい。
粒が小さいのだがキラキラしていて、米がしまっていて鋭い。
一緒に出てきた、お漬物とお味噌汁だけで食べることができた。
最後にデザートを父の分まで食べるともうお腹はパンパンになってしまった。
ゆっくりと一時間もかけてご飯を食べ終える。
父にお酒は大丈夫かと聞くと、今日は楽しかったから大丈夫だと言っている。
ビールはお互い一杯ぐらいでほぼ手を着けてない。
お酒も飲める範囲で、全ては飲まなかった。
余ってしまった。
父に言わせるとお酒が好きな人は絶対にお酒を残さないと言っていた。
確かにそうかもしれない。
私は、最近になってから米やご飯をなるべく残さなくなった。
体調を崩してから、ご飯のありがたみがわかってきたから。
ふと、母の事を思い出す。
アルコール依存だった母は味も確かめずに、いつもトイレで隠れてパック酒を飲みほしていた。
雰囲気でわかる。
いや行動で、それこそ席をたった瞬間に、子供の頃から察してしまっていたがなにも言えなかった。
紙パックのお酒で飲むのも、ワンカップと違って捨てやすいからだ。
母がなぜあんな飲み方になったのか、ふと考えた。
理由は、酒の味ではないのだろう。
クスリと一緒で一気に飲み干して、一気に体にアルコールを流す。
きっとすぐまわる酔いの勢いに頼り、現実を逃れていたのだろうかと、ふと暗い気持ちになる。
他の席の客はもうご飯を済まして部屋に帰りはじめていた。
私たちも席をたつ。
お酒は残す。
酒に弱そうだった父は、確かにあまり酔ってなさそうだけど、あまり遠いところでハメを外さない程度に飲むように食事中ずいぶん言った気がした。
ここは標高も高く寒い、明日行く上高地がこの旅のほんとうの目的のはずだからお酒程度で明日の楽しみを奪われてはならない。
二人で席を立ち若い仲居さんへお礼を言う。
スリッパもちゃんと用意されていた。
父は帰り際に、また若い仲居さんに色々と話をする。
私は後ろについて、料理の時に出した魚を焼いていたと説明された囲炉裏などを眺めながら、適当に相槌をして会話の成り行きを見守った。
部屋に戻る帰り、やはりここの旅館は迷う。
きっと昔はエレベーターなどなかったに違いない。
昔からある建物に建て増しをして、部屋を増やしていったのできっとこんな複雑なつくりになったのだろうと父とエレベーターの中で話す。
少しウロウロすると、父の親戚の仲居さんに廊下でまた出会う。
まるでカメラで監視されているかのように、偶然にもよく出会う。
「迷いましたか?」と確かに、私たちは迷っている。
もう一度、親戚の仲居さんが部屋まで案内する。
もう二度目だ。
料理美味しかったでしょうと聞かれたので私は素直に、はいと膨れたお腹を確かめながら答えた。
父の親戚の仲居さんは、ついでにまた部屋に寄って少し父と話をする。
今日はお休みということで、私服だ。
父の後ろをついて歩いていたら、大丈夫?なんか奥さんみたいだよとそんなことを言われた。
部屋に三人で入って、ご飯の感想を聞かれる。
お蕎麦どうだった?と父に聞くので、そばはこいつが食べたと私のことを差す。
私は父の分の料理を食べていたので、ほんとうに久しぶりお腹がはち切れそうになっていた。
ご飯は全て残さずに、父が残した分も食べた。
ちょっとさすがに一時間くらい食べるのはきついですねと言うと、全部たべなくても良いんですよと親戚の仲居さんは言う。
もう布団が敷かれたので、父も親戚の仲居さんも、横になってやすめと言う。
言われたままに浴衣のまま横になるが、父とその親戚ということであっても、客観的にみたら、お腹を膨らまして横になっている私は恥ずかしい。
少しだけ目を閉じて話をききながら、トイレに行くふりをして私は部屋を出た。
旅館の廊下に飾られている絵や記念品などなど、売店に行ったり、自販機の酒の種類などを買いもしないのに確かめる。
ひっそりとした旅館のなかではそんなに時間を潰すこともできなかった。
館内を一周したりしたところで、部屋の方に戻っていくと、親戚の仲居さんと、夕食の時に話した仲居さんが一緒に歩いてくる。
私はこっちで良いですねと部屋の行先を確認して、そそくさとすれ違って部屋の方へ戻っていった。
父は、フロントで誰かと話すとのことだった。
親戚の仲居さんを雇っている、旅館にこういう関係があるのかわからないが、いわば上司の人だと思う。
8時にフロントに行くといい、私は外をみたら明るい星がチラリと覗いたので、私はひとり外に出て星を観に行ってきたいと父に言う。
父は、ここまできて父方の親戚の人を心配していたのだろう。
きっと親戚の人の上司と話すことで、より働きやすくとそんな思いもあったのだろうか。
そういった意味では父はほんとうに会社の役員だ。
人間関係を大切にし、しっかりとぬかりがない。
ただ、もし私がここで働いていたとして、いやどこで働いていたとしても、親戚が訪ねてくるのはかなりしんどいだろう。
父も馬鹿ではないので、それをしても大丈夫な人が親戚の仲居さんだったのだと思う。
私よりもとてもしっかりしているし、先ほどの食事の時に若い仲居さんが言っていたが、子供の自立のために家を離れるために期間限定でこの温泉に仲居として働きにきているみたいなことを言っていた。
思えば父はいつもそういう心配をしていた。
姉が大学生のときに近くのスーパーのお菓子売り場でバイトをしていた時、二人で一緒にそこまで行ったがその時の父は遠くから眺めているだけだった。
見て確認して、うん、もう大丈夫と言ってそのまま姉には声をかけずに去って行った。
父が携帯だけは持ってなと、私が星に夢中になって戻ってこないのを見越して言われる。
父もフロントで待ち合わせしている人との時間が気になるようだった。
スマートフォンを貴重入れからあわてて出してカバンにしまう。
父と一緒にロビーまで行って私は、そそくさと外に出た。
履物も温泉客用にあらかじめ並べてあるクロックスをつっかけてさっさと自動ドアを開ける。
午後8時、
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