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「幸せになるのが怖い理由」ブログが書けないなら走りながら執筆する

なかなか書けなかった理由を探して、走る

体もよくなったのに、気にかけていた家のこと(家の修理)も終わったのに。

それなのに、自堕落になってしまった。

ほんとうにイヤになった。

イヤになり、ただただイヤになった。

もうそんな気持ちを振り払うために、ただただランニングをした。

とにかくできる限り全力で走った。

特に意味はない。深い意味などない。

ただできること、イヤな気持ちを振り払うこと。

それがランニングなのかもわからないが、過去の経験でなんとくこの方法しかないと思った。

ゆっくりお風呂に入るのも良いけど、なにか違う。

とにかく、走って走って、できる限り限界の距離まで走って、頭も真っ白になるくらいに走って、

何も考えられなくなるくらい息が切れたら、

そうしたら、とりあえず今のイヤな気持ちは一瞬でも忘れられるかもしれない。

働いているときもそうだった。

ほんとうにイヤな気持ちを忘れるために、ただただ考えずに、仕事から帰ってきた夜、走っていた。

それが過去、イヤを振り払うことができた経験だったのかもしれない。

走っていることで直感したこと「幸せを恐れる気持ち」

走りながらわかった。

最近は雨が降りそうなどんよりとした朝、

そして、朝、走りつかれて、お昼すぎに起きようとしても起きれず、夕方まで寝て、そして、また走りにでた日没前の外。

外は秋でも曇りで寒い、雨が上がった地面は乾きはじめ、路面も空気も水で洗ったような感覚だった。

台風が過ぎ去った後のような、強い秋雨前線の厚い雲、

その暑い雲の隙間から、西に傾いた日の光がオレンジ色に差し込む。

グレーと宝石箱を開けた時の光のように綺麗に輝くオレンジ。

空気はまだ雨上がりの湿気でしっとりしている。

ずっと、たんたんと走りながら体でリズムを刻む。

陽が落ちそうな西の空の彼方には、向こう、遠くの山の黒い姿もみえた。

そんな景色を苦しいながらもちらちらと見て感じたこと。

もしかしたら、私は幸せになるのを恐れていたのかもしれない。

会社に働いていた時に、ストレスで病気に苦しんだ。

辞めてからあんなにイヤだった環境から解放され、そして夏の盛りには働きながらでは手をつけることができなかった家の修理もした。

ひとつのことが片付く、どんどん物事がうまく流れ、ずっと体調面で苦しんでいたアトピーも綺麗になってしまった。

なってしまったという言い方はおかしいかもしれない。

子供の頃から強い湿疹とかゆみに悩まされていた。

思えばストレスが強いときほど悪くなった。

薬を塗らずにいなかったことなんて成人してからなかった。

常に保湿、お風呂あがりに何もつけないとひどい乾燥で一気に肌が悪くなる。

それが、なぜか治った。

ほんとうにびっくりする。

走りながら感がる。

ひとつは会社のストレスから離れた。

そして、家も修理し環境を整えた。

どんどん、頭にあったストレスを解き放った。

庭の雑草も綺麗にした。

いらない物も捨てた。

どんどん余計な物を排除していった。

デトックスとは言うが、体にあるもの以外、生活環境でいらないものをデトックスすると体調が良くなるのだと感じた。

ずっとお風呂上りに塗っていたステロイド剤の入ってない保湿剤も最近は使ってない。

顔があまりつっぱらない。

そんな急な良くなった変化に心がついてこなかった。

おそらく幸せになることが怖かったのだろうか。

幸せとはもしかしたら逃げ場がなくなることではないか

あらゆるイヤなことを排除していった結果、

思いもかけない良いことが起こった。

特にびっくりしたことは体調面、小学校の時のように皮膚が軽い。

会社にいたころ、一時期、血液の病気と疑われて、ひと月に一度、三か月に一度、半年に一度と血液検査をしていたがその数値も基準値に近くなった。

働いていた頃も走っていた。

むしろ、食事なんて、お酒は飲まず、甘いものも止め、パンすら食べなかった。

コーヒーも止めていた。

それでも数か月に一度の血液検査の値はずっと、病気が疑われたときの値に近いままだった。

最近、皮膚の状態が軽くなってからもう一度検査をお願いする。

そうしたら、懸念だった血液検査の値がさがった。

わかりやすいほど、あっけなく。

ずっと、ずっと、一年以上、運動、食べるもの、飲み物、みんな気をつけていたのに。

ふつう、これで人は喜ぶのだと思う。

私はほんとうに不思議な人だと思った。

こんな良い変化ですら、怖くなる。

何に怖がっているのだろうか、

走りながら考える。

そうか、イヤだったことが無くなり、どんどん望んでいたことを知ると、きっと心に逃げ場がなくなるのだろうと。

こんな気持ち誰にもわかってもらえないかもしれない。

ほんとうに私でも何を言っているのわからなくなる。

でも、そういうことだと思う。

もう一度、走りながら確認する。

そうだ、私は幸せになること、理想を手に入れたことに戸惑い、

そして、つらかった時の感情を手放すことすら怖がっている。

きっとつらいから書くエネルギーにできたこと。

つらいから知ることができた感情。

そいういった物がなくなってしまったのも事実だ。

矛盾にどこか気づき、そして苦しんでいた。

ほんとうに自堕落になり、日々のコツコツを続けるのがしんどくなった。

ずっとずっと毎日守っていた、人に言えば笑われてしまうようなルーティンすら破ってしまった。

ほんとうに何もかも終わってしまった気持ちになった。

良くなってから一気にどん底に落ちていた。

走りながら考える。

どうしてこうなったのか、

きっと、みずから闇に落ちていった。

もう少し考えてみる。

 

・体調が良くなったのになぜだめなのか

・家の修理も住んで、今までよりも暮らしやすいはずなのになぜだめなのか

・雑草を抜いて見た目もすっきりしたのになぜだめなのか

これらは、ずっと望んでいた体、生活環境だったはずだった。

でも、それは、

私の逃げ場がなくなることでもあった。

逃げ場がなくなるとは、

走りながら考えてみる。

私はブログの世界で生きていく。

そう決心して仕事も辞めていったはずだ。

もっともっと目の前のことより遠い目標があったのに、

きっと人はあまりにも雑多なものが目の前にあると、ほんとうに欲しい、ひとつのことに目を向けることができないと思う。

体調のこと、家のこと、それが目に入り気になり、雑音だったから、夢を叶える為に目の前から取り除いた。

目の前の不安が取り除かれ、そして思っていた以上に体調も良くなった。

あとに残ったのがブログ書きだった。

今まで、体調がそして心が痛かったら胸に響いたフレーズが響かない。

ついこの間まで、大好きだったものが目に入らない。

私は逃げていた。

ずっとネットをみたまま、くだらない、ほんとうに昔みていたような映像をみたり・・・。

もう一生必要ないと思ったもの。

まるで昔の私に戻ってしまったみたいだった。


走る、どうしてこうなったのか考えて走る。

解決できる方法をもう一度、頭のなかで探す。

そうだ、

たった、一日ひとつのことだけをしっかりやろう。

雑多なものが目に入ってしまうなら、それを取り除いてもまた同じだ。

きっと私のようなひとは、別の雑多を探してしまうのだろう。

目標を間違えてはいけない。

少しはっとした。

もう、充分にブログ以外のことに力を注いだ。

家だってあと数年は持つだろう。

雑草なんてまた生えらた抜けば良い。

いつでも元に戻せる。

きっと、これは、いま生きている、そしてこれからの人生でも同じだ。

会社もつらかった。

ほんとうにイヤだった。

そこから離れた。

余計な人間関係を断捨離した。

家も必要ないものを断捨離した。

幸せになるのが怖い。

確かにそうかもしれない。

でもほんとうの幸せの意味をもう一度考えるときだったのかもしれない。

人生はこの先も続いていって、きっと、どんな希望や夢が叶ったとしても生きるからには、良いことがあれば悪いこともある。

ひとは、いやどんな物だってバランスをとって生きている。

きっとどんなに素晴らしい環境でも、どんなに欲しがっていた未来でも、どんなに理想の自分に近づいたとしても、

嫌なこと、つらいことは必ずあるはずだから。

手放しで、ストレスフリーな生活になるような、そんなものはあり得ないだろう。

私みたいに、あったとしても何かに逃げてしまっていたら、きっとどこかで足元を救われるだろう。

事実、もうそうだった。

体調が良くなったのに、自堕落な生活のなかで、ずいぶん今まで制限していたものを食べてしまった。

きっと、こんな生活で、元の体に戻り、そして、またふてくされるのであろう。

自らの意思で、どこかで「幸せになる怖さ」を感じて自分で選んだことなのに。

そんな馬鹿を繰り返し私は生きてきた。

きっと、夢が叶ったら、何もかもが解放されるなんてそんなことはないんだ。

何をするにしても苦しいこと、つらいこと、悩むこと、

それに向かう覚悟が欠けていた。

そう、だから幸せになる覚悟も欠けていた。

やりたいと思ったことを形にする覚悟も欠けていた。

やっとそれに気づけた。

会社でも、今までの生活でもいやなことはたくさんあった。

好きなことをしても、それは同じくらいあるのだろう。

ただ、きっとたどりつく先、見える景色は違うのだろう。

それは山登りのように、ひとつ目に見える景色、そして、別の山を登りはじめてまたつらくなって、ふたつ目の山に登った景色、そこから見える景色がどんどん深みを増すように。

きっと、ずっとこんな気持ちは一緒に引き連れたまま、私は死の底まで生き続けるのだろうと。

幸せを受け入れる覚悟は、いやなことも、つらさも、弱さも一緒にまとめて受け入れることだと気がついた。

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