⇒前回の続き:もう会社を休みますと言いにいった時の話 限りなく解放された気持ち①
担当者との会話
あらかじめ、もう体調がついてこないこと、現在の仕事環境があまりよくないことは伝えていた。
派遣の担当者との話は、本来であれば今月末までだとか、一週間後から休みたいという話をする「つもり」で心はいたのだが、
担当者とあって話はじめてから、言葉が溢れるように色々と心に押し込んでいた感情がでてきてしまった。
本来であれば、突然休む、いかなくなるなんてやってはいけないことだと感じていた、わかってはいた。
だが、話はじめたら、言葉にしてしまったらあらためて、「あの場所」に戻るのが怖くなってしまい、いかに自分がおかしなところにいたのかわかってきた。
最初に切り出し部分
まずは、体調がおかしいというところ、これはあたり前だが「本当」のことであった。
年が明けてからというか、1年前の頃に病気の疑いがでてしまってから一生懸命、食べるものや運動、飲むもの、かなり気をつかった。
それでも体調がついてこなかった。
もっと戻せればと心の中で願うのと半比例して、むしろどんどん悪くなる。
正直もう原因もわからず、これ以上どうして良いのかわからなかった。
ただ、病院に行ってどんどん対処療法を行うことで、問題だけが先送りされることはなんとなく直感で感じていた。
あと5ヶ月、無期雇用化(派遣のしばりがなくなる)になるにはそれくらいの時間があった。
よくできている仕組みだか、本来であればあと2か月で満5年働いたことになるのだが、「その時」の契約期間3ヶ月が終了した時点で無期雇用化というのが本当に会社の都合よくできた考えだとこの時は体調が切羽詰まっていたので思った。
5年以上働いたのにも関わらず、その時点での契約が3ヶ月近く残っていれば、プラス3ヶ月も先を待たないといけない。
だが、考えてみたらおかしな話だ、もう辞めるというか、いきたくないのに、無期雇用化という制度だけ、なかばなんとか心の支えであって目標にしてきたのだから、「こだわり」は強かったのだろう。
じゃあ、9月になってはれて無期雇用化になったところで、結局は体調が悪くて休職するだろう、無期雇用化になってすぐにやすんだとしても3ヶ月しか時間はない。
そう考えるともう、色々と無理だとおもった。
確かに、あと5ヶ月、待てば、直接雇用にならずとも職の安定は約束される。
でも、その先にまったく何か素晴らしい未来がまっているようなものは見えない。
以前、他の担当者と話をした時のことが、無期雇用化になって例えば待遇がかわるのか聞いてみた。
その答えは、ずごく淡々と、ほんとにそんなこと言えるのかなって感じで、
「交通費が1万まででます。交通費が出るかわりにいまよりも時給が少なくなります。」
「・・・」「賞与は・・・」
聞くだけ無駄だった。
5年働いて、派遣先の社員と同じ判断をするぐらいまで頑張ってきて、体を壊して、精神を壊して、
「いったい何を目指してたんだろう」
モラハラかなにかわからないけど、お局の無視や、お局を優遇する上司、まったく話をきかない管理職、何をしているのか把握してない派遣元、
考えてみたらもう、もとからはじめから誰の援護もうけることができないのはわかりきっている場所で働いていた。
いや、いたよ、こまごま助けてくれたり、こまった時に相談にのってくれたりした人は、どんなものもバランスで保っているのだからあまり良い人がいなければ、その逆の人もいる。
だけど私のまわりには、私にとっては良くない人が圧倒的だった・・・。
今となっては良くわからない、別の離れていた部署の人たちの方がとても優しかったし、外部の人たちの方がむしろやさしかった。
ただ、周りの人達はほんとうに厳しいといよりは、仕事の押し付け合いみたいになっていて関係は最悪だった。
あたながあわせようとしなかったからと言われるかもしれないが、かなり言いたいことを飲み込んで仕事をしてきたつもりだった。
仕事の配分などまったく口に出させてもらえなかった。
会議と銘打った「雑談」の席には呼ばれない、ひとことチャットのようなもので「留守番おねがいします」いつもそうだった。
案の定そうやって技術的な問い合わせに対応させられる。
会議室の向こう側は電話対応から逃れられるので、いつまでも、帰ってこない。
こんな話をすべて派遣担当者に話をしたわけではない。
ここまで書いておいて回想になってしまったが、そんなやりきれない思いが頭のなかにありながら、担当者と話をした。
どうしても体調面が悪いこと
まずは、体調面がどうしようもないこと、これは事実だ。
なので単刀直入に「休ませてほしい」「病院でも診断書をもらっている」ということを伝えた。
体調が悪いことはわかっているのでこの話の流れはもうすでに察知していた。
前回この派遣担当者と話をした時に職場環境の部分は話していたので、あまり詳しく話さなかった。
むしろ、体調の部分がいまはどうしても、それがストレスなのかわからないがいったん職場を離れてみたいと伝える。
担当の方は、色々と察してくれた。
「そうしたら、もう、すぐにでもお休みした方が良いでしょうか」
「できれば」
本来であれば、時期をきめて休みたかった。
「立つ鳥跡を濁さず」という、今まで働いてきたなかで出会ったある人にも、辞めるときはちゃんとしなさい口酸っぱく言われていた。
それでも、もう、体も心もついてこなかった。
だから派遣担当者の言葉に甘えてしまった。
これだから派遣はとか、だから派遣は、などと言われるのだろうかと想像した。
他に残った派遣の人に申し訳ない気持ちもした。
だが、やはり無理だった。
心が拒否しているように、もう体が拒否している。
ボロボロになるまで体も心も消費して、もう綺麗に去る余力すらなかったんだ。
あの場所へ戻ったら、どんどん体がストレスで酸化し、錆びてしまうような感覚だ。
言い訳をするようだがずっと、私は文句たらたらに働いていたわけではない。
むしろ目立たないように、言われたことをできる限りこなし、できる限り社員、契約社員の手伝いをできればという気持ちがあった。
最初はみんな優しかったところもあった。そりゃ人間なので性格がどうしてもあわない人、生理的に無理な人、いたけど、それでもみんな最初は仲がよかった。(そう思っていた)
私が勘違いしていただけかもしれない。
ただ、良いように使われていただけかもしれない。
ホスピタリティ精神ではないが、私はそれでもお手伝いができればという気持ちがあった。
「お手伝い」という言い方が正しいかわからない、人からしたらお手伝いじゃなくてもっとバリバリやれよ、いずれ直接雇用ならなおさらだろうと言われるかもしれない。
ただ、その「お手伝い」がいつの間にか「本格化」して、お手伝いどころではなくなってしまったのは事実だ。
むしろ、周りの人より知ってしまった知識も多かった気がする。
でも実際に技術対応をこなしていくなかで身を守るためにも、精神を守るためにもなんとか他の部署の経験のある人、外部で経験のある人から知識をいただきやっていくしかない場面がどうしてもあった。
それを、そこまでやる必要はないと言う人もいなかったし、むしろ社員もふくめてじゃあできるのであればという感じでいつのまにかどこまでの仕事かという線引きが曖昧になってしまっていた。
最初はできることに達成感などあったのも事実だが、月日を重ねるごとにだんだん損な役回りであることもわかってきた。
みんな平等にといいながらどんどん難しい決定権が必要な仕事も増やされていったし、正直、その「責任」をとることを社員が嫌がっているのだとわかってきてしまった。
私は勘があるようで「鈍い」。
正確にいうと、人に対して「良く見せよう」とするところが無意識のところであるので喜んでくれるのが嬉しいし、いつの間にかのせられるところもあった。
それは私の悪いところかもしれない。
ただ、それに気づいてきてから心が蝕まれた。
あげく、管理職は話をきかない、対話をしない、私が知っている業務であっても、直接きかずに別の社員を通して私にきいてきたりする。
派遣会社が把握するのはもう無理な話だ。
そう考えると、私はどこに属しているのだろうか、誰に対して仕事をしているのだろうか、ほんとうにわからなくなった。
最終的にそのまま休むことになって
かなり前置きがながくなってしまった。
単刀直入に派遣会社の担当者へもう無理だといった。
色々と話をした「無期雇用」も、もう少しでほんとうに悩んだがそれで退社となっても仕方ない、悔しいが仕方がない、悩んだ末だと伝えた。
派遣担当者の人の方が理解がはやかった。
そうしたら、もう明日から行かなくても良いと、
ストレスからか体に出ている皮疹はあきらかにひどかったし、顔面にも出てしまっているので、自分でも最近鏡をみるのがいやだった。
もう行かなくて良いのかと・・・。
可能性としてもう戻ることはおそらくできないと伝えたら了解してくれた。
私にはストレス耐性がない、だから結局、この先に居続けても良いことはなかっただろう。
今ならそう思える。
そして、その場所であまりに使われ続け、そこで何をしたいのかもわからなくなって、ただただ休みの日は遅くまで寝ているか、本を読んだり、アニメを見てただ涙を流す。
体も不安になってもうどうしようもなかった。
でも、たったひとつだけ希望があった。
ブログ書き、これで先の保証なんてなかった、でも一年前の9月にセミナーに行ってから出会った世界。
しんどい毎日の中でも続けてこれた。
もう体調はぼろぼろで肌もぼろぼろで、あろうことか切れ痔にもなった。
これがやっかいでほんとうにストレスなんだとおもった。
食事、運動、入浴、すべてためした。
半年以上、それでも良くなったり悪くなったり。というか薬が一時的にしか効かない。
悪くなる時は精神的なストレス負荷がかかった時だ。
嫌なことがあると、まるでストレスで口の中に出来物ができるように。そうするともう動くことも難しい。
ずっと横になるしかない。ほんとうに痛かった。
だからもうどちらにしても無理だったのだろう。
派遣の担当者と話をして、ビルをあとにする。
派遣先(就業先)の人に出会わないようにそそくさと帰る。
派遣先に対しては、おもっていた不満は何も言わなかった。
言ったところで何も改善されないだろうし、言うだけ労力の無駄だと感じた。
もともとそういう雇われ方だったのだ。この先の不安はほんとうにあった。
体調も戻るかわからない、どうこれから生きて行くのかもわからない。
でも、それでも、今の地獄をみるよりはずっと良いだろうと、そうやって派遣会社のビルを後にした。
駅について、ホームから家方面の電車がきたとき、ああこの場所から離れられる、もうこなくて良いんだってそう思えた。
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