仕事をもう休みますと言いにいった日 どこまでも解放された気持ち
4月後半のある日、
午前、診断書を病院で受け取る。
そして、どうしても体調が優れずに、午前中にいつも通う病院とは違うクリニックにも行った。
応急処置的に強めの注射を打ってもらうためだ。(ヤバいものではない)
どちらかと言うとふだん通う先生は患者の自己判断のような意見を嫌う人だった。
先生の言うことをちゃんと聞いていればとても優しいお医者さんだった。
ただ、私から以前この薬を大学病院で注射してもらったら症状が少し楽になったと言いづらい感じの先生だった。
しかし、体調はどうしてもつらく、いつもとは別のところで良いからといつか大学病院で行った治療とおなじことをしている病院を必死でネットで探していた。
あの時は、それぐらい体調が切実につらかった。
どうしようもなく、体が重たい、腫れる、充血した感じだ。
いつも通っている先生のところでその注射ができるのかわからなかった。
それでもだいぶ昔に同じような状態の時に、大学病院で使った注射がけっこう即効性があったのを憶えていた。
ネットで調べて初めてそのクリニックを訪れる。
会社へ行く途中の駅の近くにあるクリニックだった。
初めて会った先生は、親身になって聞いてくれた。
持って行った今までの検査結果などもコピーをとり、お願いしたい処置もしてくれた。
そして、ふだん通っている先生へは、もしこの注射が効いた場合は、「休みだったので緊急で診てもらった。たまたま使った薬がけっこう効いたのでまたお願いできないか」とそう言えば角が立たないと思うとアドバイスまでしてくれた。
それでも、今のお医者さんに言いづらかったらまたいつでも来れば良いと言ってくれた。
なんだかほっとする。
クリニックを出て、注射をおえてフラフラと最寄り駅までの道を探していた。
いつも訪れない場所なので土地勘がない。
ふとみると神社があった。
こんなとこにあったんだ、
小さい神社、人影を感じずにだれもいない。
ひっそりとしたこじんまりした神社だった。
商売繁盛、強気の神と書いてあった気がした。
会社をやすむといった4月のある日は、午前中の強い雨があがり、風が4月後半の独特の湿りけをおびていて、生暖かい。
やさしい空気が神社の空間に立ち込めていた。
誰もいない。
ゆっくりと今後のブログ作成がうまくいくこと、そして健康を祈る。
おみくじもひいてみた。
雨が上がって、空気もちょうど湿って暑くもなく、でもどこかで初夏の訪れを感じる空気だった。
一瞬でかわった空気、気持ち 平日昼間のお散歩冒険
良いな、こんな風と、
ふだん知らないところを日中に歩いて、
神社とかみつけて、探索して、
その感じは、いかに私が昼間いつも仕事に拘束されていて、外の光も入らないビルに閉じ込められていたのかがわかった。
いかに陽の光を浴びていなかったのかを感じる。
毎日、苦しんで会社へ行き、休みの日なんて動いて外に出る気力すらなかった。
いつも会社から帰る時は外は暗かった。
こんなに日中が眩しいのかと、初夏の陽の光の強さは肌にも心にもとてつもなく突き刺さった。
ぶらぶらと平日の真昼間(まっぴるま)に誰もいない小さな神社をうろつく。
平日、昼間のお散歩冒険がどれほどかけがいのないことなのか、
人にとってはさしてどうでも良いと感じそうな、そんなささいな日常がどれだけ健康的な行動かわかった。
これから会社へ(派遣元へ)休職の話をしにいく途中のことだった。
神社のお参りを済まして、ゆっくりとターミナル駅の方向へ歩く。
駅まで10分くらいだろうか、いつもはバスで通過する大通りを歩く。
「ああ、これからこんな素晴らしい自由が待っているのか」そう思うと、
この雨の上がった景色、これからの初夏の生命力に満ちた季節の感覚がとてもとても嬉しく思った。
迷いなんて吹っ切れた。
「ああ、もうこれで、今まで、からだにまとわりついてた仕事用に羽織っていたジャケットも、もうすぐ脱ぎ捨てられる。もう会社用の服装なんていらないんだと感じた。」
今日みたいに、仕事をやめる日、はじめて訪れたクリニックの先生と出会い、いつもの日常から離れて歩いたことのない道をふらふらと彷徨い、
色々な発見がある・・・、なんて素敵なことだろうか。
今日出会った先生は体調のことをほんとうに心配してくれた。
今の先生に言いにくいことがあったらいつでも来て良いといってくれて、その言葉に心が救われた。
その日はじめて行ったクリニックは主に、保険外の診療、治療をしているようなクリニックだった。
でも、そういった治療も必要ない、むしろ体調のことを気にかけて保険内で適用できる処置をしてくれた。
休みます(辞めます)と言って
まったくの平日、日中にフラフラすることなんてほんとうに久しぶりだった。
ターミナル駅近くのふだん足もとめないお店に立ち寄る。
世の中ってよく見ると色んなもので溢れているのだなと、そんなあたり前の感情すら忘れていたことに気づく。
ありふれたものですら見ているとワクワクしてくる。
この小物入れ便利そうだな、使い勝手よさそうだな。
そんな行為がとても贅沢なことをしている気持ちにもなった。
衝動的に買ってしまおうかとおもった小物を手に取るが、ふと、母の顔が浮かんだ。
体を壊し、食事を一生懸命つくってくれた母、いつも良い献立をつくるために何か買いたい物も我慢して、こんなありふれた買い物ですらあきらめていたのではないかと考えてしまう。
ついつい買い物をしてしまいそうな自分の気持に対して、なんだか申し訳ない気がしてきた。
品物を戻す。
そうこうしているうちにアポイントの時間が近づく。
アポントは午後の3時からだった。
電車に乗るためにホームへ向かう。
ずいぶん長い期間使ってきた路線だ。もうこの方面に行くことはないだろう。
こころなしか、午前中に行ったクリックの注射が効いてきたような気がした。
体の重さ、充血したような感じが少しひいてくる感じがする。
楽になってきた。
これはもう、どうしようもなくつらい現実から逃げらるからだろうか、それともほんとうに薬が効いてきたからだろうか、
わらからない、
でもどちらでもよかった。
毎朝、見慣れた電車からの景色を眺める。
いつも通る川を超えるところで、陽が差して川に光が反射してキラキラ眩しい。
午前の雨がすっとあがって、こころなしか空気も澄んでいる。
ああ、こんな景色、風景をみて「綺麗だ」と感じたのはいつ以来だろうか。
いつもはどんよりグレーに見えた川の色が、その日はまったく違う綺麗な青に映ったような気がした。
職場の駅について、ここから歩くのはいやだった。
オフィスの人たちにもしも出会うのが嫌だった。
いつも通勤する経路とは違った道を探して歩く。
何年もここら辺をうろうろしたがはじめて通る道だった。
派遣元の担当者と話すのは、勤務先のすぐ近くの別のビルだった。
働いていた場所と、派遣会社のオフィスが偶然にも近かった。
なので、働いていた場所をさけるように派遣会社のオフィスへ向かう。
オフィスのビルに入った瞬間に体が守られた感覚がした。
気が、心が弛緩する。
体を包み、感じた安心した「気」、空気がとてつもないバリアーだった。
これから会う派遣会社の担当者にはすべて伝えてある。
気持ちが解き放たれていった。
⇒続き:もう会社を休みますと言いにいった時の話 限りなく解放された気持ち②
コメントを残す