私は、感じたことをするよりも、好きなことをするよりも、思ったことを言うよりも、
一番安全でもっとも無難で唯一の正解が我慢をすることだった。
これ以上の正解はない。そう思っていた。
我慢をすることで得られること
そもそも、私は我慢強いかと言えばまったくそうでない。
でも人に言えないところ、それを世間一般で言えば変なところと言えばよいのだろうか、
そんな話せない気持ちがたくさんあり、それで我慢が得意だ。
もっと簡単に、一言で言うと嫌だと言うことが言えなかった。
もっとはっきりと言うと、伝え方がわからなかった。
それはある意味必然だったのかもしれない。
そもそも元気な時ですらこんなことがあった。
「お腹が破裂するぐらいまで我慢ができてしまう」
今考えるとありえないことなのだが、
むかし、盲腸の腹膜炎にかかった経験がある。
小学校4年だった。
ある日、普通にお腹が痛かった。
熱が信じられないほど出た。
子供の頃から通っている近所の内科に診てもらった。
お腹で痛いところを、触るくらいだ。
腹部を押して痛いかをお医者さんは私に聞く。
押して痛いかといえば、
痛いか?痛くないか?と言えば痛くない・・・、
何もしなくても痛かったのだから、痛いとしか言えない、
でも伝わらなかった。
結果、3日ぐらいずっと39℃以上の熱が続いていたと思う。
盲腸だったが風邪と思われていた。
私だって風邪か何かとおもったが、
2日ぐらい過ぎてもどんどん熱が上がり、ずっと熱が続き、恐怖はあった。
おばあちゃんの布団に入る。
信じられないくらい体が熱いと言われた記憶がある。
現実逃避のためにおばあちゃんの部屋にある三面鏡に映る、どこまでも永遠に続く景色なんかをわざと作っていた。
3日目にもういちどやっと病院へ行った。
小さな町医者ではわからないと、
大きめの病院へいった。
レントゲンなど、もう覚えてないが、
カーテン越しに聞こえる母と医者との話、
手術になる。
車いすに座りながら聞こえる。
ほんとうにポロポロ泣いた、怖くて泣いた、
しならいおじいさんがこちらのことを微笑ましそうに笑っていたのをよく覚えている。
施術はお腹を開けてから大変だと言うことがわかった。
盲腸になってから時間が経ちすぎていたのだ、
なかで破裂していた。
初診の際の誤診だった。
もっとはやければ薬で散らせたが、
なかで破裂しているのだから、全ての膿をだしきる必要がある。
開けたお腹をふさぐことができずに、お腹に管を通して膿をだす。
手術は6時間以上、最後は、麻酔も覚めて、起きている、
ここでも声をだせなかった。
出すすべをしらなかった。
何か腹部をさわっている感覚がほんとうに怖い。
終わってから、から、目が覚めて、体の麻酔が覚めてからがおそろしかった。
お腹の傷は空いたまま、そりゃいたい、
かつ管がはいっている、
結局、退院に1ヶ月かかり、傷は自然治癒だった。
なんの話だっただろうか、
こんな感じで私は本心がもとから言えない。
言えないから、我慢することの方が楽だとおぼえてしまう
そんな感じだった。
我慢なんて、これ一個だけじゃないが、どうしても、我慢の方が楽だと思えてしまう。
ずっとそうだった。
気づくことがなかったのか、そうなっていたのか、
だから、体調が悪いとすぐに薬でごまかすことを覚えてしまった。
ごまかしているだけだが、いつしか、これがほんとうになる。
どこか悪いことのひとつやふたつは誰にだってある。
などと言われると真剣にそう思ってしまう。
まあ誰だって痛みや病のひとつやふたつあると思う。
でも、私たちの場合は、取り返しがつかないのに、それに気づけないくらい我慢ができてしまう。
それで、ずっと悪循環を断ち切れない。
だましだましで頑張る、心が折れる、それでも、さらにだましだまし、
薬に洗脳されているのか、自分自身を洗脳しているのか、
とんでもない我慢ができてしまうことがある。
我慢をしすぎた、
それに気づくのに時間がかかってしまった。
ただ、もう、体を壊してまでも、心をだますのは、
我慢の底をつくまで、我慢をしなければ、気づかないのだろうか、
きっと我慢の底は突き抜けていたのだろ、と、いったいどこまで戻れば正常なのだろうかとそう考えてしまう事がある。
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