横浜に行く機会があった。
唐突だが占いは好きだ。
スピリチュアルなど、そういうものを信じているわけではない。
むしろよく分からないので信じ切ったことがない。
ただ占いは好きだ。
極論を言うと、当たっているかどうか、当たるかどうかは問題ではなく、占い師さんの話が好きだ。
悩みの聞き方、話の持って行き方、カードから見る今後のところと話の結び付け方。
占い師はかなり創造力が豊かであり、色々な人の人生を聞いてきたのか人生経験の知識が、とても豊富だと思う。
実際に私の今までの職業などを伝えるとけっこう的確に前の環境を言っているところがある。
それが100%の部分で物を言ったとして、100%のうち私自身が考えている心当たりのあるところが2割から3割でもあれば、納得してしまうし、そもそも対面でその人間の顔、話し方、雰囲気を見ているのだから第一印象から「人を見抜く」感さえあればそんなに外すこともない気がする。
私が好きなのはカードだ。
タロットカードやオラクルなど。
はっきり言って専門的な知識はない。
あったとして何か言うのであれば、それこそ素人が医者相手に、何かで知った少ない知識で色々と聞くようなレベルでこちらの素人意見を尋ねると嫌がられるし迷惑だろう。
そもそもリーディングに正しい答えはないと思うのでむしろ、そのカードの読み方、占い師の物の見方を教えてもらうと思うと本当にわくわくする。
色々な占い師さんと会ったわけではないが、幸いなことに、私は嫌なこと怖いことを言われたことがない。(覚えてないか忘れる。)
まあ向こうも商売でもあるし、開運と謳っているので、それは悪い示しでも良い方向に持っていき、「最終的には来てよかった」と思わせるトークとカードの知識、もしくは他の占術を用いるのだから相当な物知りなんだと思う。
(注)ここまで占いを信じてないような否定的な文章になっているが、こういうものも統計的に人の人生の経験をまとめているもので、カードひとつに、占いに来た人の生き方を当てはまるという意味でとても深い分野だと思う。
ただ、鵜呑みで信じること、何も考えずにそうなんだと思い込めば正直、馬鹿だと思う。
こういう物は、伝えてもらったことを自分なりに解釈して考えるきっかけというものだと個人的に考える。
ただ理屈ではどうしてもわからない人生の迷い道の時は、人と話をし、そんな時に過去の人の経験をもとにした生き方が今の自分を考えるきっかけになるのだと思う。
それは、普通の日常でもそうだ。
周りにいる人間、どことなしに目に入り、その人なりに目に映った人物を考察し今の自分を考える。
占いも生き方も、そんなものではないかと思ったりするのだ。
ただそれが、考察する対象が生身の人間ではなく、綺麗に色をとられたカードであったりすると胸がときめく。
一枚のカードにこめられたある人間の生き方を想像するとワクワクする。
中華街の夜の街並み散歩
前置きが長くなったが、私にとっては、一年に一回行くか行かないかぐらいの占い。
横浜の中華街を訪れて、目に入った占いのお店の数々。
占いを目的に行ったわけではない。
中華街なんて大学の時に訪れて以来だった。
秋の始まり、10月の初めの3連休は台風が過ぎたフェーン現象のおかげで、まったくまだ夏かのような空気だった。
夕方たどり着いた中華街の道の灯は過去訪れた中華街の印象よりもだいぶ明るく、黄金色に輝き、連休中の人混みの賑わいがあった。
空気も乾き、気温が少し暑いぐらいだった。
通り過ぎる客の誰かが、まるでゴールデンウィークだと言っていた声が耳に入る。
夜の灯りで、黄色に輝く通り道。
連休中のため、夜7時を過ぎても、小さな子供を連れた家族連れがたくさんいる。
まるで、昔家の近くであった商店街の縁日のような雰囲気を思い出す。
煌びやかな黄色い光。
人だかり、お香の匂い。
突然別の世界に迷い込んだような感覚だった。
少し道を外れるとひっそりとした夜の色なのに、黄色いひかりに人が集まるように人ごみが集中している。
物珍しく歩く、とにかくめずらしい。
新宿などの殺伐とした人通りでの感覚でなく、歩いている人たちもどこかわくわくしているような雰囲気を肌で感じる。
目に入る看板が「美味しそう」よりも「食べ放題」なのかと、あまりみない独特な看板を眺めながら同じような構えの区別のつかないお店が並ぶ道をゆっくり歩く。
所々、占い1000円の看板。
覗くとけっこう人がいる。
食べるものよりも占いに興味津々になった。
でもどのお店が良いのかわからない。
結局2周ぐらい歩きまわった。
有名な關帝廟がここにあったのだと知る。
ちなみに中華街は、夜の賑わった暑い日、もしくは春夏の過ごしやすい季節が似合っている気がした。
そんな、こんなで2週歩き回って少し入りやすそうな佇まいの店を見つける。
煌びやか(きらびやか)というよりも全体的に黒っぽい雰囲気で落ち着いていて入りやすそうだった。
他は少しけばけばしい。
看板には、飲み物を出してくれると書いてあった。
さんざん歩きまわって喉も乾いていたのでじゃあここで良いかと決めた。
ということで奥に入る。
他にも数名、占い師の話を聞いている人が先にいた。
その占い師さんは、手相占いだった。
カードではなくて少しがっかり。
ちなみに料金は中に入ると30分5000円だと先に伝えれる。
入り口では1000円と書かれているのは、入りやすさだろうか。
1000円でも占うがほんとうに簡単に見るだけのようだ。
占いなんてどこも、それぐらいなのでぼったくりでもなく、むしろたった1000円の方が占いとしては適当すぎる気がするくらいだと感じる。
占い師さんの席に着くと占い師さんはまず金額のことで私に前の客が文句を言ってきたと話はじめ少し拍子抜けする。
聞くところによると、どんどん値切るので、結局嫌になりお金をもらわず帰ってもらった。
人相も良くなかったと話す。
お店のオーナーを呼べと言われ大変だったとのことである。
まあ、そういう人もいるのかもしれない。
占いに当たる当たらないだけで話を聞きに切っていたら、そういう態度になるのかもしれない。
占い師の話をちゃんと聞かないし、話の面白さもわからないのだろう。
手相については、私は正直詳しくなかったので、何を言っていたのかちんぷんかんぷんであまり良くわからなかったのだが、とにかく生命力を強調された。
縦のシワしわなど。
ボールペンを使って手のひらに直接なぞられる。
少し私もいつも訪れる占い師さんでないので調子がつかめなく、また初めて話す人なので私のことも、そして私も占い師さんのことを良く知らない。
それでも、少しずつ私のことを話す。
体調のことなど気遣ってくれて、概ね手相からは「生命力」と「良くも悪くも考えやすい性格」だということだった。
少しカオスだったのが、病気がちなのに生命力のところだった。
さて面白く話が進でいったのが、後半のオラクルカードだった。
10分間隔と思わるタイマーが鳴り、もう20分過ぎていると思わた。
オラクルカードというははじめてだったが、出た絵柄は、「手紙」 「本」「コウノトリ」。
この手紙というのは面白い。
人に伝える、メッセージを届け、本は思慮を表す。
まさに物を書くというところから、こちらもカードの話に喰い付く。
正直、最初から今、私が何をしているのか、占い師さんに言うのも少し恥ずかしく、なんとなくぼやけて「人に教わりながら書くことをしている」とその時に初めて占い師さんに伝えたので占い師さんも少し得意げに、話に勢いがつき、出たオラクルカードについての話を畳み掛ける。
「手紙」というのはまさにSNS でというようなことを言い、とにかく変化をつけながら伝えていくのだと言っていた。
占い師さんも人なので先ほどの帰ってもらった客よりもカードについて食いつく私は楽しそうで、 占い師さんの身内のこと兄弟の事などの過去の辛い経験を話し出す。
もうすでに30分超えているのだが、占い師さんの話を聞き始めると止めるタイミングがなく先ほどの金額のことではないが少し心配にはなった。
「手紙」「本」「コウノトリ」から教えてもらったもの
「手紙」と「本」から教えてもらったもの。
書くことを直感的に感じたままに残すこと。
私だけが見るノートで人に見られたら恥ずかしいような、詩のような感覚でも後で見返してまた思い出せば良いので、とにかく感じた気持ちを忘れないうちに残すこと。
その時の気持ちは忘れてしまうが、とても大切なものだから枕元に入る瞬間に頭に浮かんだこともホワイトボードでも置いといてとにかく書くこと。
そう言われた。
「恥ずかしいようなものでも良いんだ」という言葉がとても勇気をくれた。
この話はとても参考になり励みになった。
なんとなく思ってたけど面倒だったところ。
竹川さん(先生の先生)にも言われたことを思い出した。
その時の気持ちはその時だけでやっぱり、大切なんだと感じた。
私は、今感じてること、考えてることをそのまま書き込めば小説と同じものだと考える。
でもいざ文章となると、いつかの感情をうまく思い出せずにいつも苦しむ。
いつも忘れないうちに、感情がフレッシュなうちにすること。
思っていたができなかった。
それをたまたま、その日訪れた、たくさんあるお店の中のある占い師さんに言われるとやはり大切なことで、気持ちを残すことに怠けてはいけないと考えさせられた。
時間もだいぶ過ぎている。
占い師さんの、家族の話で逆に色々話してしまったとなり、話は終わる。
私はその時の会話をノートにメモしたし、カードも写真を撮らせていただいた。
そういう真剣に聞く部分は、占い師さんも喜んでおり、私もオラクルカードの「手紙」にとても高揚した。
詳しいことはわからないが、「手紙」人に伝える、伝えていける、温かいメッセージを陽のあたる坂道のように届けることをして欲しいと言われる。
なんだか、じんわりと、しみじみときた。
手書きのハガキをもらう。
そういえば仕事を辞めた4月に、占い師さんの所に行った。
その時は「ワンドのペイジ」と「世界」だった。
「良い知らせ」が届くはずということだった。
今回は書くことを続けていけるのか、そんなことを聞いた。
「コウノトリ」変わりながら、「本」知識で、「手紙」人に伝えていける。
すこしうろ覚えだが都合よく解釈するとそんな感じだった。
よかった、きっとまた、かなった時にもう一度この人のところを尋ねると思う。
それはいつかわからない、ずっと1年後かもしれない。
私はこのカードの結果になれるように、また横浜を訪れたついでに、報告がひとつの目標として、できた気がする。
そう思えた占い師さんに感謝したい。
自殺した弟と一緒に死んでいれば、と思ったこともあったと話をした占い師さん。
占い師さんを救ったのは、字の先生だったと、
独特な文字をポストカードに書きながら占い師さんは文字の先生についての感謝を私に伝えた。
占い師さんが今の自分があることをその先生の感謝に例えるのであれば、
私も今の私について感謝する人がいるのだから、先生と呼んで良いのだろうかとふと考える。
先生かぁ、私の先生は筋金入りの引きこもりなんだと思う。
「先生」と言いながら最後に話したのは4ヶ月も前のことだ。
私は、人の顔を覚えるのが苦手だ、思い出すことが得意でない。
なんとなく雰囲気や輪郭で思い出す感覚だ。
もう顔もうろ覚えだし、はっきり言って「話さない人」なので本当に不思議な人だ。
なので、たまに私の感覚は、雲の中にいるような気さえする。
ほんとうに先生は、文章の人だと思う。
先生の口下手をなめてはいけない。
そんなことも考えながら横浜中華街を後にした。
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