見上げた星空
旅館を出る。
さきほど夕方少し散策した道だ。
旅館の近くは街燈があるので空を見上げてもまだ黒い天はあまりはっきりしない。
必死なってくらい場所を探すが土地勘がないのでいったりきたり、そして少し怖い。
それでも夕方歩いた道を頼りにできるだけ暗い場所を探す。
いつの間にか夜空に夢中になっていった。
星ははっきりと、それも街燈から遠ざかると、徐々に徐々にその真実をみせはじめる。
ポツリぽつりとどころではない。
ただ冷たい漆黒のなかに浮かぶ点々。
上ばかりみてどんどん暗闇を探す。
旅館の裏側の方まで細い道を通ってきた。
高い山々を間からわずかに広がる空をのぞく。
黒い山々の影が高い。
それでも空を見上げる。
街燈の明かりがところどころあってまだ私の欲しい夜空は完璧ではない。
しかし、ふと街燈の陰に私が隠れて視界から光が消えた時に空がはっきりしだした。
目がだんだんと暗闇に慣れてくると、星が空にへばりついていることに気づく。
プラネタリウムで見たような星。
星が空にぶら下がっているようだとも例えられる。
星が輝いているというよりも、星が山の隙間からこちらを覗き監視しているようだった。
どのくらい空に近いのだろう。
東京からいつも見上げた空は果てしなく汚く、空には距離的にも空気的にも遠いことに気づく。
ここは標高1500mぐらい。乗鞍岳を超えた山の隙間の白骨温泉。
秋の空、おそらく山の隙間から見えたのは北川、北北東だろうか?
一番見慣れた星を探してもみつからない。
オリオン座はこの季節もう東から南側に出ているはずだが、南の空は雲っている、または背にした山側に隠れている。
北の空は山をくり抜いたように丸い大きな穴が開いているようだった。
街燈の影にもう一度隠れる。
思えば北の空なんて、こんなに綺麗に見えたことなんてなかった。
北の空は明るい星が少ない。
東京の空は冬でも目につくのは南側のオリオン座、あるいはプレアデス。
どうして北側とわかったのか
なぜ、北側とわかったのか、唯一目についたカシオペアのWの形。
いやその日見ていたのは右斜め上にのぞくMの形。
こんなに星が見えるのにわかる星座がひとつもない。
でもカシオペアはわかった。
対角線に北斗七星がみえるだろうか。
見えない。
あると思われる場所におそらく高い山で隠れている。
みえるとしたらこちらから左斜め下の方だ。
しばらくするとさらに目が慣れてくる。
雲のように見える。
雲っていたのか。
そういえば夕方散歩した時は雪が降って空一面、曇りだったが、数時間後の今はだいぶ晴れていると思われる。
雲なのだろうか。
わからない。
場所を移動しもっと暗いところを探す。
流れ星が一瞬見えた。
その流れ星はまるで遠近感もなく、すぐ目の前に流れた感覚にすらなる。
何か空を「這っていく」ように星が空をスライドしたと例えればよいだろうか。
しばらくしても雲の形が変わらない。
ここは標高が高いのでもし雲があれば、すぐに形もかわるだろうかと考える。
でもわからない。
すこし目を雲から逸らせ気味にしてみるとぼんやりとした雲が感覚的にはっきりする。
カシオペア座には天の川が横断していただろうか?
何しろ星図も早見表もなにも目安になるものはもっていなく、スマートフォンを開くと目を射るような光が差し込むので開けない。
せっかく慣れた目、せっかくこの目でつかんだ星を離すことはできなかった。
なによりも、この夜空、星図も早見表もなくても、ただ、ずっと眺めているだけで面白い。
この夜いちばん興奮したこと。
それはカシオペア座の少し右にぼんやりした雲が観えた。
あんなところに星雲なんてあっただろうか?
昔の記憶をたどるが思い出せない。
あれが小さな雲のかたまりなのかはっきりしない。
でも少しぼんやりする部分から目を逸らすとやはり雲のかたまりのようになっている。
これが不思議でしかたなかった。
どうしても見飽きることができない。
むしろどんどん目が慣れてくるので、もっとさらに星空が見えてくる。
思えば北の空をこれほどまでに見たことはなかった。
正確に言うと見えたことがなかった。
時計をみる。
もう一時間くらい経過していた。
父が待っている気がした。
心配をかけるのも、と、思いほんとうに後ろ髪をひかれた。
ふだんから私の行動はどこか衝動的で父には予想がつかない子供だったので、ふとこんな山奥にきたら私がいなくなるのではないかと、
父なら本気で考えそうだ。
私はできるなら、寝ないでずっと星を眺めていたかった。
でもたぶん父はそしたら捜索みたいなことをし始めるだろう。
そんなことを星空の下で私は考えた。
何度もカシオペア座に横たわる雲を眺める。
雲の形はかわってない、天の川だとはっきりと感じた。
旅館の近くに戻り、また街燈の影に隠れると星空が現れる。
何度も道を引き返した。
ぼんやりと雲のかたまりが見えたところまでまた戻る。
もう一時間半を過ぎていた。
たぶん、だいぶ時間としては、いけないだろうと直感でわかる。
良い年をした人間がこんな小さな山奥の村で捜索願いなど出されたらたまったものではない。
それでもやっぱりまだ見たい。
もう一度、旅館と近くの暗闇を往復する。
いっそのこと、この空がほんとうの雲で覆われてしまえばあきらめがつくのにと本当に思った。
これだけは忘れないように心にとどめる。
「カシオペア座に天の川は流れていただろうか?」
「北北東に出ているカシオペアのやや右に星雲はあっただろうか?」
そう、ずっと忘れないように。
左手の親指にひとつ、
人差し指にひとつ、
刻む。
忘れないと確信して旅館へもどる。
もう夜10時近くになっていた。
帰ろうと思ってから結局1時間くらい伸びてしまった。
旅館の入口は小さなライトが一つ心細く灯り、自動ドアの中は暗い。
きっと旅館の人も泊っている人間が帰ってくるまでは、ここを閉めることもできないだろうと、私にもそれぐらいの常識は残っていた。
スマートフォンに父からの催促を確認するのがいやだったので、開かずに直行する。
自動ドア越の旅館の中は暗く、赤いじゅうたんの色が浮かび上がっていた。
私がドアを開き、ほっとして中にはいると、
フロントに腰かけを用意した、父と旅館の男性がストーブを出して話していた。
ほんとうに少し恥ずかしくなる。
私は毛糸の帽子をとって髪をなおし、ただ、凄い星空だったと告げる。
父と旅館の男性がまあストーブにでもあたってと、そっちへ呼ぶ。
私は星空を眺めた興奮もあったが、いっきに現実に引き戻される。
私は知らない人がやはり苦手だ・・・。
しかし父は8時に私とフロントで別れてから2時間近く旅館の男性と話していたのかと思うと辟易する。
ストーブは雪国特有の火力が強い、旅館用の大きなものだった。
そこに移動できるソファがあらかじめ私の分も用意されていた。
私は簡単挨拶をして、外は寒かったかと聞かれたので、大丈夫だよと短く答える。
まっすぐにそそり立つ火柱を眺めて二人の話を聞くしかなかった。
暗いロビーでほぼストーブの灯りだけで、旅館の男性店員の話を聞いていたが面白い人だった。
とにかくよくおしゃべりする。
私が口べたとわかったのかわからないのか、まるで最初から私がそこにいたかのように父と話を続ける。
父と同じ年齢くらいなのだろうか。
意思が強そうで目がしっかりしている。
少しくらい場所でときたまこちらに視線を向けて話す姿は私の目を見ているのか、それともその人の頭の中の思考を眺めているのかわからなかった。
子供の頃の長野の話や、この温泉での寒さなど、私が戻ってきても10分ぐらい話を続けていた。
ロビーの方に旅館の店員さんと思われる人がちらほら入っていく。
男性がお疲れ様と声をかける。
きっとこれらの人を管理する立場の人だったのだろうか、
「何か用事があるかもしれない」と男性が私の存在にやっと気付いて、遠慮したように席をたったのでストーブを囲んでいた三人の輪が散らばる。
温泉の場所はわかりますねとそんな挨拶ともとれないことを私に言って、はい大丈夫ですと声にもならない返事を私はした。
父と部屋に帰りながら話すが、星空を見た興奮がよみがえってきた。
おおむねここまで話した内容を父に伝えた気がする。
父はもうお風呂にははいらない、このまま寝るとのことだ。
窓を開けて空を眺めるが、旅館の敷地ないはところどころ光があるので空が見えづらい。
外を眺めたときは、もう曇っていればよいのにと思ってしまった。
私は星空のことをひとりで振り返りたかったので、温泉へ向かう。
誰も温泉の中にはいない。
あの星空はほんとうの空だっただろうか。
体をあっためて、部屋へ戻る。
もう父は寝ていた。
私は障子を開けて窓側の場所へ移動する。
スマートフォンで星図を調べる。
カシオペア座には確かに天の川が流れていた。
私が目に焼き付けた星の流れと同じだった。
興奮する。
そして、小さい雲のかたまり。
アンドロメダ星雲だ!!
そっか、アンドロメダ星雲なんて肉眼で見えたことがなかったのでその存在がすぐに出てこなかった。
子供の頃みたくてみたくて仕方なかった銀河。
私たちの銀河系のとなりにある、もうひとつの銀河。
必死に探したけど、はっきりとこの目で確かめることができなかった銀河。
そう確かに、この時期のカシオペア座の右側にたしかに雲のかたまりが、なんどもなんどもそれが正しかったのか、
別のサイトでも確認した。
もうこれ以上の興奮はなかった。
きっと、ずっと、目に焼き付けて、あとであれがなんだったのか確かめる。
そんな星空の眺め方も良いものだと、ずっと子供の頃から想い、かなった夢を、いまさらながら反芻する。
おもえば長い伏線だった。
子供の頃からずっとみたかったもの。
それがここ乗鞍岳の中腹の標高1500m付近でかなう。
スマホの星図を見直して胸があつくなる。
きっと思えば私はこの空をいつでも観ることができるのであれば、テレビなんていらないだろう。
ネットもいらないかもしれない。
ただ季節の変化とともにゆっくりと色を変えていく空。
星座早見表もいいけど、こうやって何も調べずに、ただ空を眺めて疑問に思うのも良いものだと。
記憶を頼りにあとから調べてわかる。
記憶に追い付かないほどの星がそこにある。
オリオン座も北斗七星もみえない秋の空でも、星が見えれば良いのだ。
アンドロメダが見えた。
うれしい。
星雲ってほんとうに少しそこから目を逸らすと確認することができるんだなって、じわじわと胸にくる。
子供の頃に図鑑にのっていた知った星雲の見方、知識だった。
気温系は2℃だったがまったく寒くなかった。
ずっと眺めてたかった。
いつかまた一人できたい。
もう飽きるほど、もういいやと思うほど眺めていたい。
0時を過ぎる頃にふと窓をあけて空を覗くと、雲がかかり、星が少なくなっていた。
何故だか安心する。
もう寝よう。
もう冬のはじまり。
気が付くと、ただ、静かな山奥で、部屋の暖房が不規則にカランカンと動く音だけが聞こえた。
いま振り返るとこう思う。
これだけの星空はお金を出しても手に入らない。
場所、気象条件、空気、月、さまざまなものが重なりであうことができてもう二度と出会うことはないかもしれない。
きっと好きなことをするってこういうことなのだろうと。
私は星空を観ることができれば、テレビもネットもいらない。
移り行く空を眺めることほど楽しいことはない、本は必要だろうか。
アニメも見たいな。
でも、星さえあれば飽きることはない、ただ星さえあれば良い。
きっと地球の生活が壊滅的になくなって、今の現代的な生活がなくなったとしても私は飽きずに、夜を楽しみにただ生きていける気がした。
むしろ楽しみを求めて山奥を目指すのではないだろうか。
納得いく星空に出会ったら死んでも良いとすら思えた。
文章が書けなくなった。
それについては、文章を書くということについては、この夜の空を眺めて答えは見つけられなかった。
でも、もうそいうことを考える、そんな答えを見つけるレベルじゃなくて、ただ私は星が観れた。
もうそれで良いかと思った。
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