(前回のあらすじ)会社での雇われ方に限界を感じ別の生き方を探っていた時、とあるブログに出会ったのです。
生き方を変えようと思ったきっかけ、出来事
そんな時に、現実の世界で、決定的なことが起こる、
千聖という人間のブログに深夜丑三つ時に出会ったのが3月ごろ、
それから、なんとなしに何度かブログを訪問し、
だが、実際には踏み出せないし、わからない、漠然と会社はもうダメだと感じていたのだが、
6月のある時に、体にちょっとした違和感があり、小さな病院へ行き、血液検査をしたところから、国立病院を紹介され、紹介状を持っていったその日のうちに、精密検査になってしまった。
血液のガン、リンパ腫の疑いだった・・・。
あの時に、はじめて死を恐れた・・・。
ほんとうに、もうダメになったと・・・。
6月を過ぎて、何度も病院で検査を繰り返し、あいまいな診断のまま、
もう、私は、あまり止まっている時間がないと直感で悟った・・・。
あと少ししたらもう何もできなくなるかもしれない・・・・
私は現実的なことを考える。会社の世界はもう無理だし、
恥ずかしいが、好きな人だっていたが、もう病期の疑いの申し訳なさからか、本当の気持ちも伝えられず、フェードアウトしていってしまった・・・。
あげく、その相手からは、好きな人が出来たと言われ・・・、ああ良かったねって、恋の相談に乗ってあげることぐらいしか、私はその人に対してできなかった・・・。
動くしかなかった
インターネットをあさり、独立開業のしかた、相談できるところなどを探す。
とりあえず、怪しくないような、相談できても、個人を特定しなくても相談できる、フリーメールで相談できる民間の団体をみつけた。
土地を資金にして、できるようなフランチャンズはないかと、メールで相談する。
特にあやしい感じはメールの文面からは伝わってこなかった。
メールでやり取りした団体は金沢に所在があり、北陸からメールが届いていた。
担当していた人が、過去、関わった事例をもとに、失敗の少ない、もしくはリクスの少ない独立開業のパターンを色々とメールで提案してくる。
例えば、予算、300万とするなら、かばんのリペアなどはいかがか?と、
私は、たとえば飲食店はどうかと聞いたが、飲食店は廃棄、在庫の管理が大変でくさらしたら捨てるしかないのでおすすめできないとメールで言われる。
かばんのリペアであれば、東京に知っている人がいるので会ってみないかと、
開業のはなしなどを聞きに
実際に会いに行った。
7月を過ぎ、蒸し暑い夏、
仕事が終わった後、近くの大きなターミナル駅の喫茶店で待ち合わせをした。
喫茶店で、名刺をもらい話をする。
店内は外の蒸し暑さとは反対に、冷房が効きすぎていて、
一口啜ったアイスコーヒーは、緊張なのかわからないが、氷を飲み込むように冷たかった。
独立開業のこと、リペアの資料をもらい話を聞きながら、他の事業の話もあわせて聞いてみる。
たとえば飲食。
話の中で例えば、海鮮丼屋などは、食材も冷凍保管なので、在庫管理、廃棄のリスクがすくなく、
提供もあらかじめ切って加工された、冷凍の切り身を回答し、どんぶりにのせるだけなのでリクスが少ないと、
説明している男性の実績では、いちばん儲からなかったところでも、粗利は30万ぐらいは最低限あると言っていた。
もちろん、もっと儲かっているところもある。
あくまで最低限という説明だった。
特にあやしくなかったし、話を聞いた男性は、とても誠実そうで、紳士的、真夏でもスーツを涼しげに着こなす、綺麗な男性だった。
しかし、私は、わからなかった・・・。
いや勇気がなかった・・・。
検討しますとだけ、告げて、2時間以上話をしていた、喫茶店を出る。
駅の出入り口まで一緒に歩きその男性と別れた。
日をおいて、別の方法も考える。
土地を売って不動産でなんとかすること・・・。
別の相談窓口を探した。
東京駅のすぐ近くの、立地がすごいところにある、でっかいビル・・・
土地について相談した人も、色々と話をしてくれた。
ほんとうに悪い感じはしない。
50~60くらいの男性だった。
説明会に参加した日がたまたま、別の予約の人が不参加となり、マンツーマンで話をきけた。
たとえば、安く建てる賃貸物件はオススメできないと、
元がとれる頃には、建てたアパートじたいに修繕が必要になる。
人口もどんどん減って入居じたいがみこめるか不明と、
たぶんそれはほんとうのことだと思った。
説明にウソはないと感じた。
案としては、土地を担保に銀行からお金を借りて、半分の土地に家を建て替え、もう半分を賃貸にするか駐車場をつくって、お金を返しながら生活がいいのではないかと、
土地を売るのは、色々な意味でリスクがあると説明された・・・。
わからない・・・
土地の話も、説明してくれたおじさんは、ほんとうに親身だった。
だが、考えますと言って、それ以降、私の方からコンタクトをとることもなかったし、
フランチャンズの話、もしくは土地の話をしてくれた人、どちらからも連絡はなかった・・・。
もともと、母がアルコール依存でおかしくなってから、祖父母も死んだあと、ほとんど親戚関係がなくなった。
頼れる関係に、商売や土地に詳しい人がいなかった・・・。
誰も、客観的に、利害なく聞けるような人がいなかったのです・・・。
今おもうと、
人は追い込まれるとあらゆる可能性をさぐるのだと、
あらゆる方法で生き延びようとするのだと、
私は、やったこともないフランチャイズ、もしくは土地の売買、不動産、
失敗のリスク、会社をやめるリスク、
なにが正しいのか、まったくわからなかったし確信なんてひとつも握れなった。
えらぶことができた選択肢
ただ、ひとつ、
ブログの世界・・・その選択肢、深夜に開いたサイトが頭のどこかに存在していた・・・。
私は、千聖という人のブログをみながら、ブログをつくっていた。
今思い出すと、気づいたらできていたような感じだった。
色々と考えていた選択肢の中で、仕事の合間をぬって無意識のうちにブログをつくっていたのだろうと、
ランニングコストは、せいぜい月に1000円ぐらいだった。
適当に日記をつけていたが、ほとんどじっくり書いてもいなかったブログ・・・、
フランチャイズや、土地の話を聞きに行ったなか、判断にも迷っていた時、
ふと、その時、見ていたブログの管理人へコンタクトをとってみることが頭によぎった・・・。
夏、7月の終わり、メルマガに登録しアンケートの回答ぐらいならと・・・
書き始めたら、いつの間にか、
その時抱えていた気持ちを、ただ綴っていた。
返信があるかもわからないのに・・・
ただ、ただ、誰宛てに書いたのかもわからないままに、気づけば長い文章を書いていた・・・。
いつか小説家をめざしていた人・・・。
いったい、どんな人・・・?
そういえば、いつか私も文章を書いてみたいと思っていたな・・・。
コメントを残す