ブログのつくり方など(無料特典)

追い込まれるとフランチャイズや土地売るなど考えはじめ、リスクを天秤にかけ迷いはじめた話

前回のお話はこちら

(前回のあらすじ):派遣として働き、正社員をほのめかされ、でも実際は使い捨てのように扱われて・・・どんどん、働く意味がわからなくなっていきました・・・。

心の中では、もう見切っていた職場・別の生き方を考えはじめる

心の中では、こんな環境を完全に見切っていたが、じゃあ、次にどうすれば良いのかわからなかった。

また、別の派遣先を探すのか、

でも、あと一年ぐらいいれば、無期雇用化にもなる・・・。

いまさら新しい仕事をおぼえても・・・。

薄々、どこへ行っても同じだろうということは感じておりました・・・。

「じゃあ、どうする?」

もう、派遣元に相談したところで、「大変ですね」ぐらいしか言われない、

むしろ、面談のたびにあと何ヶ月で無期雇用になるのでと、なんだか慰められ、

で、結局、それになった時の条件をなかなか教えてくれなかったのだが、私が辞める2か月前に言われたのが、

今まで交通費が出なかったのですが、無期雇用になれば支払われます。

ですが、交通費が出る代わりに、時給として換算すると給料はその分減りますと・・・

 

言葉にならない怒りが当然だがわいてきた・・・。

 

面談で言っている派遣元の担当者だって、おかしいこと言っていると表情に出ていたのがわかる・・・。

 

まあ怒らないでくださいと、無言で訴えかけていた・・・。

 

私は下に向けてしまった顔をしばらく上げることができずに、ただ、差し出された、無期雇用になる際の条件提示の中身を読むことができず、ただ、ただ、薄っぺらい紙を見つめるしかなかった・・・。

 

脳に入ってこない文字を目でたどった・・・。

無期雇用とかも、どうでも良くなってきてしまった・・・

派遣先にいたところで、席替えで、

私の隣に新しく座った、別の部署から来た、企業名が変わる前のバブルの時代の昔からいる、おばちゃん正社員へ仕事を教えるなど、正社員の面倒すらプライスレスでやらされる。

お局も、それ以外の、若い連中も、おばちゃん正社員も、もう、誰一人、関わりたいと思えなくなってしまった・・・。

 

むしろ、職場の誰よりも、外部の人の方が気を使ってくれてたりもして、そんな無言の優しさも、なおつらくなってきてしまいました・・・。

たとえば、もうどうしようもなく、面倒な案件、社員が決定しなくてはいけないような外部からの相談ごとを私がたまたま取った時、

電話をかけてきた、電話向こうの外部の人が、私が上司とその相談ごとについて話すのが嫌だろうと察してくれて、「また、社員が電話に出た時にかけ直しますよ」と気を使ってくれたりしました・・・。

 

なんだが哀しくなる。

こんな状態で、・・・

「もう、自分の納得する形で稼ぐしかないだろう」と思いはじめました。

もう、体調も頭もおかしくなりそうで、給料も少なすぎて限界、

考えはじめたこと、

「土地を売ってなにか商売でもはじめようか・・・」

うちの家は、私の父親と離婚した母しか残っていませんでした。

きょうだいは結婚でもういない、

母の離婚の原因はアルコール依存で、まったくダメな家庭でしたが、幸いにも、母型の祖父母の土地がありました。

あったと言っても、じゃあ、その時を売って、例えば、お金を銀行に預けて利子などで生活できるなど、そんなレベルではない。

東京郊外の土地なので、できる範囲は、せいぜい、古くなった家ごと売って、ほんとうに小さな家をどこか買うことぐらいでした。

今ある土地で家を建てなおす資金もなければ、土地を売って小さい場所へ移ったとしても、その余ったお金で何かできるだけの資金も残らない・・・。

死ぬまでなんとかできるお金も残らない・・・。

色々な方法を考えた。

 

とある、ブログ・・・

どうやってこの先、会社以外から生きて行こうか

そんなことを考えていた時に、

夜、もんもんと寝れない時、

深夜、真夜中、丑三つ時、色々なことが頭をめぐるなか、

なにか、土地を売ってそのお金でフランチャイズでもしようか・・・

 

ネットで情報をあさる・・・

 

とあるブログに、木も静まり返るような夜更けに辿りついた記憶がありました。

 

ただ、ただ、なんだが、ひっそりした世界感のブログだった・・・。

 

「好きなことを仕事にして生きて行く」というブログの中のフレーズに目がとまった・・・

ただ、その時、最初に目にとまったのは、

なんだが夢見物語というか、

あまり現実的でもなく、

でも、例えば、このブログを書いていた、千聖という人物は、
この人の書いたブログを読むなかで、元作家志望だった、だが、会社のストレスに負けて、どうしようもなくなった。

好きなこと、文章を書いて生きたいと思い、そして、今、その好きなことをして生きているというようなことが綴られていた。

その時は、そういう、世界があるんだな、と、
どこか、私にとっては、「小説家になりたかった」という、このブログの著者の夢の部分がすこし、こころにひっかかっていたところでもありました。

 

その文章を書いて生きる方法とは、

ブログに記事を書いて、そのブログに広告を貼ることで収入を得るというような方法で、ブログのアクセスが上がるにつれて広告収入もあがり、

ブログの記事のなかでお勧めしたものを読者が購入したら紹介料をもらえるような仕組みでした。

ですが、

じゃあ、すぐに、ブログをはじめよう、

千聖という人物のブログにある、ドリームライティグという教材を買って、

ブログ生活をはじめてみようという気持ちがうまれたわけではありませんでした。

それは、その当時、会社員として働き、

 

それ以外の道、商売をはじめるなどと、天秤にかけるものではなく、

まったく別の道、

違う世界、


ずいぶんと遠くの世界の話だな、くらいにしか感じていなかったのだ、と、

 

ですが、どこか、こころのブックマークにとめていたことだった。

起きているのか、寝ているのかわからない、処方された睡眠薬が効いているのか、いないのかわからない、そんな意識のなか、どこかにひっかかりブックマークをしていた。

また、夜、眠れない時に開いては、繰り返し読んでおりました・・・。

 

つづく

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