私は、ブログ書きを続けることを選択し、
会社から逃げ、
逃亡したのです。
愚者そのものになったのです。
そして、なぜか、ブログ書きとはまったく関係ないことなのですが、
時間的な余裕、そしてさらに、ブログ書きから目をそらすことで、
仕事でずっと悩んでいた体調が回復したのです。
もう、体が軽いのです。
こんな感覚は、小学校の時以来、
なにも違和感がなく、ただ、守られている、
底についたような安心感・・・
すっきりと、空間ができて、綺麗になった部屋のベットで寝転がり、
大の字になりながら、目をとじて考えます。
庭に海ができた
扉の向こうにひろがるのは、すっきりと広がる庭、
そう、工事も終わり、
9月に差しかかかるころ、
すっと、体の緊張がほぐれ、床に全体重んが沈んでいく感覚、
そういえば、いつでも、どこでも、どこかに力が入っていた・・・
だから深く、心をしずませることもできずに、体調も心もおかしくなったのだと、と、
あらためて感じる。
こんなに安心した気持ちはいつ以来だろうか、
ああ、そっか、アルコールでおぼれた母しかおらず、怖かったこの場所、
いつか、田舎に行った時に、
ずっと、高い山で隔離された、都会から離れた、田舎の家、
夏やすみ、おばあちゃんしかいない、
標高の高い田舎は、
さらっとした空気、
桃の香りが漂う夏、
お線香のにおい、花火のにおい、農業用水路に流れる水の音、
一台しかとおらない道をまっすぐに進む自動車の音、
ただ、ただ、遠く、
怖いものから逃げて、何もせまってこない場所、
そこにたどりついた時のような感覚を思い出す。
電気もつけないのに、部屋の中は、かすかに明るい、
なんでだろう、
ベットから起き上がって、
扉の向こうに広がる、庭を眺める。
もう、9月、
大きくなった満月が、
ちょうど、空の真ん中を通り過ぎ、
庭を照らしていた。
雑草対策に広げた、防草シートに月あかりが反射して、
部屋の中まで明かりを届けていた。
きっとここまで、春に木を伐り、夏に雑草を引き抜き、こころを整理しなければみることができない光だった。
庭が薄い白色を漂わせている。
それは、月の明かりに照らされて広がる、まるで、大きな海のようだった。
きれいな満月の空と地面が美しい光のコントラストを放っていた。
もう、それは、ただ、ただ、深い安心を教えてくれる月あかりであった。
仕事を辞める時に、こうなることがわかっていただろうか、
あの時は、もう、不安だったし、逃げるしかなかったのだが、
きっと、怖いと思ったものから、
もう、間違っても良いから、逃げてしまえば、
案外とそれが、あとで、さ、正しい、と、そうわかることがあるんだって、
なんかそれって、いつか見たアニメのセリフにあったな、
その意味が、わかった気がしたのです。
庭に広がる海をみて、そう感じたのです。
ここまで、読んでいただきましてありがとうございました。
私は、文字を書くことで、
だんだんと、
そう・・・、なぜ書くのかの本質も、考え、ブログ書きの旅をはじめていったのです。
ネットの世界で知った、作家志望だった、文章の先生、
いったいこの人は、
何を教えてくれたのだろうか、
ただ、単純に、文字の書き方だけだったのだろうか、
想っていた、書きたい気持ちとはなんだったのだろうか、
文章を書く旅をはじめたのでした。
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