ふと気になって小さな病院へ行った日、血液検査なんて受けるほどのことはなかった。
やったところで何かわかるほどのことなんてないって・・・
いや、どこか何か変な予感がしていたからだろうか、だから大したことがない気がしても、あの日、病院に行ったのだ・・・
1週間後の検査の結果、医者から、念のためと、近くの国立の病院を紹介される。
ほんとうについていない人生だった・・・。
子供のころ、幼稚園に上がる前に両親が離婚し、わたしは母親方へ残された。
父は出て行った。
理由も、母の飲酒だった。
離婚をしたことで、母がよくなることはなく、むしろ、父へ大見栄をきって育てると、自身に高いハードルを背負わした母は、どんどんお酒におぼれていってしまった・・・。
子供の頃の記憶があまりない、切ない、楽しいというよりは怖い、
恐怖の体験でしかない、心休まることがなかった・・・。
休まるところなかったのか、どんどん体調が悪くなり、中学の頃から病気がちだった・・・。
積極的な人間になれるはずもなく・・・ただ、ただ、現実逃避癖の私は、夏に訪れた、田舎の星をみてもの思いにふけることしか、想いをはせることができるものは、なかった・・・。
いじめもあった・・・、私より成績の悪い子が、学習塾のやすみの時間にクラスにきては、机や椅子につばを吐かれた・・・、
家に帰っても休まらない、学校でも休まらない・・・、塾でも・・・
体はどんどん、心の模様を映し、悪くなり、
浪人して入った大学の時も、治療に苦しんだ、それでも、なんとか治して、希望をみつけた。
恋人ができた。
はじめて生きていて良かったと思えたのもつかの間、大学のうちにまた、再発した・・・。
失恋した・・・。
「おまえは幸せになってはダメだ」、と、そう誰かから言われているかのように・・・、
体調もわるく、あげく精神を壊し入院し、就職氷河期・・・
仕事なんてあの時はなかった。
バイトすらろくなモノがない・・・葬儀屋で働いたこともあった・・・、死体をみては、似ているな、などと平気で言われるような環境だった・・・、
夜勤、当直の電話がもう、うっとうしくなって、携帯を折り曲げて破壊し・・・そのまま逃げた・・・
それから、まともなのかわからないが、あっても、クレームを受けつけるようなコールセンターぐらいしかなく・・・
もともと話すことが大嫌いながら、思いっきりテンションを上げて話しまくった・・・
ただ、理不尽なクレームを聞くことでもう、ほんとうに電話が嫌になり、それでも、なんとか職歴をつくり、
30の時に正社員になった。
外資の会社だった。
だけど・・・
入社して、3年であっけなく日本事業から撤退、
休みの日に会社から電話がかかってきて、呼び出され、会社に着くや否な、知らないフランス人と上司が待ち構えていて、
ここにハンコを押せと、
その日のうちに仕事がなくなった・・・。
リーマンショック・・・
30なかばで、正社員をさがすのは厳しく、派遣を転々とした。
またコールセンターに振り出しだった。
クレームを受けて、精神を病む、
無理だった。
もう、それでも次を見つけた、派遣であったがなんとかしがみついた。
でも、そこも最悪のところだった。
仕事がない、がけっぷちの40手前の人間を、正社員の餌をぶらさげて良いように扱う・・・。
幸せになりたかった・・・。
まんまとぶら下げられた餌にとびついた。
経験もなし、知識もなし、現場に出たこともないのに、会社に格納されていた資料をよみあさっては、ときに、別の部署で詳しいひとをつかまえては知識を拾い食いした。
社員とおなじように、むしろ、社員よりも判断できるようになった・・・
だけど、
なぜか、
あとで入ってきた、私よりもまったく知識のない、明らかに話し方が馬鹿そうな人間が社員になっていった・・・
現場からの対応、売り上げ報告、不要物品の管理、
そして、なぜかウォーターサーバー20キロの交換という役割、
「ねえ、それ私がほんとうにやることなの・・・」
なぜが私が交換するの・・・?
ウォーターサーバーの水がなくなると、私を呼びに来る。
なにそれ、こっちだって忙しいのに・・・
席に戻ると、やっていた作業が、どこまでだったのかわからなくなる・・・
ねえ、これなんの儀式・・・?
(だって、さあ、交換してって呼びだしたあなた、私より倍以上は太ってるじゃん、なんで・・・)
(なんで、なんなの?)
実際にそれは口して言ってはいないし、人の悪口を言いたくも思いたくもなかった。
あ、そうですか・・・!と、
むしろ、お愛想程度に頼んできた人間が、「良くそんなの持てるね」って言うのに対して、
「えへへ・・・」と愛想わらいをするほど、私は、誠実な人間を演じていた・・・。
心のなかでは、自分が馬鹿だとふと感じて、ほんとうに寂しい気持ちになった・・・。
ウォーターサーバーの持ち運びひとつ、細かな行動で、立場の優位性をみせつけれて・・・
こいつら、みんな馬鹿なの?こんな水なんて私は、口にしないけど・・・
もう心はどす黒く、かすかな光も消えかかり、当時いた好きだった人に対しても何もできずに・・・、こんな職場で働いていることが情けなくて・・・
それで、さあ、しまいには検査にひっかかり、病気を疑われ・・・
近くの内科から紹介された、国立病院へ行ったその日のうちに、MRI検査・・・、
造影剤なんてはじめてつかった・・・。
ずっと腕に刺された針が恐怖でしかなかった。
検査結果を待つ1週間はまるで、死への審判を待つかのようだった。
ほんとうに、さ、なんだったんだろう・・・
なんで生まれたんだろう、
きっと前世は自殺かなにかしたんだ、だから、私はもう一度、遺伝子を運ぶためだけに、肉体が生まれ、この世に戻らされたんだ・・・
なにも残してないけど・・・
何も残せなかった・・・
なにもできなかった・・・
ただ、悔し涙を流すしかなかった、いや実際は流れもしなかった・・・。
怖いだけだった・・・。
なんでこんなにさんざんだったのに最後を意識すると怖いのだろうか・・・、
不思議だ、人間の本能はどっちの意味でも怖い・・・
生へ対しての本能、死へ対しての本能、
もしも、一縷の望みがあるとしたら、もう感情を残すしか私にはなかった。
こんなにダラダラと綴る、つらい気持ちがあった、多かった、
だけど、私は、無意識のうちに、すべての決定を他者にゆだねていた。
親の飲酒、逃げることもできた。
仕事、自力で覚えれば、道が開けると思った・・・、
まず、ひとつは生きずらさがほんとうにあった。
家庭への不安、親への不安、学校、仕事、人間関係での不安、体調での不安、どれも人より優れていると思ったことがひとつもない生き方だった。
波があるなかで、少しは幸せだと感じたこともあったが、結局は長く続かなかったし、それはあくまで他人を軸にしていたところだった。
例えば、親が変われば、職場の人が変われれば、恋人がこうであれば、みんな最終的な自分の中での幸せは他人に頼るところがあったと思う。
それに本当は気づいていた、仕事で頑張ったのも、自分の力でなんとかしようと頑張ったのもその裏では認められようという生まれながらの欲求だったと今ではそんな気がする。
自分の力で頑張って覚えて知識を身に着ければという気持ちも、無意識化で職場の人に、自分を認めさせたいという強引なところだったのだろう。
ほんとうに自立した考えであれば、自分の力で覚えられてよかったね。
良い経験になったね。だけど、それでも何もかわらないねって笑ってすごせたはずだが、
どこか、世間、会社、上司へたいしての恨みの気持ちがあった。
無意識で相手を変えようとして疲弊してしまっていた。
そういう意味では、自分の考えというのも相当おかしかったと思う。
それでも社会の仕組みというのもだいぶおかしいのも事実で、どっちが正しい、悪いと善悪、白黒はっきりさせるのは難しいが、
ブログ書きに出会ったこと、自分の力で何かをつくる、おもっていることを伝える、コツコツが実を結ぶ、そんな素敵な体験ができたことで徐々に考え方もかわってきた。
まあ、けっこうしんどい人生だったかもしれないし、他の人が感じるのとは違ったしんどさだったかもしれない。
あくまで普通の家庭で育っていってもしんどさというのは人それぞれあるので違ったところで悩んだかもしれない。
ただ、どちらにしてもそんなことに悩んでいるほど時間は、もう無限ではなく、今まで感じたこと、想ったことを残しておきたい気持ちが強かった。
決定的だったのは体調の部分。
ほんとうに死を意識した時に、たぶんほんとうに死ぬときにこの世にたくさんのことを置いてきてしまう。
未練が残ってしまう。
死へ恐れは、しんどい出来事だったが、そのおかけでブログのアクセスを体験することができたし、
もっと大切なこと、少しずつ自分の価値を感じるようになってきた。
あくまで最終的には、心の自立なのかもしれない。
他者にゆだねず、つねに自分の価値観を大切にできる心、それをまだまだこれから知っていけたらと、そんなメッセージを届けて行ければと・・・。
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