結局、郁は、この先の仕事、将来性へのあきらめ、派遣でいることの限界を感じるなかで、土地を売ってフランチャイズをはじめるのか、もしくは不動産で何かするのか、
カバンのリペアをするのか、海鮮丼屋をはじめるのか、
何に対しても、答えをだすことはできなかった・・・。
あえて出す答えに、成功する確信もなかった・・・。
ただ、6月に受けた精密検査の結果もあやふやで、この先、3か月後ごとに国立病院へ検査をしにいかなければならない状態であった。
このままではダメだ、何か動かないといけない・・・
じゃあ、どうやって?
3月ごろ、真夜中、深夜、たどりついた、ひそやかで、あやしい光を放っていたブログ、
管理人は、小説家になりたかったと、書いてあった。
どんな人・・・?
商売をはじめる勇気も、土地を担保にしてなにかはじめる決断もできなかった。
あやしいブログで書かれていた夢見物語、「好きなことを綴って生きる・・・」
問い合わせをするだけなら、タダだ、
フランチャイズの話だって、土地の話だって、おもいきってメールで問い合わせをして、実際に話を聞きに行ったではないか、
それで何か、無理やりにはじめさせようとされたか、必ず儲かるなど、いかにもあやしい誘いをされたのか、
いや・・・
私はピンとこなかったが、別に何か、恐怖をもらったわけではなかった。
むしろ、リスクだって教えてくれた。
意外に世の中の人は、ほんとうにピンチの人間がいれば、正直に教えて助けてくれるんじゃないかと・・・
郁はどこか、ここ数カ月、試行錯誤で動き、経験で感じはじめていた。
「もう、とどまっているだけだとほんとうにこの先ない・・・」
小説家・・・作家先生、
気づけば、いつの間にかメルマガを登録し、問い合わせフォームからその作家あてに文字を綴っていた・・・
・・・。
郁は、ただ、ただ、返ってくるかもわからない、
思えば、なぜフランチャンズをはじめたかったのか、土地を運用したいのか、実際に会って相談した人にも話せない、ほんとうの深い事情をメルマガのアンケートフォームに書きなぐっていた。
なぜ、いま、動きたいのか、を・・・
働いても賃金があがらない、職場での理不尽、派遣の立場の低さ、病気、死への不安、
ここ数カ月、実際に会って話をした人たちとは、こんな本当の理由を話してなかった。
もっとシンプルに、家も古くなったのでなんとかしたい、給料も低いからもっと稼ぎたいなど、それも真実だったのだが、
もっと、心理の根底にある、あの時、動きたい本当の深い話はできず・・・
警戒心のつよい、郁の性格からしても、初対面の人間に色々と個人的なベラベラ話せることはできなかった。
一方で、登録したメルマガにあったアンケートフォーム・・・
文章で書いて伝えるぶんには、会って話すのとは違い、ほんとうのことを書けた。
どんな人かも、まったくわからないが、
複雑でからまった事情を話せる友人なんていない、きょうだいにも言えない、親にも・・・
親に言ったところで、我慢して働け、だったろう・・・
心配させてしまう気持ちもあったし、なにより否定されるのが怖かった、まだ、郁本人ですら、なにも信じてなかったのだから・・・
書き始めたアンケートフォームを開きはじめたら・・・想っていた感情を、書けるだけ書いた、書きなぐっていた・・・
パソコンで文字を書き殴りながら、あらためて、みじめに思えてきて、心のなかでは涙ながらに、誰あてに書いた手紙なのか、ただ、ただ、いつの間にか感情を綴っていた・・・
文章を書いてみたかった・・・
死をおそれ、もし死ぬのであれば、それまでに想いを残したい・・・そんなこともアンケートに書いていた。
送信者の欄も、郁の名前の漢字表記を伏せて、ひらがなで書いて、フリーメールから、
もし万一、なにか、変な誘いがきても、逃げることができるように・・・
もう、書くだけ書いて、送信ボタンを押した。
返信はけっこうあっけなくきた。
いつか小説家をめざしていた返信者は、ブログに書いてある文章に違わず、文面から漂う印書は落ち着ていており、やわらかなメールを返してきた。
穏やかな文体だった。
郁は、想っていた感情をずいぶんと書き殴ったはずだったのだが、
なんだが、少し呑気な雰囲気も漂う、郁の当時の感情よりもずいぶんと気楽で楽しそうな内容の返信だった・・・。
ただ、アンケートに返信したことに対して、なんの否定もなく、ブログをやってみませんか、と少ない返信だった。
ブログをはじめる動機は、それだけで良かった。
返信があっただけで、もう良かった。
返信できた「やってみませんか」の一文、
その日のうちに私は、再度、その作家志望だった管理人へ返信していた。
ブログについて、もっと教えてほしい、と、
作家志望だった管理人、千聖と名乗る、文章の先生とのやり取りは7月の末だった。
そこから1週間ぐらいの間のやり取りで、
ブログのサポートを受けること、
短い、たった数度のメールのやり取りで決断していた。
何がいちばん正しいのか、
会社を辞めて、土地を売って、フランチャイズ、
そんな悩みも、
あの時、すべての感情を吐き出し、返信をくれた人と一緒に、とりあえずブログ書きをはじめてみよう・・・と、
お金になるならないは置いておいた、成功するかしないかもあまり考えなかった。
土地を売る勇気と比べれば、たいした決断ではなかった。
作家志望だった先生が書いたブログに、いずれあなたの書いた文書が資産になると書いていたが、
なる、ならない、
そういうことだけではなく、
文字を綴って生きてみる。
ブログのサポート料は7月を過ぎると、値段がかわると記載があった。
簡単に決めたと書いたが、実際はそれでも悩んでいたのだろう・・・。
郁が申し込み、メールを返したのは、7月31日の22時過ぎだった。
いつかの小説家から返ってきたメールの文章を何度も読み返し、もう・・・、直感を頼りにやってみようと決断していた。
間違った判断であっても良い、とりあえず綴ってみよう、ダメならまた考えれば良いじゃないか、
メールの文面から、どんな人なのか、会ってもいないのに、どんな人なのか伝わってきた。
少しテンションが高い。
郁は、それから、少しずつ、働きながらも、ブログのサポートを受け始めた。
思っていた以上に、おもしろい世界だった。
あの時の、最初のどきどきしていた感情は、今、思い出しても、すごくワクワクした未来を想像するばかりだった。
会社の人間には内緒で、家族にも内緒で、
家に帰れば、ブログ記事を書き、添削をお願いし、
メールで相談しながら、過去抱いていた気持ち、
想っていた感情、書き出したかった感情がなんだったのか、
だんだんと、自身の心に向き合っていった。
会社、仕事を押し付けてくる周りの人間、どうでも良い社内の悪口、
嫌な日常を消し去ることはできなかったが、
新しいことを見つけた楽しさに気づいてきた。
あの時、好きなこと、書きたいことがなんなのかも、はっきりとわからず、どんなブログを書きたいのか、
心のどこかにはあったのだが、アドセンスのチャレンジもあり、ゲームに挑戦するぐらいの気持ちで、
同じ目的でブログを書く人の集まりに参加もした。
8月を過ぎて、夏の盛りも過ぎようとしていたころに、千聖さんにはじめてあった。
文章から伝わるイメージどおりの人だった。
あまりにも文章のイメージとあてはまり過ぎていて・・・
無口で話さない人だったが、
なんとなく、意識の底のどこかで、信じることができた。
そうして、だんだんと書く世界への楽しさを知り、進んでいった。
はっきり言えば、ブログがマネタイズになるなど、あまり郁自身はそちらへの意識が少なかった。
過去の経験を書き出し、想っていたことを書き出せる、それが快感と言えばよいのだろうか、
いや、快感とは少し違う、
感情の整理だろうか・・・
なにしろ、作家志望だった先生が添削してくれて、しかも、過去の体験談、話せなかった体験談すら、良いことだと、何も否定せずに、むしろほめてくれて、喜んでくれて、
どんどん書いていってくださいと、メールのやり取りでアドバイスをくれる。
仕事で感じるメールとは違い、添削をお願いして帰ってくるメールはほんとうに楽しみだった。
メールのやり取りは、面白かったばかりでもないし、ここまで書いて良いのかと悩む場面もあったし、
ただ、書くだけでなく、ブログの作りかたなど、
悩む部分もたくさんあったのだが、
その悩みも、会社で感じる悩みとはまったく別のものだった。
ブログで生まれた悩みには、未来があった。
これからどうやって改善し、伝えていくのか、
会社の悩みなんて、悩みに悩みきっても、何も解決しない未来のない答えばかりだった。
それに比べると、
まったくの未知で、わからないまま、飛び込んだブログ書きの世界、
いつか、漠然と書きたいと思っていたことをすることができたこと、
心のどこかに残していた感覚を細胞レベルで感じていた。
むかし、ああ、そう、郁も、もの書きになりたかった。
ずっと昔、あの時の恋人と話たんだ。
良い文章を書くんだよ、と言われたこと。
ずっと、心のどこかに大切にしまっておいた感情だった。
じゃあ、それをどうやって、
ねえ、死ぬ恐怖をはじめて知って、やっと行動できた。
このまま死んだら、約束を果たせない。
いや、はっきりと約束した訳ではない、だが、自分へ対しても、きっと死ぬ瞬間に不義理を感じ、
後悔を残したまま、この世を去るだろう。
それが、いつになるのかわからないが・・・
でも、じゃあ、それは、あの時だったのではないか、
作家志望の先生が、作家になれずとも、ブログを書いている。
きっと、書くことについて、何か大切なことを教えてくれるだろうと、どこかで考えていた。
仕事に行きながら、メールのやり取りを繰り返し、下手くそながら文章を綴り、
そんなことをしていたら、
だんだんといつの間にか、フランチャンズやら土地のことが頭の中から離れていった。
完全に消えたわけではない。
どこかで、じゃあこの先どうするのか、
ただ、ただ、下手くそなブログ書きで生計がかなうとも感じてなかった、
それでも郁は、書く楽しさを知っていった。
あの時は、まだ上りはじめた山はまったく低かったのだろう、
なにも見えなくて、てさぐりだったろう、
だが、それでも、記事を投稿し、添削をしてもらい、メールのやり取りを繰り返しながら、
感情を整理しながら想いを綴りはじめ、仕事以外、体の、そして壊れそうだった心の不安から離れはじめ、楽しさを感じはじめていた。
まだ、空の色は、薄く、闇夜もせまる前、一番星すら灯らない、そんな空の色だったが、郁は、上まで登れば、綺麗な星空を見渡せることができるだろう、高い山のふもとに立ち、
そして、星空を目指し、山を登りはじめていた。
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