(前回のあらすじ):リスクが高そうなフランチャイズ経営、土地活用など、ひとまず置いておいて、その時にできるブログ書きに興味を持ってはじめていきました。
ブログをはじめてみて
仕事をしながら、ブログを書きはじめてみました。
はじめは手探りで、ほんとうに素人でした。
ですが、書いた記事は、添削もお願いできる。
私がその時に知ったこと、というのは、
「書く楽しさ」でした。
はじめは、だいぶわからないブログのライティング、わからないまま記事を投稿をしておりました。
まあ、ブログに訪れる人もまだ少なく、
意外と投稿もできてしまいました・・・
無知は怖いです・・・しかし、
無知と無謀は時に、大胆な勇気となります・・・。
まったくもって、
素人なのですが、逆に丸腰である強さ・・・
知らないから進めることができる無謀さでもあったのかもしれません。
とにかく、最初は手探りで、どこまで書いて良いのかわからなかったのですが、
仕事以外の時間、家に帰ってから、もしくは休みの日などに、
ブログの添削者である、千聖さんとメールでやり取りをしつつ、少しずつブログをつくっていきました。
そして、添削をお願いするなかで、
例えば、ここはどういうことか?
書いた文章で、伝わりづらい部分があった時、微妙なニュアンスの時に千聖さんからメールで質問がきました。
そして、書きならが、
ああ、そうか、こういうことを伝えたかったのか・・・と
文字を整えて、文章を整えることで、
書きたかったこと、ブログの記事で伝えたかったことの本質、自分の気持ちにも気づいてくるという面白さを知っていきました。
それは、文字を書きながら、
徐々にじょじょに、その時、生きていた周りの世界を内省し、自分自身のこころも深堀していったところでもありました・・・。
私の場合、ブログを書き、その面白さに気づいたことで、当時働いていた職場、我慢をしているけど、
ああ、やっぱり、ダメなんだ・・・と
だんだんと気づいてくるのです。
気づいた本心と文字書きの世界
見て見ぬふりをしていた部分・・・
こんな職場にいても未来はないんだろう・・・
心の本心に近づいてくるのです。
そして、仕事場の日常とは逆に、
ブログ書きの面白さも少しずつ気づいてきていきました。
「オリジナルな想い」
だんだんと、伝えたかった想いを記事にのせるコツが掴めてきた「気」がしてきました。
それは、最初は「気」という程度のもので十分でした。
物事を内省、深堀するという意味で、本やアニメの感想、考察記事を書いてみたかった私は、徐々に感じていた気持ちと向き合い、書くこともできてきました。
最初はなりふり構わずに、とりあえず100記事書こうと、
無知は無知なりに大胆に、今、読み返すと恐ろしいような記事も投稿し続けておりましたが・・・
徐々に、記事の投稿にも慣れてきて、じっくりと落ち着いて、静かにブログ書きを進めることができてきたのです。
そして見えてきたものは、ふだん目にする職場の景色とは正反対の世界・・・
職場の喧噪、鳴りっぱなしの電話、意味もないノイズのようなメールの山々、本当に必要なのか不明な細かな確認電話、朝礼、陰口・・・、仕事の押し付け合い・・・
そんな世界とは遠く離れて遮断されたブログの世界・・・
現実のストレスから離れて、浮世を遮断し・・・文字を綴る世界・・・
こころだけでも「隠者」のようになることができました。
静かに、内省して時を過ごす・・・
物事を深く考察する。
肉体は職場から逃れることはできませんでしたが、
こころだけでもブログの世界へ、隠者として別の世界へ逃げることができました・・・
もう、まさに、ブログの世界を知ることで、こころを静かな山へ隔離できたというか、
隠遁できたといえば良いのか、
もともと職場ではしゃべらなかったが、輪をかけて仕事中の無駄口をやめてしまいました。
人付き合いも完全に辞めました・・・
晴れて、「飲み会など誘ってもこない人」認定された・・・!のです。
嬉しい・・・。
そして感情をブログの文字で綴る・・・
良くも悪くも・・・
仕事の人間関係なんて所詮、お給料だけ・・・と割り切る感情に気づいてしまったのです。
好きなことをブログで書く部分は、例えば添削をお願いしていた千聖さんは、同じ、好きなアニメのことなど、嗜好、趣味が重なる部分もあり、
書いた内容についてのやり取りも面白く・・・
会社の人間関係とはまったく真逆のものでした。
会社で送ったメールの内容で、外部からの質問が電話でよく来たが、そんな、私にとってはどうでも良いやり取りとはまったくかけ離れた世界でした・・・。
書くことにだんだんと慣れて、そして、こころの逃げ場所が生まれてくる・・・
ドリームライティングのブログ書きは、
思えば、感じたところは、
キーワードとして「逃げ場」でした。
考えの部分、頭の中での逃げ場、避難所、考えを引きこもらせる「場所」ができた。
具体的に言うと、経験したことのない記事書きでしたが、
「間違っても良い」、「どんな形だって良い」、「誤字脱字もOK」、
そんな基本のフレーズは、私にとっては、書きはじめる心の余裕とスペースをもらえました。
もちろん、はじめた時は余裕もあまりありませんでしたが・・・
失敗も経験、それも書くネタになる、正しい記事書きなどない、好きなことを、想ったまま書いて良い。
どれも、仕事場でおそってくるプレッシャーとはまったく正反対でした。
仕事場に逃げ場はなかった
仕事場では間違える余地がない・・・逃げ場所がない・・・
「失敗しても良いよ」なんて、思えば言われた記憶はほとんどなかったのですが、
むしろ、
「最低限これだけは間違わなければ大丈夫」と言われた、縛りつけられた考え・・・
だが、「最低限」などと決められると、
それは簡単なことでも、プレッシャーとなって、できなくなる・・・
恐怖・・・
一般的に「簡単」、「最低限」と言わることすら、そう言われると、怖くて間違えることができなくなる気持ちはありませんでしょうか・・・
極端なはなしかもしれませんが、メールの宛先を一回間違えて注意されると、「次から気をつけてくれれば」と言われても、
コピペした宛先でも、「なぜか怖くなる・・・」、何度も確認する。
結局、送る決心がつかずに、昼前には送信できたはずのメール、
なんどもなんども誤字脱字を確認して、
無いはずなのに・・・
無いはずなのに・・・
無いはずなのに・・・
夕方、もう送信しないと帰れないので、
送信ボタンを押す・・・。
一応、送ったあとに読みなおす・・・、
何度も確認したのに、
何度も確認したのに・・・、・・・、
何度も確認したのに・・・、・・・、・・・、
イヤ、なんで・・・? 間違っているの・・・・
イヤ、
「イヤーーー!!」
もう、心の中は阿鼻叫喚でして・・・
送信した後の、仕事場の会話などが、もうダメになりまして・・・
ため息とかつかれると、さっき送ったメールのことだろうか・・・と、
もう胃が痛いどころではなく・・・
間違ってはいけない、いけないと思い始めると、
もっと読みやすく読みやすくなど思い始めると、
どんどんそこから離れて、すごいカオスな回りくどい説明となり・・・、
もう、何が正しい文章なのか、わからなくなり・・・
どんどん心が摩耗していきました・・・。
で、そういったメール(社外向けメール)など、正社員がやらずに、なぜか派遣の私がさせられおりました・・・、
いちばん偉い人への宛名も含まれているので、送信ボタンとか恐怖でしかありません・・・
周りの契約社員たちがじゃあ、やるかと言うと、みんな見てみぬフリでして・・・
だって、一番偉い人が宛先に入っているメールなんて誰もつくりたくないですから・・
気を効かせているのか、いないのか、
メール送信の仕事あるだろうから、「〇〇の業務は私がやっておくよ」って契約社員・・・
(いや、メール送信の方やってよ・・・っていうか覚えてよ・・・)っていう本音でしたが、
「いつも、なんだか淡々とこなしている事務業務の内容を開示して、こちらに業務分担をわけてください・・・」とも言えずに・・・
もう、ほぼ毎日、業務の片手間にやっていたので、ほんとうに嫌でした・・・
途中でわけのわからない電話などくるので、もうどこまでメールを書いたのかわからなくなり・・・、
ですが、それでも、
少しだけポジティブに考えれば、そんな毎日も、
ブログ投稿で文字を綴れることは、正反対でまったくの天国だったと、会社のメール作成のおかげで知ることができたとも言えます。
ブログ書きには逃げ場があった
ただ・・・、ブログを書いていた最初の頃は、「書くこと」に対しては、会社のメールの作業などのせいか、だいぶ恐怖心があったので、
書くことに、「間違えてはダメ」という感情が、ブログを投稿するなかでもあり、ちゃんと説明しなくてはという感情が余計にわかりづらく、
これは、仕事場での文章書きの癖がおそらくオーバーラップしていたのだと思いますが、
ドリームライティングでのブログ書きは、どんな文章もOKだと、書いた内容は気持ちと向き合った文章であれば良い、
だから、「こういった範囲で書かなくてはいけない」という縛りから、解放されて書くことができました。
例えば、仕事場であれば、営業サイドへ売り上げに対して、モチベーションをあげるコメントをメールに入れるなど、
そもそも、私自身がふだん職場で扱っているサービスにぶっちゃけですが、興味がなく・・・というか私自身、必要とすら思っていなかったので、それを読む側に説得できるはずもなく・・・
顧客満足などと言って、たんにサービスを複雑化させてよくわからなくさせ、なんだかすごいサービスみたいに思わせて販売している詐欺みたいなモノではないかと・・・
ブログ書きはそれとは真逆の、本当の気持ちを書けるというところ、
好きなことを書く、想いを綴ることができる、
文章に自信がないながらに、記事を投稿すれば、文章の先生でもある千聖さんが、ほめてくれるのです・・・
天使でしょうか・・・
私の上司を通して、私の耳に入るように、聞こえるように言っていた一番偉い人間、「文章がおかしい、日本語がおかしい」など、もう書くうえでのトラウマでしかなく・・・
それとは正反対に、添削の先生は、何も否定せずに、それは、表現としてわかりづらい、ここはもう少し詳しくなどと、添削をお願いするうえで、そういったやり取りもありましたが、
私の好きなことについて書いているのだから、何を言われても、添削の先生を信じていれば、それは楽しいことでした。
ライティング教材を書いた、千聖さんの文章と比べてしまうと、それは今でも落ち込むことはもちろんありますが・・・
ただ、それは仕事場とはまったく違うことで、
同じ文章のダメ出しだとしても職場とは違う、楽しいやり取りでした。
添削をお願いし、教えてもらえるありがたさ、千聖さんの先生、おなじブログの世界の人である、竹川さんと言う人も「書きたいことをかけば良い」と言ってくれて、ブログを投稿するにあたっては、だいぶ気持ちが吹っ切れました。
思えば、仕事場のメールなんて、上司は添削というか下見をほとんどせず、社外メール、もしくは上司のその上の立場宛てだったのですが・・・、
それで、少し気に入らない表現があれば、あとあと注意するネタぐらいに扱われていた社外メール作成の仕事・・・。
それでも、おかげ様で、職場で嫌なメール業務をして、遠回しに嫌味を言われたおかげで、間違っても書いて良いという喜びに気づけたのか、と、思うと「ありがとうございました・・・」と、そうも今では考えることができます。
思えば、書くことへの不安、恐怖、ブログをはじめること、私が動けたこと、どれも、書く教材、ドリームライティングを読んで感じた部分は「逃げ場」があったからです。
「文章を間違って書いても良い」逃げ場、
「現実の考えから離れることができる」逃げ場、
心を、ひっそりと山奥へ逃亡させ、嫌な仕事場から逃げること、
もうすべてが「隠者」のように、
ブログ書きに出会ってなければ、ずっと今でも「逃げ場」はありませんでした。
仕事場では、何に対しても「逃げてはいけない」という感情、教えがありました・・・。
皆が嫌がることも進んで覚えなくてはならず、
そして、嫌なのはあなただけじゃないと、
間違えても良いとか言われても、ほんとうに間違えると、すごいイライラとした圧をかけてきて、黒い、というのか、紫色のオーラが漂いはじめて、
そのままに何かに生まれ変わるのですか?と思ってしまい・・・、
もう、いや、ほんとうに嫌・・・
ですが、そんな職場での感情のおかげで、ブログ書きで、想ったとおりの感情を吐き出そうという気持ちに気づくことができたのかもしれないです。
それは、今でも、いつでも、何かの感情を吐き出す、いざ踏み出すには勇気がいりますし、今だって、じゃあ完璧であるなどとは、ちっとも思わないのですが・・・
それでも、今では嫌だったあの時の職場、ありがとう・・・と少しは思える気もします・・・。
今でもいつでも、書くことに対してはどうしようもない劣等感を感じることがたまにあります。
それは、綺麗な文章、わかりやすい文章、製本された本から感じることも、メール一文から感じることも、誰かのどうでも良いツイート一行から感じることも・・・
ですが、それでも、書き続けて、ブログ書きで知る世界の先を知りたいと、
「探求」の気持ち、
そして、隠者のようにいつか、ブログ書きでの隠遁生活をめざして・・・
ブログ書きをコツコツを少しずつ、仕事をしながら進めて、
記事を書くことも、何か掴めてきた頃でした。
もし、書く文章に迷っても、どんな文書でも良いのだと・・・
ふだんの仕事場ではほんとうに嘘しか書くことがなかったメール作成の作業でしたが、
ブログ書きは好きな真実を書くことができました。
そうして、どんどんブログの世界に惹き込まれていったのです・・・。
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