このブログで、
登場する。
星降る吟燐(ぎんりん)詩人ライターとは・・・
わたし自身で書いていても少し、
恥ずかしいところがあるのですが・・・
実際に星を眺めるのが好きです・・・
→過去夜空を眺めた記事はこちらです。
むかしから、
物思いに耽っていたのかは、
あまり良くわからなかったのですが、
はじめてプラネタリウムへ連れて行ってもらってから、
空に興味を持ちました・・・
今でもたまに行きます。
かつてニュージランドに行ったのですが、
その時は見えなかったなぁと、
わざわざ南半球まで行ったのですが、
結局は、東京のソラマチで南の夜空を眺めてました。
ですが、
昨秋、
上高地へ行ってまいりまして、
そこで眺めた、
秋の夜空・・・・(写真は夜空ではないのですが・・・)
・・・・
もう、
生きてきた中でみた夜空のなかで、
いちばん凄かったのではないか・・・と・・・
考えてみれば、
東京から、
行こうと思えば、
半日、
あずさに乗って松本まで、
そこから、さらに、
上高地線を使ってバスを乗り継げばたどり着きます。
秋は空が澄んでいてほんとうに綺麗に見えます。
きっと、
大気も揺らがない、
乾燥した地域、
外国、
そういった場所は、もっとすごいのだろな、と、
先ほども書きました、ニュージランドのテカポ湖など、
あの日は、空を見ても、
靄がかかっていたのか、
写真で観るような星空はありませんでした・・・
いつか、いつか、
もう、これ以上ない、
これ以上観えないような、
そんな夜空に出会るように、
それはひとつの夢でして・・・
ちなみに、
望遠鏡ですとか、
そういった光学的な物は、昔は興味があったのですが、
最近はあまり興味がありません。
ただ、ただ、
肉眼で観える世界が好きです。
望遠鏡で覗いた天体がほんとうにそのものか、
なんて、
よくよく考えたらわからないといいますか、
顕微鏡みたいで・・・
でも、
肉眼で観える広がる景色は、
ほんとうのもの、そのもの、
だから、良いです。
では、吟燐詩人ってなんでしょうか・・・
「特に意味はありません・・・」
なんでだろう、
ああ、でも、そういえば、
信州の方の田舎のおじいちゃん、
私は記憶がほとんどないのですが、
俳人でした。
田舎に帰ると、実際に詠んだ俳句が木に彫ってあります。
おばあちゃんから聞いた話しいわく、
俳句の方が短歌よりも短く、
息継ぎが少ないので、
体力が要らないのだ、と、おじいちゃんは言っていたとのことです。
・・・
・・・・・・
難しい世界です・・・。
小さい頃にその話しを聞いて、はっきり言って意味がわかりませんでした。
ですが、
五・七・五・七・七の三十一語の俳句よりも、
短歌、
五・七・五の十七語の方が体力が要らない、
奥が深い・・・
ですが、
いまならなんとなくわかるかもしれません。
ブログだとたくさん文字を重ねないといけないと考えてしまいがちですが、短い文字のなかに、季語も含めて、感情を表現する。
Twitterなどむかし140文字でしたが・・・
それよりも限られた文字で感情を表現する。
私にとって、そんなことができるのはだいぶ遠い先の話なのですが、
そんな俳句を詠んでいた、
祖父の遺伝子が少しはあるのでしょうか・・・
星を観ながら、感情を詠む、
そんな、生活に憧れ、夢をみて、
いつかは、
信州の上高地で観たよりも、もっともっとすごい星空を眺める・・・
それをひとつの目標として、
文字を綴っていけたらと思っております・・・
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
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