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お詫びの手紙・・・

 

やっぱり、話さない方が良かったのではないか、

人の話しばかり聞き出して、私のことは話さないということに、

やはり、私の不誠実を確認するので、

吐き気がしてくる・・・

どうして、私のことを話せないのだろう、

話したい、

でも、話しだしたら、加減がわからないので、

どこまでも深い闇をさらけだすことが怖い、

いや、

わかってもらうまで話すことに、いつしか、あきらめてしまった・・・

そこまで必死にわかってもらう必要があるのだろうか、

結局、加減がわからないまま生きているのだ・・・

ほんとうに面倒くさいと思う。

でも、私自身がわたしの考えていることがわからないので、

伝えたところで、それが正しいのだろうか、と、

どこかで考えてしまうことがある。

やはり、頭がおかしいのだろうか、

そういった思考のループに入りだすと、

ほんとうに泣きたくなる・・・

そして、やっぱり、申し訳ないと思う・・・

どうしても、私は、不誠実だと思う・・・

だから、どんどん、人から遠ざかってしまって・・・

そんなのいつからだろうか、

ただ、ただ、こころの内側をさらけだせないことに、

申し訳なさを感じ・・・

そして、

そう考えていることが伝わってしまうことすら、さらに申し訳なくなってしまう・・・

だから、もう、

ほんとうに小さくなってしまいたい。

誰も訪れない、陸の孤島でずっと暮らせたらどんなに、私は楽だろうかと、

人をそうしたら、いつか、懐かしむことができるようになるだろう、か、

人を愛せるようになるだろうか、

結局、こういった時に、いつも、

少し、肯定的に思うようにするには、

私は、そう悩む時は、ちゃんと、その人たちと誠実にいたいのだと、そう、どこかに思っているのだろう、

それをわかって欲しいなどという、気持ちを誰かにさらけだしたいのではなく、

ただ、ただ、私自身を納得させるためだけに、いつも、そう頭の中で結論づける・・・・

だって、やはり、どうでも良い人間関係の時は、

どうやったって、場をつくってやりすごすことが逆にできた・・・

そっちの方が楽だったし、

なんの罪悪感も感じなかった・・・・

でも、そんなの日常に、だいたい、良く考えると転がりまくっている気もする。

例えば、笑顔の接客、笑声とかいう馬鹿な言葉、誰が考えたのだろう、
こころから、ありがとうございます、と思っている店員さんは、どれほどいるだろう、か、

言葉だけの、言葉を発し、かけられ、

そういうことに慣れ過ぎてしまっているので、

結局、どうでもよい他人の方が、愛想良くできてしまうのかもしれない・・・

だから、どうしても、大切だと、思う人は、

結局、めぐりめぐって、考えすぎて・・・

最終的には、何も、ひとことも、言葉が発せなくなってしまうのです。

 

 

ごめんなさい。

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