星降る吟遊詩人ライター、郁です。
いつもお越したいだきまして、ありがとうございます。
突然ですが、雨は嫌いでしょうか?
雨は面白いと、最近感じます。
自然現象のひとつですが、音で空の模様を感じることができる。
そとに出かける時の雨は嫌です。
電車の中の傘、靴に浸透する雨、厚い雨雲、
ですが、家の中にいて、外から聴こえる雨の音が好きです。
まるで「言の葉の庭」の世界にいるようです。
四季という情緒もなく、白い壁に閉じ込められていた毎日
会社にいた時は、雨を「音」で聴くということがありませんでした。
窓があってもブラインドで締め切られている。
春も夏も、秋も冬も全て締め切ったなかでの空調。
蛍光灯の光と、雰囲気を明るくする為かやけに白く際立つ会社の壁の色が印象的でした。
外の光を浴びることもほとんどない。
お昼休みに出かける時ぐらいだったでしょうか。
帰宅する時は、もう太陽は落ちている。
もちろん雨音なんて聴くことはありませんでした。
考えてみたら、自然の光も入らない真っ白い壁の中に閉じ込められていたのだと。
いつしか四季の変化すら感じなくなってしまっておりました。
春の雨、梅雨の雨、夏の雨、秋の雨、冬の雨
雨はどの季節でも降ります。
私が好きなのは、シトシトと降る雨です。
曇りがかりグレーの空、光があるようでないようでまるで淡い光。
家の中では蛍光灯をつけなくてはいけないくらいの光。
そんな中で、パソコンのファンが回る音とカタカタとパソコンの音が響き、一緒に雨のBGMがついてきます。
今年の春に雨どいを修理するまでは、家にいても、ずっとずっと地面にバシャバシャと屋根を伝ったうるさい雨が叩きつけれておりました。
今は、大きい雨音がなくなり、外からはただ地面を打ち付けるシトシトと聞こえる雨音。
こんな雨音を久しぶりに感じるまでは、雨は嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。
秋の雨はとても落ち着きます。
陽の強さもだんだんと薄くなり、まるで薄暗い夕方なのかと思うほどの昼の光。
シトシト、パラパラ、淡々と地面を打ち付ける雨音。
このまま薄暗さはさらに深くなっていき、いつしか本当の夜が訪れる。
肌寒くてブランケットを羽織ながら聴く雨音。
場所も環境も変わると雨の感じ方がかわってきました
雨はずっと嫌いで、好きだと感じることなんて思い出すくらいありませんでした。
雨はデメリットばかり、
通勤では雨に濡れ、傘をさす、寒い、暑い、仕事着が濡れてメンテナンスが大変、雨用の靴が必要、屋外の作業が遅れひっきりなしに鳴り響く会社の電話、
家では、屋根が劣化する、雨どいの不安、壁がもろくなる、湿気、カビ、洗濯が乾かない、
不安を考えたらキリがありません。
嫌なことだらけ。
合理的に考えれば、何一つ雨に良いことがないのです。
だけど、ここ最近感じた秋の雨と光、
ただ、外からシトシトと聴こえる雨音と薄暗い光がとても落ちつきます。
きっと会社にいながらなら、同じように感じることはなかったでしょう。
ただただ、せっかくの休みも雨のせいで家でも憂鬱、明日の出勤までには上がるかなという心配をするのだと思います。
会社から離れ、雨と雨音は、私が思い出す世間の不安をシャットアウトしてくる自然のカーテンだと感じました。
せかせかと生きていたが為に、忘れていたずっと昔の感情を思い出す。
雨は心に水を撒いてくれる。
そんな感情を私の中で思い出したのは、いつ以来でしたでしょうか。
職場の白い壁の中に閉じ込めれたいた時、きっと別の世界にはこんなに綺麗で落ちつく音があるのだと気づかずに、
ただただ、私が差している傘も、人が差している傘も、鬱陶しいその物で、心の乾きを潤すことなんてなかった、
薄いグレーの空は、ただ単純にいつもの目に映る景色をより暗く、どんよりとした気持ちにさせていだけだったのだろうと感じます。
雨音を聞きながら、どこまでも深く、そしてどんどん闇にくれていく外の光。
9月に植えたグランドカバーはこの雨を喜ぶのだろか、ふとそんなことを考えたのでした。
外の雨音はまるで、「言の葉の庭」の世界、
ブログ書きに出会わなければきっと、気づかなったもうひとつの世界の側面でした。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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