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泥くさは実際のブログ書きに役立つのだろうか!?壮大な実験 雑草抜きから学ぶこと

星降る吟遊詩人ライター、郁です。

いつもお越しいただきまして、ありがとうございます。

今回は長年悩んでいたうちの庭の伐採について、感じたことをお話しいたします。

庭を眺めることで、それがブログ書きにも見えてきたことがありました。

ブログ書きに必要なコツコツと泥臭さとは!?

ブログ書きにはコツコツが必要です。

ということで、それを身をもって体験してみようと、雑草抜きからある壮大な実験をしてみたいと考えました。

うちの庭は昔から木がたくさん生えておりました。

それがいつの間にかどんどん育ち、いつしか制御困難なことに・・・。

もうほとほと管理に時間がかかる。

こんなものを植えたおじいちゃん、おばあちゃんはほんとうにうらめしく。

さつきの鉢なども死んだときに大量にそれこそ100個以上でした。

人間の物への執着のすごさを感じた恐ろしさでした。

私にはその価値が何もわからない。

形は違えど、私たちの世代では、アニメのフィギュアがたくさん並んだ部屋にあるフィギアの価値が、好きな人にしかわからないようなものかもしれません。

そして死んでから何十年も経って、庭に生えた高い木、そして雑草から感じるオーラで、おじいちゃんの物への執念が残っていたのではないかと感じるのでした。

体は死んでも、物への執念の気持ちは残る、そう考えると全てをなくして気を放つのも大切なのかもしれません。

ずっとその場所、物への執着の気持ちが残っていたら、私なら死んで何十年も経ってなお、生活していた場所に私の物が残っているのは後ろ髪を引かれるようで嫌だなと感じました。

そもそも、もう人力では制御不能でした

庭の木というのは、いつの間にか、徐々に伸びるからなおやっかいです。

子供の頃にみていた金木犀の木ってこんなに大きかったっけと、

庭から見える木の育ち方に恐れを感じるレベルなのです。

もう庭が木に食われる。

というか、夜に庭に生えている木を家の中からみるとそこから何か不思議なオーラを感じて怖い。

だれも近づかなくなった場所なので、なにか変の場の感じがするのです。

いつかそれでもお金を払って庭木屋さんに木の枝の伐採をお願いいたしました。

暑い中、木を切りにきてくれた業者さん。

大変だろうなと思いました。

そして作業が終わって、再び見た木。

「あれ、大きさかわってない、全然すっきりしてない、小さくなってない」

もうそういうレベルまできているんだろうと、木の生命力と人間の制御ができない怖さを知った出来事でした。

※その木は金木犀でした。

そこから木を切るまでに、5年ぐらいは悩んだといいますか、見て見ぬフリをしました。

木は生きものであり、私たちが子供の頃から、いや母が若いときからあったものだから。

それは、どこか偽善的で都合の良い解釈でした。

そういう気持ちが木が伸び放題になった原因でして、まわりの家を侵食している事実にも目を背けてしまう。

もう、人の手で管理できない暮らしづらいものであれば、事実を認めなけばといけないとやっと悟りました。

そんなこんなで、今年の春に見積もりをお願いして庭木の伐採がどれくらいかかるのか出してもらいました。

ほぼ全て切るのに15万でした。

そして、仮に今後年、年2回、庭木に伐採をお願いし残したとしても、1回15万とのことでした。

そう考えるといずれ処分するものに、1年30万かけて維持をするお金が余ってないので無理でした。

庭いじりなんて考えてなかったので、とにかく境界線にある木だけでも、近所に迷惑をかけないという安心感だけでも欲しかったのです。

なので思い切って春に伐採しました。

毎年、春がくると咲く、白梅と紅梅、とても綺麗なコントラストで好きでした。

紅梅の方がいつも早めに咲くのですね。

おじいちゃんの生まれた田舎から移植してきたものだったらしいです。

おじいちゃんが死ぬ頃に庭をみて、「もう今年の春は木も死んで咲かないと思っていた」と私にぽつりと言った記憶があります。

木が好きだった人が見ても、寿命がやばかった梅の木も、それでもおじいちゃんの死から数十年以上経ってもまだ、今年の春も花を咲かせました。

そんな梅の花が散るのを待って、伐採をお願いしました。

庭屋さんにも聞いたのですが、誰か大きな梅の木を探している人が見つかったのですが、家の建物の構造上、ユンボがはいらない、クレーンでつるすと壮大にお金がかかることだったので諦めました。

まだ仕事をしていた時のことだったので、伐採の日、仕事から帰ってきて庭をみたら、あっけなくすっきりしてました。

おそらく昼に電ノコで一気に片付けたのでしょうか、

あっけなさとともに、「気」がすっきりした、スペースが開いた感覚でした。

あの大きな金木犀から漂っていたなにか黒いものがなくなった感覚です。

さて、やれやれ、長年の悩みもひとつ解決して、それこそ隣りに迷惑かけてないか、これからどんどん木がのびる時期を迎えますが、その心配から解放されたと思っておりました。

雑草は、庭屋さんが電動草刈りで刈ったとのことですぐに生えてきますと言っておりました。

とりあえず木がなくなったのでほっとしておりましたが、

あまくみておりました。

ここから雑草取りについて、ブログとおなじく泥くささについて考えることになりました。

雑草抜きと、ブログ書きの泥臭さについては、こちらになります。
⇒参照:「ブログのコツコツと庭の手入れから考える、粘り強くすること」

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