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ブログのコツコツと庭の雑草抜きから考える、粘り強く努力すること

星降る吟遊詩人ライター、郁です。

いつもお越しいただきまして、ありがとうございます。

前回の記事になります。
参照:「泥くさは実際のブログ書きに役立つのだろうか!?壮大な実験 雑草抜きから学ぶこと」

 

さて、今回は、庭の雑草抜きから感じたブログ書きの思いについて書いてみます。

星のお話でないのですが、コツコツはいかにブログ書きに通じるのか考えたところになります。

ブログの成果とおなじようなもの

雑草抜きについては、恐ろしいほど苦労をしました。

もともと土いじりは好きではありません。

そもそも虫などが苦手なので木も草花も苦手です。

そして、春に庭木を全て伐採したところで万事解決はあまい考えでした。

これは、ブログ作成と似たところがあります。

すぐにアクセスはこない。

コツコツとブログに仕掛けをしたり、どうやったら望んだアクセスがくるのか考えながらやっていくこと。

おそらくですが、ブログ作成もうちの庭のパータンとおなじように、「これといった正しい答え」があるわけではないと思います。

ひとそれぞれに違った状況、生きてきた背景があるので答えはひとつではない

答えがないというのが、答えなのではないかと、

うちの庭のパターンにけっして同じ状況があるわけでなく、

ひとそれぞれ、生きてきた過程が違うと思うのです。

なので、あなたの作る物語はやはり「あなたの人生を経験した人」でないとわからない感覚だと思うのです。

これがブログの面白さなのかもしれません。

あなただけの、他の人にはない唯一無二の体験をブログを通して残すことができる。

どんなにすごくよく考えられた物語よりも、リアルな体験談がいちばん強いと思うのです。

少し、私の体験をブログ書きに当てはめるみます。

私の場合、庭の木を切り倒してほっとした。

そう思ったのも束の間、陽が降り注ぎ放題の庭の雑草は恐ろしいほど早く伸び、暑さと、大雨が繰り返される8月に入ると、あきらかに日に日に成長を実感する怖さでした。

木を切ったからそれでおしまいではないのですね。

さすがにあんなにでかい木を技術のないものがあやまった方向へ切ってしまって隣りの家を傷つけるわけにはいかないので、庭木屋さんへお願いしましたが、

雑草とたたかう、

それはいやな草木とたたかう決意をしなければならないほどおそろしい伸び具合でした。

これも母に言わせれば「見なければよい」という、ほんとうにあり得ない考えでした。

めちゃくちゃいらいらいします。

雑草を一度、抜いたから良かった終わりましたではない

そこからはじめは、色々と楽(らく)をしながら雑草を除去する方法を考えました。

まずはお金で解決する方法です。

シルバー人材などに頼めば比較的安価に処理をしてくれとのことでしたが根までは抜いくれません。

雑草を切るだけです。

うちの庭は、一面にぺんぺん草が生えており、台風が近づいてきた、風の夜の日は庭から「ざわざわ」とまるでサトウキビ畑の近くに住んでいるような音が響きました。

私は夏の雑草の成長速度を知ったので、もう来年もこの恐怖を味わうのは、ほとほといやでした。

買ってきた雑草抜き機も、あまりにも根が深いので役に立ちませんでした。

いま多少苦労しても、あとあと楽したい。

これは、ブログ書きにも共通するところではないのか、アクセスを狙って資産化するには、はじめは苦労が必要でした。

何度も失敗して、うまくいかないことを身をもって体験し、やっと形にできる。

例えば私の場合、ブログを消してしまったり、アドセンス審査に失敗したこと、それでもあきらめずに1年続けたらからアクセスアップを体験することができました。

いままで眺めることができなかった世界を知ることができた。

けっして全てが有益な情報を提供できたわけではなく、はじめはさぐりさぐり、いくら先生から大丈夫と言われてもこの身で体験していくしかないのですね。

どんな想いをのせたらアクセスがくるのか、どんなキーワードを入れてタイトルをつくるのか、コツコツ身をもって、時には失敗を経験して体感しないと自分の感覚で理解していくのは難しいものでした。

それでも毎日定期的なアクセスが来るブログをつくるにはどうすればと悩み、どんなに恥ずかしい記事でも内容でも残して、ブログの存在を認知してもらうこと、

日の出とともに庭に出て、朝早くからスコップで土を掘り起こしながら、雑草の根を抜きながら、そういうば、今までのブログ書きもこんなもんだったなと思いました。

どうやっても失敗はあることを覚悟する

それでも、庭の雑草抜きは、正直、失敗続きでした。

そして、まだ完成形かもわからないのです。

私はどんなにしんどくても、今年、雑草の根を抜いて来年は楽したい。

8月になってから毎朝、朝起きて、50坪近くの広さに生えた雑草を抜くのは、時間的にも労力的にも不可能だと悟りました。

今は多少時間に余裕がありましたが、これから同じ時間をとれないかもしれない。

余談ですが、もう使わなくなった会社の通勤靴が土いじりの時に良い働きをするのですね。

意外に水を通さないので長靴買うよりも、もう使わなくなったガラクタの通勤靴がかつてなく役に立ちました。

土に入っても大丈夫なホワイトワーカーやOLの靴って、いったい、日本の会社員はどこまでのことを求められているのだろうかと、もうなんだかこれは皮肉にもならないなと靴一足から感じたところでもあります。

 

話を戻しますが、今後の庭について、楽をするために考えたことになります。

1回雑草の根を抜いしまい、あとは、グランドカバーという雑草よりも足(背丈)が短く繁殖力の強い、芝よりも管理が楽なものを植えてしまえば、雑草管理が楽になるのではないかと考えました。

色々とネットで調べてグランドカバーの増やし方を調べました。

一度抜いた雑草、うちの庭には致命的な問題がありました・・・これも試練かなと

雑草を1回目に抜きながら気になったことがありました。(そもそも1回目とは?下に詳しく書きます。)

雑草抜きの時に知ったのですが、地下で根付く植物がありました。

「どくだみです。」

どこから生えたのかわかりませんでしたが、となりとの境界線で良くみる地下茎の植物。

地下に地下に、横にながく根を張っておりました。

隣地から徐々に侵食してきたのでしょうか?

このどくだみがやっかいで、表面上の雑草をとるだけだけは、植える予定のグランドカバーの根がどくだみに負けてします。

グランドカバー(雑草より強い雑草)を植えても来年にはおそらく、またどくだみの根に負けて、雑草だらけに戻るだろうと近くの造園業の人から聞きました。

くず折れる心。

一度、全ての50坪あまりのぺんぺん草の根をスコップというか、シャベルで掘り起こしたのに・・・。

これでもダメなんですか・・・。

雑草の生命力の恐ろしさを感じました。

もうこうなったらやけですね。

「じゃあ、出来る限り根っこぬいてやる。」

私は一回使った労力を無駄にしたくなかったのです。

無駄にしたくないほど、一回目の雑草抜きはしんどかったのです。

そして、もう一度掘り直しました。

庭をまた、みると気が遠くなります。

(注)庭の面積の7割ほどは、1回目の雑草抜きのあとに防草シートを貼り、陽があたらないようにしました。

残り3割ほど、土が見えてるところをグランドカバーの種が発芽するように丁寧にどくだみの根を掘り起こして耕す。

9月~10月までに植えなけば、植えようとしているグランドカバーが発芽しないので、当然9月を見据えて毎朝起きる。

これがかなりきつい作業でした。

ほぼ全て、土の見えるところを大きいスコップ、シャベルで掘り起こす。

日がでる朝5時頃から、暑くなりはじめる7時頃までのあいだ、2時間近く、コツコツと土を掘っても、進む面積はせいぜい3㎡が良いところでした。

途中でなんの根かわからないものがでてくるので格闘に時間がかかると堀り進む面積も小さくなります。

根を辿っていくとそんなところがからつながっているのかと、やはり雑草の生命力は怖いですね。

思ってみない遥か遠くから根がつながっており、防草シートの下につながっているものもありました。

さすがにそれはあきらめて、取れるところまで根を裁断しました。

朝、新聞配達のバイクの音しかしない庭で、シャッシャッと淡々とシャベルで土を掘る音と根をブチブチちぎる音、きっと近所で朝、早起きてしまった人は何をしているのか、

音だけで不気味だったはずです。(人を埋めているとか通報されかねないレベルだったかもしれません)

朝はやくといっても8月の朝5時すぎは湿度が高く、滝のように汗をかきました。

雑草抜きもだんだんトランス状態になってきまして、もう、根っことの戦いを楽しむ感じですね。

はじめは音楽でも聴きながらなんて考えでしたが、シャベルで掘り起こす作業が予想以上にハードな動きでイヤホンが簡単に耳から抜けてしまうのです。

泥だらけの手でウォークマンを触るのもイヤですし、そもそも、音楽を聴く余裕が目の前の物をみると正直ありませんでした。

ただ、雑草を淡々と抜く、そちらの方が音楽を聴きながらより精神的には楽でした。

音楽のメロディーと雑草抜きがまったく一致しなかったのです。

ブログ書きも一緒ですね。

物を書きながら音楽聴くと私はダメです。

考えていることがどっかいってしまったりします。

そして、朝7時くらいを目処に一応、目標としていた面積を掘り起こし、根を抜き終わたときに、地面を征服した達成感を味わいます。

人間って自然を破壊するとき、こんな感じで自然を征服した感覚になるのだろうかと、汗まみれで陽が高くなってきた庭をながめてふと思いました。

シャワーなんて汗まみれなので、水温を暖かくもしません。

もう冷水でじゅうぶん気持ち良いです。

むしろぬるいと気持ち悪いくらいです。

冷たい水ですっきりと汗を流す。

そして、リフォームの工事業者が日中はいるので一緒に掃除をして手伝っておりました。

朝は庭を、昼は家の中とたたかう。

いつしか寝不足になっておりました。

もう最後というか、書いているいる今、足の指も、手の指も筋肉痛でちぎれそうなほど痛く、関節が完全に悲鳴をあげました。

ゆび先はさすがにこの季節でもあかぎれでがさがさになってしまいました。

それでも私は試したかったのです。

ほぼ2週間、雨の日以外はコツコツを根を抜き、耕し、それでグランドカバーを植えたら、来年はどうなっているのか?

この泥くささが、ブログ書きと同じように実を結ぶことがあるだろうか?

先生の先生が、ブログ書きには泥くささが必要だと言っておりました。

私はほんとうに馬鹿なので、泥くささが実るのであれば、それこそ、こんな形でほんとうに土いじりをして自分で体験してみるしかないのだろうって、

泥くささは、ブログ書きでも、生活でもおなじように共通することなのか?

身をもって実験するしかないのではないか、むしろそれを知るチャンスだったのではなったかと、朝、庭で根を抜いた、どくだみの強烈なにおいを感じながら思ったのです。

最初は、楽(らく)しようとした電動根っことり機、雑草の根が深すぎで役に立たずに、自力でシャベルで土を掘り起こすことになりました。

もう、正直、うまくいこうがいかないが、ここまできたら結論を知りたい、来年に知りたい、それだけなのでした。

そして泥くささが人生や、何かをつくること、例えばブログ書きにも、長期目でみて資産となること、うちの庭ですと、グランドカバーを植えて成功すれば、それ以降は雑草の管理が楽になるのか、

泥くさい努力は、結果、後々、生きやすさにつながるのだろうか、そんなことを思いながら8月、夏を駆け抜けました。

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