こんばんは、郁です。
私は、人付き合いが、かなり苦手でして・・・、
苦手というより、もうできない・・・というのが正直な言い方のような気がします。
ですので、人と会うとめちゃくちゃ疲れます。
会社員の時には、それを認めることができなかったので、かなり本心を無視して無理をして人付き合いをしていた「つもり」です。
会社を辞める前の人付き合いとその後
というのも、基本的には、外に出れば、案外と外面が良いので、いや無意識に良い子になり、あとは今までの組織の中で、苦手と思うことは「克服」しなければいけない、という気持ちが頭のどこかにあり、
むしろ、適当に人間関係をやり過ごすことができずに、けっこう人の話しを聞いたり、人あたりは社交的だったのかもしれません。※一部人物をのぞいて。
どちらかと言うと、近寄ってくるのはそれでも、優しめの人か、もしくはざっくばらんな人、おとなしい人、
そんな方たちは、あまり消耗せずに、まあ良い方なのですが、
一部をのぞいてという人は、会社だとわかりやすいですが、管理職タイプの人間や、もしくは、仕事場のチーム分けのリーダー的な人には、私は嫌われるタイプです。
何も干渉してこなければ良いのですが、仕事を進める上でたいして必要でも無さそうなことも含め、いちいち細かなルールつくって押し付けてこられると、しだいにこっちも嫌いなオーラを素直に出してしまうので、
なお、お互いの相性は最悪だなぁと感じます。
会話がなくても、そうなるのですから不思議です・・・。
これは、おそらく、私はあまりハキハキしない、思ったことを言わない、もしくは言ったら言ったで、空気を読まずにその人たちの地雷を確実に踏んだ発言をしてしまうというところもあったと思います。
たぶん仕事上の質問をしたとしても、面倒なやつだなぁとか思われたんですよね。
「何か疑問があれば聞いて、言いたいことがあったら言って」などと言われると、
じゃあ、管理職の人ですので、一般の社員に聞いても決定事項もないだろうから、と、
色々と面倒なことを聞き始めると、なんかじゃまくさい顔をされるのがオチで・・・
そこらへんの空気を読むのが面倒だなぁと働きながら感じたばかりでした。
聞いてきてとか言って、聞いたらきいたで面倒そうになるし・・・
どっち!?
でも、聞かなきゃきかないで、勝手に判断したらしたで後々怒るはずで・・・
あとで問題になりそうな判断を求めたら求めたで、責任がかかるので嫌な顔しますよねーって、いつも、そんな会社の組織にいた時は、矛盾ばかりを感じておりました。
それで、結局、決定権のないものどうしで、色々と悩んだり、答えでなかったり・・・
問題が放置されたままだったり・・・
なんだか作らされた表の細かいグラフとかも、作り方も教えてくれず、家に帰ってググって、調べて、当然、その仕事代なんて発生しませんし。
誰も手つけないので、深夜2時まで残って、
そのままタイムカードを押したら、
次の日、めったに私の席に来ない上役二人が、まるで税務署の査察のように、(実際に体験したことないですが)朝礼の後に、すごい勢いで近づいてきて、
なんかあったの?間違えてタイムカード押したの?って感じで・・・
面倒な外部からの経費承認の電話なども日々の作業をしながら対応していたのですが、
もともとは、経費の承認も上司の役目なので、外部の会社がこの費用求めてきていますが、と、お伺いを上司にたてると、
会社としては支払いたくないから断って、みたいな感じのところでした・・・。
「あなたかわりに支払いできません」って断ってくれないでしょうか?と本心では思うのですが、まあ、言えずに・・・
結局、ぐちぐちと外部の電話の向こうで、なんで支払いできないんですか、と文句を言われ、
そんな感じの場所でした。
そんな環境下にいて、
ことごとく、会社の上役とは相性がいままでよくなかったですね。
対応がうまい人は、うまく強気で相手を抑える話し方ができたり、もしくは、立場をうまく利用したりしていましたが、
私は何を言われても権利なんかない立場でしたので・・・
まあ、辞める最後の方は、すべてが面倒になったので、許可も得ずに、上司の名前だして、申請して良いですって外部の電話の向こうの人に勝手に許可をだしておりましたが・・・。
あと、かなり頭きた出来事、今でも記憶に残っているのが、「〇〇さんいますか?」って電話を出た時に言われたので、〇〇さんへ取り次いだだけで、
その〇〇さんが、「なにも用事ないんだけど、」って電話に出るのを拒否した時は、
「はぁ?」って思いました。
(私だって用事ないですけど・・・。)
電話の向こうの人が、あなたにどんな用事があるかないかまで聞かなければならないんですか?という感じで、
電話出る前に、なんだかしたうちしながら受話器とったり・・・
ああ、嫌な記憶を思い出してしまいました・・・。
やっと本題です。
そんな感じで、ことごとく、私は会社の上役と相性が悪いです。
いや、たまには良い人もいますよ、
駅のホームで朝、偶然会った時に、
会社に行くまでの電車の景色を、つり革を持ちながら眺めて、
窓から見える川辺の景色について何気に話をしたこと。
その人が転勤前に住んでいた場所のことなど、
あの河原ってふだんバーベキューできるんですね、ですとか、
このまま仕事行かずに、出かけたいような天気ですねーって感じで、
仕事とはどうでも良い話しをしていただいた優しい人もいました。
あとは、会社の権力闘争に負けて、置物状態の管理者の方など、ちょくちょく私のデスクに来て、小一時間ぐらい、昔は私も・・・みたいな話を良く聞きながら仕事をしていたなぁと、
まあ、忙しくない時はそれでも良いんですが、
その、いつか行きたいライブがあって、
ですがその日に限り、私のミスで、有給の申請を間違ってしまって、でも、お局に休みの変更依頼を出すのが怖くて、
ライブは途中からの参加になってでも、終業時間になったら速攻でタイムカード切って帰ることができるように、あらかじめ、今日は用事あるのでとお局さんに言っていたのに、
その、権力?派閥争いのようなものに負けた名ばかり管理職の方が終わり間際に、超どうでも良いことを机の隣で話しをはじめた時は、
「すみません、今日、すぐに帰れないと嫌いになるかも」って、正直に言ってしまったことはあります・・・。
あの時は、冷たくしてしまいすみませんでしたが、
なんとなく空気を察していただき、ありがとうございました。
仕事のことはいつも捕まって、話しがはじまると世間ばなしに発展して長くなる感じでしたが、ふだんは優しく声をかけていただき、今となっては、ありがたかったかなとも思えます。
まだ、本題に入ってないですね。
そんな感じで、私は、
なんだか、権力を持っている人(その時の権力闘争の上位にいる人間に限る)とは相性が悪くて、
仕事場でなんとなく、無用扱いされてほったらかしになっている人ですとか、
割り食っている人とは、なんとなく仲が良かったです。
ですが、それも、その、
外面の良い仮面をかぶっていたので、一応あわせていただけという部分もありますし、
正直言うと、そんなコミュニケーションはあってもなくても良いという感じはありました。
ただ、黙って、もくもくと仕事ができれば、と。
会社を辞めてからブログ作成の場で、人付き合いのスタンスはどう変わったのか!?
それで、やっと、今回、ブログ作成の方たちと過ごした時の話しになるのですが、
私にとっての人付き合いというは、
会社から離れることができれば、
例えば、同じ、ブログ活動をしている人たち、それも、そんなに強制された場所ではない人間関係の場であれば、
もっと、生きやすくなるのかな、という勝手な、
都合の良い解釈がありました。
実際に、みんな、好きなことをして、ブログで生計を立ててということで、
みなさん積極的にブログのコミュニティーでは、
会社のしがらみから離れて、生き生きとしているように私からは感じ、
今までの雇われて働く場所とはまったく違う環境ということを鵜呑みにしてしまった部分があったのだと思います。
ですが、私は、ですが、
そんなに、人間関係の環境として良くなったというか、今までの生活環境が劇的に変わったという感じは、正直なところあまり感じられず・・・
しばらく、仕事を辞めた後でも、
そのブログ活動での場の人間関係にも違和感を感じて戸惑っておりました。
これは、誤解を与えてはいけませんので、あらかじめ言いますが、
そのブログ作成の人たちとの関わりや、その人たちが、私が働いていた会社の人たちと同じような、付き合いにくい、もしくは嫌いなタイプの人たちだったということではありません。
会社の人間関係とはだいぶ違い、優しくて、静かで、
同調圧力などもあまり感じない、
居心地としては、今まで生きてきた中でもだいぶ良い環境であることは確かでした。
それは働いていた時の方が、環境が良くなかったのでなおさら良いところだと感じていた部分でした。
ですが、それでも、なぜかダメで・・・
やっぱり、月に何度かある集まりに参加をしたり、濃い人間関係が必要になってくると・・・
別に何かされるわけでも、言われるわけでもなく、
ただ、私がその場にいるだけで、どうしてか疲れてしまう・・・
人の発言やしぐさに、なんとなく反応してしまい、あとあと家に帰って、やっぱり色々と考える・・・・
どうして、手放しで素敵な時間だったと思えないのか・・・
他の人が感じている感覚との違い(例えば、ブログを作る人たちとの集まりが楽しいというような前向きな感覚です)に、
しばらく、色々と悩みました。
しばらくどころか、実に一年以上悩んでいたかもしれません・・・。(会社に行っていた時の切実さとはだいぶ違いまして、そこに参加したくなければ行かなければよいことなので会社や学校などの環境とはまったく違うのですが)
それで、人見知りが多くて、人間関係に悩んだ人が多く、そんな人たちが集まるブログ作成の場で、皆様は生きやすそうにしている場ですら、
私はどうして息苦しいのだろうか、と、
そんなことにも、会社を辞めた後でも悩んだあげくに、
やっと少し、最近、答えに近づいたのが、
私は、デフォルトで備わった機能で、
人と会うと、
「どんな人にでもエネルギー」を消耗してしまうんだ、と。
なんとなくですが、そんなことに、少し気づいてきたのです。
そう感じる、心で認めることができると、
だんだんとやっと、
1年以上いて、やっとブログ活動の場も、なんとく過ごし方がわかったと言いますか、
私なりの、人との正しい凌ぎ方がわかってきたような気がしました。
つまりは、
これが言い方として、正しいのかはわかりませんが、
その人にとって良い人、悪い人というくくりがあった場合に、
良い人に会うと、
人付き合いが苦手な人でも、良いエネルギーがわき起こる人がいる。
これは、良い人と過ごして、良い感情になって心が満ちるというのは、
いっけんすると、当たり前のことみたいですが、
私の場合は、良い人でも、どんな形でもエネルギーを消耗する。という、
なんだか、そんな、一般的な人との感覚の違いに気が付いた気がします。
何も、私が特別な感覚の人間だと主張するつもりではないのですが、
うまく言えないのですが、その人に備わった体力をもとにして体は無意識に自然と動かすことが、だいたいできるのですが、一方で、心の体力については、使い方、エネルギーの使い方が、私は人よりもかなり下手なんじゃないかと、いまさらながら感じてきたのです。
会っていて、過ごしていて居心地の良い人でも疲れるの?
という感覚が多くの人の疑問になるかはわかりませんが、
良いことがあっても、例えばですが、ライブに行った次の日に前日とのテンション、現実とのギャップに苦しむような、
少し人間関係とは、また感覚としては違うのですが、
もともとデフォルトである考え方、癖なのか、必要ではない部分の気を使ったり、神経をいつの間にかすり減らしてしまうような、そういう性質、考えるタイプなのではないか、と、
やっと気づいたのかなぁと思いました。
開き直ったら、楽になった気がしました
そうわかるとだいぶ楽になったと言いますか。
良い人と会うと、それだけエネルギーも高まるみたいな、
少しスピリチュアル的な感覚はわたしにはなく・・・
どちらかというと、
その時に居心地が良い人たちでも、
なんだか知らないうちに色々な情報が頭の中を駆け巡り、目に入ってしまって、
どこかで体に力が入って、気づかないところで体力も消耗するような、
簡単にいうと、やっぱり、あとで疲れるのですね。
こんな感じで、人との違いに気づくのに、1年以上かかった気がしました。
それで、ずっと、そんな違和感をどう処理して良いのかわからずに・・・
なんか、みんな、同じブログ作成の場で集まって、
楽しそうだし、
イキイキしているようで、
どこが私と違うのだろうか?
など、と、ずっと考えてしまっていたんですね。
ブログを作っている人たちと会った次の日など、なんだかぐったりと疲れて・・・
なぜ、私は、人と会ってエネルギーを充電できないんだろう・・・
そんなことを考えはじめて、
むしろ負のスパイラルに入ってしまうのです・・・
それで、もう、いっそう人間関係もとことん捨てて隠遁・スローライフにしようという感じになったのですが、
で、今回、ブログ活動をしている人たちが、
私の田舎に訪ねてくるということで、
正直、嬉しい、ですとか、楽しみ、
ということよりも、
ああ、また人に気を使って、あとでまた疲れるの、まったく何もできなくなるの怖いなぁと、
そう思っておりました。
田舎の近くに、昔の武将が、敵が攻めてくる戦いを前に、家臣たちに誓約の文言を提出させた書簡を残している神社を皆さんが来た時に一緒にまわったのですが、
慣れた場所に、人が訪れてくるのは、
なんだか知った人でも、人が攻めてきてびびる武将さんの気持ちがわからなくもないなぁなどと、
また少し話しが脱線しはじめましたが、
それで、私が良く行く、田舎の集落を一日、他の場所も一緒に出歩いたりしたのですが、
「今回、もう、あらかじめ、人と会ったら、どっちにしても感情が落っこちるだろうけど、それについては、あきらめよう・・・」
と、はじめから開きなおってしまいました。
あとで、しばらくブログも書けなくなる、
人に会ってエネルギーを使って、何もできなくなる。
というか、すでに何もできなくなっている・・・。
下手すれば、これから体調すら悪くなる。
でも、そういうもんだ、と、
そう「心構え」しました。
山を越えて隣の国の人が攻めてくるぐらいの気持ちで良いんだ、と。
失礼ですよね、わざわざ家まで訪ねてきていただくのに・・・。
ですが、それで、皆様が来て、帰って行った次の日は、
カーテンを閉め切って、ずっと寝ていまして、
朝がきて明るくなったのに、カーテンも開けずに、
台所にある窓を気持ち程度少し開けて、空気をちょっとだけ入れ替えるぐらいで、
あとはずっとぐったり・・・
「起きよう」と思うまで寝ておりました。
起きようと思うまで寝ていたら、結局、三度寝くらいして、
布団から出ずに、いつの間にか次の日になりました。
しかし、その日は、一日中、秋雨がしっとりと降っていたので、雨音がなお眠気をやたらと促進するのです。
雨音は、疲れた時は、ほんとに、こころを癒す良いBGMです。
そうやって、もう人と会った後はあらかじめカーテンを閉め切って次の日は寝込んでしまう。
そうなってしまうことを認めてしまう方が精神的なリカバリーがはやく、
むしろ、無理していつものように過ごそうとすると、逆に回復が遅くなってしまうので、
寝込んでしまう方が回復の近道なんじゃないかと気づきました。
ということで、もう、次の日というか、
動こうと思えるように回復するまで、いったんエネルギー回復まで待とう、と、
HPもMPも回復するまで待つ。
人よりも私は消耗が激しい。
と、そう腹をくくって、今回、良くいる隠遁の場所に来ていただき、ふだん見ている世界観を案内させていただきましたら、
「けっこう回復が早かったです」
皆さんが帰っていって、翌々日は、晴れて、
朝から起きることができまして、
そうしましたら、掃除やらはじめてしまって、
掃除をはじめたら、それが大掃除になって、
布団も干して、洗濯もたくさんして・・・
そして一人で景色を見るために出掛けて、お墓まいりもして、
最後は温泉に行って・・・
あ、そうか、もう、
できないことはできないって、素直に認めてしまったら、
楽になる部分がまだあったんだなって思えました。
今回の場合ですと、
人が使う表現、
同じ人付き合いが苦手でも、
それも人によって違うんだ、と。
それを、例えば価値観の近い人たちだから、人付き合いもしっかりできないといけない、ですとか、そう思うと苦しくなる。
世間一般の、よくある考え方にあてはめてしまうと、正直、苦しくなる・・・。
でも、私は、やっぱりできないでいいんだ、と、
そう思ったら、ずいぶんと楽になったと言いますか、いままでよりも、心のエネルギーの回復がはやくなった気がしました。
つまりは、もともとできないことを認められずに、それについて苦しんでいたといいますか、
そういうのに気付くの、ずいぶんとかかったなぁって、
ですので、会社を辞めて、嫌な人間関係から離れたとしても、
たとえ居心地の良い人たちとの集まりでも、
私みたいな人間は、こころのエネルギーが、誰と接するのにも、
もともと対人消耗型、
そして一人きりでエネルギーの充電が必要な、
ひとり充電型人間なんだなぁとあらためて思ったのです。
そうわかっただけでも、ずいぶんと楽になったと言いますか、
それも、ですが、今回、
ブログ作成をしている人たちに、私の田舎にきていただき、「一人で隠遁」の世界観をみてみたいと、訪ねていただいたおかげで気づけたことでした。
私は、何かイベントごとがあると、
それが、例えば緊張をしない場でも、なんでも、
行きたいライブの前日でもそうなのですが、
寝ることができないようなタイプです。
ですので、今回、田舎の家に知っている人たちが来るのも、
当日寝不足だと、また、余計にまいってしまうし、どうしようか、と悩んだあげく、
前々日は、
「あえて眠らない」
そうすれば前日はさすがに眠くて、自然に寝るだろう、と、
ですので、前々日の夜は、持って行った本を眠いながらも、
明け方まで読み続け、前日の日中は掃除をしたりして、
そして、
皆様がくる前日は、寝ることができたのです。
これは、旅行でも同じですね。
家族などと一緒でも、眠れないのです・・・
私、思うに、今まで生きてきた中で、
こころ許せるとかそういうことでなく、
本能的に、自然と、いてもまあ大丈夫と思える人は、
年子の姉がいるんのですが、
その人は、物心つく前から同じ空間にいたのか大丈夫なんですよね。
何を言ってもまあ大丈夫というか、
なので、この世でほぼ唯一、タメ口で話せる人だなぁと、そんなことにふと気づきました。
生きていればごくまれに、ふと、タメ口で話せるような、
すごくあっけらかんとして、いい意味で無神経で、天然で明るい人にごく稀にでくわすのですが、
私にタメ口で話しをさせることができる人はたいしたもんだと、思います。
関西のようなノリで、良い意味で、ずけずけと、でもナチュラルに人のこころにいつの間にか入ってくるような人は、私はいちばん、いても居心地が悪くないかもしれないなぁと今までの人付き合いを振り返って考えました。
余計な嫌みとかいう人はダメですが、
なんだか、自分のことも人のこともあまり気にしないような人の方が、気を使わなくて楽なのかもしれませんね。
そんな、ほぼ、どんな人にも消耗してしまうタイプというのを認めてしまったら、
回復がはやくなって、前よりいくぶん楽になり、
やっと、なんだか、もやっとしていたものの正体がわかったような経験でした。
そして、その対人消耗型タイプの場合は、消耗をすることを理解して、あらかじめ意識の中で準備をしておいて、エネルギーを消耗する心の準備というか、カードを切る用意をしておくと、後で感じる消耗は少しだけ、ちょっとだけの場合もあるかもしれませんが、ふだんより、前より、楽になるのかなぁと気づけたのでした。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今回、世界観訪問については下の記事へ続きます。
⇒続く、人間関係が必要なくても人がいたからできたこと
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