人付き合いが嫌いながら、ブログ仲間と一緒に過ごすことについて
→前回の続きはこちらです
ブログ作成をしている人たちが、ふだん私がいるところ、好きなところの世界観を知りたいということで、
私の田舎の方へやってきました。
それで、ほんとうに私は、色々と今まで働いていた仕事場を含めて、
はては、会社組織とは違う個々の作業で生きている、人間関係の影響が少ないブログの世界の人たちと一緒でも疲れてしまう・・・
そんな人付き合いがすごく苦手な・・・私です。
もう「どんな人間関係も、あまり必要ないや」、という、
ひとつの答えといいますか、悟りのような境地に近づいた私でした。
どこまでいけば一人になれるか?
新しい元号でにぎわっていた時は、初夏に一人で星空を観に行き感動し、そして暑かった夏も、ずっと山の方に一人でいても大丈夫でした。
田舎ですので、東京とは違い、ちょっとした近所づきあいが発生し、おばあちゃんが生きていた時に仲が良かった、前の家のおばあさんが、
田舎の家は、ふだんは誰も住んでいない家ですので、空いている畑をおばあちゃんがいた時のように手入れをしていただき、
私がいるとき、夏は畑で採れた野菜をいただいたのですが、
私は、
その人の気配すらちょっと苦手でして・・・
いや、そこは挨拶ぐらいしなさいって感じなんですが・・・(できるタイミングでできる限りしております)
ほんとうに、悪気なく苦手で・・・すみません。
夏は、戸を閉め切ってしまうと暑くなってしまう部屋の窓も、絶妙なバランス感覚で窓の隙間を確保し、縁側から居間までの視界を遮り、
そして居間でこもって記事などを書いていたり、ブログをつくっていたり、
そもそも、ただ寝ているだけだったり・・・
それで、夕方涼しくなった時など、逆に気を使っていただいているのか、採れた野菜を縁側の足場のところにそっと、新聞紙の上に置いていただくこともあるのですが、
なんとなく気配が去ったあとに、私は窓とカーテンを一瞬だけ開き、さっと野菜を取り込む・・・
その姿を客観的に想像すると、なんだか餌付けを試されている野生生物みたいな感じだなぁと思ったのです。
野菜は美味しくいただきました。
そんな感じの田舎での日々だったのですが、
やっぱり、一人の方が気楽だなぁと、
あこがれの田舎での隠遁、スローライフ、
どこまで逃げれば一人になれるんだろうか?と、
そんなことを考えていたこの頃、
ここ最近、田舎の世界観をみたい、と、同じブログ世界の方々が訪ねてきたのですが、
その人たちが私にとっては無害、と、わかっていても、
内心は穏やかではなく、
来ていただく楽しみもあるのですが、心のどこかで緊急警報発令でして・・・
まあ緊張するのです・・・知っている人で、何度会っても、
昔、子供の頃、この田舎に遊びにきた時に、近くの親戚の人がきて「借りてきた猫みたいだね」と言われたのをふと思い出します。
人と一緒だからこそ知れた景色
ですが、ブログづくりの人たちと過ごした当日、
色々と、ふだんいる田舎の近くを一緒にまわって、
景色をみて、
そこで感じたのです。
例えば、いつも人がいない、私だけが知っている大好きな秘密のスポットのようなところがありまして、
滝が近くにあるんですね。
特に、名も知られてないような滝です。
その滝を、その日の最後に皆さんと訪れたのです。
いつもは、上の方にある木のベンチから景色を眺めて、滝から水が流れ落ちる姿と音が癒しになる憩いの場所なのですが、
一緒にきたひとりが、どんどん下の方へ、滝つぼの方へ降りて行って姿が見えなくなったのです。
ずいぶんワイルドに降りるなぁ、と、
普通に崖をくだっているのかなぁと、後をついて行ったら、
滝のふもとまで降りて、近寄ることができる道みたいなものがあったんですね。
一人でこの滝へは、何回も来ていましたが、こんな道があることに今まで、まったく気づきませんでした。
滝つぼの近くまで、近寄るという感覚もなく、そんなこと想像すらしたこともなかったのです。
ここは、ただ上から眺めるだけのところだ、とそんな固定概念がありました。
それで、同じように滝のふもとや川の流れに近い場所まで行くと木のベンチが置いてあったりと、そんなことも人と一緒に来て、今更ながらはじめて知って発見します。
いつも、ここは、とくに観光客もこず、
その日、
滝の近くにいたのは、私をふくめブログ作成の人たち、三人でした。
なんだが、その時に感じたのですが、
私たちは、
まるで、野生の人間が、自然を散策しているような、
それぞれが思いおもいの場所に散らばって、写真をおさめたり、川の流れを眺めたり・・・
いや野生の人間というよりも、人間になる前のようなもの・・・
言葉も話さずに、思いおもいに観たい景色、興味のあるところに勝手に散らばっていくんです。
原生人類ってこんな感じで、昔は自然と触れ合っていたのだろうか、とふと考えます。
それで色々と散策していて、やっと会話らしいことが発生し、「あっちに、湯の花があります」って教えていただき、
確かに、湯の花がどうのこうの、と、昔の古い看板があったのです。
今は、湯の花がでていた部分も枯れてしまっていたようですが、
だいぶ滝のふもとに接近した滝つぼの近くまで、
こんなところまで降りてくることができるのか、と、あらためて知ります。
しかも、それも昔の足湯?のような跡もあったのですが、近くに温泉がありまして、
そんな昔の跡も、
いつものように、一人で散策していたら気づかない視点だったのですね。
それは、午前中に一緒にまわった山の方の景色でもそうでした。
その時は、昔の山城を再現した門がそこにあったことをはじめて知りまして、
私が案内をした場所なのに、そういったものを発見するのは、
ふだんここには来ない人の方が気がつく。
それで、
あらためて、その場所の魅力を知る・・・
いつも上から眺めていた滝も、こんなに近くまで行けるんだと、
滝しぶきを感じることができる場所まで降りてこれたのです。
いつもは、
上から見ていただけの景色、
でも、もうちょっと、その先の一歩を踏み進むことができること、
それは、
人と過ごすことで見つかることなんだな、と、
そう知ることができて、楽しかったのです。
思えば、ブログの世界に来たのも、今、同じ時を過ごす人たちがいたからがきっかけで、その世界に飛び込む勇気が生まれたんだな、と、そんなことも考えます。
ですので、たまには、一人ではなくても、
一緒に誰かと過ごすと、
それは、良い意味でも、色々と気を使い疲れてしまいがちなタイプで、
私の場合は、完全な隠遁・スローライフが理想ですが、
人と会うことで、いつもとは別の視点を発見できることもあるんだな、と、
たまには、人と過ごすのも良いことだ、と、
会社とは違った、強制されてない人間関係で、
それでもたまには、で、あれば、
面白い発見があるんだ、と気づいた嬉しいことでした。
少しだけ、ちょっと前向き目な結論
それで、例えば、私みたいな人間ですと、
後々考えたのですが、
「その場の空気」について、
一生懸命、頭の中で、
あれやこれや考えてしまう人間なんだな、と、少し考えたのです。
それは、良い、悪いでなく、そういう性質であって、
ですので、会社のように強制された人間関係で、
なんだか理不尽なやり取りや、いやだなぁと感じる場面を目にすると、
それについてああだ、こうだ、一所懸命考えてしまう性質なのかなと思いました。
ですので、今回のように、
楽しく感じるような環境に、身を置く期間を増やすことで、自然と「その時に身を置いている環境」について、ああだこうだと考えるようになって、
例えば、今回のことですと、
人といることで違う視点、いつもとは違う、ちょっと一歩の行動ができて、いつもとは違った風景、滝の近くまで近づくことができるんだな、と、
そんなことをについて気づいた、考えた記事を書いたり、
あの日に触れた、滝から感じるマイナスイオンみたいな一日について思いにふける、堂々巡りな思考なら、いつも一生懸命していても良いんじゃないか、と、そんなことも思ったのです。
ですので、私みたく、置かれた環境について、
ああだこうだ、と、
良い悪いは置いておいて、目にみえる情報や、感情を、
置かれた環境の景色を中心として、頭の中で処理をしてしまう性質のような人間は、
常に、良いところに(その人が良いなと思う環境)に身を置けば、いつもそうできるかはわかりませんが、
考え方の循環はいつもより良くなり、
少なくとも、本人にとって楽しいと思うことを、常に考えやすく生きることができるのかな、と、
そんなことを考えたのでした。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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